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心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

宋 文洲のメルマガ

2014年10月31日 | 紹介します
わたしは何種類かのメルマガを購読していますが、その中でも 宋 文洲さんのメルマガの論長論短はいつも考えさせられます。今日の「最期に書いた息子への家書」というお話には胸を深く打たれました。香港の著名テレビキャスター梁続璋さんが最期に息子さんに送った手紙だそうです。宋文洲さんにお断りして掲載しなくてはならないかなと思いましたが、きっと大丈夫だろうと思いますので その手紙を紹介します。

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息子へ

おまえにこの手紙を書いたのには3つの理由がある。

1. 人生は幸福も災難も無常だ。いつ死ぬかは分からないので
早めに言っておきたい。

2. 私はおまえの父だ。私が言わなければ、誰も言ってくれない。

3. この手紙は私の悲惨な失敗体験から得たものばかりで、
おまえの人生に役立つだろう。

今後の人生において、以下のことをよく覚えてほしい。

(1)おまえを悪く扱う人のことを気にしない。私とお前の母親を除けば、
誰もおまえによくしてあげる義務はない。だからおまえによくしてくれる人を
必ず大切にし、その人への恩を忘れてはならない。

(2)世の中には、居なければ困る人は存在しない。所有しなければ困る物は
存在しない。お前が愛しているすべてを失っても人生は何とかなるものだ。

(3)命は短い。今日も浪費しているこの命は、明日にはもう消えるかもしれない。
命を大切にしたいのであれば、命を楽しむ時間を増やすとよい。長生きよりも
早く楽しむことが大切だ。

(4)愛情は一種の感覚に過ぎない。時間や心境と共に変化する。最愛の人が
おまえから離れた場合、慌てずに時間を待つがいい。時間がおまえの心を
洗い清め、おまえの苦痛を和らげてくれる。恋に憧れ過ぎないこと。
失恋を悲しみ過ぎないこと。

(5)確かに多くの成功者はあまり勉強していない。しかし、これは
勉強しなくても成功できることを意味しない。勉強で獲得した知識は
おまえの武器だ。人はゼロから富を築くことができるが、何の武器も
持たないと無理だ。これを絶対覚えておくのだ。

(6)私の老後はおまえに頼るつもりはない。おまえの老後は私に頼れる
訳がない。おまえが成人して独立した時点では、私の責任は終わった。
今後、バスに乗るのかベンツに乗るのか、春雨スープを飲むのか
フカヒレスープを飲むのかそれは、全部おまえ自身の責任だ。

(7)おまえは自分に信用を守ることを要求できるが、同じことを他人に
要求できない。おまえは人に優しくすることができるが、同様なことを
人に期待してはいけない。おまえが他人を扱うように、他人がおまえを
扱うとは限らない。これを理解できないと人生は苦痛が溜まるばかりだ。

(8)私は26年間、宝くじを買ってきたが、未だに三等賞にも当たっていない。
リッチになりたいならば努力して仕事せよということだ。この世には
ただのランチなどない。

(9)おまえと私は一回限りのご縁だ。お互いの縁がいつまで続くかは
分からないが、共に過ごす時間を大切にしよう。お互い愛があろうが
なかろうが、来世にもう出逢うことはない。

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なんと慈愛に満ちた息子への思いなのでしょう。人生は誰にとっても自分だけのものであり、自分がどう生きて行くかによって進む道は違ってくる。息子が迷ったときに思いだせるよう 息子が悩んだときに思いだせるよう この短くも凝縮された言葉は胸に刻み込まれていくのだろうと思います。
そして息子ではなくても わたし自身が必要とする言葉がここにはあると思いました。あまりにも素晴らしい言葉でしたので ぜひ皆さんにも知ってほしいと思って紹介します。

懐かしい

2014年10月31日 | ほんのすこし
昨日は、病院まで母はタクシーで わたしは歩いていきました。というのも 代車があまりにも新品でしかもスポーツカーみたいなので とても運転するのに気を使うのでだめだということになり、午後の返却まで運転しないことにしたのです。
お前の運動不足も解消されていいじゃないかと言われ それもそうだと。結局 車いすを押して診察を受けた後 玄関でふたりはひとりはタクシーに乗り込み ひとりは主のいない車いすを返却し 歩いて自分の場所へ。久しぶりに歩く道はすっかり冬に向かっていて 道路脇の草木も枯れていました。
その中で赤く色づいていた緑色の中の小さな小さな実。

懐かしかった・・・この実 小学生の頃歩いていた道路脇によくありました。ちょっと取って歩いたりしたことを思いだしました。小学生のとき歩いた道路事情は 車はほとんどといっていいほど歩かなかったので、結構広い歩道を本を開いて歩いても大丈夫なほどでした。道路脇の広い水路は田んぼが広がっていて 男の子たちはその水路を飛び越えるのを競っていました。わたしは臆病者でしたし、運動が大の苦手でしたので よくやるなあといった顔で 横目で見ながら通り過ぎていました。
そんなわたしなので クラスの中では目立つ存在ではなく 静かな感じですみっこにいる人?といったふうに見えていたと思います。かといって友達がいないわけではなく 放課後互いの家を行き来する友人はいました。その友人も本を読むのが好きでしたので ふたりで読んだ本の感想などを話しながら歩いて帰る時間はとても楽しかったことを覚えています。

今は歩いて本を読んだりするなんて ありえない道路事情になってしまいましたが。そんなのんびりしていた昔がとても懐かしいです。あの頃 貧しくはあったけれども、何か満たされたものがたくさんあった気がします。今の世の中から見れば 足りないものだらけの世界でしたが、一日を過ごすのには十分すぎるほどでした。逆に今のわたしはパソコンやらテレビやらに支配?されているようです。小学生のときは テレビはあっても本を読むほうが好きで 母が心配して学校に行ったときに先生に うちの娘は本ばかり読んでテレビを見れっていっても見ない、どうしたもんでしょうか?と聞いたそうです。先生はそう言われて 笑って言ったそうです。
「○○さん、他のお母さんがたはどうすれば本を読むようになりますか?って聞いてくるんですよ。贅沢な悩みですよ それは。本を読むのはとてもいいですよ。語彙や言葉の使い方 世界中のことを知ることができますからね。」
他のお母さん方には
「○○さん、わたしたちこそ どうやったらお宅の娘さんみたくなるのか知りたいですよ。」
と言われる始末で、あのときはびっくりしたよ とときどき 思いだすように何度も教えてくれます。母はきっと内心 鼻が高かったのでしょう(笑)

そんな読書家のわたしでしたが、小学生の時がピークだったようです(笑)
あのときの読書量には全然敵いません。何よりも本!借りてきた本を読みたい!あの続きを読みたい!その思いが頭を占めていました。
今は買っても読まない本もたくさんあります。一日の中で無駄な時間が多すぎるし、読まないでいる本を開くことをしなくては・・・と反省しています。懐かしい赤い実を見つけて 反省する材料に思いを馳せている今朝は どんよりした空ですが、これからはこんな天気が多くなっていくのかなと ふと寂しい気分になりました。



戴きました♪

2014年10月29日 | ありがとう
ここしばらく 外食したりとか 夜のお出かけとか 何かのイベントに行ったりとか そんなことに行けない自分がいて 地元で色々な催しがあってもじとっとした気分で部屋にこもりがちでした。更年期症状が出て多汗やら動悸やらふらふら感があったことも影響していますが、気持ちが沈んでいくのも更年期症状の一つだったのでしょうか。
先週 秋田市まで行ってきましたが、日常と違う経験をすることがいかに新鮮で良いことかを知りました。そして 自分の今をもったいない過ごし方しているなと感じてきました。少しずつ気持ちが上向きになっている気がします。

そんなときに嬉しいお誘いを。
友人から夜ごはん一緒にどう?と誘われ、重い腰を上げることに。
彼女の仕事が終わる頃に職場で待ち合わせする手はずでした。ところが・・・昨日はとっても寒くて。これまでホットカーペットだけで寒さをしのいでいたのですが、部屋にいてもさすがに空気が冷たく感じて夕方 ストーブの試運転することにしました。分解掃除も頼まずに10年経っています。毎回 びくびくしながらの試運転です。電源を入れて 上手い具合に点火できました!ホッと一息ついて部屋が暖まるのを待っていました。もうすぐ待ち合わせの時間が近づいています。着替えをしたり お化粧したり・・・あっちへ行ったりこっちへ行ったりしていると、ボン!と音がして、点いていたストーブの火が消えてしまいました。
慌てて あちこち見て、電源を入れ直したり。
単純に元栓の向きの違いだということに気が付きました。待ち合わせの時間が過ぎています。しかも昨日は歩いていく予定でした。車の点検で持ってきた代車が新品のしかも大きくてスポーツカーみたいな凄いのが来てしまい、わたしにはとても街中を運転する気分にはなれない(ぶつけたら困るし・・・)ので、木曜日の返却まで そっと駐車場に置いておこうと思っていたのです。母もその方がいいだろうと。
なので 寒い中 とぼとぼ歩いて彼女の職場まで。

到着しましたが、20分も遅くなり誰もいない様子。職場に電話してみたらもう帰りましたよと言われ、どうしよ・・・と思っていたら、着信。(彼女はいまどき珍しく携帯なしなのです)夜ごはんの場所はそこから歩いてすぐのわたしが行ったことのないお店にしました。
彼女は一度行ったことがあるということで 美味しかったというトマト鍋も注文。あれこれ食べて飲んで話が弾み、本当に久しぶりに夜の会食でした。その後 もちろんミントンハウスに行きました♪
これまたかなり久しぶりのマスターにお会いし 相変わらず元気そうでした。わたしが入っていくと
「はい これMOKAさんに」とフィル・ウッズの『IMAGES』のCDをくださいました!いつも色々もらってばかりだから、MOKAさんこれ欲しいだろうなと思って買ったんだよと。なんということでしょう。三人で数十年前に一瞬で戻りました(笑)

今 聴いても素敵な曲ばかり。1曲目の「風のささやき」を何度お店で聴いたことでしょう。まだマスターやママさんと会話をするなんてそんな恐れ多いことできないおずおずとした自分だった頃、それでもこのアルバムが好きだということをママさんは知ってくれたのか わたしが入るとかけてくれました。今よりも店内の照明もダウンしていて 薄暗い中にママさんが吸うたばこの白い煙が横に長く伸びて行くシーンが目に浮かびます。フィル・ウッズの公演も聴きに行きました。青森でライブがあると聴いて 初めてひとりで電車に乗り 行ってみたこともあります。昼の公演でしたが、そのとき フィル・ウッズがどういうわけかピアニストに不満があったのか ピアノを弾いたり あまりサックスを演奏してくれなかったことが印象的でした。まぁ初めて青森に行ってひとりで行動する面白さを味わえたからいいか・・・そんな気分で戻ってきたのでした。
そんなことなどを思いだしながら 数枚のアルバムを聴いていました。
最初は ペリーコモのアルバムでしたが、年をとっても甘くていい声ですねぇ。聴いていて気持ちいい声って好きです。その後は この『IMAGES』をかけてくれて その次に『JAZZ CINEMA PARADISE』を そして最後に





これがかかりました。アン・バートンのピアノ担当の方だとか。1969年頃のアルバムだと言ってました。そんなに昔だと思っていなかったので 意外な気がしました。選曲が良かったのか マスターに言わせると
「ビートルズのナンバーをやっているのもあるけど、こっちの方がずっといいよ」
とのことでした。なるほど・・・後でamazonで探してみようかな。
ミントンでは初めての方とも話がはずみます。昨日もそうでした。
出かけることが億劫だった自分が消えていく気がしました。歩けばすぐそこにあるその場所。いつも行くと何かを与えてくれる場所。大事にしたい場所があるのに わたしは遠ざかっていたんだなあとしみじみ思いました。
もう40周年になったんですね。マスター Mさん よく頑張ってきたね・・・これからもそこでそのままでいてくださいね。

※※※

11月17日(月)午後7時 大館市民文化会館 中ホール
東京キネマ・ジャズトリオ 
\4,000
ミントンハウスの40周年記念コンサートが開催されます。ドラムの大坂さんは横手出身。ピアノの片倉さんは仙台出身。ベースの井上さんは以前にも日野さんのコンサートとかでいらしています。12月から全国ツアー予定なのですが、スケジュール調整して単独で今回大館で開催できることになったそうです。映画音楽を見事なアレンジで聴かせてくれます。聴きなれた映画音楽が新鮮に聞こえました。ジャズはちょっと・・・という方にも楽しめるのではないかなと思います。ぜひ聴きに行ってみてください♪

秋探し

2014年10月26日 | ほんのすこし
遠くへ秋を探しに・・・なんて出来ないし しようと思わないので、近くで秋を探すことに喜びを感じているわたしです。テレビとかで観光スポットの美しい秋を見せていただいているので それで満足。
近くだって 素敵な場所が結構あるのです。小さい範囲での秋だって それはそれでいい感じなのです。なんてちょっと強がり発言?でも 近くの秋を発見する楽しみもまたありかなと思うのです。

実家の近くの河川敷はそういった意味でとても素敵でした。以前は毎朝ここをウォーキングしたこともありますが。このときは夕方近くで 河川敷はどんなふうになっているのかなという好奇心から出かけてきました。
足元で落ち葉がカサコソと音を立てています。
姿を見せてはいるのものの葉っぱの最後の音なんだなと感じながら 少し踏む足の力を弱めつつ歩いていました。



温泉で母と空を見上げたときに トンボがすぃっと飛んでいました。それを見て
「短いよなぁ。トンボの命も。」
と母が。
「そういえば わたしのところの網戸にトンボが止まっていたなあ」
とわたし。母が
「網戸に止まっていて 風に吹かれるとそのまま落ちてしまうんだよな。トンボの命ははかないねぇ。」
その後、母は トンボや虫がはかない命だということに考えを巡らせているときはそのまま放っておくのに そんなことを考えもしないときには 虫とか叩いてしまうこともあると。そのことの不条理さに人間のエゴを感じているらしく しばしふたりで虫の命について(と書くと大仰になってしまうのですが)話していました。
母の言うとおり わたしも虫が自分に何もしなくても見ただけで排除しようとする行動をとっていなかったかと思うのです。反射的に。虫は虫で自分の命を全うしているだけなのに。人間の目の前に出てきたというだけで不必要な存在であるとばかりに除外されようとする。ことに家の中に間違って入ってきたときなんぞは悲惨です。
それでも 苦手な虫(特にクモ)を見つけたときにはなんとかして外に出す算段をするわたしなのですが。母のように叩いて・・・ということもできません。

話が横道にそれましたが、虫もまた秋には欠かせません。特に鳴き声。母のところにその珍客がやってきたのはしばらく前でしたが、夜中になるといい声で鳴いたらしいのです。その声があまりにも綺麗でしたので、母はどこから聞こえているのかと次の日 探しましたが、見つけることができなませんでした。数日 夜中にふと目覚めたときにその楽しみを味わっていましたが、そのうち聞こえなくなってしまい・・・。母としては 迷い込んでしまった我が家を終の棲家にするよりは 自由な外に出て最後を味わってほしかったらしいのですが、それもいかんせん、どこにいるものやらさっぱりわからなかったという。いつかどこかで最後の姿を発見するかもしれないねとちょっと寂しそうに笑っていたのが目に残りました。

秋の色は街中にも徐々に表れて いつもの街路樹も様々な色に変化しています。それを見るのもまた楽しみで運転しながら両側の色の変化に感嘆。でもあまり見ていると運転がおろそかになるのでそこは我慢。それぞれの樹が違った色になっているのは不思議。同じケヤキの樹なのに・・・個性?一本一本の樹がそれぞれ生きているという そんな力強さを感じてしまう秋探し♪
それにしても東北の秋は早すぎます。三日もすると 素敵な赤が枯れてしまう・・・



行ってきました♪

2014年10月25日 | ほんのすこし
昨日 大人になって初めて?表彰式なるものに出席してきました。行くまでにとても悩みました。気恥かしいというか 行ってもいいのだろうかという気後れする思いがあって 出席するに○をして投函するのに時間がかかりました。
あの作品で本当に良かったのだろうか・・・

県で文芸募集をしているというのは 何年か前から知っていました。その作品集があるということも気付いていましたが、開いてみたことはありませんでした。というか 何かに応募してみようという気持ちはちっともなかったのです。
それが 今年に入って これまで出来なかった小説もどきを一応完成できたということが自分の中の何かに火がついて ムラムラと(笑)。あれこれ書きたい物が出てきました。そのうちに最初は応募するつもりもなく書いていたものをもしかしたら出してみてもいいんじゃないか?結果はどうあれ 挑戦してみる価値はあるんじゃないの?とか考え出してしまい、そのときに頭に浮かんだのが 県の募集でした。
募集要項をネットでダウンロードしてみましたら、制限枚数があることに気づき、慌てて書きかけの文章を原稿用紙に貼りつけてみました。全然だめです。完全なるオーバー。
でも この登場人物のことを書いてみたいという気持ちが消えず。それから悪戦苦闘。枚数を削る作業と当初考えていた内容を大幅に変えて 長いスパンの話から 途中までに変更しました。だから書きたかった内容とは全然違うものになってしまいました。でも 修正しながら これもありかなぁと。

〆切り近くに投函し、後は結果を待つのみでしたが、投函してから10月までは頭の中に募集のことが残り、考えないときはありませんでした。初めての応募・・・どのくらいの方が応募しているのだろう。どんな内容のものが多いのだろう。果たしてわたしの文章は応募する基準に満たされていたのだろうか・・・考えれば考えるほど不安と後悔が生まれてきました。応募なんてしなければよかった そうしたらこんなに逡巡と悩まずにいたのに。なんて小心者なんでしょうね。出してしまったものは 後はまな板のコイ!そんな思いでいればよいものを。

そんなわたしの内心を見透かしたかのように ある日連絡がありました。果たして それは「入選」というものでしたが、電話の向こうの方の「おめでとうございます」という声がどこか遠くで聞こえているように思えました。驚きと嬉しさがありましたが、まだわたしの中には あれでよかったのか?活字になって読まれるに値するのか?という思いがありました。表彰式にも「入選」なのに出ていいのかと思ったりしました。母に聞いてみると
「滅多にないことだから いい経験だと思うよ。行ってみれば」
と言われ 行ってみるか・・・と。

勇気を出して行ってみて 良かったです。色々な年代の方がいました。若い方が少なかったのは残念でしたが、すごい方がこんなにいるんだなぁと改めて感じました。審査員の方々がどんな思いで 作品を読んでくださっているのかもわかり、わたし自身 反省することばかりでした。今回は入りましたが、落選された方の中にはもっと技量のある方もいると評に書かれていて、まだまだだなあと。
それにしても・・・人生の節目の年に記念にと思っていましたが、思いがけず嬉しい結果になり、さらに良いものを書いてみたいという思いが生まれています。

今日は寒いなぁ

2014年10月20日 | 季節/マウス画
今日は 黙って座っていても 手がかじかんでいきます。ときどき両手を擦り合わせて 温かさを取り戻そうとしてずいぶん右手の方が冷たいなと感じます。右手は常にコタツの上に出ているからでしょう。マウスでクリックするのに右手が活躍している証拠です(笑)もちろん キーボード上で両手が動くこともありますけどね。

そんな寒さを感じる月曜日です。外はどんよりしていてお世辞にも晴れた空とは言えません。外に出るときにはコートを羽織っていかなくては。戸惑いながら 毎月の仕事を終え送信。自分のしていることに不安を感じつつ これが唯一できていることだと割り切って。

古いマウス画。切り抜きのような雰囲気を出したくて描いたっけ。夜は静かに更けて行く・・・こんな気分なのかなと・・・

※※※

空は漆黒
樹は葉を落とし
かすかな風が葉を抱きしめて
そばのベンチに落としていった

座るもののない
夜のしずくをまとったそこには
昼の喧騒はどこにもなく
ただただ セレナーデが流れている

あのとき 窓から見下ろす小道には
たくさんの落ち葉が敷き詰められて
時折 ふぃっと寄せる秋風が
葉を舞い踊らせた
あのとき コートの襟を立て寒そうにして
歩いていたあのひとを
なぜ追いかけなかったのだろうかと

漆黒の空の下
ベンチに置いた昼のわたしは
夜のしずくに濡れていく

※※※

母とテレビを見ながら

2014年10月20日 | 母のこと
昨日の午後 夕飯の準備も早々と終え、母とテレビを見ていたときのこと、画面では 認知症の方で行方不明になったまま身元がわからないという番組が放映されていた。二人とも 食いいるように見ていた。
わたしは途中から見たので 最初に出ていた女性がどこの方かわからなかったが、途中で 再度出てきたときにその方が横手の方だということを知った。まだ母親の行方はわからないままだ。ビラを作り 配ったが、何も連絡が無いまま・・・
一方 別の場所では 見知らぬ人の後ろをついていって警察に保護された女性が出ていた。保護されたときには身なりにあった名前とその方に聞いたときに答えた名前で検索したが、名前が違っていて 検索には合致する人がいなかった。その後 施設に入り そのまま7年という月日が過ぎた。入所当初の姿を写していて その後毎年写していたその姿を見ていると あきらかに顔から表情が失われていっていた。
母もわたしも その顔を見て びっくりした。認知症を患っているとはいえ ここまで変貌するものなのか・・・その後 テレビを見た夫から連絡があり、7年経ってから再会するが、すでに妻は夫のこともわからない状態だった。だんなさんも手をこまねいていたわけではなく ビラを作り あちこちで探し歩いていたのだが。

母が
「認知症になっても 外を歩き回れないから返って自分にとっては良かったのかもなぁ」と言った。リュウマチと喘息で ほとんど少ししか歩けないから、この家の中にいるしかないという諦めが言わせた言葉だ。
番組を見る前に 母はコタツに入りわたしが買ってあげた『小学生で習った日本語』という本を開き 一生懸命当てはまる漢字を入れていた。後ろのページに答えが書いてあるので 答え合わせをするたびに一喜一憂していた。そんな母を見ていたので
「母さんなら大丈夫だよ。頭の体操しているから。」
と言った。そうかぁっとちょっと嬉しそうな顔をしていた。

ふと この母がこれから先 認知症を患ったら?と考えた。想像できないのだが、人間 先のことはわからない。母に
「お前もまだ若いなんて思っていないで 家の中にばかりいないことだな。ひとりでいて本ばっかり読んでいたってだめだ。もっと外に出たほうがいい。といっても出すぎもよくないけどな。」
と言われた。ほどほどに出て 刺激を受けたり 人と接したりすることが大事だと言いたかったのだろう。確かに夏以来 更年期症状がひどくなり 外に出ることから遠ざかってきた。遠ざかるとそれがだんだん心地よくなってきた。外に出るのがひどく疲れて 人に会うことに気遅れを感じることが多くなった。
やりたいことがたくさんあった あの頃の自分はどこへ行ったのだろう・・・
そんな自分の後退現象を母はしっかり見ていて、
「ここに来て世話をしてくれることはありがたいけど、もっと他に出ていくこともお前には必要だよ。一人暮らしの人は特にな。」
と言う。
娘に迷惑をかけているという思いが常にあるからだろう こういった言葉を言うようになった母。
わたしからすれば 母がいてくれるから、一日が充実しているのだけど。それでも母のありがたい思いはしっかり受けめようと思う。

そう思いながら 車のドアを開けると、助手席にはまた新たに買った本が三冊置いてあった。う~ん・・・これ以上 買わないようにしなくては。

卵料理

2014年10月19日 | ほんのすこし
卵を使った料理が 結構食卓にあがる。
一日に何個もとっては体にはよくないらしいが、ときどきその範疇からはみ出して 作っているときがある。
最近は 綺麗な玉子焼きを作ることに力を入れたりして、こんな風に卵焼きタワーにしてみたり。これは見栄えはいまいちだった。

先日 朝のテレビで 東京で今流行っているものといえば・・・というので「エッグスラット」なるものが紹介されていた。バゲットにつけて食べるらしいが どんな感じなのかなぁと思いながら見ていた。たまたまamazonで注文していた雑誌がそのとき届いて 中を見ていたら、ついさっきテレビで放映されていた「エッグスラット」のレシピが書いてあった。
これは作ってみなくては!
どんな味なのか どんな柔らかさなのかもわからないまま レシピを見て 大体物が揃っているなと。ただし肝心のバゲットは無い(笑)仕方ないのでたまたまあった食パンを使うことにした。

エッグスラットなるものは 使い終わったジャムの瓶とかを利用する。じゃがいもと牛乳と卵があれば大丈夫だった。じゃがいも二個でマッシュポテトを作って(【マヨネーズとか塩を入れて味を調える)瓶に入れ その上に卵を割って入れる。鍋底に敷き物をして そこに瓶を入れて 卵の高さまでお湯を入れて10分湯煎。
とはいっても やはり火加減とかあれこれ書いてある以外のところで疑問が出てきて これでいいのか?状態になる。だって一度も食べたことない テレビにチラッと出ていたもの(カフェで出されていた)を作ろうなんて無謀なことを考えているのだから。



で できたもの。ふたをあけ 中身をかきまわした状態。
卵の感じが違うんじゃないか?って思ったけど、これはこれでパンに乗せて食べたら美味しかった。何かソースをさらにつけたらもっと美味しいんじゃないかと思った。

わたしがこれを作りたかったわけは 使い終わった瓶を綺麗に洗って捨てずに取っておいているので、何かに利用出来ないかなあと常々思っていたから。ようやく出番が来た!と思ったの。なんか 肩の荷をおろしたというか ちょっとした満足感を味わったの。マッシュポテトを作ったりちょっと手間はかかるけど、アレンジが効きそうなレシピだったので、今度はマッシュポテトの中身を変えて挑戦してみようっと♪

好きな絵

2014年10月18日 | 絵・粘土(パステル・アクリルなど)
自分で自分の絵を好きだと言うのもなんだけど(笑)
小さいながらも この絵が好きなの。描いたときには どんな手順で描いたかなんて全然思いだせず。ただ頭に浮かんでいるのは 白壁の窓の向こうに夜がある そんな雰囲気を出したいなと思って ただただ筆を動かしていた気がする。

憧れ。白と青の世界、白い壁のある家々と空。

※※※

そっと 覗いてみる
そこに在るものを
何かを求めて
答えを探して

だれかがささやくように歌ってる
それがなんの歌なのかはわからない
ただ耳に心地よく
目をつぶれば目の前に
波の緩やかなしぶきがかかるように
ざーっざーっと

忘れないで
忘れないよ

繰り返す言葉が ひたひたと
わたしの体を覆い尽くしていく
涙をこらえて
前を見つめて
生きることだけを願って
そうしてここまできた
世の中には不必要なものなどない という
その言葉に救いを感じ
ただここにいるだけでもいいのだと
自分に言い聞かせて

それでもこれでいいのかという問いを
自分に向けずにはいられなくなる

※※※




朗読練習

2014年10月18日 | ほんのすこし
大好きな絵本で 朗読の練習をする。
何度も読んでいるので いいかと思うとそうでもない。毎回 どこか変な読み方だというところを見つけてしまう。特にこの『手ぶくろを買いに』(新美南吉:作 黒井健:絵)は 難しい。何が難しいかというと後半途中にある人間のお母さんが子供に歌を歌って聞かせている場面だ。
有名な子守唄♪眠れ 眠れ ~母の胸に 眠れ 眠れ 母の手に~♪が入っている。
朗読している声のままで 歌おうとすると地声で歌わなくてはならず、低すぎてお母さんの優しい雰囲気からは程遠くなってしまう。かといって そこにきて裏声(ファルセット)で歌えるかというと 急に変えることがなかなかできない。聴いている人が違和感を抱かないような変化をしなくてはならないので これはすごく訓練が必要だなあと痛感。

何度も練習するしかないだろうな。
別にどこかで朗読を披露するわけでもないけど(今はすっかり読み聞かせや朗読をする機会がなくなってしまった)ときどき練習をしている。本棚にある絵本や詩集(特に長田弘や谷川俊太郎)を手にし 読むことが多い。黙読と違って 声に出して読むと、その言葉がずっしりと重く感じるものだ。

読みながら 子供たちの前で読んでいた頃を感慨深く思いだす。あの子たちはもう小学校高学年になっているだろうな。温泉で知り合った子もいたなぁ。そんなことを思いだす。実家から結婚前に買っていた絵本が何冊か出てきた。古くセピア色に変色している表紙を見て 時の移ろいを感じた。好きな本は 捨てられない。こうして時が経っても 今まだ新鮮に目に飛び込んでくる。この『手ぶくろを買いに』もその一つだ。虫食いもなく 綺麗な状態で残っていた。母がわたしや弟の物を捨てずに取って置いたから こうしてここにある。ありがたいことだなと思う。
子供の頃や若い頃は 何が必要な物なのかなどわからずに過ごしていた。年を経て 自分にとって大事な物があったということ それがまだ残っていたということを知るのはなんと嬉しいことだろうか。

新旧混ざった絵本を見ながら 今日はどれを読んでみようかと思案するのもまた楽しいひとときだ♪

注:この『手ぶくろを買いに』は 旧仮名遣いを新かなづかいに直しているが、原文どおり。