心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

変な夢ばかり見る

2013年04月30日 | ほんのすこし
ここ最近 変な夢ばかり見る。
夢の途中で 自分が話す言葉で目が覚める。
昔から 寝言を言うらしいが、ここに来てそれが多くなっている気がする。これって 病気の兆候なのか?と少し不安になる。精神的に追い詰められているのか?なんて 思ったり。

途中で目がさめ そのまま二度寝したいと思っても なかなか寝付けず 結局眠り足りないまま起き出して。それなら就寝を早くすればいいものを・・・
よし。今日は時間を少しずらして寝てみよう。早めに目が覚めても しっかり寝た感を味わえるかもしれないぞ。

今朝は朝からどんよりした空だ。天気はこのままだろうな。朝の天気で気分も左右されやすいけど、そんなお天気屋は返上しよう。どんな天気でも やることはやる。予定をしっかり消化しよう。

変な夢って 現実とリンクした夢ってこと。あれはわたしの願望の表れなのかなぁ・・・とふと思ったりする。それなら 今日のことはまだ考えなくてはならないのかなぁとか。無意識にある自分の考え それが見えない。これでいいのか?という疑問符が残る。あぁ この世は疑問符だらけだ。これでよかったのか?

人生の一つの決着を決めるのは 本当に今なのかなと。
それにしても 水分の取り過ぎで腫れぼったい顔、こんなんじゃいい女からは程遠いなと鏡を見ながら思う。せめて夢の中だけでもいい女でいたいけど、夢の中のわたしは一体どんな顔をしていたのか さっぱり思い出せないのだ。
目を覚ましたくないほど いい夢を見たいというのが わたしの切なる夢なのだ♪

あなたがいてくれるだけで

2013年04月29日 | 母のこと
昨日 夜に母からの着信があったことに気が付いた。わたしが母のところから戻ってすぐの着信だったらしい。気が付いたのはそれから30分も過ぎた頃だった。母に何かあったのかと 慌てて電話した。
「どうしたの?何かあったの?」と聞くと 
「いや 何、さっきは自分のことが情けなくてねぇ。」
「はぁ?何かあったっけ?」
「お前の誕生日のことだよ。ちっとも気付かなくて。今までもずっと気付いたためしが無いってことにがっくりきちゃってねぇ。父さんの誕生日だけは覚えているんだけどねぇ。○一の誕生日もお前に言われて気が付いてきたし。ダメだねぇ・・・つくづくダメだなと思ったんだよ」と言った。
「なぁ~に言ってんのよ。わたしが生きてるのは 母さんのおかげだよ。母さんが元気でいれくれるだけで最高のプレゼントだってば。」
「でもねぇ 気が付かないなんてねぇ」
「大丈夫、帰りにお寿司買ってお祝したから」
「えー!!それだったら お金出したのに お前寿司嫌いかとばっかり思っていたよ。」
そんな会話があって、母が落胆している様子が電話越しに伝わってきた。

電話を置いて しみじみ思った。
わたしがこれまで生きてこれたことを 奇跡だと思おう。
この世に生まれたことを 奇跡だと思おう。
今 このしあわせをかみしめて生きよう。

わたしにとって 母が病気と闘いながらも色々工夫して生きやすいようにしている姿を見るのが一番なのだ。母が元気でいてくれること それこそが極上のプレゼントなのだと つくづく思った。
そして それはとりもなおさず わたし自身が元気でいることが子どもたちにとっても良いことなのだと思った。心配かけずに元気でいること そうなれる努力をすること それがわたしにできることなのだと。
健康的な暮らしをすること 自分のリズムを直すこと それが老いに向かっているわたしがすべき一番のことなのだと 昨日は痛感した。
なんだかんだと 後少しで大台だ。これからは毎日の過ごし方も変わる。きちんとした服装で出勤することもあるだろう。変化を楽しむぐらいの心意気で これからを乗り切るつもりだ。

新生活 といっても場所は同じだが、これまでと違う部分がある。会社に行く回数が格段に増える。
しっかりしなくちゃ♪
そういうわたしのことを誰よりも喜んでくれているのが母だ。しっかりしろと背中を押してくれている。
本当にあなたがいてくれて良かった。
そして わたしも子どもたちから「あなたがいてくれて良かった」と思われる存在でありたいと思う。

それにしても・・・母さんったら 父さんの誕生日だけしっかり覚えてるって どんだけノロケてくれるんだぁ?

「日曜に想う」が いい♪

2013年04月28日 | ほんのすこし
最近 午前中に新聞を読む。一番多いのが 朝目覚めて インスタントコーヒーの香りをかぎながらというパターンだ。それでも時間を逃すと 第一面の「天声人語」だけは切り抜きを忘れない。二三日溜めこんだ新聞を読むことも多かったが、ここに来て 毎日読むことが続いている。

今日は日曜日。わたしが好きなのは土曜の新聞だ。土曜は「be」が入っている。それを開くのが楽しみで、どんな方がフロントランナーに紹介されているのか どんな歌の背景が書かれているのかなど 興味深いものが多いからだ。(今は「うたの旅人」ではなく 「映画の旅人」に変わっている)ひそかに楽しみなのがパズルの「漢字ナンクロ」。自分がいかに漢字から離れているかを痛感させてくれる。母のところで顔をしかめて夢中になってやっていると かたわらで母がとりとめない話をする。それを右から左に聞き流し、固くなった頭を抱え うんうんうなる。「できないよぉ~」
母が笑う。

そんな土曜の新聞だったが、今度は日曜も好きになった。三月まで天声人語の執筆者であった冨永格さんが退いて特別編集委員としてパリ在住となった。気に入っていただけに残念で仕方なかったが、「日曜に想う」というコラムでお目にかかることができた。
風格のある文章に惚れ惚れする。わかりやすくどこか詩的なものを感じてしまう。内容は深刻なものであっても(今日は欧州連合について)最後には 人間を諦めない部分が見え隠れし、そこに一抹の光を感じる。これは先日読んだ『君はいい子』中脇初枝著 の読中における辛さが読後に少し緩和される感じを思い出す。最後の最後まで人間を諦めない部分があるというだけで 前に進んでいける。政治の世界でも経済の世界でも そして地球に生きるものとして 日々の暮らしの中でふと考え始めるとき そこに自分がいることの意味を探り当てようとして 何かアンテナを張っている自分がいる。そういった瞬間に新聞を読むことは いつも以上に記事がアンテナに引っかかる気がする。
今日は そのアンテナがピピピと鳴った。


「ザ・コラム」私たちは信頼できる大人か 大久保真紀さんが書く。ひとりの少女との出会い。その少女がどんな大人になっていったか 大人を信頼できずにいた彼女が 信頼できる大人と出会って変わっていく。そういう信頼できる大人でありたいが、わたしの中にはとことん付き合っていけるだけの自信がないことに気付かされる。


読んでみたいなと思った。この岡康道さんの本。CM製作者という未知の職業のエッセー。説明を読んでいるとあることに気が付いた。2010年の新聞広告(全紙)を気に入って そのまま棚を隠すために飾っているものがある。ちょうど新聞全紙の大きさが棚を覆う状態なのだ。それが大きなタグボートのイラストだった。そのタグボートという会社を設立した方だと今初めて知ったのだ。なんとなく親近感を覚える(笑)全紙をそこに飾ってからすでに三年は経ったが、新聞紙というのは強いものだと感嘆する。少しも破れず 棚の前を覆ってくれている。かなりインパクトのあるイラストCMだ。

楽しみにしている欄は他にもある。「声」欄だ。今日は「議員の靖国参拝 誰のために」という投稿文にはっとした。ほんの数日前に母が話していた疑問と同じだったからだ。森本さんという70歳の方の投稿。父親はミャンマーのインパール作戦で戦死しているという。母親は97歳で亡くなったが、70年以上ひとりで自分たち兄弟を育ててくれたという。そういう母親のような夫や肉親を亡くした人が個人的に参拝することに異存はないが、集団で国会議員が参拝するのは何のため?と疑問を投げかけていた。愚かな戦争を反省し 近隣諸国と友好を図ることこそが政治家の務めではないかと締めくくっていた。
戦死者が身近にいなかった母でさえ 同じような疑問を抱いている。つい 参拝することで議員にどんな見返りがあるのかと考えてみたくなる。


最後は 福島大熊中の卒業式でサプライズミニライブがあったことの紹介。シンガー・ソング・ライターのAIさんの歌「story」の一節・・・1人じゃないから キミが私を守るから・・・という言葉に惹かれ、生徒会長の池田さんがAIさんに手紙を出した。その手紙は便せん5枚にも及んだ。震災で114人もいた仲間が49人に減っている。この大熊中のことを記憶にとどめておきたい、明るさをこの学校に取り戻したい、その痛切な思いが手紙から伝わったAIさんは決心する。池田さんの手紙を読み終えたときのことをAIさんはこう語っている。
「手紙で池田君は弱音を吐いてないし、誰のせいにもしていなかった。それがいいよね。そんな手紙を読んだら、背中を押してあげたくなるじゃない」

言葉の力ってすごい。

今日の新聞は 濃いなぁ。わたしの中に言葉が沁みていく。いい日曜日だと思う。
そんな今日4月28日。なんだか出足好調!

あぁ そうだ。冨永さん 誰かに感じが似ているなぁって思ってみていた。ヘミングウェイだ。ひげの感じがね。ヘミングウェイが微笑んだら こんな感じになるんじゃないかって♪

こーんな景色も終わりました

2013年04月27日 | ほんのすこし
あのたくさんの雪があった こーんな景色。
今はその残骸すら見当たりません♪
春なんだなと思います。

でも・・・どうしてこんなに肌寒いのでしょねー。毎日 寒さが抜けず ゴールデンウィークに入ってきたというのに なんだか気分がいまいち浮き浮きしません(笑)
巷ではすでに空港ラッシュが始まっているとか いないとか・・・そういう話とは無縁の位置にいるわたしです。
近場で春を感じるのは やはり庭先に見る小さな花でしょうか。今はあちこちで色々な花が咲き始めています。それでも咲いた花を見てても寒そうだなと思ってしまうほどです。桜まつりが始まったというけど 桜の咲かないおまつりになっています。後半が見ごろになるのかな。娘と市内の公園の桜を見歩いたのが つい昨日のように思えます。その娘も 晩秋か初冬には お母さんになる予定です。とても不思議な気分です。

季節があっというまに変化し、その変化に追いついたかと思ったときにはすでに次の季節に入っている・・・そんな状況が年々多くなってきています。時の流れの速さをいたく感じることが多くなっているのは それだけ終わりに近づいているということなのでしょうね。終わりというと 早すぎると思うかもしれませんが、最近は自分の死の段取りをきちんとしておくことも大事だという考えがあります。わたしにとってはなんだか先の先の話のような気持ちでいましたが、案外 普段から考えておくべきことなのかもしれないなぁとこの頃は思うようになりました。もちろん そればかりを考えるわけではありませんが。

寒いと動きたくないので できれば暖かくなってほしいものです。片づけもせず コタツに入り込んでしまうからです。暖房をつけるまでもないけど、寒いからコタツ・・・そんな毎日を過ごしています。
雪がどーんと降って 雪寄せも大変だった冬、ちょっと懐かしく思えます。過ぎてしまえば 雪のある景色って綺麗だよなぁとか、一面の雪景色ほどいいものはないよなぁとか思ってしまいますが、大変だったことは結構忘れがちです。人生も似たり寄ったりかなぁ。
大変だったことも過ぎてしまえば それはそれなりで、今 生きていれることの喜びの方が残っています。辛かったことなどがあっても それを乗り越えてきた自分がいます。生きていればこその思いです。
わたしの周りで出会うお年寄りたち、きっと語れないほどの苦しみや厳しい現実と向かい合ってきたのでしょう。ある方が話していました。
「どんな辛いことにあってきても 顔に表れているんだよ。気持ちの優しい人は穏やかな顔をしているもんだ。」と。
あぁ わたしもそういう穏やかな顔をしてみんなと会いたい!と思いました。

やさしい気持ちは やさしい時間を作ります。
やさしい時間は やさしい思い出を作ります。
やさしい思い出があれば やさしい人生を送れる そんな気がしています。

そうでありたい。
これから出会うたくさんの人と やさしい時間を作っていきたいと思っています。

人生の節目に

2013年04月26日 | ほんのすこし
いつも母とふたりで行く温泉ですが、昨日はわたしひとりで行きました。母にとって温泉は命の洗濯と言えるぐらいのものなのですが、毎日行くのは無理みたいです。逆に体に負担がかかってしまうようなのです。
だから 飛び飛びに連れていってます。

そんな二人のうちのひとりだけが しかもいつも連れて行く時間帯よりずっと早めに行ったものですから、見知った方からは「あれ?今日 お母さんは?」という問いかけを何人からも受けました。そのたびに「今日はお休みでーす。続けて入ると疲れるらしいから。」と答えました。
みなさん その言葉にかなり納得。自分もそうなんだという方もいらして。
年を取ると 体にいろんな負担がかかります。温泉もすごく良いんだけど 回数の加減も考えなくてはならない人もいるんだなと母を見て 知りました。

いつもは母と話しながら過ごす温泉ですが、昨日はわたしひとりなので、ぼーっとしていようと思っていました。すぐ顔見知りの方がいたので 挨拶がてら話しかけました。すると 思いがけずその方の話をしばらく聞くことになりました。家族と一緒の食事をしていることのありがたさ、夫を亡くしたけれど 家族が自分のことをよく思ってくれていること、妻に先立たれるより夫が先に逝った方が夫にとってはいいんじゃないかということ、などなどかねてから自分が思っていることを話し出すその方。いつもは挨拶程度なのですが、なんだか新しい一面を知ったような気がしました。
温泉に来ている方 色々な方がいます。少し話をすると 次に会った時にはもう随分前からの知り合いみたくざっくばらんになります。そしてしばらく見かけないと互いに心配していることがわかります。

年を取った方のお話を聞くのは ためになることも多いです。その人の長い人生のほんの一握りの部分を垣間見るだけで 皺の深さにこめられているものを感じることができます。どんな暮らしをしてきたのかとか どんな生きざまだったのかとか、想像するだけですごいなぁと感じることが多いのです。みなさん 本当に苦労してきています。でも その苦労をあまり表に出さずに 今こうしてゆったりと温泉に浸かっていることのしあわせをかみしめている そんな方が多いのに気が付きます。苦労の連続であった頃には想像もつかなかったしあわせなんだろうなとも思います。

人の行く末はだれもわかりません。明日がどうなるかもわかりません。
でも 生きてさえいれば 明るい明日が来ると信じて 前に進んでいった先に今がある。今は 過去の自分が作ったもの、今の自分の姿が未来を作ると信じて、しあわせになれると思っています。
生きてさえいれば・・・喜びを味わうこともできる。生きてさえいれば・・・何が自分にとってしあわせなのかを知ることもできる。
今の自分が どんなにしあわせか・・・何年か前に味わった辛さも時が過ぎれば薄れます。そしてそこにしがみつかずに 前を前をと見てきたから 今の自分があるのだなと本当に強く感じています。
これからの人生もまた よりよくありたいために 今 自分が何をすべきかをとことん考えていかなくてはと思っているところです。
今がちょうどわたしにとっては人生の節目。大事な決断をし、前に一歩足を踏み出そうとしています。

緑を見て思う

2013年04月25日 | ほんのすこし
ビルが立ち並ぶ都会の中で 緑がふんだんにありました。やっぱり緑があると嬉しいなぁ。
田舎に戻ると 周りは緑だらけで、ちっとも緑の恩恵を感じないで過ごしてしまうけど、都会の中に立つと 緑がいかにありがたいかわかります。
緑って 目に優しいんです。近くで深呼吸なんてしようものなら、体を新鮮なものが通り抜けていく気がします。帰りのタクシーから見た街は ランニングする人もいて、こんなふうに自然と仲良くできる環境にいるなら都会も住みやすいように見えました。
でも それは限られた場所での住みやすさなんでしょうね。

私の住む場所では 豊富な緑があって、ちょっと足を伸ばすと郊外は山に囲まれていて・・・自然を満喫するのはとてもたやすい環境です。そのことに気付くのは こうして都会に出ていったときが多いのです。
人はその中にいるときにはわからない恩恵というものがあるんだなぁ きっと。

見えているのに 見ていないから わからない。
そういうものをわたしは一体どれだけ見てこなかったのでしょう。
見ようとしてこなかったともいえます。これからは 目をつぶってきたことも しっかり目を開いて見ていかなくては・・・と つくづく思っています。

自然の恩恵も 人からの恩恵も わたしを支えてくれているものへの感謝の気持ちも 決して忘れないようにしようと思います。

毎日 肌寒く まだ桜の開花は告げられていませんが、そろそろ桜の恩恵にあずかる時期も近づいてきました♪四季折々の変化もまた大いなる恩恵の一つです。




描いてます 描いてます

2013年04月14日 | 母のこと
静かに戸を開けたら 母が無心で描いていました。
先日 整理していたときに見つけたスケッチブック。そんなに大きくなかったので 母にはちょうどよかったのかもしれません。最初 つるつるした方(裏)に描いていたらしく、変だなと思って 表側のざらつきのある方に描いていると話していました。

星野富弘さんの絵を見ながら 最初の一枚を描き始め、



色鉛筆で描いたようです。

次の二枚目は見ないで クレヨンとサインペンを使って描いたみたいです。



母にはどうもこのざらつきのある方に描いたときにできるポツポツした白さが残るのが気になってしょうがなかったらしく、白い部分を色鉛筆で均してみたらこんなふうに「どぎつい」感じになってしまったとがっかりしていました。
それで 最後に三枚目で冒頭の色鉛筆のみで描くということに落ち着いたようです。色も薄く使って 手本を見ないでも描けるようになったと嬉しそうでした。
描いていると 時間がたっているのに気が付かないでいるときがあると話しています。テレビをつけながら 手を動かしていると楽だし すごく楽しいそうです。

以前のスズメの絵は額にいれてあげたら とても良く見えます。今のお気に入りです。

描き方もあれこれ自分なりに考えて 工夫しているようです。
手取り足とり教わるより 自分で考えて行動するのが母の性に合っている気がします。家の中を見ると母の工夫があちこちに見られるので 体に不自由がなければきっと外に出て たくさんの人と知り合い、色々なことに挑戦してきたに違いないと思わせてくれます。病気が外の世界と触れ合うのを制限してしまったのですが、それでも母は自分なりに楽しみをこうして見つけている、その姿勢がたまらなくわたしに元気を与えてくれます。

「あぁ 母さんはこんなに芸術に目覚めているのになぁ。わたしは何にもする気が起きないのよぉ~」
「そのうち何かやりたくなるよ、お前のことだから♪」
と 母に慰められ?ているわたしです(笑)

母さんは頑張る

2013年04月09日 | 母のこと
ようやく弟の部屋の片付けも終わり 昨日はふすまの張り替えに挑戦してきました。といっても枠をはずすなんてことはできませんので アイロンで貼るという作業でした。本当は母がひとりでやれると思っていたらしいのですが、無理 無理(笑)。
昔は 父とふたりで何度かふすまの張り替えをしたので 十分今でもできると思っていたようです。でも 手や足が不自由な母にとっては以前のできていた状態からは 数段衰えてきていることを再確認したようです。わたしにふすまをはずさせて広い部屋に持ってきてくれと頼んだはいいけど、わたしが台所に立っているときに ひとりでやろうとしたらしく、ドスン!という音がしたので 飛んで行ったら 母が困惑した顔で立っていました。
「ひとりでできると思ったんだけどねぇ。立てたふすまを倒すのも大変で・・・こんなにできなくなっていたなんて知らなかったよ。できると思ったんだけどねぇ」と。
「何言ってるの、昔できても今はできないことがいっぱいあるってこの間まで言っていたじゃない。やるなら監督をしてちょうだいよ(笑)」と話して 手伝うことに。

わたしもふすま貼りはお初です。今回の実家の整理のおかげでお初にやる仕事が結構ありました。男手がなくなって 母も体が不自由になって 頼りになるのはこのわたしだけ。いっちょ頑張りますか♪そんなこんなの毎日を過ごしておりまする。
何度かやった経験がある母の監督の元 こうやってこっちまでこう動かしてとシミュレーションし、二人三脚でやりました。出来上がったふすまを見て 母が
「あーすっきりした!たばこで黄色くなっていたから 見るたびに早く新しいのに貼り替えたいって思っていたんだよなぁ。」言いました。
なんだぁ もっと早く言ってくれればやったのに・・・とわたし
冬は寒いし、お互いに体調も良くなかったからねぇ 頼むのをためらったんだよ・・・と母

でも これからまだまだやることがあります。庭の手入れももう母一人では無理なことが多いようです。お手伝いしなくてはならないでしょう。
部屋の整理も一段落ついたのですが、それでも母にとってはまだまだ整理するものがあるようです。整理した中に弟が使っていたスケッチブックがありました。クレヨンで描いた絵があります。たった二枚しか使っていないので 母に「これに絵を描くといいよ。」と渡しました。コタツに入りながら しばらくふたりで弟の話 父の話に花が咲きました。母の目の前には弟が残したたくさんの色鉛筆や色変わりのサインペンをお菓子のケースに入れてたてかけてありました。


「これを見ると わたしも画家みたいな気分になるねぇ」といたくご満悦な顔の母。
きっと わたしが帰った後で 何か描いていることでしょうね。

そうそう 先日は母がひとりで障子貼りをしました。わたしが行ったときにはすでに終わりで、朝から何時間もかけて ゆっくり貼ったと話していました。縁側4枚分。よくやったなぁと感心しました。以前何度もやったからねと、自慢げな母の顔がそこにはありました。そのとき そっと後ろから障子紙の切れ端を見せて
「いたずらして これに白鳥を描いたらどうかと思って描いたんだけどね 全然白鳥みたいにいかなくて、カラスみたいだからやめたよ」と 恥ずかしそうに見せました。なるほど・・・白鳥には見えないかも・・・
もちろん 次の日は前日の頑張りがたたって あちこち痛いと寝込んでました。
やっぱり一度に無理するのはいけませんね。
調子がいいと つい頑張ってしまう その習慣を見直さないと体が悲鳴をあげますよ 母さん♪

「いいことしか起きない」

2013年04月07日 | ほんのすこし
超ポジティブ。
「いいことしか起きない」
わたしにはいいことしか起きないって思うのは どう?って母に聞いた。何か困ったことが起きたときでさえ 案外これは後から考えたら 自分にとっていいことだったんだって思うようにするのは どう?って。
すると 母が
「ものごとは考えようだねぇ。悪いことばっかり起きるって思えばそうだろうし、ほんとはいいことだったんだって思うと そうなんだろうねぇ。なんでもいいことだって思ったほうが長い目で見たら得だねぇ」って答えた。
長い目で見たらってところが年の功って感じで やっぱりわたしの考えはいいのかも!って思った。

どんな状況も これはわたしにとっていいことなんだと思える強い自分になりたいものだ。今朝はひどく落ち込んでいたけど、今はこんなふうに考えることにした。人生を楽しめるようになるには こういう考えを持つことが前に進める気がする。辛いなぁとか どうしよどうしよとオロオロすることとかあっても 気持ちを切り替えていくことが 前に進める気がする。

呪文のように 自分に言う。
「いいことしか起きないよ。いいことしかやってこないよ。だからぐっすり眠るんだよ。」

※※※
ベッドで子どもがママに聞く。「ねぇ 明日はどこからくるの?」
「明日は あなたの夢の中からやってくるのよ。だからぐっすり眠りなさい。楽しい夢を見るのよ。」
窓辺にはかすかに月の光がさしこんでいる。銀色のやさしさが部屋をしずかに満たして。
ママは 寝入った子どものおでこをさすりながら
「わたしの明日は あなたが連れてきてくれるわ。きっと明日もすてきな一日よ」とつぶやいている。
※※※

自己中

2013年04月06日 | ほんのすこし
わたし 自己中だったなぁって思う。
自分のことばっかり見ていて、周りが見えていなかった。
今の状況だってそう。自分が蒔いた種は 単純な動機で、全然結果オーライなんてもんじゃなかった。それを今目の前につきつけられている。

まぁ仕方がないことだ。自分がしたことだものね。って 思ってる。
浅薄な考えはだめだね。目先のことばかり見て行動しているとだめだね。つくづく思ったよ。

そんな反省の気持ちが充満中のわたし。今週はいろいろあって、かなり忙しくしていたけど、精神的にもあれこれと吹き荒れて(笑)、内心落ち込んでいたり。
今さら取り繕っても無駄だしね。なんて思ったり。

ところで 実家の不用品の整理ようやく終了。業者さんを頼んでトラックに積み終わると なんだか一大事業をやり遂げたような気分で(笑)。そのあと弟がいた部屋を少し模様替え。新しいカーペットを敷き、家具が減った部屋はすっきりした。壁には弟の子どもたちの小さい頃の写真が飾ったまま。弟の好きだったものもある。
まだテレビは使わないままだ。弟はこの部屋で大好きな料理番組を見ていた。
母が台所にあった「小さい冷蔵庫を(弟の)部屋に持っていっていいよ」と言ったら、
「いつもは仕事を頼んでもすぐやろうとしないのに そのときだけは夜中にひとりでせっせと冷蔵庫を運んでいたよ」
と 母が笑って教えてくれた。その冷蔵庫はまた台所に逆戻りしている。
弟の部屋で椅子に腰かけると どんなことを思っていたんだろうと考える。
きっとわたしが想像する以上に深く色々なことを思っていたんだろうな。
弟がいなくなって わたしは母以外に相談する人がいなくなってしまった。もし母に言えないようなことが起きたら(ありえないが)どうしよう・・・誰に相談したらいいのかなぁ・・・なんて思っていた。

しかし今のところは母が全面的に相談役だ。いつでもいいことを言ってくれる。だから母にはもっともっと長生きしてもらわないと困るのだ。
これも自分中心の考えかな?わたしのために長生きしてほしいなんて。