心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

が~ん

2019年04月25日 | ほんのすこし
なんてこった!

10連休が来るというのに、インフルエンザA型だって!
なんで? なんでわたしが?

月曜に母の付き添いで病院へ。マスクしていなかったわたし。母はしっかりしていた。
火曜日、夜になんだかだるくて熱を測ったら、いつもより熱がある。早めに寝る。次の日、朝に測るとまだ熱は高いまま。
いつも体温は低い方なので、こういうときは気になる。
そのまま眠っていても良かったが、気になって病院に行くことにした。行きつけのクリニック。風邪だとばかり思っていったけど、突然の「インフルエンザ」宣言に、びっくりぶっくり。

その日は午前中にウクレレレッスンが入っていたけど、クリニックに行く前に休みの連絡をしておいた。
戻ってきてから午後に入っていたアポも断りの連絡を。車を受け取りに行く予定だったが、それもかなわず。結局連休明けに引き取りに行くことになった。それまで会社の車を使わせていただくことになった(助かる)。
連休明けに車を返しに行く予定。

それより何より、明日は孫たちがやってくる。飛行場まで迎えに行かなくてはならない。わたし以外にダレもいないので困るのだ。飛行場内に入らず、車の中で待っているならその頃にはいいだろうと言われた。それだけが救いだわ。
せっかく孫が来ても、そばで一緒に遊べないなんて・・・なんというフェイント。
マスクをしていなかったわたしが悪いのね。

それでも昨日一日寝ていたら、かなり楽になった。早めにクリニックに行って良かった。
何事も早め早めが肝心だってことだね。


朝だ

2019年04月20日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

朝だ 朝が来る
目覚めの前に朝が入り込む
吸い込む空気がひんやりとして

目覚めるんだよ と
頬に まぶたに 鼻腔に
朝が潜り込んだ空気がまといつく

わたしの細胞は 新たな時間の始まりに
緩和から少しばかりの緊張へと身構える

朝だ 朝がそばに寄り添う
目覚めたことを喜ぼう
今日、という日があることを喜ぼう

※※※

新しい生活に飛び込むのは一抹の不安と
大いなる希望を抱えていくようなものだと
自分に言いきかせる

本当は逆かもしれないが

希望は多い方がいい
いいところを頭に浮かべてみる
うん、
大丈夫だ
なんとだって生きていける

それより
自分が何をしたいか、だ

※※※


もう一踏ん張り

2019年04月17日 | ほんのすこし
カレンダーにはカウントダウンのように「やるべきこと」が書き込まれている。その粛々と進めている中にフェイントで仕事が入って、最後のご奉公(笑)じゃないけど、やるべき事の間に挟んで連日パソコンに向かっている。
パソコンに向かっているからといってネットに入れるかというとそうでもなく。
これも最後かなと思いながら入力を進めていると、目は綴りを見ているのに、頭の中は昔を振り返っていたりする。
文字を追いながら入力しているのに、頭が違うことを考えるという芸当(笑)。

だから何度も入力間違いをする。
当たり前だね。
でも懲りずに昔を振り返る。

30数年、あっという間だったなと思う。特に前半は無我夢中で仕事をしてきた。そのときの事が最近よく思い出される。
退職した後の生活って私の場合はちっとも変化無い。今までも退職していたようなものだったから。
それでもなんだかこれできっぱり縁が切れる? と思うと、感慨深いものがある。

だからギリギリになってからの仕事に慌てふためく。もうやらなくてもいいと思っていたけど。
飛ぶ鳥跡を濁さず。

だよね?

よし、今週末で仕上げよう。
もう一踏ん張りだ。


意図しない

2019年04月15日 | ほんのすこし
たぶん、ここを造った業者(あるいは設計者)はここまで考えてはいなかったろうなあ。

ここは土手下にある河川公園。川沿いにずぅっと続く。降りていって歩くと途中に町の中央にある大橋にさしかかる。その大橋の近くにあるのがこの場所だ。自転車を楽しむための区画なのだろうか。緩やかなアップダウンが形を変えて伸びている。土手の上から見ると、そのアップダウンに朝日が影を作っている。舗装された部分とそうでない草地とがデザイン化されているが、枯れた草地の上に霜が降り、遠くから見ると舗装部分との色の差が鮮やかだ。



こう見えることを意図して造ったのだろうか?
いや、土手の上から見るという視点では造ってはいないだろうな。
でも、なんだか面白い。意図しない色の差が織りなす朝の少しの時間。やがて霜も溶け、少し薄い緑がかった草地が息を吹き返す。冷たい霜を体に包んでいたが、暖かい光が溶かしてくれるのだ。これからだんだんその霜がかかることもなくなり、いよいよ草地は緑を濃くしていく。

緑の季節の到来。
目に映るのは色の饗宴だ。

自然は何も意図せずとも、こうしてわたしに何かを与える。
感じること。考えること。
嬉しくもあり、畏れることでもあり。



これは、まだ雪の名残が道ばたの小枝の先々にまであった頃。この雪の下にすでに芽が出てきている。
辛い経験を積んだものには、なんと輝かしい日の光だろう。何かをありがたく思えるということは、人一倍辛さを味わったという裏返しだ。
人のありがたみ、自然のありがたみ、人は決してひとりでは生きてはいない、これまでの人生にどれだけ沢山の人の手があったのかと思えるようでありたい。
でも、たまに忘れているんだよね、すっかり。自分ひとりで頑張ってきたんだ、なんて思っちゃったり。
だから、こんな風に「意図していない」ものからでも何かを考えたりすると、あぁ、まだまだ人生楽しみがあるよなあって思えるんだなあ。


朝靄の中を

2019年04月15日 | ほんのすこし
昨日は清掃デーだったので、歩くのは止めました。側溝の泥上げが主でしたが、母のところで参加するのは初めてでした。
町内の方々が徐々に出て来て、掃除が始まり、初めてのわたしは見よう見まねで。朝の6時半には集まってきました。ゴミ収集のところには午前7時と書いていましたが、わたしはもっと前から実家の前の側溝に入りました。
慣れないことなので、ヘタだったかも(笑)
ご近所のだんなさんが出て来て、袋を持ってきてくれました。
普段あまりご近所さんと話をする機会がないのですが、数人の方と会話をすることができ、これも良い経験だなと思いましたよ。これからはもっと外に出て、母の代わりにご近所つきあいをしていかないと。
天気も良いし、清掃も終わり、なんだか気分がスッキリしていました。

※※※

そんな昨日の清掃でしたが、その前の日の朝は冒頭の画像のように朝靄に包まれていました。靄の中を土手沿いに歩いて行くと、朝日が昇っていくのが樹の合間から見えました。ちょっといいなと思ってパチリ。
靄の中を歩くって、幻想的な気分を味わえるなと思いました。

※※※



歩いて行くうちに靄がだんだん消えて、空はすっかり青くなっていました。
近くの大学の施設に朝日が。見慣れた景色も毎日違う空のもとでは雰囲気も違う気がします。
さて、昨日は歩けなかったけど、今日は大丈夫かしら。朝、歩くと気分がいいし、なんだか得した気分になります。時間は短いけど「歩いた」という気分を味わうと自分の怠惰さが少しは消えていくように思えるのです(笑)
今月は毎日やることや外出や計画をきちんと見ておかないと約束をすっぽかしたりしないようにしないとね。大きなカレンダーに書き込み。終わったら二重線で消して。
あと二週間になっちゃったなあ・・・

あれ? この書き込み、投稿されていなかった…
今、「昨日」とか「明日」の言葉を変更して再度投稿してみる。
考えてみたら今日は病院付き添いだから、いつもよりかなり早く朝の準備にとりかからなくちゃ。歩いてこれるかなあ…

あれ? カーテン開けたら… 雨だわ
こりゃ「歩くな」ということね(笑)




見納め

2019年04月09日 | ほんのすこし
この、朝に降る雪も見納めかなと思う。
最近の朝の日課はこの朝のウォーキング。といってもウォーキングと呼べるかどうかわからないほどの短い時間だけど。実家を出て、近くの土手に上がり橋の近くまで歩く。途中、土手の下を見下ろすと。



この日はまだ雪が少し残っていた。今朝はすでにどこにも雪は無い。
あるとすれば、朝の早い時間、霜か雪かと悩むぐらいのかすかな残りで、雪というものがずっとそこに在ったのだという過去のこととして脳裏に少しの間残っているだけだ。それも暖かさと共に脳裏からは消えていく。今、目の前に在る、それが一番目に焼き付くからだ。

今年は雪が少なかったけど、その分四月に入ってからもときどき忘れないでと言いたげに、雪がちらついた。名残惜しいのだろう。降るときに降らないとこんなにもズルズルと寒さが続いていくんだね。
それでも時は正当な顔で五月に向かう。
今年の五月は特別な五月になる。平成から令和へと。
そしてわたしの中でもひとつの時代が終わる。奇しくも同じ日に・・・
こんなことがあろうとは。個人的な日と国の特別な日が重なるという。これは一生の中でも忘れられない日になりそうだ。

粛々と自分の身辺を整理しよう。なんて思っていても、あれこれやるべきことが出てきて、なかなか事が決まらない。せっかく妙案だと思っても、出来なかったり。午前中も司法書士に相談の電話をしたら、体よく断られた。
う~ん。
ま、なんとかなるでしょ。

住む場所を決めるというか、どう住みやすいようにするか、というのが課題だ。
雪が消えていくように、次の人生のステップへと時間は進んでいる。要はこれからの人生をいかに楽しめるかということなのだけど、わくわく感もありながら、不安も結構多い。暮らしていけるのか? という不安ね(笑)


疲れたなあ

2019年04月04日 | ほんのすこし
今日はある所に。午後のアポで。
あっという間に時間が過ぎて、気づいたときにはいつもの夕方時間がとっくに過ぎていた。

戻ってきて考えた。
普通はこの時間に戻ってそれから夕飯の仕度しているんだよなあ。
それに比べたらわたしはなんと恵まれているのか…

しみじみこれまでの時間がいかにあり得ないことだったのかと思った。今さらだけどもっと大事にするんだったな。
これからの時間を大事に生きるしかないな。

朝のウォーキング、天気次第だけど歩いていると自然の潔さに気持ちが和らぐ。部屋にばかりいると見ることが出来なかった美しさにも出会える。






28年前だね~

2019年04月02日 | ほんのすこし
最近少しずつ片付けているバッグ類などなど・・・使わないものを買い取りに持って行こうか、とか考えたり。
そんな処分仕分けの中から、懐かしい時代のレシートが一枚出て来た。今はもう町中に存在しない街に唯一あった老舗デパートのレシートだ。1991年だから28年前にもなるね~。

中身は・・・「ズック」!
ズックって・・・なんだか懐かしさがさらにアップした。
きっと子供達が小学生頃買ってあげたんだろうな。今は老舗デパートを解体し始めている。屋上にあったシンボルマークも下ろされた。昔は屋上に合った遊具で遊んだものだ。子供達よりずっと以前、わたしがまだ子供だった時代、その老舗デパートは街のあこがれの場所だった。
何かあったときにそこのレストランで食べる、それがなんとも嬉しかったものだ。その何かがほとんど無かったけどね。
デパートの一階にあるお総菜コーナー、どれも美味しかったのを覚えている。今はスーパーなども工夫を凝らしてお総菜も昔よりずいぶん美味しくなったが、あの頃はここで求めたお総菜が一番だった。

レシート、記念にパチリ。
平成になりたてのまだ歩み始めた頃の平成時代。平成があと少しで終わりを迎えるけど、なんとなく昨日の「令和」を見ていて、レシートを捨ててしまったことが残念だなと思った。記念にパチリだけじゃなくて現物を取っておけばよかったなと。
もしかしたらまたまた何か出てくるかもしれない。当分、物の整理は続くからね。余分な物のなんと多い事か!
今月は整理の前にやるべきことがあるから、それが済んだら5月からは本腰入れて取りかかろう。住む場所もじっくり考えて計画を立てなくちゃね。
ああ、やることが沢山ある!

ま、なんとかなるさ♪