心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

使い回しですが

2013年12月19日 | ほんのすこし
クリスマスが近づいてくると 出してきたくなる画像があります。今ではすっかりマウス画から遠のいていますが、マウス画を描いていた頃 画像を携帯の待ち受けにしたりして楽しんでいました。

昨日は関東の方でも雪が降るか?とニュースではどうなることかと見守っていましたが・・・
わたしが住む場所では逆に道に積もった雪が解けるような感じでした。もちろん夜は冷えてはいましたが。最近 昔と違うことがあるとすれば、雪とは無縁の場所に雪が降ったりするということでしょうか。雪国に生まれた者としては雪の存在は当たり前のものとして受け止めてしまいますが、雪なんて滅多にお目にかからない土地柄の人にはびっくりすることでしょうね。

これからが本番。雪との戦いが始まります。
雪を寄せる場所を確保することも大変ですし、除雪作業の方々も毎日朝早くというより夜中の作業がすごく大変だと思います。雪国は他の地域よりも対雪ということで費用がかさみます。自然の猛威の前に人間できることの限界をいつも思ってしまいます。
それでも生きているから 何かしらできることを模索して生きているのでしょうね。
わたしも実家と自分のところの駐車場との雪の除去にこれから頑張らなくちゃって感じです。気持ちを引き締めていきます(笑)
でも 今日は朝から太陽が照っていて 窓を開けていると眩しいくらいです。
年末の買い物に付き合う予定。でも 午後になりそうです。午前中は動けない感じ。なんとなく体がいまいち。頭もいまいち(笑)

自分の存在が 必要とされていないことを毎回感じるのはとても辛いものがあります。それが生きて行く力をそぎ落としてしまう・・・そんな思いを感じるのですが、いや そこにとどまっているから その考えにとらわれているから そこから離れてしまうことが大事なんだと 自分を励ましています。頼りにされないってことほど 自分が世界と断絶していると感じる一歩なのかもしれません。それを見せつけている人がいるとすれば わたしはそれを受け止め スルーしていこうと。入っていってもできることはない。ならば 自分ができる他の場所を探そう。そんな気持ちでいます。

今日は楽しみなことがあります。
友人宅の玄関を観賞すること。クリスマスバージョンに仕上げたと報告がありました!見学するのが凄く楽しみです。クリスマスの最強のCDを私用に作成してくれたとも。なんだか嬉しくて 気分いいなあ。少しずつ部屋もクリスマスを意識して変えています。まず一番は玄関。外のドアノブに小さなリースをつけました♪クリスマスって 色々アレンジを考えることができて楽しいなと思っています。綺麗に片付いた部屋にいると 気分もいいです。後は今日 押し入れの中を再度片付け処分します。今年は少しずつやっているので 片付けるのが楽しいって思っています。まとめてやろうとするから 気持ちが重くなるんですね。少しずつ綺麗になっていくのを見るのもまた嬉しくなるこの頃です♪

アンラッキー?ラッキー?

2013年12月10日 | ほんのすこし
午後のことである。
買い物に出かける前に ガソリンが少なくなっていることに気付いていたので、まずはガソリンスタンドに向かおうと いつものスタンドめがけて運転中。
カーステレオからはレンタルしていたクリス・ボッティのベスト盤がかかっている。ふんふんとご機嫌な感じで聞いていたら、なんだかトランペットの音の合間に 変な音が聞こえる。
ん?なんだなんだ?このCD 傷ついているのか?
でも なんだかおかしい。
運転しながら 窓を開けて外の音を聞いてみたが、そのときはなんの音もしない。また窓を閉めて運転した。それでもなんだか気になる。

なんとなく不安で ゆっくり運転していった。めざすはガソリンスタンド。
到着して いつもは車から降りないが、今日は降りて 車の外を確かめた。周りをぐるっと見た後、下を見て びっくり!
運転席のタイヤがつぶれていた!パンク!!しかもかなりペシャンコになっていたのだ。
スタンドの店員さんに教えると 大丈夫ですよ 時間はありますか?と言ってくれた。修理するのにそんなに時間はとらなかった。
一体 なんでパンクを?
店員さんに聞いたら その元を見せてくれた。なんと ねじがささっていたのだ。ねじの上部分がてかっていたので ささってから徐々に削られて空気が抜けていったのだろうとのことだった。

それにしても・・・パンクするとは。
でも ガソリンスタンドで見つけてよかった。他の場所で運転中に しかもスピード出しているときだったら・・・なんて考えると ぞっとする。
店員さんに「ここで見つけて ラッキーだったわぁ」と言うと、「そうですよ!」と笑って言ってくれた。
パンクはアンラッキーだけど 事故にならなくて、ほんとはすごくラッキーかも♪

あ・や・し・い?

2013年12月10日 | 母のこと
先ほど 母から電話があった。珍しい時間の電話だったので 首をかしげつつ電話に出た。電話の向こうの声が心なしかぎこちない。何かあったか?具合が悪いのをかくしているのか?と不安になった。

「さっき郵便局がきて 荷物を置いていったんだよ。」と恐る恐る話す。荷物?
「今 騒いでいるだろ?荷物を送りつけてくるやつ。見たら なんだか○○って書いているし、一生懸命思いだそうとしているんだけど 俳優とかの名前しか浮かんでこないし・・・」
そこまで聞いていて はたと気が付いた。もしかして あそこからか?
「母さん ごめんごめん。わたし言うの忘れていたわ。荷物が届くって。わたしの友達ふたりにも配るんだけど 母さんのところにまとめて送ってもいいかって言われていたんだった。」

「そうかぁ だったらいいけど なんだか気持ち悪くてさぁ。いまどきの詐欺じゃないかってすごく怖くなって 荷物開けていないんだよ。われものって書いているけど 持ってみればすごく軽いし。なんだべって・・・」
「わかったわかった 後で行ったら開けてみるからね。」

電話の向こうの母の心臓の音が聞こえそうな感じがした。きっとあれこれ想像してしまったに違いない。テレビのニュースとかわたしより詳しい母のことだ。送りつけ詐欺についてもよく見ている。自分のところにも来たのか!?とびっくりしたと思われる。
ごめんね。前もって言うはずが すっかり届く日にちを忘れてしまっていた。わたしが悪い 本当に。驚かせてすまん すまん。

でもねぇ。○○って名字を読んだだけでわかるはずだと思うんだけどねぇ。孫の相手だよ(笑)

ミノ虫状態です

2013年12月08日 | ほんのすこし
昔作ったぽんぽん小物。オリジナルの変な動物が結構気に入っていました。ミノ虫状態です。
ペンギンもどきともう片方はなんのつもりだったんだろう?今でも不可解な代物です(笑)そんな小さな物を作るのに夢中な時代がありました。小さいものってどうして愛おしいんでしょうね。

小さいもの、人間で言ったら 赤ちゃんでしょうか。どこにいても赤ちゃんがいるとその場が和むように思います。弱弱しく触れたら壊れそうなほどの存在、なのにしっかりこの世に生きている その不思議な力に見るものは感動するのではないかと思います。
思い切り体全体を使って伸びたり縮んだり・・・それがこれからの自分の体を作っていくと自然に覚えているのでしょうね。たくさん動けば動くほど赤ちゃんにとってはいいことだからねと母が言ってます。踏ん張るのも 声を張り上げるのも 自分の体を精いっぱい使ってみることで それがどんどん伸びて行くのだそうです。オロオロと心配するのは少し待ってもいいかもしれませんね。
狭いアパートにいるとどうしても周りのことが気になって 音を出したり鳴き声に気を使ったりすることが多いのだろうなと思います。お母さんになりたての人にとっては苦痛以外の何物でもないのでしょう。でも だんだん泣き声の意味が意味する信号(赤ちゃんは言えませんからね 教えることができるとすれば泣くことですから)を この子のこういう泣き声のときはこうなんだなとつかんでいくしかないんですね。それもその子によって違うから やっぱりお母さんがそれをつかんでいくしかない そういう気がします。お腹がすいて泣いているのか 眠れなくて泣いているのか、お母さんが恋しくて泣いているのか・・・・何度も経験してわかってくること それって親としての楽しみでもあると思います。子どもと最初に触れ合える楽しみ・・・お父さんはなかなか子どもと接する時間をとることができませんが、お母さんの考え方次第で 変わってくるように思います。
お父さんが仕事 仕事で子どもの面倒を手伝ってくれない・・・赤ちゃんの世話をしながらお父さんのことを愚痴る。
お父さんは仕事で忙しいけど、帰ってきたら声をかける。今日の赤ちゃんの様子を知らせる。大変だったことも少し交えながら。可愛い仕草とかも教える。寝顔を見せて 声をかけてもらう。
日中 お父さんがいないときでも 赤ちゃんにお父さんが触れたことを教えてあげる。常に赤ちゃんにはいないお父さんのことを教えてあげる。
どっちがいいのかなと思うと 後者の方が赤ちゃんにとっては大事かなと。そういう自然さが 家庭を作っていくように思います。

それは反面教師としての考え方ですが・・・わたし自身 子供たちが小さい頃は父親のことを悪く言うことはないようにしようという考えでした。でも年をとってからは なんだか子供の前で愚痴っぽくなっているなあと思うことが多いように感じます。これは自分の自信の無さの裏返しじゃないかと思うのです。今 上昇気流に乗っている人と日々 所在無げに生きている自分との格差に(そこは比べるもんじゃないとも思うのですが)何度も何度も気持ちがへこんでしまう。そしてそこから抜け出せずに 自分のできなかったことを悔やんでしまう。これは負のスパイラルですねぇ。ってことで 昨日は3時まで眠れず 薬のお世話になりました。何も考えずに眠れて 今日は朝遅く目覚めましたが、まあまあいい感じです。

朝からといってもすでにお昼近い時間ですが、レンタルしてきた『クリス・ボッティ ベスト』盤を聞いています。彼のトランペットの美しさに体の中が透き通っていく気分がします。
自分がどうしようもない虚脱感というか むなしさに覆われたときに救ってくれるものを手元に持っている人は大丈夫。それが音楽だったり、絵だったり、言葉だったり、写真だったり・・・人はこの五感に訴えてくるものを何か一つでも大事にできているということが豊かなときを産むのだと思いますね。
今日は午後から動き出しましょう。お昼までは このペンギンたちのようにわたしもミノ虫になっています(笑)

だんだん寒くなっていますが

2013年12月07日 | ほんのすこし
だんだん寒くなって 朝起きるのが億劫になっていきます。といっても一晩中 ストーブはつけっぱなしです。温度設定を低くしておけば 部屋が暖まると自然に消えるので 目が覚めたときにほんのり暖かい感じがするのです。それでも起き出すのが面倒になるほど だんだん寒くなってきました。

この頃 以前 持っていた紬を友人が二部式に直してくれたものが整理していたら出てきて、下の方を巻いています。上は袖が邪魔になるので フリースセーターとかを着ています。部屋にいるときの格好なので暖かいことを最優先したら この形が一番暖かいことに気が付きました。二部式の下の部分はとても暖かいです。市販のポリエステルのもありますが、紬を加工したものの方がずっと暖かいです。高い紬はまだ直していませんが、着ることのないものばかりあっても仕方ないので それも直してもらった方がずっと利用価値ありかなぁなんて思ったりしてしまいます。
着物はこれから先の人生で着ることがあるんだろうか?と思える物の一つですが、なんとなく切り刻むことに躊躇してしまいます。いつかこれを着る場面があるのでは?・・・とそのときの自分を思い描くと また元に戻してしまう・・・思いきれができない優柔不断さが着物を見るたびに出てきます。

でもきっと何か別の物に替えてしまうでしょう。それが逆に着物に再生価値を与えるということになるのかもしれません。

唐突ですが、「この世に生まれてこなかった存在なんてないのよ」という意味の言葉をずっと昔に聞きました。話した方は シンガーソングライターの加藤登紀子さんです。昔 結婚して数年経ったころに体育館で行われたコンサートに行きました。彼女はギター片手に歌いましたが、途中 町の青年からの差し入れの日本酒?を手にしながら 語りました。
「生まれなきゃよかったなんて 思ってる人いる?あのねぇ みんな生まれたってことに意味があるの。この世に存在しない方がいいなんて人はいないのよ。この世に必要とされて生まれてきたのよ。そのことを絶対忘れちゃだめよ♪」
わたしはかなり近い場所で声を聞いていましたが、その頃 自分の中にあった悶々とした思いが彼女の言葉に溶けていくような気がしました。

そうです。生まれてこなければよかったものなんて何も無い。この世に必要とされているんだ、みんな。どんな風に必要とされているかなんてわからないけど、その「どんなふうに」は自分が作っていくことで変化していくんだ そう思いました。
そして無我夢中で子育て・仕事をこなして生きてきました。今の自分があるのは あのときの彼女の言葉をときどき思いだし前に進んだという思いがあります。今は停滞期なのかなぁとは思いますが、生きることに諦めない自分でいようと いつも思わせてくれる言葉の一つです。
寒くなって 動くのも億劫になっていきますが、ココロだけはフットワーク軽くしていたいなと思っています♪

※※※
古いマウス画を引っ張り出してきました。冬の感じが出ている気がします。
※※※

片付けています

2013年12月05日 | ほんのすこし
そろそろクリスマスシーズン到来。先日のサンタブーツの後ろ姿です。

今日は持っているコート類を全部出してみて 処分するものは無いか調べてみました。古いけどずっと着ていなかったコートが二枚ありましたが、どちらも捨てるにはもったいないもので、なぜ着なかったのか考えてみました。コートの丈が長すぎて今のわたしのカジュアルな服装には似合わないからだということに気が付きました。そこで 買ったお店に行って丈詰めをお願いしてみようと思います。もう10数年前のコートですので どうかなとは思いますが、使わないでしまっておくよりはずっといいと思うのです。詰めた分のカシミヤや皮は何か作れるかもしれません。それも戻してもらうようお願いしてみようと思います。
なんか 捨てることから遠のいている気もしますが、最後まで大事に使うこともいいかなと。直しの費用がどのくらいかかるのかわからないので、ちょっと躊躇しますけどね。

そのほか いつ着るの?という感じのネットオークションで買ったコートもいくつかありました。これは最終的には処分の対象になりそうです。やはり試着して買う方が間違いがなくていいなと反省しています。毎年 くたびれるほど使っているコートもあります。軽くてさっと羽織れるそのコートは雨にも雪にも強くて好きです。長すぎてときどき階段で裾をひっかけてしまうのが難点ですが。先の丈詰めしようと思っているコートよりはずっとカジュアルなのです。
あと整理しなくてはならないのは長年着ないまま取って置いているセーター類かな。もったいないはやめて 母のところに持っていきました。良い品物ならば(軽くて暖かい)母のアレンジで何かに変身させるとのこと。活用できなければ処分です。

紙類も整理しなくては。古いものがまだまだたくさんあります。パソコンに入っているものでさえ印刷したりしてました。なんとなく印刷した形でないと落ち着かなかったのです。でもこうして見て見ると印刷したものを出して読むことはほとんど無いということに気が付きます。必要ならばパソコンに取り込んだものであれば すぐ読むことができます。無駄なことをしてきたなぁと思ったりする瞬間です。これからそうした古いものでパソコンに入っているものはどんどん処分していこうと思います。
問題は食器です。未使用の食器がたくさんあります。いつかは使おうと思ってとっておいたものが押し入れの中や 段ボール箱に・・・母のところにも持ちこんでいます。一体いつ使うつもりなんでしょね。昔は 家で色々な行事があれば親戚が集まって大人数になるということもありましたが、今はほとんどそういうことはありません。食器は5枚か6枚単位のものが普通。そういう形で取って置くより 好きな一枚をそれぞれ取っておくほうがこれからのわたしにはいいのかなと思っています。食器の整理はこれからの課題です。

部屋のあちこちの汚れも少しずつ取り掛かると 大掃除なんて大上段に構えなくてもいいみたい。広い家の人は大変でしょうけど、狭い我が家ならではの良さってことですね♪
昨日は母もあちこち動かしていました。わたしが行くと早速できなかったことを頼まれ あれこれと手伝いましたが、玄関に飾ったシャコバサボテンが鮮やかな赤に近いピンクの花を咲かせていてしばし見とれてしまいました。寒くなると赤やオレンジ ピンクといった暖かな色味があると嬉しくなりますね。今年の5月頃に買った青紫の小さな花がまだ頑張って咲き続けています。少しずつ少しずつ終わりに近づいていますが、母が
「これが今年一番がんばったねぇ・・・」と目を細めて見ていました。母とイオンに行ってわたしが選んだものです。こんなに長い間 咲き続けてくれるとは思ってもいませんでした。植物の生命力の強さに心打たれます。
来年は どんな花を育てることになるかなぁ・・・母に元気を与えてくれる花たち そのパワーをわたしも少しおすそわけしてもらっています♪


少しずつ

2013年12月04日 | ほんのすこし
師走に入り なんとなく気持ちも尻に火が付いた感があります。部屋のあちこちを見ては ちょこっと片付け、別の方を見てはちょこっと片付け・・・いっぺんにやろうとすると大変なことになるので 少しずつです。
毎日 少しずつ片付けて行くと、案外思ったよりも綺麗になっていく気がするから不思議なものです。わたしの中では 午前中は片付けや掃除 洗濯に充てて 余った時間を出して仕事する。そんな12月にしようと思っています。本来ならば仕事が一番でしょうけど、散らかった状態にしておくととんでもない年末を迎えそうなので、逆にしました。
トイレの換気扇は小さいながらもフル回転です。今日はたまったほこりを出しました。ついでに防災用に毎回トイレに置いているペットボトル3本の水の入れ替え。今までの水はベランダのサッシ枠を洗い コンクリートもゴシゴシ。結構綺麗になりました。この方法を始めて何度目かになりましたが、これまでと違って 汚れがたまることが少なくなっているなと思います。もちろん季節も冬になり 虫もいなくなっていますから 汚れもひどくならないのでしょう。

空っぽになったペットボトルに新しい水を入れてまたトイレに置いておきます。どうしてこんなことをする気になったかというと 前の震災の時に電気が復旧するまでトイレの水が使えなかったということがあったためです。普段 お風呂を利用することがあまりなく温泉に行くことが多いので、水をためておくという概念がなかったのです。当時はあわてました。外に積もっていた雪を大きいボールに詰めてきて 溶かしてみたり・・・(雪って溶けてもほんの少しなんですよ あれにはがっくりでした)そんな経験があって それ以来 トイレにはペットボトルに水を入れて置くということを継続しています。そして時々 その水を使ってベランダを洗っているのです。新しい水に入れ替える前に水を最後に使ってあげる そんな気持ちでいます。

こんなことを書くとまるでエコな暮らしを目指しているみたいな印象を受ける方もいるでしょうけど、わたしは全然エコじゃないです。自分で言うのもなんですが、ほんとにもったいない暮らしをしているなと反省だらけです。あちこちを片付けながら、特に気付いたのは 不必要なものや多すぎるものがありすぎるということです。
そこで 今回は自分が持っている物、今ある物リストを作ろうと思いました。服は昨日 結構処分するものが出ましたが、まだありそうです。
大変なのは雑貨かな。
ネットとかで あっこれいいな と思うものに出会ったときに「まてよ これと似ているものあった気がする・・・」という気がしたら 買う前にそこを再確認する。そして買わないように気持ちを持っていく。今までだとたとえばインスタントコーヒーとか切れそうになったりするとすぐ買ってきていました。でもよくよく棚を整理してみたら インスタントコーヒーじゃなくてもドリップコーヒーがまだあったり 粉の珈琲があったり、紅茶にいたってはまだまだあります。古くなる前に 今あるものを先に活用して それから好きなものを買う、ちょっぴり身軽になった気分になります。

コーヒーも目先を変えて スプーン1杯のはちみつを入れて飲んだり。朝はそれがまた美味しく感じられます。ちょっとほこっとします♪基本的にはシュガーもミルクも入れない派なのですが、朝の1杯 はちみつ入り これが最近のわたしです。あるものをまず利用する それは母の教えでもあります。母はなんでも利用するのが好きです。最近では叔父が持ってきてくれた大量の大根(これがとてもみずみずしくて美味しい大根なのです。見た目は穴ぼこだらけですが 見かけより中身です)をあれこれ考えて 次々に料理に。もちろん作るのはわたしが多いのですが。指示・監督するのは母の役目です(笑)
ブリ大根 おでん とっても美味しくできあがりました。
そして母がこそっと作ってくれていたのが コハゼのジャム(夏に作っていた)を使った大根の酢漬け。これがとっても美味しいんです。母に言わせると どうも色気が悪い というのですが、大根にコハゼの紫色がほんのりついて私はとてもいいなと思っています。イチョウ切りした大根をぽりぽりといくつでも食べられます。

包丁を使うのが大変だという母の代わりに 大根を切るのはわたしの役目。切りながら 美味しいものに変身していくことを想像して なんだか嬉しくなります。叔父が丹精込めて作った大根 大事に大事に食べていこうと思います。

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めがねをかけたモグラくん。直径5cmほど。ぶらぶらぶら下げて楽しんでいました。毛糸のものって冬になると触ってみたくなりますね。今日は古い毛糸がないか 押し入れの奥を探検です。おっと探検じゃなくて整理です♪
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サンタブーツ

2013年12月03日 | ほんのすこし
10年以上も前にはまっていたカラー粘土。
高さ10cmぐらいのものですが、ブーツの上に置いたサンタさんやプレゼントの箱など ひとつひとつ作ってくっつけました。頭の中でこんな感じのものにしたい♪というプランがあり、その通りに出来上がったときほど嬉しいことはありません。このサンタブーツもその通りに仕上がったので とても嬉しかったのを覚えています。

今日 押し入れを整理していたら その当時に使っていた未使用のカラー粘土を見つけました。もう使えないだろうなと思って触ってみたのですが、なんと使えそうだとわかり・・・でも 今はそんなことしていられない!と心を鬼にし(笑) 片付けました。大きな物より小さな物を作って上手くいったときの方がなんだかほっこりするような気がします。このカラー粘土作りやぽんぽん毛糸のひよこ作りのときが そうでした。今でも母のところにあるひよこやクマさんサンタを見ていると 案外わたしもやるじゃない!なんて思えてきます。そんな時期があったんだなあと ふと心和むのです。

買えばいいじゃない もっと良いものが巷には溢れているでしょ?
いえいえ やっぱり出来栄えが悪くても自分で作ったものに勝るものはない そう思います。作っているときに味わう楽しさ 完成を想像するうきうき感は手作りをするものに与えられた喜びでしょう。でも 最近はその手作りから遠のいています。
昨日は母のところでかぎ針の使い方を軽く教えました。指が悪い母にはかぎ針は難しいかなと思いましたが、ゆっくり工夫すると なんとなく編めるということに気が付きました。大きめのふんわりした帽子を編みたいのだそうです。毛100%で軽くて温かい毛糸がありましたので それを勧めました。ただ色が気にいらなかったようです。もっと明るいのが良かったと・・・でも手持ちの毛糸はそれが限界。練習するには これで十分だということにしてもらいました♪もしかしたら 今頃 編んでいるかもしれません。わたしも久々に毛糸に触って 帽子でも編んでみようかなという気持ちが出てきました。今年は寒いので 頭も冷え冷えとしています。帽子こそ必要アイテムだ!ってことで 合間を見て帽子作り 始めようと思います♪

大きくな~れ

2013年12月02日 | ほんのすこし
一日 一日とどこかしら成長している。
寝ながら伸びをし、体全体をしならせ 手を思い切り伸ばしたり 両足を踏ん張ったり 海老のように反ったり。
人間ってこんなにもしなやかだったのかと 感動を与えてくれる。
自分が赤ちゃんのときはわからなかったことを 目の前にして、人間の不思議さに改めて思いを馳せる。
人間とは本当に不思議で この世に生を受けるということはこういうことなのだと深く感謝せずにはいられない。

大きくなってよ。大きくなって 色々なことを感じのびのびと生きてね。

そう思いながら スマホに入っている画像や動画を見ながら寝入っていくのがこの頃のわたし。
どういうわけか 動画を見ていると素直に寝ていける(笑)あんなに眠れないなあって悩んでいたわたしが である。

この子のすやすや寝入る様子を見ていると 眠ることの心地よさを思う。昔の人はよく言ったものだ。「寝る子ほどよく育つ」そうなんだな。ぐっすり眠ることができるというのは 安心しきっているということの表れでもある。たくさん寝てたくさん飲んでたくさん出して・・・それがあなたの仕事だからねー。
村上和雄先生が人間の細胞は日々変わっていくのだと書いていたが、確かに見ているとその変化がわかる。そのハイスピード感は赤ちゃん時代にこそ発揮されるのだと。そしてこのわたしでさえもいくらか日々変化しているのだと思うと、生まれてから今までどれだけ入れ換わってきた細胞があるのか?と それは途方もない天文学的な数字になるのだろう。わたしも あなたも この世界中にいる人すべてが 生まれてから今まで考えきれないほどの細胞の生まれ変わりによって 生きている・・・こんなすごいことが 当たり前のように毎日営まれているんだなぁ・・・

最近 微妙に変わったきたわたしの思い。
久しぶりにおしゃれしたくなった。その根拠が ○○○ちゃんが喜んで会ってくれるおばあちゃんでいたい という気持ちだった。自分に自信を持てる人でありたい。それが毎日の過ごし方にも変化を与えてくれるに違いない。そんな気持ちがむくむく湧いてきて 昨日ちょっと若返りのコーディネイトで買い物に出かけた。膝上のニットワンピースは若すぎるかな?と思ったけどなんだか気分が良かった。駐車場で通りの向こう側にいた知り合いに「いいね!」と言われ「若すぎない?」と言ったら「すごく似合ってる!」と声をかけられた。それだけで ちょっとうきうきした。こんなことほんとに久しぶり。
何がきっかけで 前向きな気持ちになれるかわからないものだなと思った。

連日の寒さに気持ちも冷え込みそうだけど、今日も明るい母の声に心弾む。
ちょうど押し入れの片づけをしていて 母に頼まれたかぎ針を見つけ バッグに入れていたとき。ぶるぶると携帯が。
母からだった。
「お前に頼んでいたかぎ針ね。あれ ちょっと思いだしたところを探してみたらなんだかそれらしいものがあったから。」と。
「あれー今 ちょうどわたしの方も探していて見つけて持っていくバッグに入れたところだよぉ~」
ふたりとも同じ時間に同じようなことをしていたってことに なんだか不思議で嬉しいような気分に。
母が昨日 古い毛糸を出してほしいというので 車庫から探してきた。かんじんのかぎ針が見つからない。何を作ろうとか そういうあてもないのだけど 今度は編み物をしてみたくなったらしい。
なんでもやってみたいことをやってみる。できなければそれでいい。今 やりたいことを見つけて楽しむ。そういう母の姿勢がわたしは好きだ。

○○○ちゃんも早く大きくなって 人生を楽しんでほしいなぁ。

11月23日で

2013年12月01日 | ほんのすこし
ここgooブログも 11月23日でいよいよ10年目に突入しました♪
最初の頃と比べると更新も少なく ほそぼそと継続している状態ですが、それでもここがあるということはどこかわたしの中に安心感を抱かせるものがあります。心の中をちょこっとこぼしつつ あぁこんなわたしもいたんだなぁと以前のブログ記事を読み返すことがたびたびあります。日記をつける習慣がないので ここはそういった意味でもわたしの日記的なものもあったのではないかなと思っています。

10年目。来年の11月22日までの一年間に一体どんなことが訪れるのでしょうか。
9年目にはおめでたいことがありました。
4月には 息子の結婚式があり、一年前の娘の結婚といい ふたりの子どもがそれぞれ家庭を持つということになり、親の役目も一段落といった感じです。そして5月にはわたし自身の第二の人生が始まり といっても前と全然変わらないのですが(笑)
それでも精神的に何かがあったのか しばらく体調不良が続き、不眠状態が再び勃発。その後ゆるやかに変化しつつも 快適な睡眠状態を維持するのが とても大変でした。
そしてこの11月8日 娘に待望の女の子が生まれました♪退院と同時にわたしも行き 食事の世話などをしていました。夜中に泣きだしたり おろおろする場面も色々ありますが、思った以上に娘がしっかりしていたことに内心驚きました。うろたえることもなく 安心して任せていられるといった感じです。娘が成長した瞬間をたくさん味わいました。

9年目は本当に素敵なことだらけで、10年目はさらにどんどんよいことが出てきてほしいなと思っています。
更新も進まず 今朝テレビ番組で 歌舞伎役者の海老蔵さんがブログ更新をするのが楽しいと話していたのを見て あんなに多忙を極めている方が一日に何度も更新していると知り、パワーのすごさに圧倒されました。わたしには更新するものがない・・・そんな気持ちがあったのかもしれません。記事の内容を考える楽しさというものをもっと味わいたいと思いました。画像がなければだめなんじゃないか とか、こんなこと書いちゃだめなんじゃないか とか、書く前に躊躇している自分がいました。どんなことでも視点を変えたり、日常の何気ないことにもつぶやけることってあるんじゃないかなと思います。ここもそんなゆるやかさで続けていけたらなと改めて思っているところです。

それにしても・・・10年目突入かぁ・・・継続は力なり♪