心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

月のいる空

2015年01月31日 | ほんのすこし
夜ではなくて 日中にお月さまを見つけました。
薄い青が広がる空で そのお月さまは そこにいたの?と思わせるほど 目を凝らしてみなければ見ようと思って見なければわからないほどの存在でした。
でも見つけたときなんだか嬉しかったのです。
こんな日中 みんな一日をやり過ごすのに精いっぱいで それでも命を全うして・・・必死で生きている。もとい 必死なのかは別にしても 日中の喧騒の中で空を見上げる瞬間があるかないかぐらいのそんな人がたくさんいるかもしれないけど、誰かは気付いているんだろうなと思います。
そこに昼のお月さまがいたんだってことに。

お月さまは夜にいるって 漠然と思っていましたが、こうして日中空で見かけると、あぁあなたはいつもそこにいたんだねって思えます。見えないものが実は ずっとそこでそうして在ったということにじんわりと体の中心が温かくなるような気がします。
夜。ひっそりとお月さまに話しかける。
昼。こっそりとお月さまに話しかける。
あなたがそこにいてくれて よかったと。

そんなお月さまを見つけたせいか この頃のわたしは一生懸命です。毎日 やりたかったことに取り組んで、寝ていても考えていて気が付いたらすぐ起き出して(笑)
だから 今日もずいぶん早く起きてます。寝ていられなかったのです。考えが浮かんで 直さなくちゃって。でも さすがに今の時間はあなたも眠っていますね。

ずっと手を加えたかったものにここ何日か挑んで ようやく少し納得がいくようになってきました。諦めずにやってよかったと思えます。自己満足にすぎないのですが、何かを達成するというのは少し自信を与えてくれる気がします。これをどうするかはまだ決めかねているけど。誰かに読んでもらおうかなとも思っています。
さて・・・次は何を書こう。
書いてみたいものがあるうちに 書こうと思います。人生は短いのです。何もしなくても終るし 何かをしても終わります。どうせなら自分自身が納得できるようにやってみたいことをやりたいものです。

『トム・ベンジャーは鞄なり』もようやく第一話終了しました。次はどんな内容にしようか思案するのもまた楽しいものがあります。昨年 初めて小説なるものを完成した『ディーバ』はここに来て ようやく完成後の修正が出来た感じです。もしかするとまだまだ修正の余地があるのかもしれません。でも、今日は達成感が半端じゃないです(笑)なんといっても長い枚数だものね、わたしの中では。

静かな時間。
外では誰も歩いていない。何も動いていない。
この静かな時間にいるのはわたしひとりだけだ。
なんという贅沢な時間だろう。
たぶん 今日も空でお月さまを見つけるだろう。
そのときは お月さま あなたがいてくれてよかったとそっと言おう。
孤独だけど 孤独ではない。あなたという存在がわたしを抱きしめる。
空に月がある。
ただそれだけで 満たされるものがある。
あなたがそこにいる限り。

※※※
絵はマウス画。これは昼ではなく 夜のお月さま。
※※※

嬉しい病名?

2015年01月28日 | 母のこと
先日 温泉でのこと。
母は先に上がり ゆっくり着替えており わたしが後を追いかけるように脱衣所に。
寒くなってから肌が乾燥しているらしく 母は皮膚科で調合していただいた薬をつける。背中の汗を拭きとってあげ、首から背中に薄く薬を塗ってあげた。
「ねぇ わたしに貼り薬くれないかなぁ」と言うと 母が
「どれどれ 貼ってあげるよ。どこだ?」
「悪いねぇ。ここ ここなのよ。前側はできるけど後ろ側がうまく貼れなくてね。」
「あ~ そりゃそうだ。」
そう言いながら 不自由な手を使ってわたしの右肩にぺたっと貼ってくれた。それを見ていた知り合いが
「あらっ五十肩になったの?」
と言った。
「そうなのよ。最近ずっとこんな調子で。」
「わたしなんか長年 五十肩よぉ~。」
と知り合いが言うと、母が
「ほぉ~ 60になっても70になっても五十肩かぁ~。いい名前がついてるもんだ!」
と言ったので、脱衣所は大笑い。
五十より下の人がかかると 嫌なネーミングだけど、五十より上の人がかかったら これはこれでちょっといいんじゃないの?って感じで♪

なんだかそう言われると 肩の痛みが少し薄らいでいく気がした。もちろん貼り薬の効果もあったに違いないのだけどね。
言われてちょい嬉しい病名なんて かなり珍しいかもね!

※※※

色々ニュースが気になって なんだか気もそぞろなこの頃。一体 これから世界はどう進んでいくのだろう・・・と思いながら目の前の机に雑然と置かれた印刷物を どうにかして納得いくものにしたいと悩みつつ、前になかなか行かない自分の頭の中をのぞいてみたくなる。時間は黙っていても過ぎて行く。濃い時間にしたいと思っているのになあ・・・

※※※

変わったもんだねぇ

2015年01月26日 | 母のこと
昨日 母のところに行ったら、コタツの上に新聞のチラシが置いてありました。いつもは見終わったものは処分している母ですが。
そのうちの一枚を指差して 読んでごらんと言うので、どれどれ・・・と。
雪の片付けしますというような内容でした。別にどうってことない内容だと思ったのですが、母が指差すその文面には雪の片付け以外の仕事についても書いていて
「~ カラオケのお相手 お話のお相手・・・」
という言葉が並んでいました。
わたしは なんということなしに読んでしまったのですが、よくよく読み返すと母が疑問に思ったことがわかる気がしました。
母が
「今は こういうことも仕事になるんだねぇ。都会ではなんか色々役割をするって職業があるって見たことあったけど。こんな田舎でもあるんだねぇ・・・」
とほんとに驚いたように話しました。
「もしかすると 田舎だからお年寄りが多くなって しかも一人暮らしの人が多くなって必要になっているのかもしれないよ。」
というと、でも ほんとにこういう相手がほしいと電話する人いるのかねぇと首をかしげているのでした。
わたしも 実際にこういうお願いで連絡する方がいるのかどうか はなはだ疑問ではありましたが、インパクトを与えるための文面なのかなとも思いました。なんじゃこりゃ?!と思った方も多いのではないかと。
でも 考えてみれば 子供たちがすでに大きくなり都会へ出ていき、相方もいなくなったりした人にとって 何か暮らしに楽しみがほしいと思うこともあるでしょうね。それが話相手がほしいことだったりするのは 当たり前のことでしょう。行動力のある方は地域のサークルや行事に参加したりして外に出て行くことが楽しみになることもあるでしょうけど、母のように体が不自由だったりすると 家の中の生活が自分の世界になってしまいます。
母の場合は わたしがいるので話相手に困るということはないのですが、わたしのような人が周りにいない方はどうでしょう。
そう考えると このチラシの文面もあながち違っていないのかも・・・って思えてきます。

でも 母はさらに別のことを考えていたようです。
「知らない人に相手になってもらって 何か事件になったりしないかねぇ・・・」
ははぁ~ん。
刑事物ドラマとかよく見ている母は どちらかというと事件に物事を持っていこうとする傾向が。
「何言ってるの。こうしてチラシも入れているし 事件が起きたら真っ先に疑われるでしょ。」
「いや 内緒で相手を頼むってこともある・・・」
「はぁ?」

もうすでに母の頭は二時間ドラマの筋書きが出来てきているようです(笑)

今年の手帳

2015年01月25日 | ほんのすこし
毎年 手帳を買うかどうか暮れになると書店で悩む。
いつも最後まで使ったためしがないからだ。スケジュールを書き込むのは 冷蔵庫に貼った大きなカレンダーが主で 持ち運ぶタイプの手帳に書き込むのが どうも後回しになってしまう。これは外で書き込むという習慣がついていないせいだろう。細かな文字よりも大きな字で目だつように書く方が 自分にとってわかりやすいということもある。
今はスマホでスケジュールの管理ができるらしいが、それも無料アプリを入れようとしたときに いらぬ情報が頭に飛び込んできて 躊躇してしまった。
無料という言葉に弱いわたしは ついついアプリを簡単に取り込んでしまいがちだが、ちょっと待て しばらく考えてみよう・・・なんて思ったりして。そのままインストールするのをキャンセルしてしまった。気にしないで取り込んでいれば 手帳なんて買わずにすんだかもしれないのに。

まぁ そんなわたしが今年に入ってすでに中旬というか下旬になった頃 TSUTAYAで見つけたものがこれ。
たった一冊だけ残っていた手帳だ。最初 シンプルな黒や黄色といった色の中に見慣れないものが入っているなぁとふと目をとめた。見かけは文庫本。間違えて置いているのかと思ったぐらい。
よくよく見て見ると 安野光雅さんの絵が表紙になっているではないか!
装丁はいかにも文庫本そのもので しっかりと「ちくま文庫」となっている。絵はヨーロッパのお城だろう。これが手帳だとは思わない人が多いかもしれない。
たった一冊だけ残っていたということにも 買わなくてはもう無くなってしまう・・・という焦りを生み出してしまった。ついつい 一年の最後まで使い切ったことなどない・最初しか使わずに白紙状態が多かったという事実が頭からスポッと抜けて 宮部みゆきの新刊『悲嘆の門』(上下巻)の上に大事そうに乗せてカウンターに向かっていた。
はたして わたしはこれをその値(660円+税)に見合うだけの使い方をできるのか?
はなはだ疑問だ。

まぁ早速一日目はあれこれ必要な個所を埋めた。
スケジュールって そんなにないのね・・・なんだか手帳を買うまでもなかったかと自分にがっかり(笑)
でも気持ちを切り替えて 今年はその日その日の足跡がわかるものにしようと 少しだけ奮起。
ただいま 手帳を活用すべく気持ちだけ上昇中♪

母の新作

2015年01月23日 | 母のこと
ただいま 82歳。
80歳から描き始めたアクリル画。昨年の後半からずっと描くのを止めていた母ですが、ちょっと前にわたしが持って行った今年のカレンダーを見て なんだか描きたい意欲が湧いたみたいです。
天気が崩れて少し荒れ模様になっていた日。わたしが母のところに行くのを止めた日がありました。その日は二回電話をし、食べるものもあるし心配いらないということで安心していました。
次の日 昨日は一体何をしていたのかなぁと思いながら 母の顔を見に行きました。
わたしの車が見えたのか なんとなく慌てて片付けたあとが。

コタツの上には 新聞が置いてあり いつものテレビ番組を見ていました。
「母さん 昨日 どうしてた?」
「なんも。テレビ見たり 引き出し片付けたり・・・」
ふ~ん・・・
ふとテレビの横を見ると 見知らぬ絵が置いてあります。
な~んだ ちゃんと仕事していたんじゃないの(笑)

本人 どうも今一つ気に入らないみたいでした。わたしが一つ気になった場所を指摘すると
「やっぱり そう思うか?」
と難しい顔をしています。
「でも わたし今回の絵はなんか好きだなぁ。パッと見たときに色のメリハリがあって 構図とかいいんじゃないの?」
と言うと 少しまんざらでもない顔を。

さらに次の日行ってみると わたしが指摘した部分を手直しした跡が見受けられました。
今年に入って ようやく描こうと言う気持ちが出てきた母。二枚目を描いていましたが、失敗したぁと言って 見せてくれませんでした(笑)
今までは景色が多かったのですが、今年は花に挑戦してみたいそうです。
母らしい花が描けたらなぁと そっと見守っているところです。


昔のマウス画を出してみた

2015年01月19日 | ほんのすこし
久しぶりにマウス画の中から 出してみました。

これは元のイラストを反転したものですが、この色の雰囲気もまたいいなと思っています。マウス画を描いていた頃 使用していたソフト「デジパレ」は色々なことができましたが、反転するということもその一つでした。「デジパレ」が入っていたのは古いパソコンwindows95(あぁ なんて懐かしい!今も部屋にありますが、使えるかどうかは不明です)。画像保存にフローピーディスクを使用していましたが、容量が小さいのが玉にきず。それでも当時のフロッピーディスクを処分できずにいるわたしです。現在使用しているパソコンにはマウス画を描くためのソフトは入れていませんので、「マウス画を新しく描く」という行為がわたしの日常には全くと言っていいほど無くなりました。

よく考えてみると編み物であれエコクラフトであれアクリル画であれ それに取り掛かるというと部屋中が物で溢れてしまうことになり なかなか取り掛かるまでに踏ん切りがつかないということがありますが、パソコンの中のソフトを使ってお絵かきするという行為は 部屋を散らかしてしまうということだけはなかったなぁと。それを思えば マウス画を描くという行為はわたしにとって良い習慣ともいえたのかもしれません。でも今ではそのソフトも入っていないし 新しいソフトを購入してまで描く気持ちも出てこないといったところです。
でも こうして昔描いたイラストを引きだして見ていると やっぱり描いてみたくなります。
イラストと言葉と。その二つをここで紹介できれば・・・と思いつつ この10年間 ときどきマウス画を出してきました。何度か 同じマウス画を使ってそのときに思った言葉を入れ替えて紹介もしてきました。そのときの自分の気持ちがそこに在る のです。
もしかしたら 今年はもう一度 初めから何かをやることになるのかな・・・やりたいのかな・・・
毎日 同じようなサイクルで過ごしているように見えて 実はわたしの中ではたくさんのことがぐるぐる頭をめぐっていて、今年はもっと違うものに出会いたいと思っているような・・・

新しいことを始めたり、新しい人に出会ったりするのは わたしにとって刺激になります。でもそれをわたしが求めていないと出会いは見つからないのだと思います。求めているから周りが見える、求めていないから周りが見えていない。本来あるものがそこに見えていないことがこれまでもたくさんあったのだろうと思います。人生の途中で出会えたものや人たち そのときわたしが出会いたかったから 見えていたのだろうなと思うのです。

だから 今年はもっと求めることを 求める気持ちを胸の奥底から引き出していこうと思っています。今まで自分の中にあったマイナスの「どうせ~だから」といった気持ち 何かに向かう前に回れ右をしてしまおうとするへっぴり腰の姿勢 そういったものをそぎ落としていけたら・・・と思っているのです。


わたしの相棒

2015年01月18日 | ほんのすこし
よく運転しているとわたしは信号で一番前にいることが多い。たまに黄色で交差点に入ってしまって慌てて抜け出したりするのだけど、ほとんど次が赤になるなと思うと無意識に減速している(無意識にって 当たり前のことだけどね)。だからいつも一番前。
わたしはよく言われることだが、運転中はまっすぐしか見ていない。もちろん 交差点ではキョロキョロするけど。真っすぐしか見ていないので 知り合いにあった時に「昨日 あそこで見かけたよ。合図しようかと思ったけど こっち見ていなかったから」ということをときどき言われることがある。そうなのだ。わたしは対向車の運転手の顔など見ていないのだ。

見ていないというか 見ないようにしているといったほうがいいかもしれない。なんとなく気まずい感じがあるのだ。むろん そんなことわたしの気のせいでしかないけど、じろじろ見てしまった・・・という気持ちが出てしまう。まっすぐ まっすぐ 通りを歩いている人とかには気をつけるけど、対向車の運転手がどんな人かなんて気がつかない。通り過ぎれば過去の人・・・じゃないが。そんなわたしでも見覚えのある車のときは 知らず知らず見ているようだ。昔 運転していた車に似ていたり、知り合いと同じ車種だったりするとチラッと目線を送る。まぁほとんど違っているけどね。それでも二度ほど ずいぶん目だつ車が後ろにいるなぁとミラーをのぞいたときに それが知り合いだったってわかったこともある。

車の好みは人それぞれで わたしの場合はずっとわたしの好みは関係ないところで運転してきた。今まで何台か運転してきたが、一番最初は軽トラックだった。坂道発進が超苦手なわたしは軽トラックがとても大変で、サイドブレーキを下げるタイミングにとても手間取った。その後 すぐにゴルフに替えてくれたのだが、それがクラッチを気にしなくてもいいオートマ車だったから助かった。それにしても軽トラックからいきなりゴルフとは・・・当時はオートマよりノーマルを運転する人が多かった時代だ。
で その後からずっとオートマ車。だからノーマルは無理。そんなわたしが運転してきたオートマの中でスバルのレガシーは お世話になったなあ。スキー場まで何度 足を運んだことか。でもそれも一・二年ほどだった。すぐに別の車に取り替えられた。今 運転している車は数えてみると、7台目になる。それも全てわたしの好みとは違う決定だった。だが、最後の車 今の車は街中を運転するにはかなりいい。たぶん今後5年ぐらいは今の車のままだろう。この車で良かったと思ってる。今ではこの相棒が無いと どこへも行けない。
わたしの車は案外わかりやすいようだ。可愛い感じの形とアクセントカラーがあるからだろう。悪いことはできないってことだ(笑)わたしの相棒○○○○○、水害も乗りこえ(笑)てきたからねぇ。大事にしなくちゃね。

さて この間 二車線でさらに右折レーンもある場所でまっすぐのレーンでいつものごとく一番前だった。隣は右折レーン。信号待ちをしているときも目はまっすぐのわたし。少しすると外でクラクションの鳴る音がした。なんだろうと周りを見ると・・・右折レーンの一番前に止まっていた車の助手席の窓が開いた。
なんと かなり長い間会っていなかった知り合いがそこにいた。運転しているのはご主人だった。
「元気だった?」とびっくりしながら声をかけると相手は
「正月 孫ちゃん来ていたでしょ?」と聞いてきた。
ほんの少し 信号が変わるまでの間だったけど、しばらくぶりで見た友人はとても元気そうだった。なかなか連絡をつけることができず、会う機会もあったけどなんとなく集まりには行く気になれず・・・ということで疎遠になっていた人だ。今年は 彼女にも会いに行かなくちゃね。いつまでも部屋に閉じこもっていてはだめだよと わたしのココロの中でつぶやく声がした。
ご主人が
「たまに家に飲みに来いよ」というのを聞いて
「飲まなーい」とわざと笑いながら言って まっすぐを目指して交差点に入った。

運転しながら こんな偶然もあるんだなと思っていた。
もし今日 母のところからいつもより早く帰ってきていなかったら。
もし帰りがけ寄り道をしていなかったら。
もし信号を黄色で入ってしまっていたら。
友人に会うこともなかったろうな。
この車だったから すぐわかったんだろうな。
そんなことが次々と頭に浮かんできた。
暖かくなったら 会いに行こう。積もり積もった話をしに行こう。ご主人は抜きだ(笑)女同士の話をするんだ(笑)
そんな気分で駐車場に着いた。ワイパーを上げながら
〈いとしの相棒よ、お前で良かったよ。これからもよろしくお願いしますよ♪〉
と心の中でつぶやいていた。

雪の中を

2015年01月16日 | ほんのすこし
いくらか雪が融けた中を 電車が通っていきます。
白い雪の中を通り抜ける電車には そんなに乗車している人はいないようですが、それでもこの電車がないと困る人たちがいるのだなぁと思いながら 見送りました。わたしもほとんど使うことがありません。普段は車を利用しているからです。たまに使うとすれば 上京するときぐらいでしょうか。銀河高原鉄道というなんとも夢のような名前がついている鉄道です。こちらでは花輪線で通用していますが。盛岡までの道のりには 石川啄木ゆかりの駅もあり 途中下車してみたい誘惑に駆られるときもあります。

これまで利用した機会は 娘と息子の結婚式とかで まぁ利用したと言えるほどではないのでしょうね。以前はバスを利用して盛岡まで行ったのですが、バス停が遠くなったということもあり一番近い駅を利用することに。田舎は車がないと不便で大変です。それでも歩きであちこち行っている方(案外お年寄りが多いのです)を見かけると 感心してしまいます。わたしの場合は 車を利用することでますますダイエットから遠のいているといった感じです(笑)それでも今年はいつになく運動しなくては・・・と思っているのです。というのもずっと肩や背中の凝りが取れず 背中に手を回すのが大変で、こんなこと書いてもいいかどうか・・・温泉で着替えるときにブラジャーの背中のホックを止めてもらわないと右手が痛くて無理なこともあるのです。左手は大丈夫なのですが。それもだんだん納まってくるだろうと予想しています。

電車から脱線してしまいました(笑)



電車の写真を見ることがあります。母と病院に行った際、たまたまレントゲンを撮ってきてくださいと言われると二人でよくレントゲン室の廊下に張り出されている電車の写真を見ています。母もわたしもすごくいいなと話ながら見ています。写真は季節ごとに入れ替えているのか 冬には雪の中を通り抜ける電車の姿や 夕暮れ 雪のこんもりしたなんともいえない滑らかな表情をとらえているものやどれを見ても素敵なものばかりです。
実は このレントゲン室の中で同級生と会いました。彼はずっと電車の写真を撮ってきたようです。顔が全然変わっていなかったので 前からそうじゃないかなと思っていたのですが、お互いに声をかけあって「あぁやっぱり」と言ったことがありました。小・中・高と同じ学校でしたが ちっとも変わっていない・・・それがなんだかホッとしたことがありました。
電車の写真を撮るために寒い中 冷たい雪の上でずっと待ち続ける、そんな荒行のようなことをしているんだなあと感心します。また素晴らしい写真を見せてほしいものです。

彼のように電車の写真を撮り続ける方がたくさんいるようです。電車って 魅力的な存在なんですね。わたしの脳裏に浮かぶのは電車というより 昔乗ったSLです。もくもくとあがる煙 出発するぞという合図の音 窓を開けて感じる空気 デッキに立つと流れる横の景色 車内は木製の枠の椅子 少しくたびれた座面の薄れかけたビロードのような手触りにもどこか甘い記憶が立ち上るような そんなことが頭の片隅でぼんやりと佇んでいるのです。
今の新しい新幹線とか スマートな佇まいとは真逆な存在ですが、SLに乗っていたことがあるという思い出は案外 大事な経験かもしれないなと思います。だって若い人には経験してみたいと思ってもあの当時の時代には行けないのですから。疑似体験は何かでできるかもしれませんが、その時代にその場所で経験したということ それが思い出の強みなのでしょう。でも思い出は風化していくものでもあります。自分の中で風化させたくないものがあるとしたら 何か形あるものとして残していかなければならないなと 今朝は電車を見てふと思ったのでした。

※※※
BGMは ZAZ『モンマルトルからのラブレター』
今月の28日に彼女の新作が出るというので 久しぶりに出して聴いています。
※※※

読書モード♪

2015年01月15日 | ほんのすこし
最近 仕事がある程度片付いたのでTSUTAYAに久しぶりに行ってみました。いつもならDVDコーナーにまっすぐ行くのですが、その日はDVDを探す気分がなく 書籍コーナーをぶらぶら。
『望郷の道』(上下巻)北方謙三著
『246』沢木耕太郎著
『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』佐々涼子著
これら数冊を手に取り 早速 手軽な文庫本から読み始めました。北方さんの上下巻 初めて北方さんの本を読んだように思います。どちらかというと三国志とか時代物は今は苦手でしたが、立ち読みをしましたら、明治時代ぐらいの背景でこれなら読めるかも・・・と思ったのです。登場人物が実際の人物を参考にしているということでしたが、本当にこんな人がいたのか?と思ってしまいました。でも あの時代 大きくなっていくために寝食を惜しまず動き回ることができたというのが わかる気がします。最初は九州弁に慣れず 読みずらいかなぁと思っていましたが、読み進むにつれて自分の中で「~なかたい」「~つとか」と一緒に話している気分になっていました。それがまた心地よかったのです。上巻はまるで任侠ものの映画を見ているような感じで 読み終えて目を閉じたときに自分の背中がすっと伸びて匕首を手に持っている そんな映画館から出てきたときに感じたあの高揚感がありました。下巻もすぐに読み始めましたが、台湾に行ってからのふたりの日々はあまりにも凄くて こういう人がこの日本にいたんだ・・・(物語ではありますが)と今の日本にはいないかもしれないと思ったのでした。
自分とは全然違う あまりにも凄い その生きざまに驚きながら 良い本に出会ったという満足感で今はちょっと放心状態(笑)です。
佐々さんの本は 閑古堂さんが紹介されていてとても興味が湧いたのです。以前から書籍コーナーにあるのは知っていましたが、買うという気持ちまでには至らなかったのです。ドキュメンタリーはどちらかというと後回しになってしまうのが私です。でも閑古堂さんの紹介文章が素晴らしくて これはぜひ読んでみなくては!と思ったのです。そう思っていたときに偶然テレビで「池上彰のJAPANプロジェクト』という番組があり その中でこの本の紹介がありました。本の内容をドラマ仕立てにしていて それがまた良かったのです。ますます読んでみたいと思いました。そこでこの日 真っ先に手に取ったのが この本でした。これから読んでみようと思っています。どんな内容かは閑古堂さんの紹介記事を参考にしてくださいね♪
沢木さんは よく新聞で映画評を掲載されていて それが上手いなぁ 好きだなぁと思っていましたので、多分 昔読んでいるとは思うのですが、何か読んでみたくなりたまたま山積みされていたので 買ってみました。旅はほとんどしませんが、旅番組を見たりするのは好きです。国道246号線を歩きながら 沢木さんが何を思ったのか それを探るのが楽しみです。

で またまた昨日 TSUTAYAに行ってしまいました。というのも実家の屋根の雪を業者さんにお願いしたら すぐに来てくださったのはいいのですが、わたしの車を置く場所がなかったので、待っている時間にTSUTAYAとケーズデンキに行ったのです。
そこでまたまた書籍コーナーをぐるぐる・・・ポイント10倍の券がありましたので、ついつい買ってしまいました。
『夢をかなえるゾウ3 ブラックガネーシャの教え』水野敬也著
『峠うどん』上下巻 重松清著
『帝王、死すべし』折原一著
水野さんの前作はかなり前に読んでいました。読み終えた後しばらくしてからドラマ化されていましたが、ガネーシャ役がぴったりだったので笑ってしまったことを覚えています。今度はどんな内容なのか とても楽しみです。希望が持てる本を読むのは嬉しいものです。
折原さんのは ちょっとどうしようかと迷いましたが、ミステリー的な部分に期待して。
重松さんの本は好きなので これは眠る前に読んでみようかなと思っています。

『とまらない』三浦和良著
これを手に取ったのには 少し訳があって。数日前に 母とテレビ番組の話をしていました。そのときに前の夜に入った番組で(それがなんという番組だったか忘れましたが) そこに講師としてカズが現れたという話でした。偶然 二人とも その部分はしっかり見ていて母と共に カズ 格好良かったねぇ 素敵だったねぇ 今でもすごいねぇ 考え方がいいよねぇ などなどしばらく誉め言葉が続いたのです。特に 母はカズがすごく良かったと手放しでほめていて。それが頭の中に残っていました。書籍コーナーでこの本を見つけたときに 真っ先に母の顔が浮かんだのです。
立ち読みでパラパラと読んでみました。これなら 母でも読めそうです。読みやすい文体だし 内容もカズの言葉がぎっしりつまっていて 前向きになれそうな言葉です。47歳でもまだまだ現役、しっかりと前を見据えて歩んできたひたむきさがいい顔を作っているとカズの笑顔を見て思います。やっぱり黙っていても顔に出ますね、年を経て行くと。その人がどんな生き方をしてきたかが顔に現れてくる その良い見本のような輝きを持った顔をしていると思いました。
今日 母に持っていこうと思っています。少しずつでも読んでくれたらいいなと思います。

それにしても カズがあんなにも素敵だなんて・・・感激でした。あの番組 なんだったかなぁ。録画しておくんだったと今になって悔しがっているわたしです。

遊んでみた

2015年01月12日 | ほんのすこし
スマホの画像を加工したくて無料アプリを利用してみた。まだ使い方がわからないけど、面白そう…
キジが二羽、積もった雪の上にいたのでパチリ。分かりにくいけど。
昨日から、読書モード全開♪『望郷の道』北方謙三著、ただいま下巻も読み始め、面白くてやめられなくなった。朝寝坊したくないのでしょうが無いから寝ることに。あぁでも気になって眠れそうもない…

眠れそうもないと思っていたら 今度は除雪車の音が・・・
夜中まで頑張ってくれているのに 文句なんて言ってられないけど、さらに眠れなくなって起き出した。パソコンで記事を見てみたら、なんてこった。画像が大きすぎる。スマホからのアップだと画像が大きすぎるなあ。
これはなんとかしないと。

いくらか除雪の音が遠のいたようだ。ではもう一度眠るとするかな。




やっぱりパソコンで編集しないと画像は大きいままになってしまうなぁ。ってことで画像を入れ替えてみた。
さてと たまった雪を片付けるとするか・・・