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心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

月のいる空

2015年01月31日 | ほんのすこし
夜ではなくて 日中にお月さまを見つけました。
薄い青が広がる空で そのお月さまは そこにいたの?と思わせるほど 目を凝らしてみなければ見ようと思って見なければわからないほどの存在でした。
でも見つけたときなんだか嬉しかったのです。
こんな日中 みんな一日をやり過ごすのに精いっぱいで それでも命を全うして・・・必死で生きている。もとい 必死なのかは別にしても 日中の喧騒の中で空を見上げる瞬間があるかないかぐらいのそんな人がたくさんいるかもしれないけど、誰かは気付いているんだろうなと思います。
そこに昼のお月さまがいたんだってことに。

お月さまは夜にいるって 漠然と思っていましたが、こうして日中空で見かけると、あぁあなたはいつもそこにいたんだねって思えます。見えないものが実は ずっとそこでそうして在ったということにじんわりと体の中心が温かくなるような気がします。
夜。ひっそりとお月さまに話しかける。
昼。こっそりとお月さまに話しかける。
あなたがそこにいてくれて よかったと。

そんなお月さまを見つけたせいか この頃のわたしは一生懸命です。毎日 やりたかったことに取り組んで、寝ていても考えていて気が付いたらすぐ起き出して(笑)
だから 今日もずいぶん早く起きてます。寝ていられなかったのです。考えが浮かんで 直さなくちゃって。でも さすがに今の時間はあなたも眠っていますね。

ずっと手を加えたかったものにここ何日か挑んで ようやく少し納得がいくようになってきました。諦めずにやってよかったと思えます。自己満足にすぎないのですが、何かを達成するというのは少し自信を与えてくれる気がします。これをどうするかはまだ決めかねているけど。誰かに読んでもらおうかなとも思っています。
さて・・・次は何を書こう。
書いてみたいものがあるうちに 書こうと思います。人生は短いのです。何もしなくても終るし 何かをしても終わります。どうせなら自分自身が納得できるようにやってみたいことをやりたいものです。

『トム・ベンジャーは鞄なり』もようやく第一話終了しました。次はどんな内容にしようか思案するのもまた楽しいものがあります。昨年 初めて小説なるものを完成した『ディーバ』はここに来て ようやく完成後の修正が出来た感じです。もしかするとまだまだ修正の余地があるのかもしれません。でも、今日は達成感が半端じゃないです(笑)なんといっても長い枚数だものね、わたしの中では。

静かな時間。
外では誰も歩いていない。何も動いていない。
この静かな時間にいるのはわたしひとりだけだ。
なんという贅沢な時間だろう。
たぶん 今日も空でお月さまを見つけるだろう。
そのときは お月さま あなたがいてくれてよかったとそっと言おう。
孤独だけど 孤独ではない。あなたという存在がわたしを抱きしめる。
空に月がある。
ただそれだけで 満たされるものがある。
あなたがそこにいる限り。

※※※
絵はマウス画。これは昼ではなく 夜のお月さま。
※※※

嬉しい病名?

2015年01月28日 | 母のこと
先日 温泉でのこと。
母は先に上がり ゆっくり着替えており わたしが後を追いかけるように脱衣所に。
寒くなってから肌が乾燥しているらしく 母は皮膚科で調合していただいた薬をつける。背中の汗を拭きとってあげ、首から背中に薄く薬を塗ってあげた。
「ねぇ わたしに貼り薬くれないかなぁ」と言うと 母が
「どれどれ 貼ってあげるよ。どこだ?」
「悪いねぇ。ここ ここなのよ。前側はできるけど後ろ側がうまく貼れなくてね。」
「あ~ そりゃそうだ。」
そう言いながら 不自由な手を使ってわたしの右肩にぺたっと貼ってくれた。それを見ていた知り合いが
「あらっ五十肩になったの?」
と言った。
「そうなのよ。最近ずっとこんな調子で。」
「わたしなんか長年 五十肩よぉ~。」
と知り合いが言うと、母が
「ほぉ~ 60になっても70になっても五十肩かぁ~。いい名前がついてるもんだ!」
と言ったので、脱衣所は大笑い。
五十より下の人がかかると 嫌なネーミングだけど、五十より上の人がかかったら これはこれでちょっといいんじゃないの?って感じで♪

なんだかそう言われると 肩の痛みが少し薄らいでいく気がした。もちろん貼り薬の効果もあったに違いないのだけどね。
言われてちょい嬉しい病名なんて かなり珍しいかもね!

※※※

色々ニュースが気になって なんだか気もそぞろなこの頃。一体 これから世界はどう進んでいくのだろう・・・と思いながら目の前の机に雑然と置かれた印刷物を どうにかして納得いくものにしたいと悩みつつ、前になかなか行かない自分の頭の中をのぞいてみたくなる。時間は黙っていても過ぎて行く。濃い時間にしたいと思っているのになあ・・・

※※※

変わったもんだねぇ

2015年01月26日 | 母のこと
昨日 母のところに行ったら、コタツの上に新聞のチラシが置いてありました。いつもは見終わったものは処分している母ですが。
そのうちの一枚を指差して 読んでごらんと言うので、どれどれ・・・と。
雪の片付けしますというような内容でした。別にどうってことない内容だと思ったのですが、母が指差すその文面には雪の片付け以外の仕事についても書いていて
「~ カラオケのお相手 お話のお相手・・・」
という言葉が並んでいました。
わたしは なんということなしに読んでしまったのですが、よくよく読み返すと母が疑問に思ったことがわかる気がしました。
母が
「今は こういうことも仕事になるんだねぇ。都会ではなんか色々役割をするって職業があるって見たことあったけど。こんな田舎でもあるんだねぇ・・・」
とほんとに驚いたように話しました。
「もしかすると 田舎だからお年寄りが多くなって しかも一人暮らしの人が多くなって必要になっているのかもしれないよ。」
というと、でも ほんとにこういう相手がほしいと電話する人いるのかねぇと首をかしげているのでした。
わたしも 実際にこういうお願いで連絡する方がいるのかどうか はなはだ疑問ではありましたが、インパクトを与えるための文面なのかなとも思いました。なんじゃこりゃ?!と思った方も多いのではないかと。
でも 考えてみれば 子供たちがすでに大きくなり都会へ出ていき、相方もいなくなったりした人にとって 何か暮らしに楽しみがほしいと思うこともあるでしょうね。それが話相手がほしいことだったりするのは 当たり前のことでしょう。行動力のある方は地域のサークルや行事に参加したりして外に出て行くことが楽しみになることもあるでしょうけど、母のように体が不自由だったりすると 家の中の生活が自分の世界になってしまいます。
母の場合は わたしがいるので話相手に困るということはないのですが、わたしのような人が周りにいない方はどうでしょう。
そう考えると このチラシの文面もあながち違っていないのかも・・・って思えてきます。

でも 母はさらに別のことを考えていたようです。
「知らない人に相手になってもらって 何か事件になったりしないかねぇ・・・」
ははぁ~ん。
刑事物ドラマとかよく見ている母は どちらかというと事件に物事を持っていこうとする傾向が。
「何言ってるの。こうしてチラシも入れているし 事件が起きたら真っ先に疑われるでしょ。」
「いや 内緒で相手を頼むってこともある・・・」
「はぁ?」

もうすでに母の頭は二時間ドラマの筋書きが出来てきているようです(笑)

今年の手帳

2015年01月25日 | ほんのすこし
毎年 手帳を買うかどうか暮れになると書店で悩む。
いつも最後まで使ったためしがないからだ。スケジュールを書き込むのは 冷蔵庫に貼った大きなカレンダーが主で 持ち運ぶタイプの手帳に書き込むのが どうも後回しになってしまう。これは外で書き込むという習慣がついていないせいだろう。細かな文字よりも大きな字で目だつように書く方が 自分にとってわかりやすいということもある。
今はスマホでスケジュールの管理ができるらしいが、それも無料アプリを入れようとしたときに いらぬ情報が頭に飛び込んできて 躊躇してしまった。
無料という言葉に弱いわたしは ついついアプリを簡単に取り込んでしまいがちだが、ちょっと待て しばらく考えてみよう・・・なんて思ったりして。そのままインストールするのをキャンセルしてしまった。気にしないで取り込んでいれば 手帳なんて買わずにすんだかもしれないのに。

まぁ そんなわたしが今年に入ってすでに中旬というか下旬になった頃 TSUTAYAで見つけたものがこれ。
たった一冊だけ残っていた手帳だ。最初 シンプルな黒や黄色といった色の中に見慣れないものが入っているなぁとふと目をとめた。見かけは文庫本。間違えて置いているのかと思ったぐらい。
よくよく見て見ると 安野光雅さんの絵が表紙になっているではないか!
装丁はいかにも文庫本そのもので しっかりと「ちくま文庫」となっている。絵はヨーロッパのお城だろう。これが手帳だとは思わない人が多いかもしれない。
たった一冊だけ残っていたということにも 買わなくてはもう無くなってしまう・・・という焦りを生み出してしまった。ついつい 一年の最後まで使い切ったことなどない・最初しか使わずに白紙状態が多かったという事実が頭からスポッと抜けて 宮部みゆきの新刊『悲嘆の門』(上下巻)の上に大事そうに乗せてカウンターに向かっていた。
はたして わたしはこれをその値(660円+税)に見合うだけの使い方をできるのか?
はなはだ疑問だ。

まぁ早速一日目はあれこれ必要な個所を埋めた。
スケジュールって そんなにないのね・・・なんだか手帳を買うまでもなかったかと自分にがっかり(笑)
でも気持ちを切り替えて 今年はその日その日の足跡がわかるものにしようと 少しだけ奮起。
ただいま 手帳を活用すべく気持ちだけ上昇中♪

持つべきものは・・・

2015年01月24日 | ありがとう
雪が降る寒い冬は あったかい部屋でお茶っこしよ♪
そんな感じのメールが昨年の12月に入ってきました。どこかのお店でお茶するというのよりは ずっと気が楽です。好きなことをおしゃべりして 笑い転げても大丈夫だからです。お店だと大笑いするのは ちょっとね。

そのメールの彼女からお誘いがあり、今週 午後に出かけていきました。借りていた本と借りたいと言っていたCD&お菓子を持って。ちょうどその日は天気も良く 雪も降らずかといって道路がぐちゃぐちゃといった感じでもなく、なかなかいい日を選んだものだと思いました。
彼女の家には柴犬の花ちゃんがいます。玄関を開けるとこれまでで最高のお出迎えを受けました(笑)花ちゃん 興奮気味で 部屋に通されてからも吠え続けています。歓迎しすぎじゃないの?
彼女が
「花ちゃん おやつ食べたくなったんでしょ?」
と言って おやつをお皿に入れると途端に大人しくなりました。
「あらあた、まるで孫の○○ちゃんみたい。食べ物につられるところが似ているわぁ~」
と言って笑いました。

しばらくすると 見て見て!と言うので テーブルの脇のストーブの前を見ると・・・なんと花ちゃんが寝ています。しかも仰向けに。
「うちの花ちゃん 女の子なのにこんな格好で寝るのよ。」
あんまりおもしろいので写そうとしたけど どうも光が当たって 顔がよく映らない。仕方がないのでそのままパチリ。

そんなこともしながら いつものごとく海外ドラマの話から近況から 失敗談から・・・話はとめどなく尽きなく。いつもは聞き役のわたしが彼女の家に行ったときには 逆の立場になっていて。いつのまにか彼女が聞き役になっているといった具合に。はぁ わたし話したいことがこんなに溜まっていたんだぁ・・・まぁ聞き方が上手な相手だということもあるのかな。美味しいコーヒーをお代わりして ずっと聞いてもらいたかったことを話したり。

小説を書いたことを 以前会ったときに話していて その後どうなったのかということになり、ずっと悩んでいたことも彼女のことばでスッと重いものが落ちた感じになったり。去年 自分の力のなさにがっくりきたこととか その思いについても払いのけてくれて なんだか変なことで悩んでいたんだなぁって気持ちになったり。
もっとやってみようかなと思えるようになって、帰ってから早速 手直ししてみたら、まだまだ考える余地ややってみることがあるってことに気付いたのです。
ありがたいなって思います。
ほんとに 持つべきものはともだちだなって。つくづく思いました。


色々おみやげをもらい 食べるのや飲むのがもったいない気分でいます。美味しいうちに飲んでよね!って言われそうですが。
そのとき借りてきた漫画です。


10年以上も前には漫画もたくさん読んでいましたが、ずっと漫画から遠のいていて、勧められた漫画は以前読んでいたものですが、新しいものを貸してくれました。どうかなぁって思いながら開いたのですが、面白い♪色々と考えさせられるものがそれぞれの話にあって 懐かしくもあり新鮮でもあり 漫画もいいなぁと思い始めています。

こんな感じで 彼女からは色々な刺激を受けていて、いつも会ったあとに「元気」をもらっています。元気をもらえるってすごいことです。彼女のいいところはそこなんだなと。会話の中でお互いに人の悪口を言うってことがないのも すっきりした気分になるのだと思っています。
また今度 仰向けに寝る花ちゃんのそばでキャーキャー笑いながら(大笑いしても花ちゃん爆睡)楽しい時間を過ごせたらなあ・・・
ありがとねー♪

母の新作

2015年01月23日 | 母のこと
ただいま 82歳。
80歳から描き始めたアクリル画。昨年の後半からずっと描くのを止めていた母ですが、ちょっと前にわたしが持って行った今年のカレンダーを見て なんだか描きたい意欲が湧いたみたいです。
天気が崩れて少し荒れ模様になっていた日。わたしが母のところに行くのを止めた日がありました。その日は二回電話をし、食べるものもあるし心配いらないということで安心していました。
次の日 昨日は一体何をしていたのかなぁと思いながら 母の顔を見に行きました。
わたしの車が見えたのか なんとなく慌てて片付けたあとが。

コタツの上には 新聞が置いてあり いつものテレビ番組を見ていました。
「母さん 昨日 どうしてた?」
「なんも。テレビ見たり 引き出し片付けたり・・・」
ふ~ん・・・
ふとテレビの横を見ると 見知らぬ絵が置いてあります。
な~んだ ちゃんと仕事していたんじゃないの(笑)

本人 どうも今一つ気に入らないみたいでした。わたしが一つ気になった場所を指摘すると
「やっぱり そう思うか?」
と難しい顔をしています。
「でも わたし今回の絵はなんか好きだなぁ。パッと見たときに色のメリハリがあって 構図とかいいんじゃないの?」
と言うと 少しまんざらでもない顔を。

さらに次の日行ってみると わたしが指摘した部分を手直しした跡が見受けられました。
今年に入って ようやく描こうと言う気持ちが出てきた母。二枚目を描いていましたが、失敗したぁと言って 見せてくれませんでした(笑)
今までは景色が多かったのですが、今年は花に挑戦してみたいそうです。
母らしい花が描けたらなぁと そっと見守っているところです。


嬉しかったの

2015年01月19日 | ありがとう
温泉に母と行きました。
最近 雪の状態を見てあまり遅い時間に行くのは止めようと以前より1時間以上早い時間に行くようにしていました。必然的に 夕食の準備もお昼過ぎから始まり 準備が終わり次第 温泉に母を連れていくといった状態です。
大体 母の好きな番組が2時まであるので その時間が終わったあたりに夜の準備が終わるようにしていますが、わたしの方の都合でその時間帯もずれることがあります。
今日は わたしの仕事の都合で少し遅れていくことになりました。
急いで夜の準備を。今日は真鯛のアラ煮 大根おろしを添えて。ひき肉とニンジンとコーンのトマト野菜ジュース煮込みにレトルトカレーを入れて煮込んだもの(前回 好評だったので。でも今回はちょっといまいちだった)。
後は昨日のマカロニサラダとヤーコンの煮物があるので 大丈夫かなと。

夕飯の支度が心配ないということはとても安心します。
今日は 戻ってからすることがないので 温泉でもとてものんびりした気分でした。
最初行ったときには駐車場も満杯で大変そうだなぁと思いながら入っていったのですが、脱衣所が満杯の割に温泉の中は適度にすいていて とてもいい気分でした。行った時間がいつもより1時間遅かったので いつもの時間だと混み合っていた時間になっていたことでしょう。
母とふたり 「わたしたちって運がいいよね?」って感じで顔を見合わせました(笑)
空いているとほんとにのんびりです。母が
「ある程度 入っていないとなんだか寂しいねぇ・・・」
と 知り合いが上がっていって話相手がいなくなったせいか ちょっとしょんぼりしていました。
温泉に入ることも大事ですが、母にとっては温泉で色々な方と話をするのが楽しみなようです。

いつもより遅く来たので、いつもより1時間ずれて脱衣所に行きました。着替えをしていると いつも見かける方が入ってきました。その人が
「あれ~ どうしたかと話していたよ。全然会わなかったから。」
とわたしと母の顔を見て嬉しそうに言いました。母がそれを聞いて 上を指差しながら
「あっち(天国)に行ったかと思ったしべ?」
と笑いながら答えました。その方が
「良かった 良かった。いつも来る人が来なくなると心配でなぁ」
と言いました。その言葉を聞きながら なんて幸せなことなんだろうと思っていました。私たちのことを気にかけてくれている人が少なくともここにいる!なんて素敵なことでしょう。
だからどうだってことではないのですが、何気なく来ている温泉でも 誰かのことを気にかけているということがわかって なんだかすごくココロがあったかくなりました。温泉のぬくみだけではなく それ以上のぬくもりがわたしの中に広がりました。

ありがとう。
わたしたちのことを覚えていてくれて。
ありがとう。
わたしたちのことを心配してくれて。
あなたのことも思っていますよ。いつまでもお元気でいてくださいね・・・

昔のマウス画を出してみた

2015年01月19日 | ほんのすこし
久しぶりにマウス画の中から 出してみました。

これは元のイラストを反転したものですが、この色の雰囲気もまたいいなと思っています。マウス画を描いていた頃 使用していたソフト「デジパレ」は色々なことができましたが、反転するということもその一つでした。「デジパレ」が入っていたのは古いパソコンwindows95(あぁ なんて懐かしい!今も部屋にありますが、使えるかどうかは不明です)。画像保存にフローピーディスクを使用していましたが、容量が小さいのが玉にきず。それでも当時のフロッピーディスクを処分できずにいるわたしです。現在使用しているパソコンにはマウス画を描くためのソフトは入れていませんので、「マウス画を新しく描く」という行為がわたしの日常には全くと言っていいほど無くなりました。

よく考えてみると編み物であれエコクラフトであれアクリル画であれ それに取り掛かるというと部屋中が物で溢れてしまうことになり なかなか取り掛かるまでに踏ん切りがつかないということがありますが、パソコンの中のソフトを使ってお絵かきするという行為は 部屋を散らかしてしまうということだけはなかったなぁと。それを思えば マウス画を描くという行為はわたしにとって良い習慣ともいえたのかもしれません。でも今ではそのソフトも入っていないし 新しいソフトを購入してまで描く気持ちも出てこないといったところです。
でも こうして昔描いたイラストを引きだして見ていると やっぱり描いてみたくなります。
イラストと言葉と。その二つをここで紹介できれば・・・と思いつつ この10年間 ときどきマウス画を出してきました。何度か 同じマウス画を使ってそのときに思った言葉を入れ替えて紹介もしてきました。そのときの自分の気持ちがそこに在る のです。
もしかしたら 今年はもう一度 初めから何かをやることになるのかな・・・やりたいのかな・・・
毎日 同じようなサイクルで過ごしているように見えて 実はわたしの中ではたくさんのことがぐるぐる頭をめぐっていて、今年はもっと違うものに出会いたいと思っているような・・・

新しいことを始めたり、新しい人に出会ったりするのは わたしにとって刺激になります。でもそれをわたしが求めていないと出会いは見つからないのだと思います。求めているから周りが見える、求めていないから周りが見えていない。本来あるものがそこに見えていないことがこれまでもたくさんあったのだろうと思います。人生の途中で出会えたものや人たち そのときわたしが出会いたかったから 見えていたのだろうなと思うのです。

だから 今年はもっと求めることを 求める気持ちを胸の奥底から引き出していこうと思っています。今まで自分の中にあったマイナスの「どうせ~だから」といった気持ち 何かに向かう前に回れ右をしてしまおうとするへっぴり腰の姿勢 そういったものをそぎ落としていけたら・・・と思っているのです。


わたしの相棒

2015年01月18日 | ほんのすこし
よく運転しているとわたしは信号で一番前にいることが多い。たまに黄色で交差点に入ってしまって慌てて抜け出したりするのだけど、ほとんど次が赤になるなと思うと無意識に減速している(無意識にって 当たり前のことだけどね)。だからいつも一番前。
わたしはよく言われることだが、運転中はまっすぐしか見ていない。もちろん 交差点ではキョロキョロするけど。真っすぐしか見ていないので 知り合いにあった時に「昨日 あそこで見かけたよ。合図しようかと思ったけど こっち見ていなかったから」ということをときどき言われることがある。そうなのだ。わたしは対向車の運転手の顔など見ていないのだ。

見ていないというか 見ないようにしているといったほうがいいかもしれない。なんとなく気まずい感じがあるのだ。むろん そんなことわたしの気のせいでしかないけど、じろじろ見てしまった・・・という気持ちが出てしまう。まっすぐ まっすぐ 通りを歩いている人とかには気をつけるけど、対向車の運転手がどんな人かなんて気がつかない。通り過ぎれば過去の人・・・じゃないが。そんなわたしでも見覚えのある車のときは 知らず知らず見ているようだ。昔 運転していた車に似ていたり、知り合いと同じ車種だったりするとチラッと目線を送る。まぁほとんど違っているけどね。それでも二度ほど ずいぶん目だつ車が後ろにいるなぁとミラーをのぞいたときに それが知り合いだったってわかったこともある。

車の好みは人それぞれで わたしの場合はずっとわたしの好みは関係ないところで運転してきた。今まで何台か運転してきたが、一番最初は軽トラックだった。坂道発進が超苦手なわたしは軽トラックがとても大変で、サイドブレーキを下げるタイミングにとても手間取った。その後 すぐにゴルフに替えてくれたのだが、それがクラッチを気にしなくてもいいオートマ車だったから助かった。それにしても軽トラックからいきなりゴルフとは・・・当時はオートマよりノーマルを運転する人が多かった時代だ。
で その後からずっとオートマ車。だからノーマルは無理。そんなわたしが運転してきたオートマの中でスバルのレガシーは お世話になったなあ。スキー場まで何度 足を運んだことか。でもそれも一・二年ほどだった。すぐに別の車に取り替えられた。今 運転している車は数えてみると、7台目になる。それも全てわたしの好みとは違う決定だった。だが、最後の車 今の車は街中を運転するにはかなりいい。たぶん今後5年ぐらいは今の車のままだろう。この車で良かったと思ってる。今ではこの相棒が無いと どこへも行けない。
わたしの車は案外わかりやすいようだ。可愛い感じの形とアクセントカラーがあるからだろう。悪いことはできないってことだ(笑)わたしの相棒○○○○○、水害も乗りこえ(笑)てきたからねぇ。大事にしなくちゃね。

さて この間 二車線でさらに右折レーンもある場所でまっすぐのレーンでいつものごとく一番前だった。隣は右折レーン。信号待ちをしているときも目はまっすぐのわたし。少しすると外でクラクションの鳴る音がした。なんだろうと周りを見ると・・・右折レーンの一番前に止まっていた車の助手席の窓が開いた。
なんと かなり長い間会っていなかった知り合いがそこにいた。運転しているのはご主人だった。
「元気だった?」とびっくりしながら声をかけると相手は
「正月 孫ちゃん来ていたでしょ?」と聞いてきた。
ほんの少し 信号が変わるまでの間だったけど、しばらくぶりで見た友人はとても元気そうだった。なかなか連絡をつけることができず、会う機会もあったけどなんとなく集まりには行く気になれず・・・ということで疎遠になっていた人だ。今年は 彼女にも会いに行かなくちゃね。いつまでも部屋に閉じこもっていてはだめだよと わたしのココロの中でつぶやく声がした。
ご主人が
「たまに家に飲みに来いよ」というのを聞いて
「飲まなーい」とわざと笑いながら言って まっすぐを目指して交差点に入った。

運転しながら こんな偶然もあるんだなと思っていた。
もし今日 母のところからいつもより早く帰ってきていなかったら。
もし帰りがけ寄り道をしていなかったら。
もし信号を黄色で入ってしまっていたら。
友人に会うこともなかったろうな。
この車だったから すぐわかったんだろうな。
そんなことが次々と頭に浮かんできた。
暖かくなったら 会いに行こう。積もり積もった話をしに行こう。ご主人は抜きだ(笑)女同士の話をするんだ(笑)
そんな気分で駐車場に着いた。ワイパーを上げながら
〈いとしの相棒よ、お前で良かったよ。これからもよろしくお願いしますよ♪〉
と心の中でつぶやいていた。

雪の中を

2015年01月16日 | ほんのすこし
いくらか雪が融けた中を 電車が通っていきます。
白い雪の中を通り抜ける電車には そんなに乗車している人はいないようですが、それでもこの電車がないと困る人たちがいるのだなぁと思いながら 見送りました。わたしもほとんど使うことがありません。普段は車を利用しているからです。たまに使うとすれば 上京するときぐらいでしょうか。銀河高原鉄道というなんとも夢のような名前がついている鉄道です。こちらでは花輪線で通用していますが。盛岡までの道のりには 石川啄木ゆかりの駅もあり 途中下車してみたい誘惑に駆られるときもあります。

これまで利用した機会は 娘と息子の結婚式とかで まぁ利用したと言えるほどではないのでしょうね。以前はバスを利用して盛岡まで行ったのですが、バス停が遠くなったということもあり一番近い駅を利用することに。田舎は車がないと不便で大変です。それでも歩きであちこち行っている方(案外お年寄りが多いのです)を見かけると 感心してしまいます。わたしの場合は 車を利用することでますますダイエットから遠のいているといった感じです(笑)それでも今年はいつになく運動しなくては・・・と思っているのです。というのもずっと肩や背中の凝りが取れず 背中に手を回すのが大変で、こんなこと書いてもいいかどうか・・・温泉で着替えるときにブラジャーの背中のホックを止めてもらわないと右手が痛くて無理なこともあるのです。左手は大丈夫なのですが。それもだんだん納まってくるだろうと予想しています。

電車から脱線してしまいました(笑)



電車の写真を見ることがあります。母と病院に行った際、たまたまレントゲンを撮ってきてくださいと言われると二人でよくレントゲン室の廊下に張り出されている電車の写真を見ています。母もわたしもすごくいいなと話ながら見ています。写真は季節ごとに入れ替えているのか 冬には雪の中を通り抜ける電車の姿や 夕暮れ 雪のこんもりしたなんともいえない滑らかな表情をとらえているものやどれを見ても素敵なものばかりです。
実は このレントゲン室の中で同級生と会いました。彼はずっと電車の写真を撮ってきたようです。顔が全然変わっていなかったので 前からそうじゃないかなと思っていたのですが、お互いに声をかけあって「あぁやっぱり」と言ったことがありました。小・中・高と同じ学校でしたが ちっとも変わっていない・・・それがなんだかホッとしたことがありました。
電車の写真を撮るために寒い中 冷たい雪の上でずっと待ち続ける、そんな荒行のようなことをしているんだなあと感心します。また素晴らしい写真を見せてほしいものです。

彼のように電車の写真を撮り続ける方がたくさんいるようです。電車って 魅力的な存在なんですね。わたしの脳裏に浮かぶのは電車というより 昔乗ったSLです。もくもくとあがる煙 出発するぞという合図の音 窓を開けて感じる空気 デッキに立つと流れる横の景色 車内は木製の枠の椅子 少しくたびれた座面の薄れかけたビロードのような手触りにもどこか甘い記憶が立ち上るような そんなことが頭の片隅でぼんやりと佇んでいるのです。
今の新しい新幹線とか スマートな佇まいとは真逆な存在ですが、SLに乗っていたことがあるという思い出は案外 大事な経験かもしれないなと思います。だって若い人には経験してみたいと思ってもあの当時の時代には行けないのですから。疑似体験は何かでできるかもしれませんが、その時代にその場所で経験したということ それが思い出の強みなのでしょう。でも思い出は風化していくものでもあります。自分の中で風化させたくないものがあるとしたら 何か形あるものとして残していかなければならないなと 今朝は電車を見てふと思ったのでした。

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BGMは ZAZ『モンマルトルからのラブレター』
今月の28日に彼女の新作が出るというので 久しぶりに出して聴いています。
※※※