心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

あぁ そうだったのか

2013年01月30日 | ほんのすこし
何が 嬉しいのだろうと ここ数日思っていました。
落ち込んでもいいはずなのに 何が嬉しくてココロが晴れ晴れとしているのだろうと。

さっき わかりました。

わたしはこれまでずっと「認めてもらいたかった」のです。
自分がやってきたことを 認めてもらいたかった そのために逡巡とした気持ちがいつも離れなくて 不安だったのです。それが「貢献してきたことを否定するものではない」という言葉に 少なからずホッとしている自分がいるのです。それがたとえどんな気持ちを隠して出てきた言葉であっても 素直に嬉しいと思えました。

長いようで短かった過去の様々な場面を思い出します。そこで一生懸命だった自分がいたということ でも反省だらけで もう後戻りして直しようはなくて それでもいくらかは頑張ってきたのだということを認めてもらいたい それだけだったような気がします。
でも 今の自分は そこから離れて 新しい生活の中でできることを模索しています。いつまでも過去の自分を評価してもらいたいなんて そんな生ちょっろい気持ちは捨てたほうがいいとさえ思います。だから ほんの数日前にもらったこの言葉だけで十分。これからは 自分が今からできることを探していこうと思っています。

そういう気持ちがあったからか 本当にすがすがしいのです。

ひさしく忘れていた文章を書きたい 詩を書きたい という気持ちも なんだか新しく生まれ変わったみたいに新鮮に思えてきます。
くよくよしなくていい。自分が望むように明日はやってくる。最高の明日が。
温かくて しあわせな気持ちさえ持っていれば。

人によっては ぐんぐんと前に進み どんどん仕事をして たくさんの人と知り合い 自分の世界を広げていく という方もいます。わたしはそういう自分は想像できません。わたしが思うわたしという人間は ちょっと違ってるのでしょう。でも やりたいことはあります。今年は諦めずに やってみようと思います。形あるものにできるように。

そうそう まずは自分を好きにならないとね♪

なんとも愛おしい

2013年01月30日 | ほんのすこし
ちょこんと のっかって
なんとなく いとおしい

ほんの数時間 そこにいることができるだけの
そんな存在
それが なんとも いとおしい

冷たいはずの空気が
そこだけ ほんのり ゆれているような
なんとも いとおしい

わたしだけに 見せてくれた
おまえの存在
しっかり うけとめて
わたしのココロは
ほら こんなにも ほっこりしているよ

※※※

今年は色々やることや 考えなくてはならないことが山積みで、人生の節目ともいえる年になりそうだ。新たな人生といっても 見た目は変わりないのだけど、精神的な部分はかなり違ってくる。昨年は自分以外のことで精いっぱいだったが、今年はまさしく自分に降りかかることが多くなりそうだ。
でも しっかり受け止めて 自分がこれから先 どのように生きていくのかを地に足をつけて考えていかなくてはならない。
目をつぶると まぶたの奥に 白くてほんのり赤い地平線が見える。空は暗いが 横に白いすじ雲が流れている。まだ 踏み込んだ足跡は見えない。これが これから歩いていく先なのか・・・



雪の中から 新芽をつけた枝が見え隠れしている。すでにここには春が来ているようだ。
雪に埋もれながらも 新しい命を次へとつなげて、自然の摂理が見るものに力を与えてくれている。
たとえ 曇天や荒れ模様でも 



こんな青空がいつもあるのだとわかっていたなら きっと今の空を嘆くことはないだろう。いつかはこんな青空を見ることができるとはっきりわかっているから。すべては今の自分のココロしだい・・・

※※※

今朝 映画を見た

2013年01月29日 | 紹介します
昨日の天気 あまり晴れていて 思わず空をパチリ。で 足元を見たら・・・水たまりが凍っていて周りに雪が。
Instagramのアプリを使わなくても この色に映っていました。
太陽の日差しが眩しいので 足元はこんなふうに映るのかな。

今朝 早く目が覚めたので 夜に見ようと思っていたレンタルDVDを見ました。
瞳は静かに』アルゼンチン映画です。
ストーリーは こちら。

映画初出演で主演というコンラッド・バレンスエラくん。
瞳は静かにという邦題がつけられているが 「アンドレスはシエスタなんてしたくない」というタイトルを変えている。それがぴったりくるくらい コンラッドくんの瞳が素晴らしい。演技が素晴らしい。
軍事政権下における生活。互いが互いを見張るような 隠しながら生きている様子を 少年の瞳が見つめている。少年には 大人の行動がなぜなのか 深くは理解できないだろうが、彼なりに傷つきながら 行動する。それがどんな結果になるのかまで わかっていたのか わからないでやったのか・・・
子どもの目線は ある意味 残酷でもある。彼はこれから先 何を思い どうしていくのだろう。彼がしたこと しなかったことの結果を彼がどう受け止めて生きていくのだろうかと ふと思った。
少年は少年のままで 普段と変わらないまま遊び 学校に行く。でも少年は 時間とともに変わっているのだ。見かけは 以前と変わらぬままでも。

少年の瞳は語る。前とは違うよ と。弱くない自分がそこにいて、これからどう生きていくのか わかっている少年がいる。

そんな気がした。

※※※
シエスタってお昼寝のことなんだけど、お国柄が出ているな。日本じゃ考えられないことだから。たっぷり1時間とか2時間とかとるんだろうね。
ちなみにわたしはお昼寝すると 後がだめ。だからお昼寝はほとんどしたことがない。夜にコタツでうたた寝はしょっちゅうだけどね(笑)
※※※

良いお天気♪

2013年01月28日 | ほんのすこし
午前中からお昼にかけて こんなにお天気になりました♪

今日は 何年も先延ばしにしていたことをやってきました。ちょっと手続きに手間取りましたが、それでもスッキリした気分です。なんとなく気になりながら 果たせなかったことがわたしには多すぎました。その中の一つを今日は ようやく書類を探し当て(なんとしまいこんでいたバッグの中にありました!)せっかく見つけたのだからと 行く決心を。

いつも後回しにしてきていること そういうことがいくつかあって、それは「今やらなくてもいつでもできるから」という考えが頭の中にあるから。それは 決して良いことではなく 先延ばしにしているにすぎない。手続きをして 後は 郵送してきた書類に回答をすればよいとのこと。なんだ もっと早くやっても良かったんじゃないの・・・面倒くさいという気持ちのなれの果て。いつでもできる は、そのうちできなくなる に変わってしまうかも。やれるときにやっておくべきだと今日はつくづく思っている。

それにしても 空の色が青くて綺麗。



冬の空と雪。
白と青。
う~ん 美味しい景色♪

さて。
冷蔵庫に貼っているアーラ・オシペンコ(現役バレリーナ 昨年三月の時点で79歳。旭化成の広告に採用されていた。)のまっすぐ伸びた背筋と美しい視線に軽い嫉妬(笑)を覚えながら、わたしも背筋ピンっとしなくちゃっ。
きっと数えきれないほどの時間 練習に練習を重ねてきたのだろう。無駄なところが一つもない年老いてもなお美しいその姿に引き込まれる。「老いを恐れない」というタイトルが ぴったりの人を選んだなあと思う。
彼女の張りつめた美しさは 見た目ではなく 彼女の内面が美しさを際立たせているのだろう。



わたしは なにができるのかな・・・



眩しすぎて

2013年01月28日 | ほんのすこし
今朝の太陽は なんて眩しいのでしょう。
カーテン越しでないと 眩しすぎます。
この冬空を 凍てつく空を 太陽がそこに昇るというだけで なんだか体に力がにじんでいくような そんな嬉しさを感じる朝です。

このごろ 目覚めがとても良いのです。睡眠時間はさほど変わっていませんが、眠る前に読んでいる本がよいのか すっきりして目が覚めるのです。
自分の生活を見直して 反省することだらけです。毎日 あれは止めよう これをしていたら時間がもったいないのに という無駄なことだらけのわたしです。その無駄だと思うことをどうしてすぐにやめることができないのでしょう。意思が弱いのでしょうね。そして「どうせ 無理だ」という最初から敵前逃亡を考えているところがあるのでしょう。でも 決心するということはほんの少しの思いからでも始めることに意味がある。そう思うことにして 少しずつ変えていこうと思います。

諦め。まだやりもしないうちから諦めているのはなぜでしょう。
自分に自信がない。人と比べてしまう。
でも なぜ人と比べなくてはならないのでしょう。自分と他の人はそもそも最初から違っているはず。自分がやりたいと思ったことをやらないのは 何か評価してもらいたいという思いがあるから 人と比べる行為が生まれるのでしょうね。自分のことを自分でほめてあげることができたら 変わってくるのかもしれない。

容姿に自信が持てない。そんなわたしに励ますような言葉がありました。
「自分の姿を良く見て どこか気に入っている部分を探しなさい。どこでもいいのです。必ずあります。そこから始まります」
顔とかスタイルばかりに目がいってしまいますが、全体を見てみると、わたしが自分のなかで好きなところ 確かにあります。でもいつもダメな部分にばかり目がいっていました。今度から温泉に行っても 気に入っているところをしっかり見て磨きをかけていこう(笑)と思います。この自分の体を与えてくれたことに感謝しながら。

だんだん太陽の光が和らいできました。カーテンごしの光がオレンジ色から白色に近くなっています。それでも南東の空は 一日の始まりにふさわしく輝きを失っていません。今日の天気がこのまま崩れないでほしいなと思います。
太陽によって生かされている。古代の人間はその思いがとても強かったのですね。現代のわたしにとってもそれは同じなのに どこかで忘れてしまって 自分が生きていることが ごく当たり前のことのように思っていました。でも違うんですね。
この太陽がなければ ここにわたしはいなかったんですね。そして 自然の恵みという地球だからこそあったその豊かさ それがなければ わたしは育たなかったんですね。そして そして 父と母 その二人がいたからこそ わたしはここにこうして生きていることができたのですね。父も母も ずっと昔からの命のつなぎの中で そしてわたしも さらに子どもたちも。
三恩。境野勝悟さんが講演会の中で話していました。人間はこの三つの恩を忘れてはならないと。
一つは 太陽。もう一つは 自然。さらにもう一つは 両親。この三つのものに対する恩を忘れずに生きるのが人間が人間として必要なことだと。
宗教とも違う なんていったらよいのか・・・人間のDNA 細胞の深くにあるもの 目覚めること 生かされているという思い 命のとてつもない大事さ そしてひとりひとりがこの三つに守られているという感覚 講演会のCDを聞いて ずっとその余韻が体に残っています。

太陽の光 眩しすぎるほどの光がこの世界を覆い 一日の始まりを告げます。
今日があって 良かったと 素直に思える自分がいます。

※※※

境野勝悟さんのCD 日本のこころの教育―境野勝悟人間力を高めるCD
視聴して 境野さんの話し方に興味を持って購入しました。

※※※

本物はありませんが

2013年01月27日 | ほんのすこし
わたしがガラス工芸が好きだということを知った方が 毎年暮れになると いただいたカレンダーの中から届けてくれるのが ガラス工芸の写真のカレンダー。
エミール・ガレやラリックなどの 工芸品がひと月に一枚の割あいで掲載されています。今年のカレンダーはガレ一色のようです。

冒頭の画像は ガレの1904年の作品。蜻蛉文脚付杯。説明書きにはこう書いています。
《ガレがほぼ全ての技術を用い 最も好んだモチーフである蜻蛉が死に逝く姿に 白血病に蝕まれる己の姿を投影した最晩年の代表作。》

実は 虫 苦手です。
あまり実物に忠実すぎると 正視するのに耐えられないときもあります。だから カレンダーで良かったなというのが本音でもあります。

わたしの誕生月の4月は何が採りいれられているでしょう?
「好かれるための気遣い」と名付けられていますが。1889年の作。
《ガレが「アンティーク・グリーン」と命名した青緑の四層ガラス。「Souci de Plaire」好かれるための気遣いの銘が深く彫刻されている。1889年パリ万国博覧会出品作。》




やはりここでも蜻蛉が出ています。それにしてもガレが名付けた青緑の世界。なんという色でしょうか。彼がこの花瓶に「好かれるための気遣い」という言葉を刻んだのはどうしてなのでしょう。この言葉の周りには 野菊のような花があり、大きなカエルがいて、文字の真ん中(文字上)をトンボ(蜻蛉)が飛んでいるのでしょう。カエルの手が伸びているところを見ると このカエルはまさに獲物を取ろうとしているのでしょうか。それともこの言葉を入れたというのは・・・
きっと美術関連の書とかを読めば この作品に関する詳しい説明が書かれているのでしょう。作品の意図するところとか。今のところ わたしは 本物をそばで見ているわけではなく限られた画像を見て感じているだけですが、いつか本物を見る機会があったらなぁと思っています。

このカレンダーは 名古屋にある美術館所蔵の作品を掲載しているようです。

2013年12月 最後にふさわしい作品は ジャンヌ・ダルク文花器 1889年作です。


《ガレが自らの重要な作品のテーマに フランスのヒロイン、ジャンヌ・ダルクを選んだのは 強い愛国心の表れであり「我々の求める平和とは敵の退散にあり」という詩が刻まれた一点制作品1889年パリ万国博覧会出品作。》
浮かび上がるジャンヌ・ダルクの表情が 決死の覚悟を感じさせてくれるような強さと激しさを含んでいるように思えます。彼女を中心に光が与えられるのも計算されつくしているのかなと思われます。

それにしても・・・1889年ですよ。今から120年以上も前に 素晴らしい技術がこの世にあったんですね。

見るのは好きです。ガレの作品を見るのは。でも 手元に欲しいかというと そうでもありません。
だって わたし 虫が苦手なんです(笑)
ガレの作品は 虫が多く 見るだけなら最高なんです。でも毎日眺めて暮らすのは 無理ですね。まぁその前に買えるなんてこと 絶対ありませんから(笑)
だから このカレンダーはわたしにとって 一番良い形の楽しみ方なんです♪


目移りしちゃいます

2013年01月27日 | 紹介します
どうも本を購入するときというのは 重なってしまう。
アマゾンでこれはと思ったものをクリックした後で TSUTAYAに行って またもや別の本を買ってしまったり。そして本を読みたくなるサイクルがわたしにはあるみたいだ。ここ最近 とみにその傾向が激しくなっていて、今や予約録画したドラマや映画を見るのか?レンタルDVDを見るのか?本を読むのか?と 夜の時間を悩みつつ、なんてこたない コタツでうたた寝して 貴重な2時間ほどを費やしてしまっている。
今日も今日とて そんなパターンで、うたた寝してしまったときは夜中に目がらんらんと輝いてしまってる(笑)
しかも 昨日から降りだした雪が半端じゃなく 外では除雪車がさかんに雪寄せ作業をしていて すごい音だ。この音を聞いてしまうといざ寝よう!と思っても しばらくは寝れなくなってしまう。だから ほんとのところ早めに寝てしまうほうが勝ちなのだけど・・・寝てしまえば除雪の音なんて気にならないからねー。

まぁ 今夜もこれから何時間か起きていることになるだろう。

最近 読んでいる本、これから読もうと思っている本。いろいろあって。ただいま 友人に貸している本もあるのだけど。今 上巻を読み終えたのは『海賊とよばれた男』 戦争が入ってくるとなんとなく手が伸びなかったけど、この本は違った。主人公の人間としての魅力にぐいぐい引き込まれる。男も女もこういう芯の通った生き方をしている人がいるんだなぁと感嘆する。実在の人物だというからそのすごさ 計り知れないものがある。
特に好きな描写が 融資を受けられず苦境に立たされる主人公が 二十三銀行の長野頭取のお宅に会いに行く場面。頭取と主人公は 頭取の素晴らしい庭を前にして互いに挨拶をしあい 互いを見つめあう。
※※※
 「国岡さん」と長野は穏やかな声で言った。「大丈夫ですか」
 「大丈夫です」
 鐡造が答えると、長野は黙って大きく頷いた。
 それからあとは二人とも無言だった。長野と鐡造は縁側に立って、何も言わずに庭を眺めていた。この瞬間、国岡商店が絶体絶命の危機を乗り越えたのを知った林は、不思議な感動を覚えた。
 林は後年、このときの光景を、まるで禅問答のようであった、と人に語った。
※※※

すごい人間は すごい人間がわかるのだろう。そういう人と人の出会いが随所にあって 本当に引き込まれる。下巻も楽しみだ。
すでに読み終えた『55歳からのハローライフ』村上龍 は 友人に貸した。この本もまた良かった。新聞小説だったらしいが 私が購読している新聞には掲載されていなかったように思う。だからかとても新鮮に感じた。5つの話が入っているのだが、それぞれに 飲み物 が、重要なアイテムになっている。紅茶のアールグレイだったり、ミネラルウォーターだったり、珈琲だったり、番茶 プーアール茶だったり・・・それぞれの主人公にお気に入りの飲み物があるのだ。内容は飲み物ではないが、全然違う立場の人々がその年齢になり 直面するできごと 人ごとでない感覚があるけど、どれも読後に「よし わたしも」という少し前向きになっている気持ちがある。まだまだ諦めないぞ。人生はこれからだ。そんな気持ちが湧いてくる。

本は いいなあ。
文庫本は あまり買わない。文字が小さいと読みづらくなってきたからだ。でも最近の書籍代が多すぎて、ここいらでセーブしないといけないから 最後に買ったのは文庫本三冊(笑)
それにしても TSUTAYAに行って本を物色しても「映画化」という文字が躍っているなぁ。どれもこれも。そういう文庫本ばかり並んでいるので 辟易する。映画になればいいってもんでもないと思うんだけど。しかも映画化されるとほんの帯とかに出演者が映っていたりする。読む前にそういう余計なものを頭にインプットされるのはあまり好きじゃない。
読みながら 主人公とか出てくる人物を想像する楽しみが半減するように思うのは わたしが偏屈だからかな?
この三冊の文庫本も映画化されると帯に書かれていた。わたしの場合 本を読んでも映画化されたものを見ることはあまりない気がする。友人が映画化されたもので これはいいよ と言っていたものもまだ見ていない。先に原作を読んでしまうからか期待はずれのものが多かったからだ。わたしの場合は 案外 原作を読まずに見たほうがいいのかもしれない。

さて、下巻を読みつつ 文庫本は ど・れ・に・し・よ・う・か・な♪

だから録画したものを見る時間がない・・・母に「お前はせっせと録画していても どうせ見ないで終わるんだろ」と言われても 否定できない今日このごろのわたしだ。

健忘症か

2013年01月26日 | ほんのすこし
しまいこんだ物の所在がわからず 困り果ててしまったり。捨ててしまったのか?と思いこみ 再発行をお願いしたり。春先には しっかり変更手続きをしようと揃えておいた書類をどこにしまったのかが思いだせずにいたり(今 それを探しているのだけど 全然思い浮かばず・・・)

そのときにやっておかないで 後回しにしたツケがこういう結果になってしまう。
そういうことが 今年に入ってからかなり多い。毎日 何かしら探し物をしている始末。一体どうしちゃったんだろう。

今年は初めから風邪でどうなることやら・・・って思ったのだけど、本当はもっと大変なことが待ち受けているのかもしれないなぁ。そう思い始めたこの頃だ。
まぁ 決定的なことは 一つあるのだけどね。もう決まっていることだから、驚かなかったけど。いざとなると ココロの中は複雑なもので(笑)

物忘れがひどいというより、物の管理がきちんとできていないってことなのだろうね。一か所にまとめて置けばよいものを あれはこっちに こういうのはここに・・・って その時々の気分で置く場所を変えているのか?でも結構同じ場所に置いていた気もするのだけど。だから探すときは そこにあって当然という気持ちで そこを開けるのだけど、思いこんだそこに あるべきはずのものが無いから ショックが大きい。
あぁ わたし 一体どうしちゃったの?って。それがこのところ立て続けに起きていて。頭がもやがかった感じで思いだせない。ちっとも浮かんでこない。

先日は 会社に提出する証明書が見つからなくて 数日 部屋を探しまわった。しまいこんだと思っていた場所になくて これは正月明けのゴミ捨て袋に入れて間違って処分してしまったのか?と思ってしまった。そこでなんとか相手方にお願いして再発行をしていただく羽目に。書類が届いて 他の提出書類と共に入れる封筒を探しに 文房具用のケース棚を引っ張ったら・・・そこに見かけない袋が。
なんだっけ?
開けてみたら なんと なくしたと思っていた提出する証明書。が~ん。再発行してもらった途端に 本物が。
しかも なんでここに?という気持ち。今まで入れておいたことのない場所にあったのだ。普段は ほとんど開けないその引きだし。なんで ここにしまいこんだか 自分でもいまだに謎なのだ。

そんなこととか・・・取り上げればきりがないほど 思いだせなくて困り果ててしまうことに直面している。
今年は そんな年なのか?いやいや これは しっかりしろよ というメッセージなのかもしれない。
大事な物の保管場所を吟味する。忘れないようにする。やらなくてはならないことを先延ばしにしない。これを守っていくことが 今年 わたしに課せられたものなのだろう・・・
(今年だけじゃなくて 常にってことだよねー)

雪の表情

2013年01月25日 | ほんのすこし
雪の表情



最近 写した雪の色々をInstagramを使って 加工してみました。
車のフロントガラスについた霜や 外の雪もアプリでこんな風に色々な表情を見せてくれます。とても楽しいアプリです。

今日は昨日とは打って変って まるまる冬って感じになりました。朝からどっと雪が降っています。空の色もどんよりとグレーです。

これから外出。ちょっと出ていくのが億劫になるほどの雪。時間が迫っているので 重いお尻を上げなくては!

残念です

2013年01月24日 | ほんのすこし
ここでも 何度か紹介してきた高齢の詩人 柴田トヨさんが この20日に101歳で亡くなられました。
柴田さんは 90歳になってから詩作に取り組み その何気ない自然なことばの数々にほっこりさせていただいたり、きゅんとさせていただいたりと わたしが眠りに入る前に聞き入った詩には安らぎを与えてくれるものばかりでした。

『くじけないで』も『百歳』も手元にありますが、これからますます詩作に励んで 新しいことばの世界を見せてくれるものとばかり思っていました。
ほんとに可愛らしい方です。写真を見ては こんなふうに可愛くなっていきたいなと思ってみておりました。

ほんとうに残念です。

これからもトヨさんの詩集を読み返しながら 自分を振り返っていきたいと思っています。

※※※

昨日は ワンディシェフの店の越前屋シェフのボランティアをしてきました。月に一回の越前屋さん、本当に楽しみなんです。今回は 初春和定食。残念なのは ぱちりと写す時間がなかったことです。豪華なランチに皆さん感激して帰られました。わたしと母にもお弁当を持たせてくださったので、夜にごちそうになりました。
どれも一つ一つ丁寧に作られていて 味もとても良く、「これ 全部食べられないよ」と思いながら 食べていたのですが、だんだん止められなくなって とうとう最後まで食べてしまいました!
おかげで 今朝は体重がグレードアップ(笑)
美味しいものを食べるときは 覚悟が必要なのですねぇ・・・

※※※

母を連れて 例の温泉に。いつもよりほんの15分ほど早めに出かけました。15分か20分の違いでも いつも会えないでいる方の顔を見ることができました。玄関先でしたが 久しぶりに元気そうな顔を見て なんだか安心している自分がいました。
ゆっくり温かさを満喫して 脱衣所に行くと、以前 何度かお話した方とご一緒でした。その方は 横浜から旦那様の故郷に年を取ってから住むことにしたとの話でしたが、最初にお話ししたときは 雪が心配で・・・と話していました。今年で二年目、一体どうしているかしらと聞いてみました。今は近くの温泉に通っていて 今日は買い物に出たので たまたまここに来たのよと。寒さのためか 住みついたときからリュウマチが出て あちこち痛みが移動しているとのことでした。
雪には慣れましたか?と言うと 全然慣れないけど、毎日ふたりで晩酌ができるもの きっといいんでしょうね(ここに住むのが)と笑っていました。

最初に雪が心配だと不安げな様子だったのが、二年目は少し雪国の生活に慣れたような雰囲気でした。その土地に慣れるというのは 辛抱も必要で、自分の体が慣れるまでには時間がかかるということなのでしょうね。
わたしもここから別の土地に移り住むなんてことがあったら きっと慣れるまでに時間がかかるのだろうなとその方を見ながら思っていました。
いまや終の棲家と決め 旦那様と老後を過ごそうと決心して ここを選んでくれた、そういう方とお話することができた、10年前のわたしには自分から知らない方に声をかけるなんてことできなかったけど、今のわたしはできている。これもわたしの変化なのでしょう。母は これは良い変化だと言います。わたしもそういう点では変わったなぁと思っています。

そして いつもピリピリしていたココロの中が ここ数年はなんだか穏やかになっているなと感じています。一抹の不安や 先への不安はときどき頭をかすめますが 基本的には毎朝リセットして 新しい自分になった気分を味わえる。それが今のわたしを作っているなと思えます。
時間というものは素晴らしい。どんなに辛苦をなめても どんなにあがいても いつかは・・・変われるもので、それがすぐなのか 長い時間を経てなのかはわからないけど 生きてさえいれば 変われる。その気持ちがわたしを支えているなぁとつくづく思うこのごろです。

夕べはコタツで寝込んでしまい とんでもない時間に目がさめ 録画を3時半まで見てからまた寝るということに。今日はこの変な時間を修正しておかなければ。
読書する時間も確保しなくては♪

天声人語の書き写し 毎日やってます。書いているとだんだん字が丁寧になっていくのがわかります。いかに自分が字を書かなくなっていたか 痛感しています。継続していこうと思います。

※※※

画像は アクリル画の一部をInstagramで加工したものです。