心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ハロー

2016年06月30日 | 朝のことば&つぶやき
ウォーキングに精を出しているこの頃。
昨日、なんとなく胸を張って歩いていなくて、どちらかというとシュンとした感じで歩いていたとき。
通りかかった車庫の屋根から突然、
カァー、カァ-
と大きな鳴き声がした。

すぐ近くで鳴かれたので、ココロの準備ができていなかったわたしは、とっさに

ハロー! 

とマスク越しに大きな声で答えてしまった。

言った後、カラスは黙ってしまった。

通りながら、あれってカラスの挨拶だった?
それに応えたつもりのわたしだった。

それにしてもカラスには、ハロー! で、すれ違う散歩中の人には「おはようございます♪」
なんでカラスにハロー! だったんだろ?

すっかり色づいていました

2016年06月30日 | ほんのすこし
地蔵様の紫陽花がすっかり色づいていました。
時の流れを感じる瞬間です。
黙っていても時は過ぎていくし、毎日通りかかっても気づかなければ成長を感じなかったことも沢山あります。
人は自分が気になることや見ていることだけに注意がいくといいます。ほんとは目の前にそれもあったのに、気づいていない、見えていない、そういうこと。
わたしにもそんなことがこれまで沢山、沢山あったんだなあと痛感します。
でもね、見ている全てを受け入れて見ていたら、きっとパンクしてしまったかも。
あまりにも情報が多すぎて、狭いこの頭には多すぎる・・・いや、村上博士は人の脳はまだまだ未開拓部分が多いと書いていたから、眠ってる脳部分がわたしにもあるのかもしれない。それを有効的に使いこなしていないってことなんだろうね。

今朝は5時ちょっと前に出て歩き始めましたが、朝日が雲の隙間を抜け出して鋭い光を時折覗かせていました。その眩しさに前を見て歩くことができず、下を見て歩くのがしばらく続きました。ただただ下を向いてだけ歩く、周りを見るゆとりのない歩きが続きました。
あの光を浴びたら、もう無理。目を開けていられないぐらいでした。
でも幸いにも雲が覆ってくれたので、かろうじて途中から空を見上げて歩いたりできました。こうなると曇り空もまたいいもんだなと勝手なことを思いました。



いつも通る道、地蔵様の前の紫陽花が今を見頃にと咲いています。その道の反対側の紫陽花はもっと色鮮やかで、日の当たり方が影響しているのかなぁとか思って通り過ぎました。



小学校のグランドにある木の根元。この学校には古木が数本玄関前にもあって、春になると見事な桜を見せてくれます。
花もいいのですが、わたしはこうして幹が太い木の様子を見るのが好きです。
年月を経て成長し太く伸びていった木。人間の手の届かない高い所へと伸びていく木。自然の強さを思います。



朝の空。戻ってきたときの空は見ていて飽きない。



今日も一日が始まる。
大事に過ごそう・・・

※※※

早く戻ってきたので、今朝は録画していた「ザ・プレミアム 鈴木亮平”世界ミステリー遺産”に挑む! ~カリブ海縦断~」を見ました。素晴らしい景色と鈴木亮平さんの人となりが見えて最高にいいドキュメンタリーでした♪

※※※

母の買い物につきあいました

2016年06月29日 | 母のこと
久しぶりに汗をかくほどの暑さだった。
約束していたので、母をショッピングセンターに連れて行った。最近、不在者投票がショッピングセンターでも出来るようになったので、母も行きやすくなったと喜んでいる。車いすで二階まで行くと、静かな場所にあった。係の方がバトンタッチして母の車いすを押していってくれた。
無事に投票を済ませ、後はしばらくぶりのショッピングを楽しんだ。

ずっと買い物はわたしに任せっきりで、買いたいものも見ることができずに家の中にばかりいた母。
平日なので二階は買い物客も少なく、車いすも邪魔にならない程度だったので良かった。車いすが通りやすい広い通路だったので助かった。押してみるとあちこち不便なところもあったりするので、商品陳列棚と棚の間が広いと動きやすい。今日はすんなり押していくことが出来たのでホッとした。
七分袖の下着は病院に行くとき用・これまた病院に行くときのための穿きやすい口が柔らかくて広い靴下・長袖のパジャマ(夏用)マジックテープで脱ぎ着が楽なもの二枚、それぞれ順調に見つけて購入した。

後は少し長い半袖のカットソーがほしいらしく、探すけどなかなか意にかなうものが見つからない。なにしろ肩はMサイズでいいのだけどお腹周りが極端に大きいので裾が広がっているデザインでないと入らないのだ。しかも脱ぎ着がしやすい素材で、襟ぐりがあまり空いていないもの、それが基本。柄や色にもこだわりがあって、なかなか試着するまでいかず。
でもテナントで入っているお店に行くと、結構いいなと思うものがあったらしく、目の輝きが違っていた(笑)。
そこでいくつか試着し、最終的に二着決めた。

今日は満足しただろう。案外思っていたよりも気に入ったものと出会ったようだ。
パジャマはピンク系のと青系のと交互に使うらしい。ピンク系の柄が気に入ったようで、レジで待つ間、係の人に
「若すぎると思ったけどねぇ、柄が気に入ってねぇ」と照れたような顔で言った。すかさず
「いい柄ですよね。若いのを着たほうが気持ちも若くなっていいですよ」と言われ、安心した顔になっていた。

そういえばカットソーも小さなピンクが入った柄だった。だんだんピンクとか赤とか明るい色を手にするようになってきたなと思って見ている。
「80年寄りがこんな派手な色を着なくても・・・」と最初は言っていたけど、最近は手にするのは明るい色だ。しかも案外似合ってる。
年を取っているからといって暗い色を着なくても、明るい色を着たほうがいいと思う。お年寄りが明るい色を着こなしているのを見るとなんだか可愛く見えるから、母もそうであってほしいな。

そういえばわたしの若い頃は紺色か黒が多かった。無難な黒を手にすることが多かった気がする。赤やピンクなんて着ようと思わなかったし、似合うと思ってもみなかった。それがだんだん年を経るにつれて明るい色も手にするようになってきた。不思議なものだ。

家に戻り、早速値札をはずし品定めを。
今日の収穫に大満足の母。
今度は秋に買いに行こう! と話していた。
それにしてもどの品も病院に行くときのために、って。他に行くところがないんだよね。まぁ、それでも母にとっておしゃれして行く場所があればいいのかな。



習慣になってきたかもね

2016年06月29日 | ほんのすこし
このところの習慣というのは恐ろしいもので、朝も早くから目が覚めて眠っていることができない。
今朝も3時半頃からベッドで「まだ早い、まだ早い」と。二度寝が出来たらスッキリするのかもしれないが、どうも二度寝スッキリのパターンに入り込めなくなってしまった。昨日の歩きで最後にコケてしまったが、右手の指に違和感と左膝に痛み、右脇に軽い痛みが残った。
一体どういう体勢で転んだのかと思うぐらいあちこちに残像が残ってしまったなあ。
まあ、見かけはほとんどわからないけど、痛みというものが「コケた」ことを現実のものとして反芻させる。

さて、これからどうしようか。
また歩くにしても今日はあまり遠出しないでおこうと思う。今日の外は靄がかっている。日中は晴れるかもしれない。
暑くも無く歩きやすい時間になりそうな予感がする。

それにしても朝のウォーキングが習慣になればいいなと思う。今のわたしにはこれが唯一運動らしきものだからだ。部屋の中で運動する方がいいんじゃないのか? と母に前から言われているのだが、飽きてきてしまう。
ウォーキングのいいところは、同じコースでも毎日その道すがらの表情が変わること。そしてなにより歩きながらあれこれ考えを巡らすことができるということだ。
最近は今まとめようとしている文章について考えながら歩くことが多くなった。思いついたことを忘れないようにし、戻ってきてから修正する。
一体何度修正してきたことだろう。去年から書き始めたものなのだが、最初より半分の量に減った。不必要な部分がかなりあるということだ。
文章を書く最初は、わたしの場合かなり散漫で、流れのままに書き進めているような気がする。後で読み返すとダラダラとした印象が強い。その必要な部分だけを残すという作業は簡単なようでいて案外わたしにとっては難しい気がする。
どれを削るか、その課題に悩む。
時にはずっと放っておいて。
時には四六時中頭から離れないで。
そんな流れの中で、浮いたり沈んだりしながら「書きたかったもの」へと近づいていく(いや、近づいているのかどうかわからないが)。

今のところ、ウォーキングがその一助を担っていることは確かなようだ。
これから暑い夏がやってくる。いつまでウォーキングを続けることができるかわからないが、自分にとって良い習慣は大事にしていきたい。
でももう少し睡眠時間を確保しなくちゃね♪

まぶしい季節

2016年06月28日 | 朝のことば&つぶやき
ほんのわずかな世界だけど
ぐるりと駆けていこう 風に乗って

ぼくが住んでるこの町が
たとえ小さな小さな町だったとしても
生きてるぼくは この世でたったひとり
ぼく、という人間

ちょっと胸を反らして
風に乗っていこう
風は遠い世界からの匂いを運んでくれるだろう
ぼくはその匂いを背中に背負って
この町のあちらこちらにまき散らしていくんだ

淀んだ空気が遠くの世界の風と混じり合った瞬間
まったく考えもしなかった化学反応を起こすんだ
いわばぼくは
その火付け役ってわけさ

ぐるりと 駆け抜けていったぼくに
季節が新しい花の命を授けてくれるから
ぼくはこの季節が好きなんだ

まだ真夏とは呼べないけど
緑が一番輝いて見える
白いブラウスの袖からまぶしい腕が見える
少女たちが漕ぐ自転車のスカートの裾が風を切る
すべてが ぼくには眩しい

橋の上から

2016年06月28日 | 朝のことば&つぶやき
ふと見てみた。
向こうにあるのはゲートボールの敷地だ。
土日ともなれば元気な昔の若者が集まって対抗戦をしている(はずだ)。前はそうだった。だが今は見ることがなかったので現状はどうなのかわからない。
昔の若者、お年寄りは案外元気だなと思って見てしまう。
でもそれは一部の人なんだよね。我が母のように家の中だけで一日を暮らす人もたくさんいるに違いない。
あちこち飛び歩くような人もいるだろうけど。
年を取ってから自分がどんな暮らしをするかって、そのときになってからじゃ遅いのかもしれないね。でも若い頃はそんなことに考えは全然向かなかった。
そしてそんなときが自分にも必ずやってくるんだってこと、考えることなかった。
そりゃいつかは来るよ。
でもまだまだ先だよ、って思ってた。

なんだ、もう来ちゃったよ(笑)
ほら、目の前に。

慌てて人生設計なんて言葉を思い浮かべたりしたこともあるけど、今は一日一日が無難に過ぎていってくれるのが嬉しい。
毎日弱くなっていく母と、ココロがくじけそうになるわたしと。
それでもこうして生きてさえいれば、笑って生きてさえいれば、しあわせってものが向こうからやってきているんだと思う。
そう、生きてさえいれば。

※※※


橋の真ん中を静かに川が流れる。動いているように見えないほど静かだ。



ゲートボール敷地の対岸は散歩道が続く。

早い時間なのか誰も歩いていなかった。

※※※


朝に

2016年06月27日 | ほんのすこし
歩いていると、普段自分が考えもしないことと出会うことがある。
それは探していて見つかった!というものからちょっと遠いものでもあるけど。
偶然が導き出したものというか。でもそれって案外、日頃自分が探していたものでもあるのかもしれないと思ってしまったり。

テレビの画面が新しいものへと変わる、その勢いに感動を与えているのだろうけど。
わたしにはそのどれも何か嘘くさく感じられてしまう。なんだろうね、この感覚は。
なんか嘘くさいって、映画とかテレビの世界だよねって、現実とは離れているよねって思っていたけど。
なんだか、自分をそっちのけにしたまま、時代が動いている気がする。
なんだかなあ・・・

※※※

いつも以上に歩くと疲れが出る。今日は確実にそうだった。歩いた後がぐだぐだでは、本末転倒なり。
反省しきりの一日になった。
明日はしっかり自分に厳しく・・・ だね。

※※※


歩きながら

2016年06月27日 | ほんのすこし
歩くってすごいなと思う。
普段、部屋にいるときには考えもしなかったことが色々と歩いていると浮き出てくる。
とりとめないことの連発に、う~ん、これを書き留めておけばよかった? と思う事もあるけど、戻ってきたときには忘れている(笑)。

今朝もまた同じように歩き疲れてしまった。ずっと見てきた紫陽花は徐々にその色を出し始めている。



それにしてもずいぶん時間かかかるものだと、有る意味感心しきりだ。

今日は歩きながら、別の観点でパチリ。



こういう美しさ、私だけかもしれないけど好き。





紫陽花が色づいている。


地蔵様の紫陽花もね。

先のお気に入りの場所に合ったシャッター。


たぶん、近くの小学校の生徒が作成したものだと思うのだけど。なんだか可愛くてパチリ。

で、今日はいつもより長く歩いたら疲れちゃって、なんだかねって感じ。
なにごともほどほどが肝心かもしれないね♪


目覚めが遅い街

2016年06月26日 | ほんのすこし
今朝はどんよりとした空、雲で全体が覆われていて今にも雨が降り出しそうな空だった。
それでも雨が降っていないことを確認し、外に出た。雨続きで歩いていなかったので体が重く感じる。昨日から街は強い風に吹き荒れている。今朝も時折その余韻を味わわせてくれた。被っていた帽子が吹き飛ばされそうなことが何度かあった。
帽子を押さえながら前に進むと、いつものコースの半分を過ぎたところで雨が降り出した。もっと先に行くか戻るか、少し考え雨脚の強さに負けて戻ることにした。途中コースを変更し、戻りに入った。歩いていると雨がやんできた。もう戻っているので、コースを変えていつも通らない道を歩くことにした。

いつもはこの通りを歩かない。



ここは繁華街。
朝の目覚めは遅い。
夜の疲れが残っているように思える佇まいだ。

若い頃はここもずっと人通りが多かったと聞いているが、今はその頃の賑わいもどこかへ行ってしまったかのようだ。誰がつけたか国際通りと。どこの町にもあるようなネーミングだね。
天気が天気なのか、今朝はたったひとりのおばさんとだけしか遭遇しなかった。
それとも日曜日は皆、惰眠をむさぼっているのだろうか。

夜に目覚め朝に眠る、そんな街、地方の田舎の小さな町にもそんな場所があるようだ。



初夏の花が咲き始めている。
そういえば国際通りにはこんな花はひとつもなかったような気がする。
紫陽花同様、梅雨に見かける花、タチアオイ。
花言葉:大きな志、大望、野心、気高く威厳に満ちた美、高貴
誕生花:6月23日
学名:Althaea rosea
英名:hollyhock
和名:タチアオイ(立葵)
お花の写真集 参照

線路脇

2016年06月25日 | 朝のことば&つぶやき
誰が植えたのか 線路脇の斜面で咲いている
周りの雑草もきれいに取り払われ 安心した顔で咲いている

一体だれが植えて見守っているのかしらね

自分の庭でもないけど
通るたびに見てしまう
今日はどんな風に咲いているかと

きっと見守っている方は
わたしよりずっと優しい気持ちで毎日過ごしているのだろう

あなたたち 良かったね
そんな人のそばで生まれて

植えただけで放っておいても伸びていくものもあるけど
雑草じゃないから
見守ることも必要なの

人間はもっとそうなのね
不要なことはしないで
見守ること
見守られていると知ることで
まっすぐ伸びていくのよ きっと