心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

涼しい・・・

2016年08月28日 | ほんのすこし
あんなに暑かった日々が信じられないほどの涼しい朝を迎えています。
日中にはどうなるのかわかりませんが、少なくとも今の時間は部屋の中は涼しさでいっぱいです。半そでの二の腕が少し冷たく感じるのが不思議な気分です。

昨日から朝の涼しさが戻ってきました。
あんなに蒸し暑くて苦しかった日々が、あっという間にすり替わってしまった、という感じです。相変わらず日中の車の中はすこぶる暑くて大変ですが。
涼しいから気持ちいいのか、いつもは朝早く起き出す二人もまだ起きてきません。
少し朝ごはんの準備をしたので、後は起きてからにしようかなと思っているところです。

季節の移り変わりがあるということは、脳への刺激もあるということでしょうね。
五感に変化が現れ、その変化に驚きを覚えることで自分の中の変化を知るというか。
つくづく四季のある生活で良かったなと思います。時の流れを単調なものとして受け止めないで、新鮮なものとして受け止めることができるからです。

住む場所や、いる場所はずっと変わらなくても、日々の変化は毎日あって、ひとつも同じ日などない。ついつい「あぁ、また同じ繰り返しを過ごしてしまった」と思ってしまうのですが、実は同じ日などあり得ない。どこか違うものや違うことがあって、それが「わたしの人生の在る一日」だったのだと。

さあ、今日もその「人生の在る一日」が始まる。
今日の日は一体なにがあるのだろう。

※※※

この夏、大文字踊りの日に、よさこい踊りもあって迫力と前列で踊る女の子の演技に孫もわたしも釘づけ。ニコニコしながら踊るというのは見ているほうも気持ちいいのだと再発見。ゴスペルもきっとそうなのだろう。歌う方が楽しく気持ちよく歌っていると聴いている方にもその喜びを感じてもらえるのだろうと思う。
ゴスペル披露、9月の定禅寺ジャズフェスティバル、昨年に続き二回目。みんな楽しんでほしいなあ。この次はわたしもまた参加したいなあ・・・

※※※
コメント (4)

眠くて眠くて

2016年08月27日 | ほんのすこし
今日はなんだか朝からあくびが出て。
眠くて眠くて。
だから、昨日予約した美容院でもあくび連発。眠気が襲っていい気持ち(笑)。

一体どうしちゃったのよ、っていうほどの眠さ。
しかも夜ごはん食べたあとも、かなりの眠さ。パソコンの前でこっくりこっくり。
こりゃいかん!
せっかく美容院に行って髪もばっちりにしたので、今日はシャンプーなしでお風呂に入る。
シャキーン!

今はすっかり目が覚めた。
なんだったんだろ。今日一日は。
眠気との戦いだったのか?
まあ、言えるのはお昼ごはんも夜ごはんもしっかりと食べ過ぎたってことでしょうね。
食べ過ぎによる眠気。
そこにはロマンも何もありゃしない(笑)。

それにしても眠気というのは、本人の知らぬところからやってくる。
まさかこのくらいの食事で眠気に襲われるなんて・・・ 
これって満腹感の表れ? そう思えても不思議じゃないほど今日はたくさん食べすぎた。しかも手をかけることのない食事が多かった。
自分で手をかけることが少ないとこうなるのか? 
満腹感が生み出す満足感、その中に漂うわたし。

満足感というのは、どこに転がっているかわからないものだ。
コメント (4)

春が来たよ

2016年08月27日 | 朝のことば&つぶやき
昨日の朝。
起きてきた孫がカーテンを開けて娘に
「春が来たよ」
って言ったらしい。
そういえば、車に乗っているときも「春が来たよ」という言葉を聞いた気がする。

娘が
「いつもより曇っている日に春が来たって、どういうこと?」と笑っていた。

寝て起きて、なんとなく「春が来た」と言う言葉を使ってみたかったのか。
でも、カーテンを開けたときに、雨が降っていたらそれでも「春が来たよ」って言ったのか、謎だ。

孫のために、どんよりでも雨でなかったのが救いの朝だった。

何か新しいもの、新しい気分が「春が来た」という言葉につながったのだろうか。
だとすれば、どんな天気であっても、自分の中に新しいものが生まれてさえいれば、もうそこは「春が来た」と言えるのだろう。
毎日が「春が来たよ」と言える日であるよう、明るいココロでありたいものだ。
コメント (4)

困った・・・

2016年08月26日 | ほんのすこし
あることを確認したくて、以前のメール履歴を調べていた。
するとぽっかりとその人とのメールのやりとりが消えていたのだ。ほんの一カ月の間の部分が。
自分でどのフォルダに保存したのかさっぱり思いだせないが、ちょうど新しいパソコンを購入した辺りかその前ぐらいのときのやりとりだ。

でも一通も無いというのは変じゃないだろうか。
まるで狐にばかされたような気分でいる。

そんなにやりとり自体の回数は多くは無かったが、今、あることで確認をとりたかったのだ。
う~ん、困った困った。

こういう不思議なことが起きると、かなり気になって眠れなくなってしまう。
相手の方が何か不愉快なことがあって削除した?
いや削除してもこっちのパソコンには残るでしょ。
う~ん、ちっともわからない。

あぁ、今夜は眠れそうもないわ。

・・・ といいつつ、しっかり寝る算段をしているわたしですが(笑)。

明日は晴れてくれるといいな。雨だと部屋にこもるしかないので、三人三様にストレスがたまるのですよ。

それにしてもメールよ、どこ行ったあ?

コメント

今日出会ったことば

2016年08月26日 | 朝のことば&つぶやき
今日、目にとまった記事。

武井壮「遅咲きブレイクできた理由」に称賛の嵐!

「仕事も無くてトレーニング以外ゴロゴロしてた時期は“オレにだってチャンスが来ればやれるのに。”なんて人生が何も動かなかった。。ゴロゴロすんのを止めて街に出て人に会いに行って話を聞いて、勉強して毎日誰より成長しようと動いたらゴロゴロチャンスがやってきた、まずは自分からだ、常にな。。」
とツィッターでつぶやいたのだそうだ。
わたしはツィッターをしていないのでわからなかったけど、ニュースで知った。
以前から彼のことは気になっていたので、ついどんな話なのかと興味を持ったのだ。
前に彼が少林寺の鍛錬のために三日間という短い間ではあったけど、中国に行って修業するという番組があった。そのときの彼の真剣な思いにこの人は真面目な方なんだなと感じた。それ以来ますます彼のことは気になっている。

その彼の言葉だった。
経験に基づく地に足のついた言葉だ。
変わるためにはまず自分から行動していかなければ何も起きない。考えるだけで行動に移さないわたしには耳の痛い話。でもどこかでわかってはいるのだ。これまで自分から行動に移していったとき、変化が訪れた。それは小さいことだったり、思いがけないことだったりしたけど、その都度自分なりにやってきたけど、どこかでひ弱になっている自分がいて、さらにどうせ自分なんかやってもダメだろう、なんて思ってしまう部分が大きかった。

誰もやっていないことをやるからやってみなくちゃわからない。そう思って飛び込んだ彼の潔さ。
簡単なことなら誰もやるし、みんなやってるからそこから抜け出すことは容易ではない。彼の特別はやはり他の皆と違う特別なんだなと思う。日々の鍛錬のすごさもあっただろうし。でもそれだけではなく、精神的なもの、人生を納得いくように変えようとする意欲があったということだと思う。

何かを成す前からすでに諦めているような、そんなところが最近は多かった。
ここらで一発、自分に活を入れなくては!
「自分から」動く。
よし!!

※※※

朝日も夕焼けも、わたしを励ますには十分な存在だ。
(アクリル画)

※※※
コメント (2)

言葉の印象

2016年08月26日 | ほんのすこし
今日、わたしが登録しているメールマガジンが届きました。その中で、読者からのメールに答えている部分がありました。
読者は「後期高齢者」にとうとうなってしまったというちょっと残念な気分を書いていましたが、それに対して
「75歳からを「後期高齢者」と呼ぶなんてひどい差別ですね。(笑)「前期高齢者」もどうかと思います。
せめて気分は「後期青年者」か「前期革命者」ぐらいでいきましょう。」
という答えが書かれていました。

第一線で働いている読者の方への応答です。

後期青年者、者という文字が青年とだぶる感じで気になりますが、青年という言葉の若々しい雰囲気が人生発展途上だということを匂わせてくれるように思います。
前期革命者、革命とはまた急に大きくでたなあと思いましたが、こんなネーミングを考えつく人はいなかったのではないかと思います。

行政が決めた言葉を自分なりにすり替えて考えてみるのもまた面白いものがあるということに気づかされました。
この後期高齢者という言葉が出始めた頃には、色々な非難の声もあったようですが、今は定着してしまいました。初めに後期青年という言葉が生まれていたら、年をとるのもまた良しとする雰囲気もあったのかな。
お固い行政でちょっとした遊び心が加わっていたら、世の中も案外楽しい雰囲気になる気がします。
でも行政の真っただ中で仕事されている方にとっては、そんなこともってのほか! でしょうねぇ。

言葉の印象といえば。
孫はただいまおしゃべり上手になっていて、大人が話したり、DVDで見たりした言葉をいつのまに覚えたの? というほどそのシーンで、ひょいと使っています。
大人が舌を巻くほどです。
そんなたまちゃん(孫の愛称です)が、最近、「○○○さまぁ」と呼ぶことが多々あります。
おかあさまぁ、然り。おばあさまぁ、然り。
突然そう言われた最初はどぎまぎしました(笑)。あまりにも現実からかけ離れた言葉だったからです。娘とふたり顔を見合わせたほどです。
ちょっと笑って「なんでしょうかぁ」と言うのですが、一体どこでそんな言葉づかいを覚えたのでしょうね。
全く上品な言葉を使う暮らしからは思いつかないのですが。
きっとアンパンマンの話にでも出ていたのでしょう。

ときどきわたしはおばあさまぁ、娘はおかあさまぁ、になり、「これ、使っていいでしょかぁ」「・・・見たいんですけどぉ」と聞かれます。
よく見て見ると、孫の言葉づかいは荒い言葉がなく、大人よりも綺麗な言葉を使っているように思えます。娘は東京で通っている保育園の先生たちが良い言葉を使っているからじゃないかなと言います。そうですよね、娘もわたしも母も方言まるだしで話していると、孫はきょとんとしていますから。そして自分にわからない言葉ばかりが交わされると無視されたと思うのか話を止めに入ることがあります。
逆に孫がわかる言葉で会話していると、ときどき話に割り込んで
「それって、たまちゃんも見たんだもね~」とか言いながら誰かが「そうだよね」という受け止めをしてくれるとまた自分の遊びに入っていきます。

一緒にいる空間で、ひとりがわからない言葉で会話しているというのは寂しいもの。
孫の様子はそれを極端に物語っているように思います。
幼い子供だからといってわからないだろうと高をくくっていてはだめなのですね。子供に知られたくないことや、聞かせたくないことがあったら、子どものいないところで話す、それが一番でしょうし、わたしたちもまた孫のような綺麗な言葉で話すほうがいいってことでしょうね。ついつい方言が出てしまうのです。母に至っては曾孫に標準語で話そうとすると逆にこんがらがって何を話したいのかわからなくなってしまう、なんてこともあるようです(笑)。

あらら、後期高齢者の話が二歳9カ月の子まで飛んでしまいました。
またまた、とりとめのない話になってしまいました。
コメント

鯉に会ってきました

2016年08月25日 | ほんのすこし
暑いけど、部屋にばかりはいたくない。
娘も孫も狭い場所にいるとストレスがたまってくる。でも外は暑い。
しかもそんな遠くには行けない。

そんなこんなで、今日はちょっとだけ車でお出かけ。
友人が教えてくれた秘密の場所(笑)。

市内にある鳥潟会館まで。

孫はまだ小さいので、会館内の庭のみのお邪魔でしたが。
思った以上に平日でも駐車場には車が在りました。
門をくぐるとそこは様々な植木が茂り、つくつくぼうしの声が頭の上を支配するほどにぎやかです。庭の木が多いせいか、あんなに暑かったのに涼しくさえ感じてきました。
お目当ての池を目指していきますと、歩いている途中で池の水面から飛びあがるものが見えました!

そうなんです。
ここの池には大きな鯉がたくさんいるのです。
友人は食パンをあげると寄ってくるよと教えてくれましたが、持って行かなかったのです。
わたしたち三人が池に寄っていくと、すぐに沢山の鯉が集まってきました。きっと人が行くと餌を食べることができるということが反射的に身についているのでしょう。
空振りだとわかったせいなのか、しきりに水面から飛びあがったり、背中を見せてくるりとしたり。
大きな鯉、しかも色々な色の鯉がそんな行動をとるのを見るのは初めてでしたので、孫よりもわたしの方がつい大きな声を上げて喜んでしまいました。

夢中になって見ていましたので、写真を写すのをすっかり忘れていました。
すこぶる残念。
飛びあがる鯉の雄姿を写せたら良かったのにな。

帰りはまたまた灼熱地獄の車へ。一時の涼しい時間でした♪

鳥潟会館では秋の紅葉、桜の季節、ツツジ、桃の節句と足を運ぶ楽しみがあるようです。
またいつか連れていきたいスポットでした。

今さらながら、タイトルが「鯉に会ってきました」じゃなくて「恋にあってきました」だったらほんとに良かったのにと思ったりするわたしなのでした♪

コメント

久しぶりにお父さんと

2016年08月25日 | 家族のこと
北部シルバーエリアに23日行ってきた。
前日、予約していた飛行機が欠航になり新幹線でやってきた娘のだんなさま。23日の夕方の便で慌ただしく東京へ戻るので、どこかへと思ったが娘もいつ生まれるかわからない状況なので、近場に連れていった。
ここでは一階にキッズコーナーがあって、遊具がある。以前にここでも紹介した。
「穴場を見つけてご機嫌」

一階でたくさんお父さんと遊んで満足した孫は
「もう、お風呂入ろうよ」と誘う。
二階に大広間がありそこで休憩ができる。また奥には男女別の温泉がある。
せっかくお父さんが来てくれたのだから、お父さんと入ったら? という娘の声に横に大きく首を振る孫。
父さん、がっかりの巻だ。

温泉の湯は大人のわたしたちでも熱かった。
当然孫は拒否(笑)。
比較的ぬるい枕湯という場所でのみ温泉気分を味わう羽目に。
それでもこちらに来てから一度も温泉に入っていなかった娘にゆっくりしてもらおうとわたしと孫は先に出て待つ。十分温泉を味わったようだ。

お昼は途中の「陽気な母さんの店」で買ってきた惣菜とおにぎりと茹で卵。
なんと大人よりも孫のほうがぱくついて食べた!
その食欲に驚くこと限りなし(笑)。
お父さんのそばでニコニコと食べ続ける孫の姿を見ていると、久しぶりに会えて一家で過ごす時間を満喫しているようだった。

慌ただしく夕方の飛行機で戻っていってしまったが、今度また会うときには孫ももっと大きくなっているかな。おしゃべりがずいぶん上手くなっていてお父さんはかなり驚いたようだった。

画像はキッズコーナーに置いてあるもの。
かなり大きいけど、これって何かなあ。


コメント

夜中にふと思い出して

2016年08月25日 | ほんのすこし
昨日、8月24日はある人の誕生日だ。
毎年その日が近づくと色々と思うことが多かったが、今年はすっかり忘れてしまっていた。忘れてしまっていたということに自分でも驚いた。それだけ自分の中でその人の存在が小さくなっていたということの表れなのかなとも思ったのだ。
果たしてそれは良い兆候なのか?

昔、まだいくらか若かった頃。
プレゼントをどうするかよく迷ったものだ。
なんとなくわたしが選ぶものを気にいっていない、という雰囲気を感じることが多々あった。そして自分が選ぶものに絶対的な価値を見出している、といった態度があった。わたしはどちらかというと手づくりの物が好きだが、向こうはブランドにこだわった。だからプレゼントを考えるのが嫌になった。
プレゼントはせずに食事を豪華にしようと思ったり。
友人を誘ってわいわい楽しんでもらおうと思ったり。
結構あれこれと自分なりに気を使った。でも気を使ったと思っていたのはわたしの一方通行の考えだったようだ。

もちろん、その人がわたしの誕生日を覚えていたことはない。
別にプレゼントが欲しかったわけではないが、片方だけが覚えていて誕生日のことをあれこれ考えているのに、もう片方が関心が無いって・・・ そういうことにもなんだかなあと思えた。
それでもずっと昨日が誕生日だということはカレンダーにも書いたりしてきた。
それなのに、今年はちっとも思い浮かばなかった!

娘や孫が来ていて毎日あれこれと過ごしているから?
いやいや、やはりもう誕生日を考えずとも暮らしていってるってことだろう。
わたしの中では「そういうこと」なのだ。
ただ今までは「そういうこと」にとっくになっているのに、誕生日だけはなんだか忘れていなかったというだけなのだ。
だって、誕生日だよ。
この世に生まれた日なんだよ。
その人が生まれてあぁして今も健在で、頑張っているんだよ。
もう接点はほとんどないけど、それでも繋がっているから、たまには思いだして心の中で生まれた日に乾杯しても良かったのに。
すっかり忘れていただなんて、ねぇ・・・ ちょっと苦笑い。
こんなわたし、いいことなのか、悪いことなのか。

まあ、良く解釈すれば前に進んでいるってことなのかな。
そう思おう。
うん、そう思うことにする(笑)。

で、数時間遅れだけど。
誕生日おめでとう! の意味を込めて「乾杯」のマウス画を。
コメント

暑いけど涼しい・・・

2016年08月24日 | ほんのすこし
日中、すごく暑いのだけど。
今朝はとても涼しかった。
あの暑さはどこへ行ったんだ? と感じるほどで、ひそかに日中の暑さが薄れて行くことに期待感を抱いたりしたが、それは無残にも打ち砕かれ、午後三時前に車を運転したときには車内にある外気温メーターは42度を表示していた。もちろん気温が42度というわけではない。屋根のない駐車場に置いているからだ。
それでもいつも以上に暑かった気がする。

結局朝のほんの数時間だけエアコンを止めただけで後はずっとつけっぱなし。
この日中の暑さ、早く薄れてほしい。
暑いと水ものをとりたくなるし、お腹はパンパンになるし。
汗をかけば化粧はとれるし。
今年ほど暑さを感じた年はない。エアコンがフル稼働って今まであったかな。
そんな暑い夏も今朝の涼しい風を受けると、季節の変化は例え遅れても確実に忍び寄ってくるのだなと思う。

台風が過ぎて行ったあと、空は眩しかった。
青い色がさらに色濃くなり、雲の白さが鮮やかに見える。
川の水は濁り水位も高くなっていたが、それも今は元の姿に戻りつつある。
自然は自分の力で元に戻ろうとしている。
人間にもそうした自浄作用があるのだろうか。
はたして人間の元の姿とはどんななのだろうか、とふと思う。

生まれたその瞬間、それが元の姿?
生きてきたその瞬間瞬間のどれを自分の元の姿と受け止める?
元の姿など無いに等しいのかもしれない。
常に年月とともに変化し続けて行くから。

暑さの中でほんの少し、肌にかかった涼しい風が、これから少しずつ増えていくのかと思うと、いくらか安心感を覚えるわたし。
アイスコーヒーだけだったのが、朝の時間は温かい珈琲も飲めるようになってきた。
ちゃんと体も季節の変化に寄りそうように出来ているらしい。
コメント (2)