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2669- シュトラウス、Vn協奏曲、バーエワ、ハンス・ロット1番、パーヴォ・ヤルヴィ、N響、2019.2.9

2019-02-09 23:25:48 | コンサート

2019年2月9日(土) 6pm NHKホール

シュトラウス ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.8  15-6+7
 ヴァイオリン、アリョーナ・バーエワ

(encore)
イザイ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番ト長調op.27-5 より 第1楽章 曙光 2

Int

ハンス・ロット 交響曲第1番ホ長調  9-10-12-21

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団


バーエワさんお初で聴きます。メンタリストのリズボンの雰囲気ありますね。
演奏したのはシュトラウスの8番目の作品。この作品は生演奏で聴いたのは何度かあったと思う。
オーケストラのメイン楽器であるヴァイオリン群、それと同じ楽器でのソロは音が埋もれてしまいかねない。終始ぶ厚すぎる伴奏作品と思う。シンフォニックな響きの流れが続く。が、そんな懸念を一掃する様なバーエワさんのヴァイオリン。よく聴こえてくる。ソロのパート・パッセージもなにやらシンフォニックな趣きがあり、音色、肉太感も同一ベクトルな中、タップリと弾き切るバーエワさんの実在の弾きといった印象。作品を上回る。空気をすーっと自分のものに変えていくあたり、凄いヴァイオリニストですね。
ヴァイオリンのコンチェルトとしては、飛び跳ねるような瞬間がもっとあってもいいような気がする。


後半のハンス・ロットの1番。初めて聴く作品。
第1楽章は全部序奏のように聴こえてくる。なだらかに音が上昇し厚みを増す。そしてそのまま終わる。ブラスのソロだけでなく全体的にブラスセクションに力点がありそうだ。
次の楽章は変化が投じられるものの初楽章の流れがありますね。
スケルツォは、トリオを挟んであとのスケルツォが変形しているように思ったがどうだろう。一回聴いただけではなかなかわからないことが多いですね。中間部のトリオが一番静かで落ち着く。
プログラム冊子の解説は、他の作曲家の名前を出して誰に似てるとか影響を与えたとか、馴染みのない作品だけにいたしかたが無いのかもしれないが、それはそれとして、作品の形や内容にふれたものが欲しい。楽章が進むにつれてタイミングが長くなり大きくなっていく作品、冊子解説は真逆の尻つぼみ。もう少し書きようがあると思う。推測と事実のシャッフリングはわるくは無いと思います。
それで、1,2楽章となだらかに続いてきた音楽はこのスケルツォ楽章で、活路でも見いだしたかのように充実してくる。明瞭に形が決まっているスケルツォフォルムだからなのだろうか。でも、響きの創意工夫は型をどかすインパクトがありますね。トリオの静かさは作曲家のもうひとつの脳内を垣間見るようでさえある。いいものでした。

20分越えとなる終楽章は冊子解説に必要な事が書かれていない。これは残念です。
序奏モードのような手探りの音楽が延々と、結果的に、同楽章三分の一ほど続く。びっくりするほどの思わせぶりで、このあとどう展開していくのか、1,2楽章とのアンバランス感が脳裏をかすめる中、不安期待半ばで待つも。
大規模オーケストラ、ブラスセクションがメインとなり、ひたすらマーチが続く。序奏に延々と思ったのも束の間、マーチが手を変え品を変え延々と続く。長めの音符を中心とした節はブラスにはきついだろうね。前半楽章の拡大系のようにも聴こえてくるが、作品の質がレガート気味で呼吸の間、タメ、そのようなところが無くて棒吹きを要求している楽章なのだろうか。昔のN響は行進曲が得意でなかったが、今は違う。かなり硬質になったサウンド、シャープさにシフトしっていったスキル模様。ハイスキルの向かうところはあちこちなのかもしれない。硬質なサウンドとなった訳、を教えてくれる。この皮膚感覚。硬質になった分、軽くなる必要は必ずしも無いとは思うのだが。

似てる話でいうと、なんというか、捨て鉢でもいいからほの暗さや憂いの様なところが一瞬でもいいからあればいいなあ、スクリャービンの2番シンフォニーのように、とは思った。似ていない話になってしまうが。
おわり


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