河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2198- ブラームスpfcon1、ブッフビンダー、海、ラ・ヴァルス、メータ、ウィーン・フィル、2016.10.7

2016-10-07 23:29:34 | コンサート

2016年10月7日(金) 7:00-9:15pm サントリー

ブラームス ピアノ協奏曲第1番ニ短調   21′11′11′
 ピアノ、ルドルフ・ブッフビンダー
(encore)
アルフレート・グリュンフェルト  ウィーンの夜会op.56  5′

Int

ドビュッシー 海   9′6′9′

ラヴェル ラ・ヴァルス  13′

(encore)
チャイコフスキー  白鳥の湖 から ワルツ  6′
J.シュトラウスⅡ  トリッチ・トラッチ・ポルカop.214  3′

ズービン・メータ 指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


毎年のように来日を繰り返しているウィーン・フィル、今年はメータが振るというのでしばらくぶりに聴きに来ました。

ウィーン・フィルの音の厚みは凄い、ぶ厚いですね。それにいまさらながらコントロールから解放されたアンサンブル。
ぶ厚いのは女性に比して一般に男の骨格、筋肉、持続力などのエレメントが大きく、それがすべてとは言わないがかなりの部分、力強さに作用しているような気がする。前半プロは12型の伴奏で、女性奏者は第2ヴァイオリンに2名のみ。後半プロは16型で、さらに第1ヴァイオリンに1名、ベースに1名。合計女性奏者は4名のみ。在京のオケはN響や読響を別にすれば、真逆に近い。
これがウィーン・フィルのぶ厚さの一つの要因のような気がします。
解放されたアンサンブルについては、既に終わった話で、目くじら歯くじらたててザッツやピッチ、オタマジャクシ具合、等々を滔々と議論しあう話は終わっていて、その先にあるパフォーマンスをしている。音楽の表情が自由。音の出具合が自由でありながら、だからこそなのだろうと思いますが、生まれたてのような、湯気がでているような、ホットな演奏が毎回毎回できるんだろうね。

海のⅠにおけるチェロ合奏なんてぇのは本当に驚きましたねぇ。海原をみているような気持ちになる。あれは指揮見て無くても音の流れから切れ味ある第1ポイントがきっちり合って出てくる。高性能高感覚を備えたプレイヤーたちの真骨頂なのだろうと思いますよ。このような現象が全奏者にあるのだから恐れ入る。ブラスの細やかさと大胆さ、あのような表現の幅の広さ濃さ、後から染みついたものでは、ありませんね。
ラ・ヴァルスのぶ厚さはさらに過激になる。10センチ厚テンダロインが転げずに漂っている。前に進んでいるのか縦に進んでいるのかわからないぐらい。もはや踊れないワルツ。驚きの圧力と艶めかしいまでの美しさ。最後は荒れ狂う瀕死状態。凄い演奏もあったもんだっ!
NYP時代(聴く方で)ともにしたメータ、もう、何回聴いたかわからない。数えればいいじゃないかという話もありますけれど、たぶん、3桁いっているかもしれない。
大きな振りに見えますが実は非常にこまやか、的確なポイントで驚嘆すべき指揮、今年80才になったとか、驚きですね。振りの極意は変わらねど、少し小さめに、その代わりかどうか、穏やかな表情が前面に出てくるようになりました。若いときからこのオケには双方馴染んでいると思うし、そういったところの経験的な積み重ねからくる阿吽の呼吸も色々と感じられる。圧倒的な演奏で、火照りました。

前半プロ。
ファビオ・ルイージ&N響が伴奏をつけたモツコン20の途中で止まってしまった演奏会(2014.1.16)のことが、たぶん聴く方だけのトラウマになってしまったブッフビンダー、その彼が弾くブラコン1。深押ししない指、腕から肩まで、おそらく全身、浅めの押しの力感が漂う。なにやら室内楽風味を感じさせつつ淡々と進める。ブラームスから動きの良いショパンのような心地になるところもあった。ピアノの響きが良くないサントリーホールですが、なぜかブッフビンダーの弾くピアノは粒立ちが良くて、ぶ厚いオケに埋もれることなく明瞭に聴こえてくる、明るい。重厚の二重塗りみたいなヘビーな曲、あっさりと肩透かし、なのかどうかとにかく別枠演奏。それが妙にマッチした演奏で、やっぱり協奏曲だったんだと認識させてくれる不思議。ピアニストが作品を捌いている。これはこれでお見事。
メータは、後半の海だけ譜面ありで、このブラコンとラ・ヴァルスは譜面無し。コンチェルトで指揮者が譜面使わないというのは割と珍しいと思います。シンフォニックな頭の指揮だったのかしら。サポートは万全。弦がピアノソロに絶妙に絡む。浮き上がるような美しいウィンド・アンサンブル。ピアノ、オーケストラ、ともに堪能しました。
あと、ピアノアンコールピース。こうもりがよく聴こえてきますね。見事な腕捌き。
オーケストラアンコール2曲まで全部、満喫しました。ありがとうございました。
おわり




2197- マーラー3番、ミシェル・デ・ヤング、パーヴォ・ヤルヴィ、N響、2016.10.6

2016-10-06 23:01:20 | コンサート

2016年10月6日(木) 7:00pm サントリー

マーラー 交響曲第3番ニ短調  31′9′17′8+4+20′

メッゾ、ミシェル・デ・ヤング
女声合唱、東京音楽大学合唱団
児童合唱、東京児童合唱団

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団


N響90周年、サントリーホール30周年記念の一発公演。
ヤルヴィPは先月の初めから1か月以上滞在してN響との公演をおこなっていると思います。今日の公演が取りあえずは一区切りか。

パーヴォ棒でN響のサウンドは機能美が前面にでてくるようになったと思う。刻みの正確度が増し、ハーモニーバランスは高低均質。ベースは持ち上げられたように聴こえてくる。揺れ動くコントラバスが引き締まった響きとなっている。ねっとり系の歌は横に置き。
テンポは極端な出し入れは無く、前進する活力。身軽に動くオーケストラ・サウンド。

ソリストのデ・ヤングを観に来たわけですが、大柄でロングなドレス。なんだか、黒いスニーカー、ゴム靴のようなものを履いているのかしら。上げ底ではなさそうだし。
長い第1楽章が終わったところでオケは一服。このタイミングでデ・ヤングがかみてから登場。そのままオケの後ろの椅子に座る。座るだけで絵になる。
この曲では出番は短くて。弱めなところではキーンな感じが少しする。強い歌になればなるほどソフトでメロウでまろやかな声がより心地よくなると感じた。
この短い歌唱のために日本に来てくれたのかしら。それはそれで僥倖ですね。

オーケストラはまず、ホルンのプリンシパル福川さんの腕が凄い。難しそうなパッセージを難無く吹いている。マーラーのスコアが派手であればあるほどそれに立ち向かい征服している。前向きで攻撃的だとさえ思う。それに、なんだか、毎度、進化し続けているように感じる。同じ曲の同じパッセージが、だんだんと簡単になぎ倒されていってますね。これに比べたらトランペットもトロンボーンも今一つなんだが、それでもアンサンブルの見事さはあります。
ブラ1の4楽章のフシから始まるブラスセクションをはじめとして派手な第1楽章。ヤルヴィとN響ががっちりタッグを組んだ素晴らしく引き締まった演奏、そう快。
続く2,3楽章も同じく引き締まった演奏。ちょっと速めの演奏のように聴こえますが、実際のところはそんなこともなくて、緊縮インテンポを極端にスピードアップさせることなく弛緩しないで進行。オケの実力ですな。
デ・ヤングの伴奏となる第4楽章のツァラトゥストラの歌でのヤルヴィ棒は割とあっさりしているし、配分ウエイトはどちらかというとオーケストラのほうにある。まぁ、オペラの人ではない。歌堪能寸前で途切れるような気持ちが断続的に。
次の楽章、昔は児童合唱の出でだいぶレベルがさがったものですが、それは今もあまり変わらないような気がする。あと、
1977年4月13日、若杉&東響による同曲のときは、何かトラブルか歌う前に一人きっちりと出ていかれました。今日は最後まで座っていましたね。
終楽章はちょっと速めのインテンポ。すーっすーっと。祈りといった言葉から遠いところにある演奏。美しさは機能美といえるかもしれない。最後のしつこいしつこいロングトーンにはN響の腕を見ました。

収録マイク沢山ありましたが、1階聴衆席の真上には、傘の骨を逆さにぶら下げたようなものまでありましたね。
おわり


2196- ワルキューレ、二日目、新国立劇場、2016.10.5

2016-10-05 23:58:31 | オペラ

2016年10月5日(水) 5:00-10:30pm Opera Palace、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ワルキューレ

キャスト(in order of appearance)
1. ジークリンデ、ジョセフィーネ・ウェーバー(S)
2. ジークムント、ステファン・グールド(T)
3. フンディング、アルベルト・ペーゼンドルファー(Bs)
3.フンディングの家来たち(5人)

4. ヴォータン、グリア・グリムスレイ(BsBr)
5. ブリュンヒルデ、イレーネ・テオリン(S)
6. フリッカ、エレナ・ツィトコーワ(Ms)

7. ゲルヒルデ、佐藤路子(S)
7.オルトリンデ、増田のり子(S)
7.ヴァルトラウテ、増田弥生(Ms)
7.シュヴェルトライテ、小野美咲(Ms)
7.ヘルムヴィーゲ、日比野幸(S)
7.ジークルーネ、松浦麗(Ms)
7.グリムゲルデ、金子美香(Ms)
7.ロスヴァイゼ、田村由貴恵(Ms)

飯守泰次郎 指揮
東京フィルハーモニー管弦楽団

(Duration)
ActⅠ  66′
Int
ActⅡ 95′
Int
ActⅢ 72′


初日の感想はこちら

初日同様、概ね楽しめました。グールドのヴェルゼ・コールが初日よりかなり長め、一段構えなおしてからの冬の嵐は過ぎ去りしの味わい深い名唱、2幕最後まで気丈だった体当たりのジークムント・ムーヴメント。グールドの光り輝くヘルデンテノールは何度聴いても素晴らしくそう快ですっきりするし、声が他のキャストよりもデカい。とにかく目立つのだが、ピッチのぶれがなく、やつすこともない、きっちりと歌い上げる会心のジークムント。
テオリンは初日よりややビブラートが増した印象。やっぱり、ちょっと、ダイエット要るかな。
6キャストみなさん、初日に比して余裕のようなものが感じられた。ただ、それが潤滑油になるかどうかは別の話。たぶんに指揮とオーケストラが歌の足を引っ張っている。間延びしたプレイでは滑らかな歌とするには窮屈。といったこともあり、いまいちのノリであった。
平日の夜公演ということもあってか、客席の盛り上がりも割と静か。初日は絶賛ブラボーの嵐で、指揮者のコールだけブーイングがでたのだが、この日はそういうこともなく、通過していったような感じ。
オケに関しては指揮の問題が大きいとは思うが、プレイヤーの技量がまだら模様なところがあり、一部、一定の水準に達していないのではないか。そうすると指揮者にとっても辛いところがあると思う。ベース、チェロ合奏のザッツはムラがあって、また濁りも多くみられた。これでは音楽の表情を作っていくことが出来ない。歌に寄り添えない。忍び寄るように声に絡んでいくようなワーグナーの醍醐味を感じることが出来ない。ブラスセクションはデカすぎる音ながら、これはこれで。

プロダクションのほうは初日のところに書きましたけれども、第3幕冒頭で死者(と思われる)をまたぐのは、20年前なら斬新に感じたことと思う。
火のコントロールはヴォータンよりもグールド扮したローゲを思い出させるような、絶妙な動きでしたね。

皇太子殿下ご臨席公演。
おわり






2195- ワルキューレ、初日、新国立劇場、2016.10.2

2016-10-02 23:30:04 | オペラ

2016年10月2日(日) 2:00-7:30pm Opera Palace、新国立、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ワルキューレ

キャスト(in order of appearance)
1. ジークリンデ、ジョセフィーネ・ウェーバー(S)
2. ジークムント、ステファン・グールド(T)
3. フンディング、アルベルト・ペーゼンドルファー(Bs)
3.フンディングの家来たち(5人)

4. ヴォータン、グリア・グリムスレイ(BsBr)
5. ブリュンヒルデ、イレーネ・テオリン(S)
6. フリッカ、エレナ・ツィトコーワ(Ms)

7. ゲルヒルデ、佐藤路子(S)
7.オルトリンデ、増田のり子(S)
7.ヴァルトラウテ、増田弥生(Ms)
7.シュヴェルトライテ、小野美咲(Ms)
7.ヘルムヴィーゲ、日比野幸(S)
7.ジークルーネ、松浦麗(Ms)
7.グリムゲルデ、金子美香(Ms)
7.ロスヴァイゼ、田村由貴恵(Ms)

飯守泰次郎 指揮
東京フィルハーモニー管弦楽団

(Duration)
ActⅠ  66′
Int
ActⅡ 95′
Int
ActⅢ 72′


新国立、昨シーズンのラインの黄金に続き今シーズンのオープニングはワルキューレ。
興奮冷めやらぬといった感じで、第1幕3キャストそろい踏み、第2幕さらに3キャストそろい踏み。オールスターキャスト6人による饗演!
初トライとなるグールドのジークムント、昨シーズンの策士ローゲのスーツとメガネから様変わりした見掛けで一瞬誰だろうと思ったのも束の間、素晴らしく通る声は何も変わるところはなく、極みの美声ヘルデンテノールがやたらと心地よい。ぶらさがりのない正確なピッチの美声がきっちりと伸びていく。聴いていて気持ちがいい。また、自己陶酔的細部耽溺に全く陥ることがない。音楽の昂りとコントロールが理知的に効いている。

第1幕の舞台は、かみてからしもて側に傾斜したフンディングの家の中、長いテーブルが横にセッティング、家の真ん中にトネリコが上に突き出ているのだろう。そこに刺さったノートゥングは光をあてるまで見えない。ドアはそこかしこにあるようで、まぁ、傾斜といえばトーキョーリングを即座に思い出す人も多いかと思います。
戸を開けると外は雪、そこからフンディングと5人の家来が入ってくる。その前にもちろん長いやり取りが双子の兄妹により歌われる。このジークリンデ役のウェーバーさん、つつましやかな役ではあるのだが、最初こそ声をのどから押し出すようなところがありましたけれども、一旦喉が開けば一気に突き刺すような声質がホールを満たし、これまたクリアで明瞭(同じか)、グールド同様通る声で、第1幕ツータイトルロールのやり取りは、もはや何にも代えがたい素晴らしさと相成りました。二人の陰影、新鮮な出会いではありますけれども、2幕の悲劇先取り的な雰囲気を醸し出しつつ微妙な心理状態を歌う二人の清唱はお見事で、のっけからワーグナーの毒がひたひたと近づいてくる。
うちに帰ってきたフンディング、リングでは彼が一番まともな気がするのだが、ペーゼンドルファーのフンディングは人間臭いキャラクターがよく表現されておりました。長身で比較的痩躯、声はバスとなっているが出てくるのはまるでテノールのようなおもむきで、グールドと方向性が似ている。こもるところがなく前に出てくる張りのあるバスで手応え十分。リモコンで消灯、意味は分かりませんが全幕で唯一ひねったところかもしれませんね。

結局、第1幕はこの3人が隅々まで通る声で歌い尽くしてくれて堪能しました。場面転換らしきものは、戸を開けたら雪が降っているとか、グールドの名唱となった冬の嵐は過ぎ去りしの前の春が入るところでの側壁がなくなりお花模様が、といったあたりだけ。全幕概ね場面転換というよりストーリーに合わせたような動きが少しあるだけ。20年前のプロダクションというのを否が応でも感じさせる。
演出は古くなり音楽は残る。視覚と聴覚の違いも改めて考えたくなる。

第2幕から登場する3キャスト、これまた素晴らしくて。
ラインの黄金のときのラジライネンからグリムスレイに選手交代したヴォータンはぎゅっと引き締まった。フリッカのツィトコーワは少しキャラクター風味を漂わせながらヴォータンを操る。ちょっとダイエットが要るかもしれなくなったブリュンヒルデのテオリン。豪華キャストですな。
第1幕3キャストが朗々と響かせてくれて、この2幕では新たにこの3キャストがさらに上をいく。ああ、スバラシイ。
いきなりのハイテンションが要るブリュンヒルデ。テオリンは突出させたような感じは無くておしなべて一律な聴後感。ドラマチックな作りよりもコンディション重視のような歌いっぷりだった気がします。演出の動きが多少ぎこちないようなところがあり、それはなんだか、こんな古い演出に合わせながら歌うの?わたし?、そんな感じで、いっそのこと、もっとアヴァンギャルディックなほうが、わたし歌いまくれたわ、といったところか。
前にどんどん出てくる自信満々の歌いっぷりはこれから2回目3回目になってくればさらに高みに達すると推測されますね。
とは言え、この日の歌唱、喉がやや横に広がったような声の幅、はずさないピッチ。ピーンと伸びてくる通る声で明瞭でよく聴こえてくる。このワーグナーの五月蠅いオケの中で。

この3月に同じ新国立のサロメで首を取られたグリムスレイが神ヴォータンとなって登場。ここでの役柄はフリッカの尻に敷かれまくりなんだが、歌のほうは最初から飛ばしている。3幕でもうひと頑張りあるのもいとわず飛ばす、リスク回避はありません。ここらあたりが日本人ソリストとの違い。
フリッカとのやり取りのあと一服あって第2場の語り。音楽が静まり、声が覆う。ラインゴールドを起点としたその後の展開をとくとくと話す。ブリュンヒルデに話していながら聴衆へ語りかけている。まぁ、このての遡りが好きでないという方々の話もよくわかる。遡り話はワーグナーの十八番ですし、なんとも痛しかゆしのところありますね、たしかに。
グリムスレイの声はよくとおり最初から押している、この第2場は本当に味わい深かった。ここの場は肝です。
ツィトコーワは新国立の常連のようなもので今回はフリッカ役。ヴォータン、ブリュンヒルデを黙らせる役。その荷にこたえてくれました。第1場でのフリッカは重要な役ですし、ちょっと派手ななりでヴォータンに切り込んでいく。ドロドロしたところがなくてこれが恐いのかもしれない。
この3人が出終わったところで場面が動く。動くと言っても舞台にはでかい扇子みたいな板状のようなものが2枚、それと、かみて側に建屋の荒廃したような風景。全体が回り舞台になっていて少し回転。最後は1回転するのだが、動きはそれだけ。初台の上下移動を活用するところもなくて、どこにでも持ち出せそうな舞台ではある。
1幕の3人が出てきて動きが入り、印象的なのはこの場でもジークムントは非常に力強いということ。死の告知もなんのその、どこまでも強いジークムントではあった。
比してジークリンデは弱々しくなり自己憐憫に陥っていく。強い兄が死に弱い妹が残る。アシンメトリックな味付けは見事だと思いました。

第5場は2回終ると何度か書いてます。ここでのワーグナーのストーリーをつなぐ手腕は、何度聴いても、やっぱり、凄いもんですね。ジークムント、フンディングのかたをつけて、ここまでの物語を一度終わらせ、次に背信のブリュンヒルデを追いかけて第3幕へ。このあたりの音楽の進行は絶妙ですね。

第1幕、第2幕。にぎり特上で満足。さらにもう一人前の特上寿司。もう、おなかいっぱいで大満足状態。
終幕は、派手なワルキューレ3拍子とそのあとの親子の語り。テオリンがおもむろに、あたしそんなにひどいことしたの?、このあたりから綿々と続く歌唱は情感がこもり美しい気配が漂う。グリムスレイは飛ばし過ぎで少しバテたか。舞台後方で後ろ向きの歌唱もあったと記憶するので、そのような遠近的なあたりも声のサイズを多少変化させたところもあるかもしれない。火で囲んで、とブリュンヒルデ。おおわかった愛する娘。抱擁でブリュンヒルデは気を失い舞台中央に倒れる。槍と盾で彼女を覆ったヴォータンはローゲを呼び出し、長方形の縁取り状にブリュンヒルデを囲むように火を流れさせる。そこを出るヴォータン。火の流れは閉じ、誰も入れない。雄大なジークフリートの動機が鳴り響きピアニシモとなって消えていく中、幕が下り会場煙だらけになりつつフィニッシュ。
何度見てもすごいワーグナーの離れ業。

以上、オールスターキャスト、最高の歌唱、大満足の初日公演でした。ありがとうございました。

オーケストラは、粗い。指揮者共々、音楽に寄り添った気配りが必要です。
おわり


 


2194- プロコン2、マツーエフ、ラフマニノフ3番、パーヴォ・ヤルヴィ、N響、2016.10.1

2016-10-01 20:52:32 | コンサート

2016年10月1日(土) 3:00pm NHKホール

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番 ト短調  11′3′6+11′
 ピアノ、デニス・マツーエフ
(encore)
シベリウス 13の小品OP.76 第2曲 練習曲  1′
ビリー・ストレイホン(マツーエフ編) A列車で行こう  5′

Int

ラフマニノフ 交響曲第3番イ短調  16′12+14′

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団


プロコフィエフの2番コンチェルトはステージの上で音を投げ出してフラットに散らかしている印象がある曲なのですが、ウルトラなマツーエフがこの曲を弾くとどうなるのか、興味深いところではありました。
右手、左手、独立独歩、パーフェクトな別人格の両腕でスーパーパフォーマンス。驚くべき離れ業!、まるで、二人で弾いている。一体どうなっちゃってるんでしょうね。
頭から気合が入っていてものすごく緻密。デリカシーさえ感じる。ドライで乾いた(同じか)、それとちょっと埃っぽい前半部分、この弛緩することのない演奏、腕の回転は横に置くとして、いたるところ、いちいち納得する。オーケストラ伴奏含め、2番の魅力をあらためて感じた。
マツーエフの演奏はこれで、チャイコフスキー1番、プロコフィエフ2番、3番と聴いたことになる。アンコールにはいずれもA列車が入ってますね。ショーピース。

後半のラフマニノフ3番シンフォニー。
割と最近からだと思うのですが、N響ブラスセクションの配置が、ホルンとトランペットが同列ひな壇。その後ろのひな壇はパーカスとトロンボーンが同列ひな壇、これまで見ることのないセッティングで、これ、どうしてこうなっちゃったんでしょうか。響き的になにかメリットとか効果があるのか、それともほかの理由なのか。
演奏はちょっと平べったい感じはありましたけれども、スタイリッシュでアーバン風味満載。この曲は好きなので、あれば聴く。2番のあと非常に洗練された曲を作ったということですね。終楽章の山盛りシンコペーションも気品がある演奏で、N響の腕の良さがよくわかります。
3楽章のシンフォニーですけれども2楽章は事実上緩徐楽章とスケルツォが混ざっていて、パーヴォ棒だとその切り替えがよくわかるものです。
デモーニッシュ(古いね)なものが一切ない洗練された中軽量級の演奏スタイル。ラフマニノフが望んでいたことかもしれない。
おわり