2016年10月2日(日) 2:00-7:30pm Opera Palace、新国立、初台
新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996
ワルキューレ
キャスト(in order of appearance)
1. ジークリンデ、ジョセフィーネ・ウェーバー(S)
2. ジークムント、ステファン・グールド(T)
3. フンディング、アルベルト・ペーゼンドルファー(Bs)
3.フンディングの家来たち(5人)
4. ヴォータン、グリア・グリムスレイ(BsBr)
5. ブリュンヒルデ、イレーネ・テオリン(S)
6. フリッカ、エレナ・ツィトコーワ(Ms)
7. ゲルヒルデ、佐藤路子(S)
7.オルトリンデ、増田のり子(S)
7.ヴァルトラウテ、増田弥生(Ms)
7.シュヴェルトライテ、小野美咲(Ms)
7.ヘルムヴィーゲ、日比野幸(S)
7.ジークルーネ、松浦麗(Ms)
7.グリムゲルデ、金子美香(Ms)
7.ロスヴァイゼ、田村由貴恵(Ms)
飯守泰次郎 指揮
東京フィルハーモニー管弦楽団
(Duration)
ActⅠ 66′
Int
ActⅡ 95′
Int
ActⅢ 72′
●
新国立、昨シーズンのラインの黄金に続き今シーズンのオープニングはワルキューレ。
興奮冷めやらぬといった感じで、第1幕3キャストそろい踏み、第2幕さらに3キャストそろい踏み。オールスターキャスト6人による饗演!
初トライとなるグールドのジークムント、昨シーズンの策士ローゲのスーツとメガネから様変わりした見掛けで一瞬誰だろうと思ったのも束の間、素晴らしく通る声は何も変わるところはなく、極みの美声ヘルデンテノールがやたらと心地よい。ぶらさがりのない正確なピッチの美声がきっちりと伸びていく。聴いていて気持ちがいい。また、自己陶酔的細部耽溺に全く陥ることがない。音楽の昂りとコントロールが理知的に効いている。
第1幕の舞台は、かみてからしもて側に傾斜したフンディングの家の中、長いテーブルが横にセッティング、家の真ん中にトネリコが上に突き出ているのだろう。そこに刺さったノートゥングは光をあてるまで見えない。ドアはそこかしこにあるようで、まぁ、傾斜といえばトーキョーリングを即座に思い出す人も多いかと思います。
戸を開けると外は雪、そこからフンディングと5人の家来が入ってくる。その前にもちろん長いやり取りが双子の兄妹により歌われる。このジークリンデ役のウェーバーさん、つつましやかな役ではあるのだが、最初こそ声をのどから押し出すようなところがありましたけれども、一旦喉が開けば一気に突き刺すような声質がホールを満たし、これまたクリアで明瞭(同じか)、グールド同様通る声で、第1幕ツータイトルロールのやり取りは、もはや何にも代えがたい素晴らしさと相成りました。二人の陰影、新鮮な出会いではありますけれども、2幕の悲劇先取り的な雰囲気を醸し出しつつ微妙な心理状態を歌う二人の清唱はお見事で、のっけからワーグナーの毒がひたひたと近づいてくる。
うちに帰ってきたフンディング、リングでは彼が一番まともな気がするのだが、ペーゼンドルファーのフンディングは人間臭いキャラクターがよく表現されておりました。長身で比較的痩躯、声はバスとなっているが出てくるのはまるでテノールのようなおもむきで、グールドと方向性が似ている。こもるところがなく前に出てくる張りのあるバスで手応え十分。リモコンで消灯、意味は分かりませんが全幕で唯一ひねったところかもしれませんね。
結局、第1幕はこの3人が隅々まで通る声で歌い尽くしてくれて堪能しました。場面転換らしきものは、戸を開けたら雪が降っているとか、グールドの名唱となった冬の嵐は過ぎ去りしの前の春が入るところでの側壁がなくなりお花模様が、といったあたりだけ。全幕概ね場面転換というよりストーリーに合わせたような動きが少しあるだけ。20年前のプロダクションというのを否が応でも感じさせる。
演出は古くなり音楽は残る。視覚と聴覚の違いも改めて考えたくなる。
第2幕から登場する3キャスト、これまた素晴らしくて。
ラインの黄金のときのラジライネンからグリムスレイに選手交代したヴォータンはぎゅっと引き締まった。フリッカのツィトコーワは少しキャラクター風味を漂わせながらヴォータンを操る。ちょっとダイエットが要るかもしれなくなったブリュンヒルデのテオリン。豪華キャストですな。
第1幕3キャストが朗々と響かせてくれて、この2幕では新たにこの3キャストがさらに上をいく。ああ、スバラシイ。
いきなりのハイテンションが要るブリュンヒルデ。テオリンは突出させたような感じは無くておしなべて一律な聴後感。ドラマチックな作りよりもコンディション重視のような歌いっぷりだった気がします。演出の動きが多少ぎこちないようなところがあり、それはなんだか、こんな古い演出に合わせながら歌うの?わたし?、そんな感じで、いっそのこと、もっとアヴァンギャルディックなほうが、わたし歌いまくれたわ、といったところか。
前にどんどん出てくる自信満々の歌いっぷりはこれから2回目3回目になってくればさらに高みに達すると推測されますね。
とは言え、この日の歌唱、喉がやや横に広がったような声の幅、はずさないピッチ。ピーンと伸びてくる通る声で明瞭でよく聴こえてくる。このワーグナーの五月蠅いオケの中で。
この3月に同じ新国立のサロメで首を取られたグリムスレイが神ヴォータンとなって登場。ここでの役柄はフリッカの尻に敷かれまくりなんだが、歌のほうは最初から飛ばしている。3幕でもうひと頑張りあるのもいとわず飛ばす、リスク回避はありません。ここらあたりが日本人ソリストとの違い。
フリッカとのやり取りのあと一服あって第2場の語り。音楽が静まり、声が覆う。ラインゴールドを起点としたその後の展開をとくとくと話す。ブリュンヒルデに話していながら聴衆へ語りかけている。まぁ、このての遡りが好きでないという方々の話もよくわかる。遡り話はワーグナーの十八番ですし、なんとも痛しかゆしのところありますね、たしかに。
グリムスレイの声はよくとおり最初から押している、この第2場は本当に味わい深かった。ここの場は肝です。
ツィトコーワは新国立の常連のようなもので今回はフリッカ役。ヴォータン、ブリュンヒルデを黙らせる役。その荷にこたえてくれました。第1場でのフリッカは重要な役ですし、ちょっと派手ななりでヴォータンに切り込んでいく。ドロドロしたところがなくてこれが恐いのかもしれない。
この3人が出終わったところで場面が動く。動くと言っても舞台にはでかい扇子みたいな板状のようなものが2枚、それと、かみて側に建屋の荒廃したような風景。全体が回り舞台になっていて少し回転。最後は1回転するのだが、動きはそれだけ。初台の上下移動を活用するところもなくて、どこにでも持ち出せそうな舞台ではある。
1幕の3人が出てきて動きが入り、印象的なのはこの場でもジークムントは非常に力強いということ。死の告知もなんのその、どこまでも強いジークムントではあった。
比してジークリンデは弱々しくなり自己憐憫に陥っていく。強い兄が死に弱い妹が残る。アシンメトリックな味付けは見事だと思いました。
第5場は2回終ると何度か書いてます。ここでのワーグナーのストーリーをつなぐ手腕は、何度聴いても、やっぱり、凄いもんですね。ジークムント、フンディングのかたをつけて、ここまでの物語を一度終わらせ、次に背信のブリュンヒルデを追いかけて第3幕へ。このあたりの音楽の進行は絶妙ですね。
第1幕、第2幕。にぎり特上で満足。さらにもう一人前の特上寿司。もう、おなかいっぱいで大満足状態。
終幕は、派手なワルキューレ3拍子とそのあとの親子の語り。テオリンがおもむろに、あたしそんなにひどいことしたの?、このあたりから綿々と続く歌唱は情感がこもり美しい気配が漂う。グリムスレイは飛ばし過ぎで少しバテたか。舞台後方で後ろ向きの歌唱もあったと記憶するので、そのような遠近的なあたりも声のサイズを多少変化させたところもあるかもしれない。火で囲んで、とブリュンヒルデ。おおわかった愛する娘。抱擁でブリュンヒルデは気を失い舞台中央に倒れる。槍と盾で彼女を覆ったヴォータンはローゲを呼び出し、長方形の縁取り状にブリュンヒルデを囲むように火を流れさせる。そこを出るヴォータン。火の流れは閉じ、誰も入れない。雄大なジークフリートの動機が鳴り響きピアニシモとなって消えていく中、幕が下り会場煙だらけになりつつフィニッシュ。
何度見てもすごいワーグナーの離れ業。
以上、オールスターキャスト、最高の歌唱、大満足の初日公演でした。ありがとうございました。
オーケストラは、粗い。指揮者共々、音楽に寄り添った気配りが必要です。
おわり