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2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら。
2011-2012シーズン
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2011年11月30日(水)7:00pm
サントリーホール
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ベルリオーズ 序曲リア王
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チャイコフスキー 幻想序曲ロメオとジュリエット
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チャイコフスキー 交響曲第6番 悲愴
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シルヴァン・カンブルラン指揮
読売日本交響楽団
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絶好調男のカンブルランは、なんだかスコア見ながらの棒が様になっている。いわゆる現代音楽が得意ということもあり、きっちり見ながらというのが様になっているんですね。
ベルリオーズのリア王、演奏会で取り上げられるのはレアだと思いますが、一般的に聴けば納得のベルリオーズでもどちらかというとわけのわからない部類に属する。技術的な部分でわざとらしさとか作為がないので単刀直入で奇妙な面白さはあるもののカンブルランでなければ最後まで聴かせることはなかなか難しい部類の曲。
指揮者の妙とオーケストラのうまみがよくマッチした演奏となりました。オーケストラは実に素晴らしいサウンド、深くて太くて引き締まっていて切り込みも鋭い、ハードなリカー気味で少しドライな感じがあるがそれも味わいのある渇きの癒しを感じさせずにはおかない。カンブルラン好みのサウンドと言える。今日の3曲ともにボテ系にならないのはこの指揮者のコントロールです。
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2曲目のロメジュリも引き締まったいい演奏。個人的にはブラスは昔のロシアのオーケストラ配置のように広がらない方が好きで、トロンボーン、チューバ、トランペット、ホルンが束になってかかってきてほしいところではあるのだが、フラットな配置でそれでも結構引き締まっている。聴いていて気持ちがいい。
ロメジュリはチャイコフスキーお得意のシンコペーションがあまりない。後打ちは多いのだが割とヘッドで合わせる感じでタイ、スラー、変則の曲ではない。エンディングのところでまとめてシンコペーションでうなるといったところで、やっとここでチャイコフスキー飛沫が出るという感じではある。
カンブルランが振ると曲が透けて見えてしまい、構造などないに等しいと言っているようでもあるが、彼が言いたいのはそんなことではなく、ぜい肉を落とした響きの筋肉質的美しさに重きを置いたもので、これでどうだ、と言っているわけです。
前半2曲いい演奏でした。
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後半の悲愴、第1楽章第2主題の入りは心をこめ過ぎるということはなく飽くまでも曲の流れを重視、あまりいじるような解釈ではない。現代音楽得意の一般的な傾向の棒だと思う。そうするとたとえば第2楽章の果てしもない経過句の長さがやや冗長に感じられてしまう局面も出てくる。作為の方法がわからないというのが彼のストレートな物言いだろう。
第3楽章の爆発も自然加熱の趣ではある。きっちり遅れて出てくるが決してもたつかないブラスは魅力的、爆発を冷静にとらえてますね。感情の高まりは聴衆のもの、と言わんばかりの冷静な凄まじさ。第3楽章が、トンデモ系のものでこれに勝る交響曲はないと思います。今日もまたあらためて実感しました。クレイジーで爆、何回聴いても異常としか言えない第3楽章ではあります。
第4楽章への入りをアタッカではいるのは個人的には好みではありません。爆な第3楽章は一旦収めてからあらためて第4楽章を開始してほしいのですが、なにぶん、フライング拍手抑止という側面も否めないということもあり指揮者によってはそのまま第4楽章に突き進む。進まざるをえない。
日本では第3楽章の終了後、フライングがはいるケースはあまりないのだが、諸外国特にアメリカではお決まり以上のブラボーコールが一斉に。それだけならまだましで、荷造りして帰ろうと立ち上がる客がたくさんおりますから大変です。まだ終わっていないよ、not finishedそんな感じの警告もなにもあったもんではなかったですね。
この日のカンブルランはきっちり聴衆の感情の高まりを抑えて第4楽章にはいった。とは言うものの曲想の変化が劇的というにはあまりに大きすぎ、アタッカはやっぱり違和感あります。
第4楽章も淡々と進む。最後のブラスの咆哮もひきずるようなところはなく、最後の弦のピチカートを経てエンディング、空白が待ち巨大な曲が終わったという感覚の実感。
おわり