河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

950- イベリア 海 幻想 マゼール フランス国立管弦楽団 1978.7.29千秋楽

2010-01-13 00:10:00 | インポート

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前回ブログの続きです。1978年聴いた演奏から。

1978年の聴いた演奏会一覧はこちら。

1978年演奏会記録

フランス国立管弦楽団の当来日公演概要はここ

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1978年フランス国立管弦楽団の千秋楽は神奈川であった。当来日公演のだしものは全部フランスもの。

この日はドビュッシーとベルリオーズ、アンコールもベルリオーズであった。

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1978729()7:00pm

神奈川県民ホール

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ドビュッシー イベリア

ドビュッシー 海

ベルリオーズ 幻想交響曲

(アンコール)

ベルリオーズ ローマの謝肉祭

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ロリン・マゼール指揮

フランス国立管弦楽団

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当日の感想メモから

マゼールの正確極まりない棒を、あの位置からはっきりとみてとった。正確なリズム、そしてビート、あっと言わせる音のパースペクティヴ。変速拍子の見事な棒さばき。

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このオーケストラはそれぞれのパートがすべてぶ厚い音、幅の広い音を思い切り出す。ものすごい弦楽器の充実度。そのうまさ、快音は言葉にならない。それがうまくマゼールの迫力ある指揮と相まってもおすごい力を出し切る。

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イベリアにおける音の細やかさ、そしてみなぎる力。

海における音の語りかけ。そしてダイナミックな躍動感。

この曲によってマゼールの方向がわかった。

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そして1974年クリーヴランド管弦楽団の日本最終公演以来の「幻想」。

あのときとオーケストラは異なるものの、その表現力とその圧倒的な力。少しも変わらない。

この幻想におけるパースペクティヴはものすごかった。そしてあの力強い金管群を圧倒してやまない世界一の弦楽器群。幻想地獄の赤い血すじが溶岩柱のようにそして雷のようにくっきりと見えた。マゼールの劇的表現力。

この演奏は聴いてよかった。

フランス国立管弦楽団のものすごい実力とマゼールの劇的表現力とそれと紙一重の繊細さ。

マゼールよ、ベルリン・フィルの指揮者となるのだ。

といったメモ。

最後の文節が今となっては笑わせるが、自分ながら苦笑いだ。

その後アバドにいってしまったが、たしかにベルリン・フィルの音楽監督になる機会があったわけだから。

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このフランス国立管弦楽団の来日の後、2か月足らずでマゼールは再来日する。今度は本命クリーヴランド管弦楽団と。

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949- 主イエス・キリストの変容 日本初演 マゼール フランス国立管弦楽団合唱団 1978.7.15

2010-01-12 00:10:00 | コンサート

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フランス国立管弦楽団の当来日公演概要はここ

1978年7月15日(土) 7:00pm  NHKホール、渋谷

君が代
ラ・マルセイエーズ

メシアン 「主イエス・キリストの変容」    (日本初演)
            合唱と7独奏楽器とオーケストラのための

イヴォンヌ・ロリオ、ピアノ
パトリック・ガロワ、フルート
ルシアン・ルメール、マリンバ
J.クロード・タヴェルニエ、ヴィブラフォン
ロジェ・アルバン、チェロ
ギー・ダンゲン、クラリネット
ベルナーレ・バレ、シロリンバ

ロリン・マゼール 指揮
フランス国立管弦楽団
フランス国立放送合唱団(ロジェ・ワーグナー 指揮)

それでは例によって当時の感想から。

「やった」という雰囲気である。
自分にとっては、これは日本初演という意味以上のものをもっている。
メシアンの演奏はレコード、演奏会などを問わず初めて。(メシアンの)輪郭はつかめたように思える。
これは現代音楽というよりも時代音楽だと思う。メシアンの作品が全てそうなのかどうか知らないが同じような気がする。現代という時代に作られた音楽だ。
一時間半の大曲にもかかわらず、これなら日本の聴衆も、少なくとも第1セプテネールぐらいならついてゆける。曲がそういう風に出来ている。

今日もまた両国国歌清奏から始まった。君が代の表現が昨日と若干違っていた。(終わりの部分)

それにしてもなんたるマゼールの力。それに応えるオーケストラと合唱団。
日本初演にもかかわらず前に一度聴いたことでもあるかのように明晰にわかりやすくメロディックに指揮する。マゼールのビートはレコードで聴いてもよくわかるし、実際、指揮を見るともっと素晴らしく聴こえる。しかし、今回感心したのは粘着質でない歌わせ方である。かといって無味乾燥であるわけでもなく、とにかく異様に現代的である。別にスポーティーなわけでもない。
マゼールは人をとりこにさせる何かをもったコンダクターだ。とにかく何を振っても聴きたいのだ。この一時間半の曲を少しの遊戯も見せずに振るあたりはまさに現代の大家だ。

曲は別に原題に気をとらわれなくてもわかりやすいし、わりとやりがい、聴きがいのある曲だと思った。少なくともシェーンベルクから現代に至る音楽と一緒にはしない。これは時代音楽だ。
この場に居合わせ、この曲を聴いたということは非常にハッピーな事であった。

すぐ前列にメシアンが座っていて、ものすごく大きい総譜を一所懸命みていた。
後でのあの喜びようは、きっと、作曲どおりの指揮であったのであろう。


といったメモ書き、箇条書きに近いものだった。
この日の日本初演の曲ではあったが、購入したプログラムにはなぜかタイミングが載っている。

第1セプテネール31′13″
休憩20′
第2セプテネール60′02″

また、前日同様、テレビ放送、ラジオ放送があったのでヴィデオも録音テープも存在することだろう。

8/27(日) NHK-FM 15:00-18:00
9/3(日) NHK教育TV 14:00-15:45

おわり



948- ベルリオーズ ロメオとジュリエット ロリン・マゼール指揮フランス国立管弦楽団1978.7.14

2010-01-11 00:10:00 | インポート

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前回ブログの続きです。1978年聴いた演奏から。

1978年の聴いた演奏会一覧はこちら。

1978年演奏会感想

フランス国立管弦楽団の当来日公演概要は947-前回ブログを。

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1978年7月14日()7:00pm

NHKホール、渋谷

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君が代

ラ・マルセイエーズ

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ベルリオーズ ロメオとジュリエット

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ユリア・ハマリ、メゾ

ローラン・ブッフケン、テノール

アゴスティーノ・フェリン、バス

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ロリン・マゼール指揮

フランス国立管弦楽団

フランス国立放送合唱団

ロジェ・ワーグナー合唱指揮

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マゼールのものすごいビートとオーケストラの響き、特に中音域の充実度には耳をみはる。そしてそれにまけずおとらず圧倒的な合唱のうまさ。

この曲はあまり好きではなかった。というのもあまりにも長すぎる。こうやって観ながら聴くとわかりやすく聴きやすい。

マゼールは聴衆を飽きさせない方法を知り尽くしているのであろう。ダイナミックな縁どりで明確な明瞭な音楽づくりでありこれまたわかりやすいし、何よりも面白い。

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中声部の濃さ充実度は、当夜の演目に先立って奏された両国国歌において如実にあらわれる。「君が代」ではいろいろ口に出す前に聴けば、という感じでこのサウンドの充実度は明らか。

ものすごい中声部の充実度を即座に感じ取り、次の「マルセイエーズ」で高音部のバランスの良さを感じ取った。

木管のアンサンブルのうまさとヴィオラ、チェロのあのぶ厚い音には感嘆。このオーケストラの中音域のサウンドの大きさはものすごい。

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フランスのオーケストラの特徴は、このオーケストラを聴き、かつ、観ればだいたいわかると思われる。ほとんど非の打ち所が無く、どっちかというと、曲をもってオーケストラを聴かせる、といった雰囲気である。

あとは指揮者だけである。

あの1974年のクリーヴランド管弦楽団に音楽監督として随行した.来日最終公演で忘れもしない、ベートーヴェン4番とベルリオーズの幻想を振った、そしてアンコールでヴェルディの運命の力を振った、そのマゼールである。

最初の姿を見ただけで興奮冷めやらない。あの時の演奏を思い出した。あの時のベートーヴェンのみずみずしさ、ヒートしたベルリオーズ、宇宙に漂ったヴェルディのピアニシモは、そのまま作品に残しておきたいような演奏であったものだ。

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今回の演奏はマゼール特有のビートは随所にきいているもののオーケストラが異なるせいかマゼールにしては結構、粘着質に聴こえた。

それにしても、飛び跳ねる手と体がそのまま音になる姿は、もうそれ自体芸術だ。音はあのようにして作ることもできる。

といった感想で曲の中身はどこにいったの?ということになってしまうが、100人規模のオーケストラ、100人規模の合唱団、圧倒的なステージは目に浮かぶ。

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ところで当公演のプログラムには曲のタイミングが秒単位で書いてある。演奏する前からなんでわかるのだろう、といった細かいところは横に置いてそのタイミングは以下。

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ベルリオーズ/ロメオとジュリエット

11810

22903

休憩2000

32250

41900

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以上参考タイミング。

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それともうひとつ。

記憶にないが当日はテレビとラジオの収録があったようだ。放送予定が載っている。

1978/8/6()NHK教育TV14:00-15:45

1978/8/29()NHK-FM15:00-18:00

だから、どっかにヴィデオテープと録音テープが残ってるんだろうね。

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947- フランス国立管弦楽団来日 ロリン・マゼール メシアン 1978.7月

2010-01-10 10:27:22 | インポート

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新国立のジークフリート、神々のたそがれまで少し時間がありますので、例によって昔聴いたコンサート観たオペラから。1978年のお話の続きです。

一覧はこちらからどうぞ。

1978年演奏会感想

19787月フランス国立管弦楽団が同合唱団ととも200人規模で大挙してやってきた。70歳の節目となるメシアンも同行。その日本初演の曲も含め、12回公演すべてフランスもの。このときのわくわく感は今でも忘れがたい。

コンマスはフォンタナローザ、パスキエ、フルートにはガロワなど有名どころが、パリ管ほどではないにしても、ずらりと並んだ。

12回公演のうち3回聴いたが、初日と二日目では両国国歌の清奏から始まった。そこらへんは次回以降のブログへ。

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フランス国立管弦楽団

フランス国立放送合唱団

ロリン・マゼール指揮

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オール・フランス作曲家演目

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1978.7.14()NHKホール ◎

1978.7.15()NHKホール ◎

1978.7.16()神奈川県民ホール

1978.7.17()草月ホール イヴォンヌ・ロリオ

1978.7.18()日比谷公会堂

1978.7.19()日比谷公会堂

1978.7.21()フェスティバルホール

1978.7.22()京都会館第1ホール

1978.7.24()福岡市民会館

1978.7.26()広島郵便貯金ホール

1978.7.27()フェスティバルホール

1978.7.28()名古屋市民会館

1978.7.29()神奈川県民ホール ◎

以上。

◎は河童潜入。

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日比谷公会堂というのが時代を感じさせるが、前年カラヤン&ベルリン・フィルが普門館で演奏するなど、まともなホールは70年代後半でもあまり無く、上野か渋谷のどちらかしかない。7月といえば海外では普通シーズン・オフに入ったばかりで、本格的な夏休みの前の海外公演ということになり、同時期にたくさんのオーケストラが来日する。演奏する会場がなければ、バッティング。いろいろと調整もあることなのだろう。

フランス国立管弦楽団の来日は2回目。1966年が初来日だが、その当時の名称はフランス国立放送管弦楽団。1975年の放送局組編により名称変更。

1978年当時の棒は、バーンスタインとマゼール両指揮者による常任客演方式。シャンゼリゼ劇場が盛り上がっていた時代。

来日公演ではメシアンの日本初演曲含めマゼールが12回全部振った。

合唱は100人規模。合唱指揮はロジェ・ワーグナー。

そしてメシアンの奥さんのイヴォンヌ・ロリオ含めソリスト5名。

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初日714日、NHKホールに

君が代

ラ・マルセイエーズ

が響き渡った瞬間、聴衆は総立ちして敬意を表した。

初日1978.7.14公演へ続く。

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946- 華金がやってきました、でも。苦行華金徘徊自粛。

2010-01-08 00:10:00 | グルメ

年末に極楽浄土をしてしまいましたので、今週の華金は自粛(しようかな)

あれ、クラキチさんは年末の〆にパスタしたようですね。

昨年のことは忘れて、
年始のお参りは、遠目にみるスカイツリー。
スカイツリーの成長記録ブログは多すぎてどれを見ればいいのかわかりません。
みんなで毎日写真を撮りにいってるんですかね。

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945- レナード・バーンスタイン ニューヨーク・フィルハーモニック ヤング・ピープルズ・コンサート

2010-01-06 00:10:00 | ヤング・ピープルズ・コンサート

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年があらたまったので全25巻の1巻目から、演奏会感想の合間にいれていきます。今年2010年中に全部出来ればいいですけど。

ヤング・ピープルズ・コンサート①

音楽ってなに?1958.1.18

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バーンスタインが、音楽にまとわりついている俗物を排し、音、音楽を聴くことから湧き出る感情について熱弁。

ロビーのないカーネギーホールへ勇んで入っていく子供たちの映像から始まるこの映像は、ニューヨーク・フィルハーモニックNYPのヤング・ピープルズ・コンサートYPCのテレビ放送1回目のもの。内容については観て楽しむのが一番なのであまり書かない。

バーンスタインが最初から最後まで間をおかずしゃべりっぱなし、話してないときはピアノを弾いているか棒を振っている(棒は持っていないが)。

才気溢れる解説、トーク、ピアノの腕、指揮であり、当時、ドイツのカラヤンって誰?みたいな話が全く冗談ではなく飛び出してもいささかの違和感もない別のワールドを作り出していたのがよくわかる。昔からヨーロッパ志向の日本人。この映像を見るたびに大事なものを見ずにこれまできたというのも痛々しいほどよくわかる。アメリカの音楽の繁栄を無視した代償はなんだろう。いまだ無視し続けているからこの先もっと後でわかるのかもしれない。

市販されているヤング・ピープルズ・コンサートは25巻物なわけですが、このコンサート自体25回で終わりというものではない。

このコンサートはこれ以前のその昔からNYPの名物でありずっとやられていたし今でも続いている。

このYPC①は1957-1958定期公演シーズンの一環のコンサートであって、当シーズンだけでもYPC自体は10回行われた。

当シーズン1回目はトーマス・シッパース指揮によるもので、19571123日にありました。当然副題もついています。

1957.11.23トーマス・シッパース指揮NYP

"STICKS, SKINS AND KETTLES"

- THE STORY OF THE PERCUSSION FAMILY

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ビデオになっているYPC①音楽ってなに?は当シーズン2回目のYPCであり、1958118日の土曜日のお昼12時からカーネギーホールで行われ、それを収録したもの。(アップしてある写真を拡大すれば公演ポスターの日時も確認できます。)

初めてのテレビ放送だったのですが、バーンスタインは力む様子もなく、ステージ奥にカーテンの隙間から見えるカメラレンズに惑わされることもなく、なびく前髪を上に撫でながら楽しそうに指揮をしている。またトークも間髪を入れない、飽きさせない爆才爆発。

本人の主張、論点を徐々に絞っていって核心に迫っていくあたり、見事としか言いようがない。

当日の公演はお昼時のものでしたが、ビデオのクレジットでは、オリジナルのCBSテレビジョン放送日が同日の118日となっている。ということは同日生放送か、収録後編集して同日別時間に放送したということになりますね。それが1時間ものとしてビデオ、DVDででているわけです。

写真のポスターを拡大すると、

THIS CONCERT WILL BE TELECAST BY CBS TV CHANNEL 2 IN NEW YORK

と書いてあります。このような書き方は生放送中継のことが一般的ですので生放送を同時収録、あとで編集、商品化、といったところでしょうね。


944- 世界に一つだけのみっともなさ SMAP紅白歌合戦2009

2010-01-05 00:07:14 | インポート

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ビデオで見ました。

今回は特別ゲストが2人でるということで、片方はスーザン・ボイルであることはNHKが報知済み。もう片方の男性はとりあえずは当日まで内緒になっていた。

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スーザン・ボイルをエスコートした木村さんの英語を通訳が英語に訳していたのにはかなり笑えた。ここまでは偶然が良い方向に行っていたのだが、そのあとがいけない。

木村さんのズッコケモーション。このしぐさをするのは日本人だけだ。自然でない意識された動きであり、みっともないにもほどがある。日本人特有の変な動きが世界中に配信されたわけだ。

木村さんの場合、思ったより常日頃から自意識過剰であり、英語を英語に通訳されてズッコケしたわけだが、ズッコケしぐさをすることによりその自意識過剰をそちらのモーションへ関心を移すことで場を逃れようとした。しかし、笑われた当人がズッコケたので見ている人はほかに見る対象がない。さらに見られるだけだったのだ。見苦しい事態となった。

スーザン・ボイルの歌唱は、あのような素晴らしい歌唱をする人は自然にクラシカルな唱法になるというか、そのようにして唱法は確立されてきたんだなぁ、という非常にプリミティブなものからの生成を感じさせる。新鮮この上ない。

そして、透明なクリスタルのような声質が、彼女の心の清らかさとマッチしているように思え、なにか忘れてしまったピュアなものを思い起こさせる。これは良かった。

スーザンはI dreamed a dream夢やぶれてを歌い夢をつかんだ。

ホットな作戦でNHKの企画も功を奏した。

もう一人の大物ゲストは矢沢永吉。

司会の中居さんがアドリブでARASHIのトークを中断し、矢沢さんがNHKホールのステージまで歩いてくるのを導入部のように映しそのまま曲がスタート。2曲歌ったが一曲目の時間よとまれでは歌詞が字幕と違っていて途中から消えてしまったが、そこらへん横に置いて。うーん。これも素晴らしい。

高音はさすがに少しきつそうだが、清らかな声はボイルに勝るとも劣らない。なによりも、下手な歌い手がよくやるようなやつす歌い方をせず、正確な音符拾いをする。聴きやすい。

2曲目のコバルトの空を歌い終わって司会の中居さんとのちょっとしたお話になったが、中居さんが極度の緊張のため、「こりずにまた来年も」と言ってしまった。全世界配信だが日本人にしかわからない語感であるため、こちらは木村さんと違い、切腹は免れたと思う。

ただ、こりずに、というのは日本人なら意味はよく理解できるものの、微妙な言い回しで、日本放送協会の立場での物言いなのか、聴衆の立場での物言いなのか、結局、矢沢さんを目の前にして極度に緊張してしまい頭の中が真っ白になって、残っていたボキャがこれだったのだろう。中居さんは歌もそうだがこのようなこともかなり勉強しないといけない。勉強したことだろうと思う。

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ということで、この2か所をちょん切ればいい編集となるはずだ。

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