いろいろと荷物整理をしていると妙なものが出てきたりします。
麻雀の牌が出てきました。
昔は自動の卓というのはなくて、4人で手でジャラジャラとみんな牌を詰め込みながら毎日やってましたからね。
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ところで、
スウアンコウのタンキ待ちは、僕も何回かあがったことがありますが、印象的だったのはリャンピンが場に4枚出ていて、イーピンタンキでぶち当たってあげたことですが、逆に振りこんで印象的なのはローマンタンキというこれ以上ないど真ん中の牌で振り込んであげたことなんですが、そのスウアンコウのタンキ待ちは、ダブル役満にしているところとか、普通の役満にしているところなど、場により異なると思いますが、ダブル役満はなんとなく納得できない部分、割り切れない部分がみんなあるのではないでしょうか。
それは例外というか、不確定なケースがあるからだと思います。
たとえば、テンホウがスウアンコウだった場合、タンキなのか普通のアンコウだったのかわからないというか証明できないというか、要はこのようなケースがあるから、それを例外事項とするかどうかですね。
テンホウが国士無双の場合も、穴待ちだったのか、13面チャンだったのかわからない。
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役満でもう一個印象的なのを思い出しました。
スッチーピン待ちでオープンリーチをかけてあげたのですが、トイメンの泣きじゃくっていたヤツが、泣きすぎてとうとう手持ち2枚となってしまい、それがついに、スーピンとチーピンの2枚になってしまったんですね。
どちらかを捨てなければいけないわけですが、捨てるとオープンリーチに振り込むことになり、リーチをかけていなくて振り込んだ場合は役満払いですから、役満となったわけです。本当に泣いてましたけど。
やっぱりチーポンする麻雀は味気ないですね。
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スッチーピンでひとつ思いだしました。
みんなでリーパイを始めたらトイメンが突然スーピンでダブリーをかけたんですね。
ほかの3人はとりあえずジハイを捨てて、一回転して、そのスーピンでリーチをかけたヤツがつもったんですね。
ダブリー一発つもなんですが、つもった牌がペンチーピンだったんですね。
自分でひっかけておいて一発つも。爆笑でした。
ダブリー一発つもだけ。だけ、は役ではありませんが、虚しい満貫でした。
リャンシバでもこの場合OKなんでしょうけど、リーチをかけなかったら、つもノミ、ノミは役ではありませんから、ぺんちゃんつもで24ぷ、切り上げ30ぷで、500点300点のゴミのクソ手です。
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それに比べて河童は常に美しい手牌を求めて、フーテンの寅さん、ならぬ、振りテンのドラ3、などという欲深なねらいをすることもなく、ただただひたすら美しすぎる手だけ求めていたのでした。
一番好きなのは、もちろん、面前でなければ話にならないのですが、3色ものですね。
理想的な手をあがったことがあります。
メンタンピン一発つも3色イーペイコウドラドラ。裏ドラ一個追加で3倍マン。
われめ麻雀ですから、親ワレで96000点。32000オールで、それまで場が少し進んで点棒の変化がありましたから、3人ともとびました。
やぁ理想的でした。究極の美しいあがりでした。
昔、ザンク麻雀を理想に掲げていた人がおりましたよね。わりと有名な人で。
でも河童の場合は、全くその逆の雀風です。
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ということで麻雀はよくやりましたね。
仕事がわりと暇なフェーズのときは毎日でした。
渋谷の雀荘で、煙草を4人とも吸わなければ1割引きの店というのもありましたね。
コルタールのヤニのついた灰皿を片付ける必要がないわけですから1割引きも安いもんでしょう。
それで、1か月に21回、1週間に8回、といった感じでやってましたね。
そうそう、バスから降りるときにころんで右親指を骨折した人がいて、翌日、右腕を包帯で巻いてきた人がおりましたが、毎日やるには4人のメンツが欠かせないわけで、無理やり包帯のまま雀荘に連れて行きました。
ロン、とか言って、左手とあごで牌を倒してました。
そこまでしてするか、という感じですが、なにしろ4人いないと出来ないゲームですからね。
あと、もう一個思い出しました。
例によって徹マンをしたときのことですが、その右親指を骨折した人なんですが、治ってからずいぶんたって、一晩に3回役満をあがったんですね。
そうしたら被害にあった別人が目が飛び出してしまい、翌日、網膜はく離で入院してしまったんですね。
ちょっとあまりにもかわいそうになりお見舞いにいったのですが、うつ伏せで寝てました。
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麻雀では爆笑ものの話がまだまだたくさんあるのですが、今の時代、若者は麻雀なんかしなくなっているので、それやこれや書いてもクラシック音楽なみに意味不明となってしまいますので、ここらへんで。。
おわり
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