河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

425- ビシュコフ パリ管1 1991-22

2007-09-29 23:44:54 | 音楽

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ムーヴィングでバタバタしてましたが、少し落ち着いたので、久しぶりに生聴きシリーズをアップします。

今書いているのは1991年の生聴きからピックアップしたもの。

1991-21以前のものは左の全項目一覧の過去ログに一覧がありますのでそちらを見てください。といってもまだ1987年頃からのものしか書いてませんが。。

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この年、パリ管が唇の厚いセミヨン・ビシュコフとともにやってきました。

11回公演で、プログラムは3本。うち、ベルリオーズ狂気のファウストの劫罰を3回敢行しました。

長くなるので何回かに分けてアップします。

今日はとりあえず、来日の日程など。

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1991年の来日公演は以下の日取りで行われました。

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1991

1031()東京文化会館●

 特別プロ ファウストの劫罰

111()東京文化会館●

 特別プロ ファウストの劫罰

112()神奈川県民ホール

 特別プロ ファウストの劫罰

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113()サントリーホール●

115()サントリーホール●

116()東京文化会館

118()名古屋市民会館

119()フェスティバルホール

1110()岡山シンフォニーホール

1112()群馬県民会館

1113()聖徳学園川並記念講堂

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セミヨン・ビシュコフ指揮

パリ管弦楽団

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●は河童潜入

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初日から三日続けてベルリオーズのファウストの劫罰を敢行しましたが、これは2回聴きましたので次回書きます。

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パリ管、この独特な響き。

昔はパリ管と言えば、きらびやかで、ブラス、ウィンド、ストリング、全ての楽器がキラキラと輝くようなサウンドで他国のオーケストラとは明確に一線を画す。

パリ管、と日本語で発音するだけで何かワクワクするようなイメージが膨らむ独特な響きをもっていました。

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シャルル・ミュンシュ

ヘルベルト・フォン・カラヤン

ゲオルグ・ショルティ

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ミュンシュのEMIのブラ1、幻想、ではじまったパリ管だが、そのミュンシュはあっというまに亡くなくなってしまい、カラヤン、ショルティも任期3シーズンほどでいずれも短い。

次の、

ダニエル・バレンボイム

1975年から1989年と長かった。

バレンボイムがオペラに目覚め、バイロイトでも振り始めた頃だ。

彼にとってのパリ管はどうだったのだろうか。

彼のバイロイトのリング・サイクル初年は1988年であるので、ちょうど区切りのようになっているのかもしれない。

バレンボイムで忘れ難いのが、スクリャービンの法悦の詩。

たった20分の曲ながら最後の究極のフィナーレに向けたあの圧倒的なサウンド、音圧。

そしてパリ管のめくるめくような、天から星が降り注ぐような、トンデモ演奏。

あれの上は今でも無い。

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そして、バレンボイムのあとを継いだのがビシュコフ。

彼はこのとき初来日のはずだが、河童は既にニューヨーク・フィルハーモニックの演奏でビシュコフを聴いたことがある。それはまた別のときに。

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それはそれとして、いきなり、ファウストの劫罰、3回公演から始まる。

内容は次回のブログで。

(続く)

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