河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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2611- チャイコフスキー・プログラム、テンペスト、ロココ、イオニーツァ、シンフォニー4番、カンブルラン、読響、2018.9.15

2018-09-15 23:53:12 | コンサート

2018年9月15日(土) 2:00pm 東京芸術劇場

オール・チャイコフスキー・プログラム

テンペストop.18  22

ロココ風の主題による変奏曲イ長調op.33  18
 チェロ、アンドレイ・イオニーツァ

(encore)
ツィンツァーゼ チョングリ  1

Int

交響曲第4番ヘ短調op.36

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団


オール・チャイコフスキー・プログラムの後半に置かれたシンフォニー4番は、普段あまり聴かれないフォルムの演奏でした。1,2楽章のことなのですが、極度に平面化され、動じない揺れない、かなりスロウな一定のテンポの中で、まるで直方体の箱のような出来具合。形に対する明確な考えを聴き取りました。ソナタの型というよりも微細なものの積み重ねで出来る形に対して絶大な信頼をカンブルランは持っている。
3,4楽章は普段聴いている4番モードになりましたけれども、彼の中では等速クレンペラーのような表現となった1,2楽章と、3,4楽章は別々のものとしてすみ分けされているわけではないと思う。聴き手側のほうも試されているわけで、終止緊張感に包まれた演奏に直面すると型に対する比較というよりも聴き手の視野を広げようとするカンブルランの意図を思わせてくれる。何に美意識を強く持っているかということになっていくんでしょうね。
それにしても、2楽章の最後のピツィカートなんてまるで悲愴のお仕舞のあたりの雰囲気そのままでしたね。う~んと、うなってしまいました。

予兆は冒頭のテンペストにあったわけで、素数の積み重ねをじっくりと味わうスロウな進行で、フレージングが入念でフレームにおさまった絵でも見ているようだ。聴き手側にとって最後まで持つかどうかの難物で、指揮者オケの緊張の糸が途切れることの無い演奏には恐れ入った。入れ込んで聴くのみ。自分にとってはロジェストヴェンスキー&同オケ以来の同作品生演奏で、充実したもの、なかなか手応えありました。
ブラスセクションの精度が今一つなのはアンサンブルの問題です。

2曲目のロココもじっくりと楽しめました。チェロの音が殊の外伸びてくる。音色が一様でブラウンな雰囲気を醸し出している。節々まで弾き切っていて、のっぺり感皆無、ハイレヴェルのロココ演奏よかったです。
アンコールは、弓を持たず現れ、ピツィカートの曲。ピツィカートだけで1分以上持たせるのは難しいだんろうなあと妙に納得。
おわり