2016年2月20日(土) 2:00pm サントリー
モーツァルト ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488 11′7′+7′
(カデンツァ:モーツァルト)
(Encore)
モーツァルト ピアノ・ソナタ第10番第2楽章ハ長調 K.330 5′
モーツァルト ピアノ・ソナタ第10番第3楽章ハ長調 K.330 4′
Int
ブルックナー 交響曲第9番ニ短調WAB109 24′11′25′
(ノヴァーク版)
ダニエル・バレンボイム ピアノ、指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
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この日、千秋楽も完全空白実現。
アダージョ楽章の弦の湧き上がり方は類を見ない。今まで聴いたこともないような表現で、何もないところからすーーぅと音が出てきて、そして力を増してくる。忍び寄るような雰囲気でいつの間にか耳に入ってくる。バレンボイムの棒とこのオーケストラでしか成しえないようなもので、陳腐な言い方なれどライヴのあの場でしか味わえないものだと思う。角があるとかないとかといったレベルを越えていて、空気の波動が無から変化が、少しずつ揺らぎが発生していくといったフィール。言葉にならない響きの美しさ、比類の無いものだと思う。
1番から随所にこのような表現がまき散らされておりましたけれども、この9番のアダージョは、無からの音の出具合とシームレスな流れ、極上でした。声にならない。
当然、経過句の味わい深さは絶品で、それ自身、まるでワーグナーオペラの場面転換でも聴いているような錯覚に陥る。味わいが濃い。バレンボイムは、ほかの指揮者がすっと通過してしまうフレーズを丹念に振る、逆にジックリの聴かせどころをすぅっと済ませてしまう、みたいな話しはありますけれど、そういった事というのは、このような表現の受け手側の感じ方に起因した物言いのように思えるのです。今日みたいな演奏を聴くとその思いを強くします。ワーグナーでも同じですね。
こういった響きの移動は突き詰めますとフルトヴェングラーの後継という思いはあります。
1番から全部聴いて色々と書いてきましたので、もう書くことはありませんけれど、発見はいくらでもある感じ。文字通り発見です。そこにあるのに分かっていなかったことが自分の前に現れてくるのですからね。
ニ短調シンフォニーは3番と9番、9番のほうがはるかにやにっこくて、カオスをより強く感じる。9曲の中で一番カオスを感じる。多用される不協和音はそのようなことを増す要因になっているし、楽章の構成感はほれぼれするしバレンボイムの造形も見事なものでしたけれども、作品自体がどこに向かうのか混沌としている。第1楽章の弱音終止のインパクトは大きいですね。それに8番同様スケルツォを2楽章に据えた。3楽章がアダージョでよかったというのは未完成作品であることを念頭においたものでそれなりにわかりますけれど、それやこれや全部含めても、3楽章まで聴いて4楽章がまるで浮かんでこない。このカオスを解決できる第4楽章なんて書けるんだろうかという思い。
特に第3楽章の最後の清らかなコーダよりもむしろその前の混沌とした響きの世界がブルックナーがやりたかったことではないのかと、これまた、現場で強く感じた。清らかエンディングに話がいきやすいのはロマンティックに過ぎる。
バレンボイムのあまりの素晴らしすぎる天才棒に唖然とします。問題提起されて終わった気もします。巨人の作品を世界最高峰の指揮者とオーケストラが完ぺきに演奏し、それでもなお、放り出されたような感覚。
ブルックナーは頭の中に、急がない、答えを持っていたのだろうか。
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バレンボイムのブルックナーはやればやるだけ奥が深くなり、ベルリン・フィルとの全集は今回のサイクルで完全に色あせたものとなった。あれを今更でも聴くのは今回の思い出確認のため、ぐらいのレベルかもしれない。
拍手は15分も続きました。完ぺきなエンディングと完ぺきな聴衆による空白。そして熱い拍手とブラボー、サイクルへの感謝もありますね。
一般参賀あり。
今回のサイクル中、聴衆の音楽への圧倒的な向き合い、指揮者とオーケストラも強く感じたと思います。なにしろ一度としてフラブラもフラ拍もありませんでしたから。
完全空白の実現。ブルックナーもこの日本の聴衆に大満足し天国で狂喜しているに違いない。
それから、このオーケストラは手兵ですから当然といえば当然ですが、メンバーによる指揮者への迎合足踏みがサイクル通して一度もありませんでした。そんなことはこっちも忘れていました。そんな世界ではないんですね。国内指揮者のにやけた笑い棒も含めて、彼らの爪の垢を煎じて飲んでほしいぐらいです。にやける前にすることは山積みなわけですから。
9番の保有音源は79個です。
初めて買ったのはロジェヴェン&モスクワRSOのLPでした。第2楽章途中でひっくり返さないといけないあれですね。A面からB面へ、あすこでの裏面セット、正解とは思いますが。
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前半のモーツァルト絶品でした。美しい、きれいなピアノの音が次から次へと。バレンボイムもこのサイクル、最後の弾き振りと言うこともあり殊の外リラックス。終楽章へはアタッカではいり、弾みも増してくる。ファインな演奏。
サイクル中これまで無かったアンコールまで、2ピースをサービスで。生き生きしておりました。音楽が生きている。これですね。
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バレンボイムの偉業を見るにつけ自分のさぼり具合をあらためて感じる日々がしばらく続くかもしれません。バレンボイムはこれからも進化を続けていくでしょうし、ここでまとめの話は無いですね。
素晴らしいサイクル、ありがとうございました。
おわり