河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2061- パーヴォ・ヤルヴィ、ブニアティシュヴィリ、N響、2016.2.17

2016-02-17 23:47:36 | コンサート

2016年2月17日(水) 7:00pm サントリー

シュトラウス  変容  25′

シューマン ピアノ協奏曲イ短調  15′5′9′

 ピアノ、カティア・ブニアティシュヴィリ

Int

シュトラウス ツァラトゥストラはかく語りき  33′


パーヴォ・ヤルヴィ 指揮 NHK交響楽団


シューマンをシュトラウスでサンドイッチ。30分ロングのプログラム3作品。手応えありますね。
真ん中のシューマンは噛むほどに味が出るいい曲です。ピアノのカティアさんは、演技派で表情豊かすぎ胸ありすぎ髪ありすぎで、頻繁に顔全体がモップのような多量の髪で覆面のように覆い隠される。本人からはまわりが見えていると思いますが、周りから見るとどこに顔があるのかわからなくなる。あと、指揮者とのアイコンタクトありすぎ。
独奏部分のテンポを極端に落とすピアノで、オケパートとの協奏のテンポとは別物で別の曲みたいになる。これだけ違うと聴くほうも開き直りですが、やりすぎですね。
中身がどうなのかという話でいうと、なんでこうなるのかその根拠というか何に根ざしてこのような演奏となり何を表現したいのかいまひとつわからない。アルゲリッチを敬愛とありますから、なるほどそういう見方をするとそうかもしれないとは思いますが、そのようなことは皮相でなければいいなと少し杞憂しました。オケとはかみ合いわないのでリサイタルを聴いてみたいものです。

シュトラウス前半の変容。きっちり23人×2=46人での演奏。
ベースが6人、10+10+10+10+6の配置。
各パートも分離したりまとまったりで弾いていますので、強弱は見た目以上に濃い。オーケストラを聴く醍醐味ですね。
ヤルヴィは劇性を排しているというか、意識して排しているわけでもないと思いますが、そういったものは美学が違うのかどうか、かといって、すべるような角のとれた滑らかな演奏というわけでもなくて、音楽の表情はモノローグ、といった雰囲気。タクト弱起の4拍目ですぐに次のバーの準備にかかってしまうところが気になります。音楽の呼吸という点で。

ツァラは盛大な鳴りの曲の割にはしりつぼみで、まぁ、中身が透けて見えるということもあるし、しぼんでしまった。ホールの盛り上がりもいまいち。
ブラスセクションのソロパートは相応でしたが、アンサンブルで音が汚れているところがたびたびあって、フレーズが進むごとに、その次のフレーズもそうなるのかな、といった心配も出てきてしまいました。オーケストラ演奏というのは配置で分かるように奥行きのあるものですから、そういうことを意識した音の立体感、奥行き感がほしい。深彫りしていくタイプではないと思われるし、バランス感覚、平衡感覚の決まった演奏を聴いてみたいものです。
おわり