2015年4月17日(金) 7:15pm トリフォニー
シュトラウス ティル=オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら 15′
ヴァレーズ アメリカ 25′
Int
ヴァレーズ アルカナ 18′
シュトラウス 死と変容 25′
インゴ・メッツマッハー 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
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この日と翌日の同プロで、メッツマッハーのNJPミュージックアドヴァイザーとしてのお仕事は終わり。惜しい限りです。これまで上昇カーヴを築いてきた組合せ最後の最高演奏でした。
プログラムの妙、ここに極まれり、そんな感じです。が、
それよりもなにより、
最後の曲、死と変容、なんと言うか、夢の中にいるような演奏でした。
あまりに深刻に素晴らしすぎて声にならない。ブルーに輪郭をなめるような妖しいフレージング、透明でそれぞれのインストゥルメントが一本ずつの紐のように分解されながら奏でられていく。分解サウンドは、ときにふくらみを感じさせつつ、だんだんと、一つの個体の動きのようにまとまりを魅せていく。音楽のこの多彩なニュアンス。もつれほぐれる響きのあや、音の変容。心底、あ然とする演奏。
最後とは言わない。メッツ&NJPが上昇カーヴのなかで聴かせた名演奏ではあるが、もっと回数を重ねれば今回の演奏も中腹だったのかもしれないと思わせたかもしれない。名残惜しくもウルトラ美に彩られた名演奏だったと思います。
美味しすぎるプログラムですが、ホルンさんトップ不在で1曲目のシュトラウスは大阪フィルのかた、ちょっとだけ滑りましたが概ね良好で、体つきに似合わず割と軽くというか転がっていくタイプの吹き手ですね。
あと2番の女性のかたは1月に聴きに行った名古屋フィルの2番さんですね。こちらはこの4月からの契約とのことですから先々まで腰を落ち着けてやるのでしょうね。
今後、インストゥルメントのプリンシパルはきっちりと固定していってほしいものです。
ティルはジャジーなところが中間部にありますけれど、ヴァレーズのアメリカの先出でしょうか。
アメリカはアルトフルートに導かれたメロディーが通奏低音風に最初から最後まで鳴っている。破天荒になりつつ、リズミックにゴムの伸びちじみのような音のたたきつけで強烈に終わると思いきやごく短くピアニシモのサイレンが余韻を残しエンド。
色々なものが交錯する音楽ですが、自分としては割と聴きやすい。長さを感じさせない曲。
巨大な編成に目を見張るでかいサウンドながら音による暴力性のようなものは感じない。むしろ古さを感じさせるようなところもありますね。時代の移り変わりで陳腐になったよな箇所というのは、ヴァレーズの後、よく使われるようになった手法のパーツと言えるかもしれない。
真の音の暴力とでもいうべき、フラブラ、フラ拍、この日は4曲ともに全くなし。このアメリカのサイレン・エンド終止もよく味わえました。
後半の最初の曲はアルカナ。
最初の5分を中心に全般に渡りストラヴィンスキー火の鳥の全曲版でも聴いているかのような錯覚に陥る。雰囲気がよく似ている。
アメリカよりこちらの方が精緻と言うか整然としている。また響き自体も古典からの親近感のようなものが感じられる。
この2人の作曲家、頭の中で鳴っていたものをこうやって外から聴くことが出来るのは本当に良い試み。全く別の音楽世界があったんでしょうね。
・シュトラウス 1864-1949
・ヴァレーズ 1883-1965
ティル 1895
アメリカ 1920
アルカナ 1927
死と変容 1889
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メッツマッハーは明日千秋楽、これまでこんなに素晴らしいプログラムを次から次と連発してくれた指揮者はそうはいない。比するのはカンブルランぐらい。
さらに、
考え抜かれたプログラムビルディングもさることながら、演奏が良い。曲の中身をえぐりだす才覚がずば抜けている。これはとりもなおさずトレーナー的練習による効果も大きいと思います。なれ合いにならず、ルーチンワークの世界にもはまらない。妥協しない。このようなことの効果は大きいと言わざるを得ない。基本的なことなのですが、このような忘れていたことを思い出させてくれた功績は限りなく大きなものでした。それはオーケストラにとってだけでなく、聴く聴衆サイドにとっても同じように感じられたものでした。
思えば、インキネン&jpoと超バッティングとなったワルキューレ第1幕、あすこから始まりましたね。
メッツマッハーさんいろいろとありがとうございました。
おわり