前回のブログに書いたように年末年始のNYP定期にはザンデルリンクが登場した。
1983年12月29日(木) 8:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール
10,327回NYPコンサート
ムソルグスキー/“ホヴァンシチナ”前奏曲
(ドミトリー・ショスタコーヴィッチ編曲)
プロコフィエフ/ヴィオリン協奏曲第1番
ヴァイオリン、シュロモ・ミンツ
シューベルト/交響曲第9番
クルト・ザンデルリンク指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
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WQXR1984.6.24放送予定
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年末年始ごくろうさんなことです。
といってもサラリーマンのこよみは日本とちょっと違い、年末は31日まで。お正月は元日の1日に休みがあるだけだからいたって日常。クリスマスのイヴェントに比べたら大したことはない。
今年は1日2日が日曜月曜ということもありNYPも通常のサイクルと同じ。
ザンデルリンクの初日はどうだったのだろう。
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ホヴァンシチナ前奏曲は非常にきれいなスモールピースである。音楽があるという感じ。
全体のストーリーとはまるであわないような美しさだ。
シューベルトはオーケストラの性能がよく引きだされた素晴らしいものだった。
よく考えてみるとこのようにあびるような弦の音楽を聴いたのはずいぶん久しぶりのような気がする。また、ブラスに節度が感じられくずれない。第1楽章から既に弦はうなるように歌を歌い、ひたすら流れる音楽となる。シューベルトの歌、実感。つい拍子をとりたくなるがここはぐっとおさえてひたすら深く聴こう。
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たとえばブラームスだと第4楽章に向かって何か段々に熱く燃えていく雰囲気が感じられるのだが、ことシューベルトに関してはそのようなこともなくフィナーレぐらいもうすこし興奮しても良いと思ったが。
ただし、各楽章ごとの彫りの深さは明確で主題の現れ方も明瞭。ハーモニーも完璧に美しい。この音楽は美しくなければならない。
シューベルトにおいてはどうなんだろう、ザンデルリンクはそんなにテンポを動かすこともなく、メロディーのバランスによく気を使った演奏に終始していただんだろうか、フレーズの終わりに特に思い入れを込めるわけではなく、その点、シューベルト独特の余韻は感じられない。これはたとえばブロムシュテットなんかとは大いに違っている点であり、彼は十分に余韻を保つし、しかし、それが古臭さを感じさせない。ザンデルリンクはなんというかもっと古典的な気がする。
いずれにしろこのように弦の音楽バランスを聴いていると生き返ったような気がする。
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この前ロサンゼルス・フィルでプロコフィエフのピアノ協奏曲を聴いたばかりだが、今度はミンツのヴァイオリンによるヴァイオリン協奏曲第1番である。プロコフィエフの協奏曲は好きでないとつかみどころがない。テンポの緩急だけは著しいのでそこだけはわかりやすいが。。
ミンツは相当に若いはずであるが、既に名前は知っており、その演奏も知っている。
音は太く、かと言って荒さはなく、もちろん技術的に不安定なところがあるわけではない。
若い人がこのような作曲家の曲を演奏したがるのはよくわかる。もはや曲の素晴らしさもさることながら、彼らはこのような曲に技術的安定感の悪く言えば誇示、それになにか新しい種類の精神的なものをもとめているのだろうか。
おわり