河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

657- マリリーン・ホーン ジェイムズ・レヴァイン リサイタル メト1983.12.18

2008-08-18 00:06:46 | コンサート

メトの公演日は普通、月火水木金土土。
土曜日はマチネーと夜公演の二本立て。
日曜日はお休みで、結局週7回公演がある。
とんでもない数だ。
さて、レヴァインは前日の土曜日に、マチネーでヴェルディのエルナーニを振った。この日の公演は生ライブのヴィデオ取りの日で、LDやビデオテープ、最近ではDVDで発売されている。土曜マチネーは全米全土へのラジオ放送を行うが、この日はPBSでテレビ中継もあった。レヴァインはいつもどおり振るだけだからなんともない。
それで、その土曜日の夜のフィデリオはテンシュテットに任せ、本人は、普段何にもない日曜日のMETで行うリサイタルの練習を余裕でやっていたのかもしれない。


1983年12月18日(日)5:00pm メトロポリタン・オペラハウス

マリリーン・ホーン、メゾ
.
ジェイムズ・レヴァイン、ピアノ

ヘンデル/
“ロデリンダ”よりScacciata dal suo nido
レシタティーヴ、Frondi tenere
“セルセ”より、なつかしい木陰よ(オン ブラ マイフ)

シューマン/女の愛と生涯

休憩

ブラームス/アルトのための二つの歌、op91
 MICHAEL OUZOUNIAN, Violin

ビゼー/アラビアの女主人の別れop21の4

デュパルク/恍惚、ロズモンドの館

グノー/Repentir

ニン/10のビリャンシーコ(クリスマス頌歌)より4曲
  Villancico Castellano
     Villancico Asturiano
     Jesus de Nazareth
     Villancico Andaluz

日曜日、オペラ公演のない日にレヴァインのピアノ伴奏によるリサイタルはたまにある。キリ・テ・カナワのリサイタルも観たことがあるが、基本的にリサイタル系はあまり得意ではないのでめったにいかない。
この日はいった。

巨大なメトにたった二人で登場。
それでも満員の聴衆は水を打ったかのように静まり返る。
この二人がいれば十分なのだろう。
ホーンは明るく、ニュアンスに富み、時としてロッシーニの分身のように見えたりする。
いわゆるメゾのそこはかとない味わいは自分の中にかみしめて、わりとさわやかに表現、アクションする歌い手だ。
シューマンの女の愛と生涯は、宝石箱というか愛しむオルゴールというか、何かそのようなものにメトがはいってしまったような味わい深いものであった。
日常でオペラを歌っている彼女にとって、大したリサイタルではないのかもしれないが、唯一、丁寧さ慎重さといったあたり、踏み外さない。
声質的には、ヘンデルのようなきれいな単旋律のほうがあっているのかもしれない。
ヘンデルのオペラ、オラトリオは劇で観て初めてその凄さがわかるのではないか。そのインプットがあれば、小曲も十分楽しめる。

マリリーン・ホーンは英語でしゃべり、今日のプログラムのようにドイツ語、フランス語、スペイン語とよくこなす。
ドイツ語の歌は発音が最後の音まで明晰でわかりやすかった。
シューマン、ブラームスともに素晴らしく、よく雰囲気が出ていた。
ただ、低音になると音の質が変わってしまうようなところがあり、低音から高音までまんべんなく、とはいっていなかったように思う。
高音は表現の幅があり、微妙なニュアンスをよく歌い、オペラ的な感興を持っていると思う。
聴衆も彼女のオペラにおける素晴らしさを知っているからこそ、あれだけ騒ぐのであろう。

ピアノ伴奏をしているのはジェイムズ・レヴァイン。
この日の主催はいわゆる
‘メトロポリタン・オペラ・プレゼンツ’
だから、当然、伴奏もレヴァインは、しないと気が済まない。
あれだけオペラをこなしていながら、ピアノも饒舌。
左手は指揮をしている時と動きが同じであり、ピアノそのものはやっぱりオペラにおける劇的なものを求めているように思える。
フレーズの終わり方などに独特の雰囲気をもっており、単なる伴奏に終わっていない。
エンディングがいつも味わい深すぎるわけだが、聴衆もリサイタルの歌曲のエンディングなんて普段あまり力を入れて聴いていないようでもあって、あえてこのように速度を落として陰影をつけて聴かされると、あぁ、こんなにもかみ締められるものだったのかと新鮮な驚きを覚える。
いずれにしても、よくこれだけの驚異のスケジュールを何の苦もなくこなすものだ。
おわり