河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

654- トリスタンとイゾルデ エヴァーディンク メト1983.12.10

2008-08-12 00:12:38 | 音楽

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1983-1984シーズンに聴いた演奏会、観たオペラを書いてます。

今日はメトです。

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19831210()7:00pm

メトロポリタン・オペラハウス

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ワーグナー/トリスタンとイゾルデ

     (当演目第335回公演)

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アウグスト・エヴァーディンク 演出

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水夫の声/ジェフリー・スタム

イゾルデ/ヒルデガルト・ベーレンス

ブランゲーネ/タティアナ・トロヤノス

クルヴェナール/リチャード・J・クラーク

トリスタン/リチャード・キャシリー

メロート/ティモシー・ジェンキンス

マルケ王/アーゲ・ホーグランド

牧童/ポール・フランク

舵手/ジェイムズ・コートニー

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指揮 ジェイムズ・レヴァイン

例によって当時の感想より。

あまりにもすばらしすぎるレヴァインの指揮。見事の一語に尽きる。

そして、この舞台効果満点の演出。幻想的なもの。

だいたいいつも聴くのは「前奏曲と愛の死」。だからあんまりこのオペラについてどうのこうのと言える筋合いではないのだが、ただひとつ確実に言えることは、「愛の死」を聴くためには、やっぱりその前の全容を聴く必要があるということです。

河童は以前、チェリビダッケ指揮読響によるほとんど狂気、愛の狂気ともいえるこの曲に対する原体験をもっている。前奏曲から愛の死へと完璧なオペラ的で劇的な推移を経て、荒れ狂う愛の死は言葉で言い表せないものであった。

しかし、ここでレヴァインが全曲を通してみせた表現のなんたる違い。

ここにはオペラの最後の一部として存在する「愛の死」があるように思える。オペラ全曲として考える場合、ここだけ特別にチェリビダッケのように狂気のように振る必要性があるかどうかというと、それは私にはよくわからない。

レヴァインの指揮によるトリスタンは、その圧倒的テンポと自然な呼吸、その指揮により第1,2,3幕を通し、必然的な盛り上がりを示し、そしてまた、そのまま流れ込むように愛の死を迎え、音楽は静かに消え去る。これでよいのではないか?

別にレヴァインの表現が平坦だと言っているのではない。

オペラとしてみた場合、それを全体の流れとしてみた場合、レヴァインの指揮は見事の一語に尽きると思う。

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出だしの暗闇の中で始まった前奏曲。それは静かに静かに深く深く沈みこみ、そして第1幕へと移っていく。それから延々5時間、ひと眠りする暇もなかった。実のところ、弛緩したところは一ヶ所もなかった。

第1~3幕に音楽が推移するに従い、例の前奏曲のメロディー主体の音楽が段々と愛の死のメロディーを帯びてくるのがよくわかる。

レヴァインの指揮はよく歌い、そしてよく流れる。ベーレンスのトリスタンも高音がよくのびきっていて、また、低音にも安定感があり、聴きごたえがあった。

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舞台も良かった。特に第2幕における効果的な推移は、この機能的なメトロポリタン・オペラハウスでのみ可能のように思える。背景が10回以上変わったのではないか。

その第2幕の後半の方でトリスタンとイゾルデの顔のみが舞台に浮かびあがり、他は真っ暗でその二つの顔が少しずつ上の方へあがっていくその光景は圧巻である。

この演出では全体に舞台に向かって左側に力点があるように思えた。従って右側に座っている人うのほうがよく雰囲気をつかめたのではないかと思う。

おわり

こんな感じで、もっとちゃんと観ておけ、と言いたくなるが、当時のボキャレベルではこんなもの。

エヴァーディンクの舞台は、今思い起こすとエンターテインメント系のもので、前席から後席まで受けのいい舞台であったと思う。但し、今みたいに激しい動きのあるものではなかったと思う。

ベーレンスは当時メトの中心的な歌い手のひとりであり、その体当たり的表現はこのようなオペラにもふさわしい。

キャシリーは、その後発売されたメトのタンホイザーのタイトルロールを歌ったヴィデオを観てもわかるように、肉、油、エネルギー、汗、など人間そのものの塊であり、トリスタンの複雑系な心のひだを表現するには今一つ違和感がなくもない。

レヴァインの棒は、深呼吸のテンポで実によく歌い流れる。彼が、バレンボイムのバイロイト5年リングのあとを襲ったのは当然と言えるが、この1983年より前1982年に、既に悠然たるパルジファルを振っている。この年既に演奏だけで正味4時間半かかっていたパルジファルであるが、その後さらに悠然過ぎるテンポになっていたのは周知だろう。カミタソも序幕+1幕が2時間15分というトンデモ系の棒になったりしたが、今思えばあのころまでが絶頂期であったのだろう。心身ともにその集中度、あふれる充実感、見事であった。

 

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