ちょっと間があきましたが、引き続き1983-1984シーズン聴いた演奏会、観たオペラです。
今日はまたニューヨーク・フィルハーモニックの定期です。
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1983年12月13日(火) 7:30pm エイヴリー・フィッシャー・ホール 第10,322回
シュヴァントナー/アフタヌーン・オブ・インフィニティ
メンデルスゾーン/交響曲第5番リフォメーション
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番
ピアノ、セシル・リカド
レナード・スラットキン 指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
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また、例によって当時のメモから。
スラットキンは名前だけは知っていたが、顔を見るのも演奏を聴くのも今日がはじめてである。
今日は指揮者が棒を振る前に、最初のシュヴァントナーの曲の解説があった。
とにかく現代音楽でいろいろな奏法がでてくるが驚かないでください。といった説明で、また、それなりの楽器には前もってその奏法をやらせたりしていた。
こんなことはこっちとしては初めてなのだが、なにせ現代音楽であり、説明がないよりはなんとなく安心して聴ける雰囲気となる。また、マンハッタンの聴衆は金をくさるほど持った保守的な連中が多く、このような事前の説明はあっても良いものだと思った。指揮者自身にもいやみなところはなく好感がもてた。
曲は、ハーモニーとリズムがさざ波のように押し寄せてくる、といったところか。
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次のメンデルスゾーンは実演ではめったに聴けない曲。優秀なオーケストラで聴くとなんとなくさわやかさが吹き抜ける。
また、指揮もメリハリがよく効いていて、第3楽章までならレコードにいれられるのではないか。但し第4楽章は曲自体芝居がかっていて、なんとなくぎくしゃくしている。
また、この曲の第3楽章の悲しみの塊のようなメロディーはいったいなんなのだろう。
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ラフマニノフ。
セシル・リカド、彼女の名前も日本にいるときからよく聞いていたが、なんと1961年生まれ。(当時22歳)
彼女の音はあまりギラギラするところがなく、また線も細く、このNYPの馬力についていけないようなところがある。
第1楽章では精いっぱい弾いているにもかかわらず、音がオーケストラにうもれてしまうときがあり、その一生けん命弾いている姿がいたいたしい。
第2楽章は一変し、ラフマニノフ自身考えもつかなかった繊細な表現が浮かび上がる。
それにしても、第3楽章のような、時として怒り狂うようなラフマニノフの音楽も不思議である。
おわり
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と言った感じで、ドライな文章が続く。
でも、自分ではこの文章の中にキーワードがいろいろとはいっており、そのワードを読んだだけですぐに当時のことをイメージすることができる。
セシル・リカドのピアノ・ソロから始まったラフマニノフは今でも明確に思い出すことができる。横幅で迫るのではなく、細みの切れ味鋭い前進力は魅力的であった。
こんな感じで、書きはじめたら、もしかして、いくらでも書き続けられるかもしれない。
スラットキンの棒、NYPのサウンドも良く、2週間前のサブスクリプションに出てきたアンドリュー・デイヴィスとは段違い。
いつか長めの感想にまとめます。