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河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2003- ブラームス、Vn協、クララ=ジュミ・カン、Sym1、ヘンヒェン、新日フィル、2015.10.25

2015-10-25 18:42:19 | コンサート・オペラ

2015年10月25日(日) 2:00pm サントリー

ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調 23′9′8′
  ヴァイオリン、クララ=ジュミ・カン
(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番より「ラルゴ」 3′

Int

ブラームス 交響曲第1番ハ短調 13′9′4′16′

ハルトムート・ヘンヒェン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


フィリップ・カンの娘さんのヴァイオリンです。スレンダーな美人です。
強く当てる一拍目がみずみずしく、美音。力強過ぎて頻繁に弓毛が切れます。演奏はコンセントレーションがかなり効いている。反面、開放も自在。本格的なブラームスでした。

この指揮者は前回来日時のモーツァルトが歯切れ良くていいものでしたが、このブラ1では前のオーケストラに戻ってしまった感じの凡演でした。
おわり


1999- ラインの黄金、千秋楽、新国立劇場、2015.10.17

2015-10-18 23:17:46 | コンサート・オペラ

2015年10月17日(土)  2:00-4:40pm  Opera Palace、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ラインの黄金  2時間34分 approx.
  第1場 24′(場面転換の前まで)
  第2場 49′(〃)
  第3場 26′(〃)
  第4場 43+12′

キャスト (in order of appearance)
1.アルベリヒ、 トーマス・ガゼリ (Br)
2.ヴォークリンデ、 増田のり子 (S)
2.ヴェルグンデ、 池田香織 (Ms)
2.フロースヒルデ、 清水華澄 (Ms)

3.ヴォータン、 ユッカ・ラジライネン (BsBr)
4.フリッカ、 シモーネ・シュレーダー (Ms)
5.フライア、 安藤赴美子 (S)
6.ファーゾルト、 妻屋秀和 (Bs)
6.ファフナー、 クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
7.フロー、 片寄純也 (T)
8.ドンナー、 黒田博 (Br)
9.ローゲ、 ステファン・グールド (T)

10.ミーメ、 アンドレアス・コンラッド (T)

11.エルダ、 クリスタ・マイヤー (Ms)

飯守泰次郎 指揮
東京フィルハーモニー管弦楽団


2015.10.1公演はこちら
2015.10.4公演はこちら
2015.10.7公演はこちら
2015.10.10公演はこちら
2015.10.14公演はこちら

この日はラインの黄金の6回公演千秋楽。
ザブンザブンと言う感じでめでたく完了。
オーケストラは最後詰まった様な感じになりましたが、これで終われるのかといった勢いが勝った感じで。歌のほうも概ねそんなところです。

ゲッツのプロダクションは結局のところ、舞台には何もなくて人を動かしたり小道具を使うことに長けている。なにをどうやろうともそれはドイツの時代様式を想起させるもので、1996年のものだからというわけでなくとも目新しさは無い。ただ、ラインゴールドは一部でしかないので全4作を通して同じ印象になるのかどうかは来年以降の演出を見ていかないとわからないのも確かです。

来シーズンはワルキューレということですが、このような連続性を感じさせる演出という理由からだけでなく、指環自体が一つの作品なわけですから、例えば、来シーズンはRとWを上演、そして次々とこのように合わせながらS、Gを。そんな感じでやってくれたら演出の妙もより理解できると思うのです。いろいろと困難はあるかと思いますけれど。

全6公演楽しめました。ありがとうございました。
おわり


1996- ラインの黄金、五日目、新国立劇場、2015.10.14

2015-10-15 16:47:01 | コンサート・オペラ

2015年10月14日(水)  7:00-9:40pm  Opera Palace、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ラインの黄金  2時間29分 approx.
  第1場 23′(間奏の前まで)
  第2場 49′(〃)
  第3場 25′(〃)
  第4場 42+10′

キャスト (in order of appearance)
1.アルベリヒ、 トーマス・ガゼリ (Br)
2.ヴォークリンデ、 増田のり子 (S)
2.ヴェルグンデ、 池田香織 (Ms)
2.フロースヒルデ、 清水華澄 (Ms)

3.ヴォータン、 ユッカ・ラジライネン (BsBr)
4.フリッカ、 シモーネ・シュレーダー (Ms)
5.フライア、 安藤赴美子 (S)
6.ファーゾルト、 妻屋秀和 (Bs)
6.ファフナー、 クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
7.フロー、 片寄純也 (T)
8.ドンナー、 黒田博 (Br)
9.ローゲ、 ステファン・グールド (T)

10.ミーメ、 アンドレアス・コンラッド (T)

11.エルダ、 クリスタ・マイヤー (Ms)

飯守泰次郎 指揮
東京フィルハーモニー管弦楽団


2015.10.1公演はこちら
2015.10.4公演はこちら
2015.10.7公演はこちら
2015.10.10公演はこちら


この日は5回目の公演。
ローゲ役のグールドも少し疲れているのかもしれない。ちょっと歌がざらついたところもありました。ここまで2週間で5回ですから大変だと思います。それでも、みなさん余計なことをせず、喉や演技が絞れてきたとも言えますね。
飯守棒はさらに速度を増し、この日はこれまでの最速で2時間半を切りました。だんだんとこなれてきて、より滑らかな演奏となりました。特に第4場が顕著で、ドンナーの一撃の前までが滑るような演奏となり初日とはだいぶ異なる。


ヴォータンの魔力は契約で得た権勢なので、巨人に契約して建ててもらったお城の代金を反故出来ない、未払いすると自分の権勢契約が無くなる訳で、契約の世界。ただその払うものがフライアというあたりジェンダー問題が出てくる。いくらフリッカを片目を失って得たとはいえいろいろと厳しい。魔術で契約を破るという発想はないみたいだし、そうすると罰があるのかどうかわからないが、現代社会の縮図みたいな気もしますね、言われていることではありますけれど。

アルベリヒは腕を後ろに縛られてはいるものの手先や足は自由でローゲが片方のはじを握りながらコントロールしているだけ、つまりアルベリヒの手にある指環は彼の自由なコントロール下にある。それなのにその魔術を使うことなく手首ごとヴォータンの槍でもぎ取られてしまう。
どうしたものかと。

2場で宇宙服みたいな恰好だった巨人2人は4場では野球のアンパイアみたいなスーツ姿に野球帽みたいなものを斜めにかぶり、よくわかりません。
ドンナーのボクサースタイルやヴォータン一家の時折見せるスクラムと合わせなにやらスポーツ系リングみたいなところもありますね。

このヴォータン一家の並びですが、そのスクラムのときと、それ以外は、だいたい直線並び。リンゴ食べてない局面におけるフリッカ、フロー、ドンナーの並びをはじめとして、5人揃って直線並びとなるシーンもある。第2場の冒頭ヴォータンが設計図の上にうつぶせになって現れるシーンにおける丸みの無い背景など、どちらかというと幾何学模様仕様で進められていきます。
フローとドンナーの歌唱も素晴らしい。特に片寄のフローは艶と張りのあるテノールで、力強い確信に満ちた歌唱は湧き立つ場を静めるもの。

この日の公演ではピットのオーケストラにも大きな拍手が湧いておりました。こなれ具合がいいです。
日本語字幕も頭韻を踏んでいるのではないかと思えるほど、ワーグナーにすっかり毒され、ドンナー黒田の一撃で目が覚める、神々の入城は終わりではなく、さてそろそろリングが始まるそんな雰囲気を醸し出してくれた飯守棒はお見事でした。

以上 五日目


1993- ラインの黄金、四日目、新国立劇場、2015.10.10

2015-10-11 01:00:40 | コンサート・オペラ

2015年10月10日(土)  2:00-4:40pm  Opera Palace、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ラインの黄金  2時間31分 approx.
  第1場 23′(間奏の前まで)
  第2場 47′(〃)
  第3場 28′(〃)
  第4場 43+10′

キャスト (in order of appearance)
1.アルベリヒ、 トーマス・ガゼリ (Br)
2.ヴォークリンデ、 増田のり子 (S)
2.ヴェルグンデ、 池田香織 (Ms)
2.フロースヒルデ、 清水華澄 (Ms)

3.ヴォータン、 ユッカ・ラジライネン (BsBr)
4.フリッカ、 シモーネ・シュレーダー (Ms)
5.フライア、 安藤赴美子 (S)
6.ファーゾルト、 妻屋秀和 (Bs)
6.ファフナー、 クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
7.フロー、 片寄純也 (T)
8.ドンナー、 黒田博 (Br)
9.ローゲ、 ステファン・グールド (T)

10.ミーメ、 アンドレアス・コンラッド (T)

11.エルダ、 クリスタ・マイヤー (Ms)

飯守泰次郎 指揮
東京フィルハーモニー管弦楽団


2015.10.1公演はこちら
2015.10.4公演はこちら
2015.10.7公演はこちら

この日は4回目。
2人で行ったが連れは最初の30分は熟睡モード。寝るならここというところではある。ウォーナープロダクションも見ているので余裕の睡眠。オペラの場合、長丁場なので眠ったり起きたりモヤモヤするよりも最初に寝てしまったほうがすっきりすると、経験的にも。
この日の演奏はやたらと速くてスゥスゥと進んでいく。思うに場面転換の3回の間奏をあまり濃くせずどちらかというと、速目のテンポで転換場面の劇性を高めている。

第3場の猛速演奏を聴いているとバレンボイムの伸縮を思い出すが、テンポを緩めてていねいさを求める場面ではバレンボイムのほうが響きを十分すぎるほど味わう傾向があり、他場面も含めスローテンポでのこだわりにおいては飯守棒は概ね普通の域と感じる。

ラインの乙女の歌唱が日によりムラがある。安定感を欠いているところがありいまひとつ。
他の方々はきっちりこなしている。自分がロール風になるところはしっかりと要所を押さえて歌唱をしている。こういったあたり素晴らしいですね。
ほかは他日3回と同じ感想です。

終わってから新宿で焼肉、そのあと六本木のバーへ。

以上、四日目


1992- ラインの黄金、三日目、新国立劇場、2015.10.7

2015-10-07 19:27:58 | コンサート・オペラ

2015年10月7日(水)  2:00-4:45pm  Opera Palace、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ラインの黄金  2時間37分 approx.
  第1場 25′(間奏の前まで)
  第2場 50′(〃)
  第3場 25′(〃)
  第4場 45+12′

キャスト (in order of appearance)
1.アルベリヒ、 トーマス・ガゼリ (Br)
2.ヴォークリンデ、 増田のり子 (S)
2.ヴェルグンデ、 池田香織 (Ms)
2.フロースヒルデ、 清水華澄 (Ms)

3.ヴォータン、 ユッカ・ラジライネン (BsBr)
4.フリッカ、 シモーネ・シュレーダー (Ms)
5.フライア、 安藤赴美子 (S)
6.ファーゾルト、 妻屋秀和 (Bs)
6.ファフナー、 クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
7.フロー、 片寄純也 (T)
8.ドンナー、 黒田博 (Br)
9.ローゲ、 ステファン・グールド (T)

10.ミーメ、 アンドレアス・コンラッド (T)

11.エルダ、 クリスタ・マイヤー (Ms)

飯守泰次郎 指揮
東京フィルハーモニー管弦楽団


2015.10.1公演はこちら
2015.10.4公演はこちら


この日は3回目。
第4場のブラスが大きくうねを入れていく感じで少し時間が増しました。
だいたい2時間20分過ぎたあたりでボクサースタイルのドンナー黒田が、この鬱陶しい空気を取っ払おうと、それまでのことを洗い流しにかかるそのくだりで、そう言われてみればたしかにこの2時間半は鬱陶しかったなぁと、ふと気がつく。それまでワーグナー魔術にすっかりはまってしまっていたんですね。ドンナーのグローブが地を叩き、ものすごい金属音と地鳴り、そして神々入城ワルツダンス、はないちもんめ。そこですっきりと終幕となるわけですけれど、やっぱりちょっとスッキリしないというか、ワルキューレの音形が響いているわけですから、いよいよリングが始まるという感興の中終わりをむかえる。
ワーグナーの筆の運びには唖然とするしかありません。

同じ第4場、アルベリヒはお宝も指環も全部ヴォータンに取られそして解放されて去る。ヴォータンがアルベリヒから指環を強奪する際にもいだ右手首指をローゲが拾い上げどうしたものかとうろうろする。ヴォータンの名状し難い立ち姿。その時、弦によるピアニシモがチリチリと弧を描いて弱音美の限りを尽くす。音の響きが心の動きと一致した瞬間。ワーグナーの心理描写、見事の一言に尽きる。
そしてこの響きはなぜか未来のブルックナー、マーラーを呼び起こさずにはいられない。

第1場ではアルベリヒと乙女、計4人。2場では第1場に出ていない8人。この14人の姿はきっちりとキャラクターに個性があり。見た目もフィギュアの置物が動いているようにさえ見える。愛着がわく置き物。
ゲッツの舞台はシンプルですが、人物それぞれに主張があり見た目も把握しやすい。巨人兄弟の動き表情は笑いを誘うもの、フロー、ドンナーの切り分けも明確。ヴォータンとフリッカの動きはどちらかというと二人の愛の方が勝っている感じ。尻に敷かれという雰囲気はない。
ローゲのグールドはもはや別個性。この日も素晴らしい歌唱で美しくもウィットにとんだテノールの声を満喫しました。

飯守棒のオケは特にブラスセクションが切れ味よりも海原、大河の様な流れが見事。プレイヤーもそちらのツボのほうにはまってきたのではないでしょうか。彼らもワーグナーの魔術にかかり始めたのかもしれない。もしかすると、早く残り三つをやりたいものだと思っているのかもしれない。

カーテンコール、ラインの乙女1人欠けました。

この日もありがとうございました。

以上、三日目


1991- ラインの黄金、二日目、新国立劇場、2015.10.4

2015-10-04 20:23:30 | コンサート・オペラ

2015年10月4日(日)  2:00-4:40pm  Opera Palace、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ラインの黄金  2時間33分 approx.
  第1場 23′(間奏の前まで)
  第2場 50′(〃)
  第3場 27′(〃)
  第4場 43+10′

キャスト (in order of appearance)
1.アルベリヒ、 トーマス・ガゼリ (Br)
2.ヴォークリンデ、 増田のり子 (S)
2.ヴェルグンデ、 池田香織 (Ms)
2.フロースヒルデ、 清水華澄 (Ms)

3.ヴォータン、 ユッカ・ラジライネン (BsBr)
4.フリッカ、 シモーネ・シュレーダー (Ms)
5.フライア、 安藤赴美子 (S)
6.ファーゾルト、 妻屋秀和 (Bs)
6.ファフナー、 クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
7.フロー、 片寄純也 (T)
8.ドンナー、 黒田博 (Br)
9.ローゲ、 ステファン・グールド (T)

10.ミーメ、 アンドレアス・コンラッド (T)

11.エルダ、 クリスタ・マイヤー (Ms)

飯守泰次郎 指揮
東京フィルハーモニー管弦楽団


2015.10.1公演はこちら


ラインの黄金の2日目。
第2場中盤からほぼ主役になるローゲ、歌だけでなくキャラクターもばっちりきまっているステファン・グールド、素晴らしく張りのある黒光りするテノールで役柄的には悪知恵派だがヘルデン・テノールに相応しいのではないか。耐久面でちょっと持つかなと言った部分はありますが。
ローゲはこの劇ではヴォータンにコントロールされつつコントロールしているように見受けられますが、なぜヴォータンの言うことをここまできかないといけないのか、ニーベルハイムのアルベリヒは、寝返りをうったローゲと言いますから、もうちょっと勉強が要ります、こちらの。
ヴォータンをコントロールしアルベリヒを言いくるめ、巨人に渡す宝はいの一番、率先して運ぶ。巨人の弟は言うことをきかないなぁと兄の肩を叩きながらたしなめろというしぐさ。
と、ゲッツの演出ではローゲ中心に回っているように見えます。「ただ、1人だけ愛を断念した者に会った」と劇をどこまでも面白みを断ち切ることなく展開させていくワーグナーの戦略はもちろんあきれるぐらい観る者を惹きつけるもの、ここでのグールドのしぐさと歌はワーグナーとゲッツの意を100パーセント汲んでいるか如き一体感、素晴らしすぎてうなるしかない。
地底のアルベリヒとローゲのかけあいは、ローゲと同じくスーツ姿になったアルベリヒの負けで決着がつくわけですか、ヴォータンにはしゃべらせず一人で作戦を実行していく。口車みたいなものだが何度見て面白いもの、字幕の効用も大きいですね。グールドの表情や動きを見ていれば字幕が無くても大半は理解できるとはいえ、やはり効用です。
アルベリヒは椅子に座って足をあげたり首から突っ込んでいかないといけなかったりと動きが激しい、同じくローゲも最初と最後は走り回らなければならない。あれで歌い続けるのは大変です。
ローゲもアルベリヒも全力投球ですね。

第4場で地底から出てきたアルベリヒ、ローゲ、ヴォータン。
アルベリヒはヴォータンに指環を取られるとき右手首から先がもげてしまい床に。こういった小出しのオリジナリティはおそらくジークフリート、神々の黄昏あたりでつながりのある形で出てくると思いますが、それは2年後3年後の上演で、きっともう忘れてしまっている。
4つまとめてできないなら、1年目R、2年目RW、3年目RWSGとやってくれればわかりやすい。


ラインの乙女3人衆も初日より格段に声に張りがあり、アンサンブルが揃っている。舞台での動きになれてきたのかコツがつかめたのか、動きに余裕がないと歌のほうを目いっぱい歌うのは出来ないはずで、だいぶ良くなりました。

飯守、東フィルも巨大編成で全力投球、音に隙間が無くなりました。ダイナミックかつ滑らかさもあり、それにニーベルハイムでの高速運転もアンサンブルが乱れないのは初日と同じ。

右寄りの席だと神様一家のステップがよく見えません。センターから左寄りの席がいいと思います。

一歩下がって二歩前進、#神様ダンス

以上、二日目


1988- ダナエの愛、東京二期会、準・メルクル、東フィル、2015.10.2

2015-10-03 01:08:15 | コンサート・オペラ

2015年10月2日(金) 6:30-9:55pm 東京文化会館

東京二期会 プレゼンツ
シュトラウス 作曲
深作健太 プロダクション

ダナエの愛  (舞台上演日本初演)
 第1幕 37′
 Int
 第2幕 44′
 Int
 第3幕 67′

キャスト(in order of appearance)
1.ダナエ、 林正子 (S)
2.ポルクス王、 村上公太 (T)
3.クサンテ、 平井香織 (S)

4.ゼメレ、 山口清子 (S)
4.オイローパ、 澤村翔子 (Ms)
4.アルクメーネ、 磯地美樹 (Ms)
4.レダ、 与田朝子 (Ms)

5.ミダス、 福井敬 (T)
6.ユピテル、 小森輝彦 (Br)

7.メルクール、 児玉和弘 (T)


二期会合唱団
準・メルクル 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団


演奏会形式ではなく舞台としては、この日が日本初演。演出は深作健太、映画監督・脚本家・演出家。
舞台での日本初演がこの日ですから、世界的にも上演がかなり限られているものだろう。そのような中でひねりをいれた演出だと、観た経験がレアなだけにわかりにくい部分も出てきそうな気配があったのですけれど、色々とおもしろいところはありつつ、シーンは音楽に合わせた象徴的なスタイルを前面に出したもので、それなりにわかりやすかったと思います、第2幕までは。
見た目は1,2幕は基本的に同じつくりであまり動かない。3幕はそれに若干手を加えたような感じ。
第一印象は、幕毎に段々良くなるオペラ。


幕が上がるといきなり牢屋みたいな格子の部屋の中にさらにくさりにつながれたダナエが横たわっている。借金に追われている父のポルクス王はちょっと元気が良すぎる気もするが、活動的だから借金も増えるのだろう。
ミダスがミダスの使者、ユピテルがミダスとなって出てくるのでちょっと混乱するが、字幕を追っていればだいたいわかる。
林ダナエはきれいな声で斉唱。今一つ声に伸びがなく、これだ、という決め手に欠ける。最終的には終幕30分の絶唱となりましたけれど。
福井ミダス(ここではミダスの使者)は、これはワーグナー他のときも同じことをいっているのであまり繰り返しませんが、喉が横広といいますかそのような幅の声で、それにビブラートがかなりかかります。自分の持っているテノールのイメージとは少し異なります。
1幕大詰め、舞台奥が割れ階段の上から黄金のまるで、マグマ大使の様な衣装のユピテル(ここではミダス)が下りてきて、ひと声あり、幕。
シュトラウスの音楽はかなり渋め、メルクル棒がきれいにそろえてすすんでいくのでこれはこれでわかりやすい。共感の棒ですね。


2幕は1幕と同じセットで、真ん中はベッド。
この幕ではミダスがダナエに触れ黄金になってしまうのですが、ミダスとダナエの二重唱、そしてユピテルの独唱が圧巻。
舞台はダナエが黄金になるあたりの光の具合がいいです。それから舞台手前で両手を差出し黄金色に光るミダスの手、象徴的な場面です。
ダナエ、ミダスの二重唱は3幕までひきずっている感触で、同じような重唱が続くがもはやこれは前置きみたいなもので、優に30分を超えたと思われるミダスとユピテルの対話。ここが圧巻でした。

第2幕まではシュトラウスの持っているしなやかな音楽が、ヴェルディ的にうなって幕、そんな感じでまことに不思議な音楽の流れ。


その2幕エンディングの二重唱をひきずった終幕は、廃墟の中、投棄された冷蔵庫、壊れかけた傘立ての前でダナエとミダスの熱い二重唱、ユピテルは槍も含めなぜか完璧なヴォータンスタイル理解できない、メルクールはガイガーカウンター片手にオレンジ色の放射能防護服、それを脱いだら聴診器をぶら下げた医者モード、ダナエとユピテルの30分に及ぶ圧巻の対話二重唱のあとの幕切れではミダスが背中に大根やらごぼうやら背負って廃墟の奥から出てきて、ダナエとハッピーエンド。

第1幕終盤のユピテル扮する黄金のミダスが現れた時は、この演出はマグマ大使的方向に行くのかなと思ったのだが、結局この奇怪な第3幕はフクシマ後の廃墟と後で知る。
この第3幕は1,2幕の演出とまるで馴染まないだけではなくて、オペラの底辺に流れるなにかそのようなものもまるでないものであって、フクシマの問題提起がオペラダナエと一致する線も点もないと思う。
オペラの前史としてではなく2幕の後、カタストロフィが起きたということなのだと思うが、あえていうならば、この3幕まででは解は無い。演出をした方が追加の幕として第4幕を例えばパントマイム的に解決方法を示すといった趣向があったなら奇抜ながら創作の妙を感じたかもしれない。日本での舞台初演でそこまでリスクを冒すこともないと思うが、冒したと同じぐらい不可解な演出ではありました。


シュトラウスのややウェットな歌の伴奏メロディーを透明に流れるように、メルクル棒はそこにとどまることなく波が高くなったり低くなったり、音楽がうねっていく。素晴らしく生きた演奏でいい味付けでした。
特に、30分におよぶダナエとユピテルの対話2重唱、見事に美しい準メルクルの伴奏棒、なにも言うことはない。

メルクルCDの無理配布あり

ありがとうございました。
おわり




 


1987- ラインの黄金、初日、新国立劇場、2015.10.1

2015-10-02 12:20:47 | コンサート・オペラ

2015年10月1日(木)  7:00-9:40pm  Opera Palace、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ラインの黄金  2時間35分 approx.
  第1場 25′(間奏の前まで)
  第2場 50′(〃)
  第3場 25′(〃)
  第4場 45+10′

キャスト (in order of appearance)
1.アルベリヒ、 トーマス・ガゼリ (Br)
2.ヴォークリンデ、 増田のり子 (S)
2.ヴェルグンデ、 池田香織 (Ms)
2.フロースヒルデ、 清水華澄 (Ms)

3.ヴォータン、 ユッカ・ラジライネン (BsBr)
4.フリッカ、 シモーネ・シュレーダー (Ms)
5.フライア、 安藤赴美子 (S)
6.ファーゾルト、 妻屋秀和 (Bs)
6.ファフナー、 クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
7.フロー、 片寄純也 (T)
8.ドンナー、 黒田博 (Br)
9.ローゲ、 ステファン・グールド (T)

10.ミーメ、 アンドレアス・コンラッド (T)

11.エルダ、 クリスタ・マイヤー (Ms)

飯守泰次郎 指揮
東京フィルハーモニー管弦楽団


新国立としてはキース・ウォーナーのトーキョーリングに続く2回目のリング・サイクルの制作、その初回第1弾はラインの黄金。
今回、ニュープロダクションとは言っても2000年いっぱいで亡くなったゲッツ・フリードリヒの最後のプロダクションの活用で、1996年に既にヘルシンキのフィンランド国立歌劇場で初演済み。
飯守さんはゲッツの他の作品演出も含めて私淑しているというより、もともと一緒に仕事をした敬愛する先輩格の人という感じなのだと思う。披露するタイミングとして今シーズン初日に合わせたあたりやる気満々、満を持してということでしょう。
今回のリング・サイクルはこのラインの黄金に続き、来シーズンにワルキューレ、来々シーズンはジークフリート、神々の黄昏、といった具合で、3シーズンで完結させるようです。


音が出る前にアルベリヒが登場、このようなスタイルは既に1988年クプファーがバイロイトでやっていたことでもあり、そして1996年といえば今からおよそ20年前。この種の演出は今ではやりつくされており、そういう意味では、演出は陳腐になり音楽だけが残る、という現象の通過点を見ているような気持になってくる。ただ、色々観ている人たちにとっては過去の通過点をあとで見ているような具合であっても、ここが起点の人もいるので、いいわるいの話では全くない。

アルベリヒがステージ前方に現れ、舞台の大きい目のような中に映る木のシルエットを見ている。始まりとしては大仰なフリで、またかという人もいるかもしれない。どっちにしても最初の見得のようなもので、リングではこのラインの黄金でしかできないようなものでもあるし、このフリから始まる作品はもっと大仰であり、前奏での力負けはない。

幕が開きラインの乙女、そして川を表わすものは横に長い線のLED光(たぶん)が前後する。20年前ならば蛍光灯だったかもしれない。そのような具合はあるが奇抜さというより、もはや底辺に流れるドイツ的オーソドックスなスタイルが基盤をなしていると感じる。
この第1場、ちょっと長く感じた。物語の冒頭の場としてポイントになるところではあるが、ちょっとだれました。
ラインの乙女もアルベリヒも動きが激しいせいか、正面席で観ましたけれども声が必要以上に大きくなったり小さくなったり波がある。特にラインの乙女は、例えば昨年聴いたコンサートスタイルの東京春祭の出来とは歌い手が同じ違うといったこと以上に良いものとは言えなかった。動けて歌える歌手が必要です。
アルベリヒは場数を踏んでいるのは明らかで職人の域、やはり動きに問題ありとはいえ、ポイントをおさえた歌唱時の静止などは経験の積み重ねのたまものでしょうね。
いずれにしても、導入の第1場ではありますが25分が長かった。
右サイドに置いてある仰向けの顔の石像の様なもの、あれはなんだったのかしら。
.

第2場は登場人物が8人いてごたごたします。新国立の豊かな奥ゆきの活用がありませんから、あまり無い横幅で8人が動き回るので多少窮屈。誰がロールなのかわからない歌唱ですから、みなさん自分の役目をそれぞれきっちりこなしていく感じ。
替わって、しぐさと衣装の面白さがあります。宇宙服を着たような巨人兄弟、ボクサーのドンナーはエアーボクサーというかシャドーボクシングに余念がありません。最終的にはあのグローブの一撃で鬱陶しい空気を払いのけることになりますね。フローは他人事のように巨人とヴォータンのやりとりを見ている。
宇宙服の方は、第4場ではスーツ姿で戻ってきますが、この2人のしぐさはこの2場ではコミカルなものです。まともなのは、最初に槍を持っていなかったヴォータン、それにフリッカ、それにフライアあたりです。
ローゲはスーツに赤いマントとネクタイ、それと赤いサングラス。もう、火、そのものですね。グールドのローゲはキャラクターがきまっていて、また、大きなしぐさではないのですけれど、その動きで状況が明確にわかる。声の張り具合、動きともにツボにはまったものでした。次の3場ニーベルハイムでもほぼ主役モードにふさわしいものでした。
飯守の棒は次の第3場の猛速などあり、結果的にはこの2場のフライアのリンゴ欲しい局面でのスローモーション的な味わいは薄れていて割とさらっと通過。
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2場から3場への動きは新国立ならではの上下移動を活用したもの、地下のニーベルハイムは視覚的に容易に受け入れられるもの。ただここも奥ゆき活用があまり無く上の舞台のだだっ広さに比べて地下は狭い印象。
アルベリヒにこき使われているミーメ、彼とローゲの会話、そしてローゲがアルベリヒに頭巾で出来ることを煽る。蛙は少し大きすぎましたが、とはいっても大蛇は舞台をいっぱいに使って口と歯しか見えませんでしたからちょうどよいサイズの蛙とも言えなくもない。
ローゲの歌唱とウィットにとんだしぐさは策士そのものであり、それはヴォータンも認めていて、リンゴ不足とは関係無く何もすることが無い感じ。
問題はここでの飯守の過激な(俊敏な)棒、テンポの出し入れはアコーディオンの蛇腹のようだし、特に猛速はついていけないほど。舞台だけ見ているとよくわからないものですが、とにかくのテンポ。このような飯守の解釈は初めて聴きました。なにかに駆り立てられているようにも聴こえてきましたけれど。伸縮自在で説得力はありました。
ハープ6本、16型(たぶん)で立錐の余地のないピット。座って演奏するのが困難ではないのかとさえ見える。とにかく鳴り続けるオケにはブラッシュアップの余地は多くあると思いますが、3場の猛速箇所の合いっぷりだけ聴いていると指揮者ともどもかなり積んできたもののはず。
この場ではPAの鳴りがでかかった。
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最終の場は2場と同じ。
ここは少し音楽が緩んだ空気をはらんで欲しいと思うところです。緊張感から神様の余裕みたいなものがみえるといいのですが、そうもいかない。
ヴォータンがアルベリヒから奪い取った黄金は巨人兄弟に渡さないと人質フライアは返してもらえない。黄金を積んでも、まだ隙間があるからそこから愛しのフライアが見えてしまうとファーゾルト。頭巾も取り上げられ、リングも欲しいと、リングは渡さないというヴォータンに、突然あらわれたエルダの言うことをきいてリングも渡す。エルダのクリスタ・マイヤーは短い歌唱でしかないのですが、その声の角張らない柔らかさ、余裕の風格、他を圧した感がありました。
兄弟喧嘩でファーゾルトの妻屋さんがうつぶせに、そして最後までうつぶせで出ずっぱりです。

ボクサー黒田のドンナーのグローブの一撃で奥に縦に虹が現れる。
ツイッターでは、神様ダンスといっていましたが、個人的には昔から、はないちもんめ、といっています。5人によるその神様ダンスが舞台右サイド、後ろ向きにステップされ虹の橋に向かい入城、この終結音楽を聴いているといよいよリングが始まるという雰囲気を醸し出しながら、エンド。
幕が下り、カーテンコール、幕が上がり、まだうつ伏せのファーゾルト妻屋を起こしに行くヴォータン、もしかして寝ていたのかな、まさか。


以上、初日公演。



1829- トリスタンとイゾルデ、シルヴァン・カンブルラン、読響、2015.9.6

2015-09-06 22:47:08 | コンサート・オペラ

2015年9月6日(日) 3:00-8:15pm サントリー

ワーグナー  トリスタンとイゾルデ (コンサートスタイル)

キャスト (in order of voice’s appearance)
与儀巧、テノール         若い水夫、舵手、牧童
レイチェル・ニコルズ、ソプラノ  イゾルデ
クラウディア・マーンケ、アルト  ブランゲーネ
石野繁生、バリトン        クルヴェナール
エリン・ケイヴス、テノール    トリスタン
アンドレ・モルシュ、バリトン   メロート
アッティラ・ユン、バス      マルケ王

合唱、新国立劇場合唱団男声合唱

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団

(タイミング)
前奏曲  10′
第1幕  70′
Int 30′
第2幕  76′
Int 30′
第3幕  75′
拍手9′

(ポジション)
メインキャストはオーケストラの前で歌唱、都度出入り。
状況に応じて他キャスト含めオルガンの位置で歌う。
第1幕終結のファンファーレのバンダはLA席奥付近で、バンドマスター付きの吹奏。
第1幕のみの合唱はステージ奥、ティンパニを中央に挟んで横並び。
第2幕の角笛ファンファールはP席両扉開けて通路で吹奏。
第3幕のイングリッシュホルン、トランペットのソロはオルガン位置。

キャストに動きのあるオペラ風のものではなく、純粋なコンサートスタイル。歌の役目が終わればイゾルデの絶唱に関係なく最後は早めに退場のトリスタンといった出入りはあるが。椅子は無い。ブランゲーネのマーンケのみ譜面あり。


第3幕の最終シーンは舞台のオペラだと急に人の出入りが多くなりばたばたとして、ちょっと騒々しくて、また、愛の死への移動は少し性急で、ストーリー的にはマルケがはいってきた後もうひとひねり(10分ぐらい)あってから、愛の死が始まるのが劇の流れとしてはバランスするような気がしますが、このようなピュアなコンサートスタイルだとそこらへんのわだかまりが無く、これはこれでうまくバランスしていたと思います。
カンブルランの棒だと愛の死への移動が句読点をみせず、すーっとはいっていく、シームレスにつながっている感じの演奏でした。

全体的に、カンブルランの冷静緻密な棒により、ステージ上のオーケストラがピットとはひと味もふた味も違う明瞭な響きとなり、巨大室内楽サウンドを彷彿とさせ、既にそれだけで快感の音響空間となる。
メインキャストはオーケストラの前で歌うが、声がかき消されることは無い。昔あったような肉厚のパワー歌唱とは異なる精緻なあたりに力点を置いたもので、オーケストラの響きの中、明瞭に聴こえてくる声は、カンブルランの棒によるところが大きいのだろう。精緻なオケと歌、これ以上無く最良のかみ合わせを聴くことが出来ました。
ストーリーのドラマチックなところやターニングポイント的な箇所も思わせぶりな強調が無く、自然な流れの中、滑らかな過熱感が心地よい。しだいに、なんだか、ストーリーは横に置いて、みたいな感興となる。
キャストは粒ぞろいで歌い口としては指揮者の意図を明確に反映したもので、ずらし、やつし、の無いもの。かと言って角張っているわけでなくて喉の滑らかな動きを感じさせてくれる。キャスト変更によるレイチェルは、過激でドラマチックなものはほぼ皆無、均質で、ピッチのブレ無し、裏表の無いイゾルデ、ひ弱感はありません。いざとなれば押し倒しそうな気配。
相手のケイヴスは、几帳面で正確性で上回り、レイチェルと同じ方向感ながらより四角四面度がまさっている。存在感はレイチェルがあるが、別の魅力があるテノールと感じました。
ベクトルが揃っている二人の歌い手による斉唱、重唱はまとまりのある美しいものでした。
オーケストラも含め、乱れない愛です。

歌い手全般では、脇が素晴らしく良い。
コンサートスタイルにおけるコンディションの良さと言う利点が最大限に生きたもので、冒頭の与儀の歌、曇りの無いもので魅力的な声質でクリア、これまた正確性を強調した歌いぶりですが、最初の一声の安定感はこのオペラには欠かせないもの。
ブランゲーネのマーンケ、クルヴェナールの石野、この二役のはまり具合も良いもの、メロートのモルシュを引っ張っていくような、良さが良さを生む相乗効果でみなさんさらに良くなる。
日本勢の与儀、石野の安定感ある清唱は本当に気持ちの良いもので、過度なドラマチック性を意識的に排した様な歌い口で、それに替わる明瞭な響きはコンサートスタイルの良さもあるが、だましのきかない実力の高さをまじまじと垣間見ることとなりました。
一人譜面台の譜面を見ながらの歌唱となったマーンケは、余計な心配をさせることも無く、というのも先般、ノット東響のパルジファルのクンドリを歌った人のひどさを、一瞬脳裏をかすめる譜面台雰囲気にあらぬ危惧感を抱いたりしたのは良からぬ邪念ということで。
マーンケは柔らかく、こなれた歌で一人まろやかソフトな感じがありました。
一番拍手の多かったマルケのユン、彼はパワーなオペラ歌唱を思い出させてくれましたが、カンブルランの選択のなかではちょっとミスキャストとまではいかないが、場違い、彼の場はバイロイトかと思われます。テオ・アダムの気品が忘れられない。
いずれにしましても、みなさん良質で粒ぞろいの歌で(オペラの内容を上回るよさで)、満足。


トリスタンとイゾルデが第1幕でペットボトルの飲料水を飲みつつ歌うその姿は、惚れ薬かと思わせるような雰囲気があり苦笑を誘うところもある。振付が無いコンサートスタイルの為、目立つ行為ではある。
カンブルランの棒はワーグナーの息の長いシンコペーションそれに、スタッカートが雄弁、また歌の伴奏での抑えた、這うような響きがこれまた美しい。ティンパニの連続する弱音は既に1幕ファイナルシーンを感じながらの棒のように聴こえてくる。
この第1幕最終シーンは合唱が加わり、ブラスのファンファーレと、ワーグナー的カタルシスが頂点に達するところ。出番がここしかない男声合唱、張りのある声で動きに統一感があり高性能な歌でした。
また、P席寄りのLA席奥に配したバンダにはバンドマスター付きで想定外のシチュエーションでしたけれど、カンブルランとしては正確性を重視したのだろうとあとで思いました。
ここのファンファーレの刻み、日本人による演奏の場合、いくら速度を上げてもきっちり合わせてくるもので、練習のたまものと言うよりむしろ日本人のDNAを感じさせる。随分昔の日本ワーグナー協会創立10周年記念公演のトリスタンを思い出しました。
このようなカタルシスの中、第1幕がめでたくエンド。

第1音から魅惑的で忘れられないハーモニーとシーンにマッチした第2幕の出だし。すぐにぐっとひき込まれます。
滴る夜の歌は濡れずにドライな趣き、方針だからこうなります。無理に伸縮自在な流れとしないカンブルランはやっぱり、ワーグナーどっぷりというわけではなく、現音オペラ志向というかそちらの方針でワーグナー立ち向かっている。
最後のファイトのあたり、コンサートスタイルだと状況がみえず音だけ聴いていると割と静かだなぁなどと思ったりもしました。ドラマ性を横目に見ながらの棒ですしね。

終幕の心の荒涼感、寂寥感はオーケストラによって響きが完全に醸し出され、舞台は要らない。このオーケストラと指揮者の結びつきがよくわかる漆喰をワイプアウトしてなお一つになる見事なものでした。
オルガン位置でのイングリッシュホルンとトランペットは素晴らしいソロで、サウンドもよく通る。秀逸な演奏でコンサートスタイルの美演を最後まで楽しみ味わうことが出来ました。
バランスよく完成された作品として堪能できました。
ありがとうございました。
おわり


おまけ、
第1幕から最後までフライングブラボーをやり通したクレイジーなかたは、これはこれでエポックメイキングな立振舞いで、自覚症状皆無の自身の存在と恥の上塗りここに極まれりで、あすこまでして目立つフライングを繰り返す脳内回路は何なのかと思うに、精神病院を無くしてほしくないという主張を自らの行為で示している、その意味では自覚症状有りで、なるほど最初の一声だけであとは静かにしている病原体保有自覚症状有りの「意識された感動表現」であって、本当に始末におえないタチの悪いマリグナントチューマーそのものと言える。

おわり




1813- 火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典、秋山和慶、新日フィル、2015.6.19

2015-06-24 01:00:20 | コンサート・オペラ

2015年6月19日(金) 7:15pm トリフォニー

ストラヴィンスキー  火の鳥 (1919年版)  21′
ストラヴィンスキー  ペトルーシュカ (1947年版)  32′
Int
ストラヴィンスキー  春の祭典  16+18′

秋山和慶 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


このプログラムで思い出すのは、ゲルギエフ&マリインスキーの3曲全曲演奏会。秋山は火の鳥は短くなったものの意欲的なプログラムではある。このようなプログラムはいいものですね。昔はなかなか聴けなかった。

秋山棒はストレートなもので、それにオーケストラもよく応えておりました。合奏は非常にマッシヴなもので輝きもあり流麗。
反面、ストラヴィンスキーの難曲はその3連発ということでもあり個人の技量を丸裸にする。それはそれで悪い話でもない。
いい演奏会を楽しませてもらいました。
ありがとうございます。
おわり

(参考)
1693- 火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典、ヴァレリー・ゲルギエフ、マリインスキー歌劇場管弦楽団2014.10.15


1812- チャイコフスキーpfcon1、小山実稚恵、ラフマニノフ1番、尾高忠明、N響、2015.6.17

2015-06-18 01:26:01 | コンサート・オペラ

2015年6月17日(水) 7:00pm サントリー

チャイコフスキー  ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 21′8′7′
 ピアノ、小山実稚恵
(encore)
ラフマニノフ プレリュード ト長調 op.32-5  2′

Int

ラフマニノフ 交響曲第1番ニ短調 15′10′10′13′

尾高忠明  指揮  NHK交響楽団


コンチェルトは小山の王道に尾高が合わせて比較的ゆっくりした演奏。ちょっとほこりっぽいピアノ演奏でした。

後半のラフマニノフは曲の魅力よりも2番3番との成熟度の違いのほうが出てしまった。尾高はもっと聴かせる演奏をしなくてはいけないと思う。1番は未熟な曲というのがもろに出てしまった。

それから、棒を持って振ってほしい。無しで振る気持ちもわからなくはないが、棒を持って指示を出した方がオーケストラに、指示がより伝わると思います。そのメリットデメリットをいの一番に感じる。
おわり


1811- シェーンベルクpfcon、ウォルフラム、ラフマニノフ2番、アンドリュー・リットン、都響、2015.6.15

2015-06-16 21:05:58 | コンサート・オペラ

2015年6月15日(月) 7:00 サントリー

シェーンベルク ピアノ協奏曲  20′
 ピアノ、ウィリアム・ウォルフラム

Int

ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調 20′10′15′15′


アンドリュー・リットン 指揮 東京都交響楽団


P席最前列の客がトラブル退場になった演奏会。前半〆たところでステージを怒鳴り散らし、事務局のスタッフに追い出されたらしい。
それであってもなくても、前半のシェーンベルクにブーがでる理由など原因がなんなのかわからない。まるで演奏会が嫌いでブーしている感じ、これならいやがらせ目的での入場でしょうか。何か別のことで気分を害していたのかもしれないが、近くの席だったらたしなめて制止させる必ず。

シェーンベルクのコンチェルトは、丹念な演奏でこれ以上分解できないぐらいの因数分解。音の羅列が別の意図を感じさせる、12音階ルールをかき消すような素晴らしく明晰で美しいもの。伴奏のオーケストラがこれまた同列のピュアなサウンドで隙間なく流れていく。ハイレベルでハイテンションなサポートがお見事。リットンの合わせ技ですね。
先ほどのブーイングのことですが、それがこの曲の前衛的なことに対するものであれば、それは100年とは言わないが随分と遅れてきた話と言わざるを得ない。この曲を聴きこむしかない。
ピアノソロ、オーケストラ、指揮、3拍子揃って難曲を高みへ導きました。

後半のラフマニノフは巨大な演奏。各主題とともにその経過句までくまなく光をあてたもので、細部まで神経がゆきとどいている。時間を感じさせない大きな演奏でした。
終楽章のコーダ前のブラス主題のつまずいたような進め方ユニークでしたね。リットンも色々とこだわりのある曲なのでしょう。
ブラスの活躍は目覚ましいものでしたが、ホルンだけは冴えない。受け身というか楽譜をなぞっているだけの演奏で音楽が生きてこない。ここはちょっと残念。他はほぼパーフェクトなプレイでした。
リットンの作品への共感度の高さ、巧みなオーケストラコントロール、言うことなしです。
おわり


1810- バッハOb協、古部賢一、変容、エロイカ、飯守泰次郎、新日フィル、2015.6.14

2015-06-15 00:03:34 | コンサート・オペラ

2015年6月14日(日) 2:00pm サントリー

J.S.バッハ オーボエ協奏曲ヘ長調 BWV1053 8′5′7′
 オーボエ、古部賢一
(encore)
テレマン ファンタジー第2番から アダージョ 2′

シュトラウス メタモルフォーゼン 27′

Int

ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調 15′16′6′12′

飯守泰次郎 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


つながりとしてはいいプログラム。
バッハはオーボエがほとんど吹きっぱなしで大変そうです。ヴァイオリンやチェンバロで弾かれたり、どれがオリジナルかわかりませんけれど、そのような楽器と同じ具合で演奏を強いられるのでかなりの難物ですね。ディテールのあや、ニュアンスがよくわかるいい演奏でした。定席が割と前方側ですのでこのような曲の場合、より理解が進みます。

2曲目のメタモルフォーゼンのエンディングからプログラム後半エロイカの葬送につながる含みのあるプログラム・ビルディング。
飯守さんの棒はオペラでたくさん接していますが、たまにこうやってコンサート指揮を見ることも。いつも思うことですが、わかりづらい指揮で、そんなこと関係ないでしょといわれればそれまでですが、オペラでの魔術も同じ具合なわけですね。

シュトラウスは徐々に熱し、大変にスピード感のあるものでその激しさにびっくり。終わってみればだいたい着地ポイントのタイミングです。全体フレームは、緩-急-緩、出し入れが極端で、中間部から後半への急の勢いに圧倒されました。最後は葬送のフレーズを強調しながら、休憩後のエロイカに残像をつなぐ意図が。

エロイカ第1楽章提示部はリピート無し。このような趣きはなんだか懐古風に昔を思い起こすような時代になってしまった。最近はほとんどリピートありですからね。
まぁ、それでも、共存して聴けるのが、過去の色々な時代の流行から遠くなりにけりの今の時代の良さでもあるわけです。
このエロイカの演奏はエネルギーが充満していると言いますか、カロリー満点、アドレナリンふつふつ、そしてフォルムがしっかりと出来ている。形が出来ていて潮の満ち引きも躍動感あるもので、音楽の呼吸を感じる。
骨太の葬送を経て、ダイナミックなスケルツォ、トリオ、そして変奏曲へと、迫力満点のエロイカでした。素晴らしい。
ありがとうございました。


この日、新日フィルのバッハの最初の音が出たのが2時2分。都響はオケの入場がこれに例えると2時5分で、音が出るのはそのもっとあと。
オケごとにタイムチャートのようなものがあると思いますが、それぞれの会社毎にこのような芸風も異なるということで。
おわり


1809- ブルッフVn協1、堀米ゆず子、ショスタコーヴィッチ8番、ラザレフ、日フィル2015.6.13

2015-06-13 18:34:10 | コンサート・オペラ

2015年6月13日(土) 2:00pm サントリー

ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調  7′10′7′
  ヴァイオリン、堀米ゆず子
(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番からアダージョ 4′

Int

ショスタコーヴィッチ  交響曲第8番ハ短調 Ⅰ21′Ⅱ6′ⅢⅣⅤ28′

アレクサンドル・ラザレフ  指揮  日本フィルハーモニー交響楽団


トーク・アフター・コンサート
アレクサンドル・ラザレフ&通訳 約15′


ラザレフ、8番の二日目。自分としてはこの二日目のほうが定期会員。
この日も終演のあとラザレフのトークがありました。前日と内容はダブっていたところもありましたが、とにかく面白かった。
作曲家だと生メシアン、生コープランド、生ウィリアム・シューマン等多数みておりますが、生ショスタコーヴィッチは残念ながら見たことが無い。このラザレフのトークでショスタコーヴィッチや息子のマキシムの話はリアルでしたね。

また、15番のウィリアム・テルのふし、最初はトランペットで、後半はオーボエにしたら難しすぎてオーボエさんが毎晩眠れなくなってしまったのでクラリネットに替えた。
この15番、当時はたいした曲ではないと吹聴したが、でも結局、「俺は若かった」、この短い会話の説得力、破格ものでした。自分がフリークだからというわけでだからというわけではありませんよ。
さらに、15番と4番のエンディングの相似性に言及しておりました。自分も以前からしゃべっていたところではあるし、おおいに納得しましたね。

この日の演奏、第1,2楽章は前日よりかなり速いもので、ギクシャク感は無くシームレスで振幅大きく美しいもの。
概ね前日同様で、良かったと思います。

前半のブルッフは音が均質でなくかなり厳しかった。
おわり




1808- ブルッフVn協1、堀米ゆず子、ショスタコーヴィッチ8番、ラザレフ、日フィル2015.6.12

2015-06-13 01:21:46 | コンサート・オペラ

2015年6月12日(金) 7:00pm サントリー

ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調  7′9′7′
  ヴァイオリン、堀米ゆず子
(encore)
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番からラルゴ 3′

Int

ショスタコーヴィッチ  交響曲第8番ハ短調 Ⅰ23′Ⅱ7′ⅢⅣⅤ27′

アレクサンドル・ラザレフ  指揮  日本フィルハーモニー交響楽団


トーク・アフター・コンサート
アレクサンドル・ラザレフ&通訳 約20′強


前日はテミルカーノフの棒で10番、この日はラザレフの棒で8番。
ラザレフ猛将は4番を振った時は、最後音が消えて、空気を振って、そのまま頭抱えて終わったが、この日の8番は同じような雰囲気で、かなり長く空白振って、頭抱え終止。フラブラのしようもない。こらえ性の無い客のデカイ継続咳払いが残念だったが、いずれにしてもこの種の手法、フライングのしようがないのでアイデア的にもいいのかもしれない。むろん近くで見ていると作為的なところは微塵も無く、シリアスな音楽表現に他ならないわけですが。

この日はコンサートの後にラザレフのトークがあったのですが、いろいろ話した中にショスタコーヴィッチの3楽章構成について言及したところがあり、図らずも納得することになったわけです。
もともと3楽章構成のシンフォニーは別にして、前日の10番、そしてこの日の8番、やっぱり感覚的には3楽章の束のように聴こえてくるわけです。そしてそのような聴き方をしていくと割と楽に聴き進められる。
7番の後、こんな8番を作るわけですからシンフォニストの面目躍如といったところで感服するしかない。そしてラザレフの棒にも感服するしかない。テミルカーノフのどちらかというとしなやかな感じとはまるで異なり、オーケストラからサウンドを引き出し、とにかく鳴らし切る。このグワッグワッとくるダイナミックレンジの広い彫の深い圧倒的な表現力、オーケストラの能力をフルに引き出し回転させる。この手腕の凄さ。
ラザレフがオーケストラに植え付けているのは自信であって、自信をもってプレイすれば良いということを確信を持って伝えることが出来ているのだろう。ラザレフの手腕は経験に裏打ちされたものでありそれがものすごい説得力をプレイヤーに植え付けているのだろう。強烈な8番が本当に巨大な8番として、曲のサイズとオーケストラの潜在能力の引き出されたサイズがまさしく対等なものとなり、圧倒的に巨大な演奏となり、有無を言わせない説得力を生む。凄いもんだ。8番らしい8番だ。
8番の深さを認識しました。

前半はブルッフ、なんでブルッフだったのかいまだにわからない。
ソリストはだいぶ年輪がきました。

8番の後、ラザレフのトークがあったわけですが、前述した3楽章構成の話、マキシムが棒を振った時の話、15番はたいしたことが無いと言ったのを後で反省した話、いろいろ面白いお話を聴くことが出来ました。ストーリーの持っていき方もうまい。
通訳さんがこれまたよくて、呼吸ぴったりで、ストレスの無い名通訳でした。
20分ほどのロングなトークでした。面白かったですね。



前日はテミルカーノフの棒で10番、この日は同じ台でラザレフが8番、そして翌日はテミルカーノフとラザレフが同じ時間帯に別の場所で10番と8番が同時に鳴る、メトロポリタン・トーキョーはすごいですね。
おわり