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河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2019- エル・システマ・フェスティヴァル2015、クリスティアン・バスケス、2015.11.21

2015-11-21 21:56:33 | コンサート・オペラ

2015年11月21日(土) 3:00-5:40pm 東京芸術劇場

バーンスタイン キャンディード、序曲  5′

チャベス 交響曲第2番 シンフォニア・インディア  11′

ヒナステラ バレエ「エスタンシア」から舞曲(4曲)  4′3′2′4′

Int

ベルリオーズ 幻想交響曲  16′7′18′7′10′

(encore)
アブレウ ティコティコ  3′
ペレス・プラード マンボジャンボ(たぶん)  3′
ペレス・プラード マンボNo.5(たぶん)  2′
バーンスタイン ウエストサイド・ストーリーからマンボ  2′
アルマ ジャネラ  3′


クリスティアン・バスケス 指揮
テレサ・カレーニョ・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ


エル・システマについては色々と出ていますので特にここに書くまでもない。
この日の演奏会は、芸劇会館25周年記念の芸劇フェスティヴァルの一環として招かれたもの。エル・システマ創設40周年記念行事の一環でもあるようです。
11/17芸劇、11/21芸劇、11/22相馬市民会館、3回公演の真ん中です。

素晴らしい性能のオーケストラと若手有望株のバスケスのコントロールの効いた棒。思う存分プレイしているのを聴衆もめいっぱい楽しめました。
チャベス、強弱自由で殊の外デリカシーに富み、いい演奏でレア接触のこの曲楽しめました。
後半の幻想は実は前に一度聴いています。2013年東フィルを振ったときに。
得意曲のようですね。大きな輪郭を作っていく演奏で東フィルのときもこの日もだいたい1時間を要している。聴いている間はそんなにゆっくり目には感じませんけれど、終わってみると大きな演奏と。(第4楽章はリピートあり)
幻想では指揮者が明らかに叩きつけるようなアタックと柔らかな押しのアタックを場面によって使い分けていて、それを完璧に表現するこのオーケストラの実力と指揮者への共感度の高さも感じました。

アンコールはこのフェスティヴァルにふさわしいお祭り騒ぎとなりました。途中、照明落して赤い派手なユニフォームに着替えたり、マーチングバンド風なアクションありと、最高潮に達しました。大変に楽しめました。

プログラム冊子によると編成は以下。計151名。
1vn-22、 2vn-20、 va-18、 vc-14、 cb-12、fl-6、ob-6、cl-6、fg-6、hr-13、tp-7、tb-5、btb-2、tu-2、pc-7、hp-4、kb-1 、

追記
1497- ブラボー・バスケス!幻想、ブラコン、前橋汀子、クリスチャン・バスケス、東フィル2013.7.18





2018- モーツァルト、pf協12、ラフマニノフ2番、レオン・フライシャー、新日フィル、2015.11.20

2015-11-21 00:22:05 | コンサート・オペラ

2015年11月20日(金) 7:15pm トリフォニー

モーツァルト ピアノ協奏曲第12番イ長調  10′10′7′

Int

ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調  20′10′18′16′

レオン・フライシャー、ピアノと指揮、新日フィル


フライシャーのピアノは以前聴いたことがあるような気がするが、指揮は初めて。この日は弾き振り。
1928年生まれとあるから、もう、87歳ですね。セルのレコーディングなどで馴染んでいていつもそこにいるような気がしたものだが、高齢になりました。

モーツァルトは小編成、びっくりするぐらいデリカシーに富みナイーヴなモーツァルトで、あの巨体からは思いもよらぬ音楽が奏でられる。室内楽風なオーケストラは完全に指揮者にコントロールされているのが手に取るようにわかる、いつものこのオーケストラの締まり具合と違うもの。そうとうなトレーナーなのかもしれない。
静かで美しいモーツァルトの音楽が流れました。落ち着いていてフライシャーの精神の安定を感じます。それに曲の大きさを感じました。このようにプレイできるピアニストなんですね。
前列右隣のおばさんは多分これを聴きに来ていて、一生懸命エア・ピアノをしている。目障りで注意してもうんうんと返事はするもののすぐに病気が再発するという被害は受けましたが、気持ちは分からなくもない。迷惑は迷惑。


後半は、もはやクレンペラーと化したかのような圧倒的な1時間越えのロングさ、そして色彩感など関心外と言わんばかり、一種名状し難い演奏となりました。
スタイルは前半と同様、オーケストラを相当引き締めていないとプレイヤーのテンションをこのように継続させるのは簡単ではないだろう。
極めつけは、第3楽章冒頭のクラリネットのソロの息の長さ。あれだけテンポがスローだと肺まで心配になってくる。1,2楽章のテンポ感でいけば3楽章のこのスーパースローは比して当然な尺度なのかもしれないが、こんなユニークな演奏は聴いたことが無い。これからも演奏会数多あり指揮者数多いれどこのような演奏に接することは無いような気がする。
オーケストラのハイテンションの継続には敬意を表したい。
バスは意識された抑制でかなり静かめにコントロールされていて、スローながら弦はスタッカート気味の筆の運び、いつも聴いているようなラフマニノフの粘っこい色彩感はなくて、求めていないと思われて、じゃぁなにが、という感じなのだが。水彩画ともやや違う、細めの筆で書きあげた一筆書き、ジャパニーズスタイルではもちろん、ない。あえて言えばイギリス音楽風味のデリカシーのような細身の綿々とした音楽スタイルのようでもある。
この指揮者の演奏は初めてなのでこんな感じなのですが、もう一度どんな曲であれ聴いたら、やっぱり同じ味付けだったと思うに違いない、そうも感じました。
とにかくもう2度と聴けないようなユニークな演奏でした。
おわり


2017- チャイコン1、アリス、幻想、エストラーダ、hr響、2015.11.18

2015-11-18 23:44:40 | コンサート・オペラ

2015年11月18日(水) 7:00pm サントリー

グリンカ  ルスランとリュドミラ、序曲  6′

チャイコフスキー  ピアノ協奏曲第1番変ロ長調  22′、8′+6′
 ピアノ、アリス=紗良・オット
(enocre)
シューマン 子供の情景より、詩人は語る 2′

Int

ベルリオーズ  幻想交響曲  16′、7′、16′、7′+10′
(enocre)
ブラームス  ハンガリー舞曲第6番  4′

アンドレス・オロスコ=エストラーダ 指揮 hr交響楽団


どうも一昨日の印象とあまり変わらない。
先を急ぐようなところはないが音楽に呼吸が無い、せかせかしていて、オーケストラメンバーは音楽の呼吸のタイミングを探しながら、戸惑いながらの演奏の気がする。これは良い悪いの話ではなくてそれぞれの違いなわけで、エストラーダを選んだオーケストラが慣れていくことがポイントになる。

コンチェルトでのオケの印象も五嶋龍のヴァイオリンのときと同じで、粒立ちが良く揃っていてものすごくいい伴奏。コンチェルトと幻想での演奏の質的な違いを感じる。

アリスはノースリーブ、背中が大きく割れた真っ赤なロングドレス、前見た時よりも一段とやせた感じで、あの細い腕でよくうなるような激演が出来るものだとびっくり、感心も。
じゃじゃ馬風の天衣無縫、自由奔放なアクション、ドライな響きは幾何学模様の演奏にはベストなのよと言わんばかり。魅力的ですね。
突き刺さるようなサウンド、余裕の技巧表現、ウェットなところは無い。アンコールのシューマンはものすごく落ち着いたいい演奏でした、精神の落ち着きはなにもウェットであることもないわ、と。
無機的では無くて幾何学的、好きな仕事を好きなようにコントロールしながらプレイしている。あのアクションは相当に意識されたものでもあると思いますよ。いやみがなくて素敵なものです。
おわり


2016- トスカ、初日、新国立劇場、2015.11.17

2015-11-18 01:06:40 | コンサート・オペラ

2015年11月17日(火) 6:30-9:30pm オペラパレス、新国立劇場

新国立劇場 プレゼンツ
プッチーニ 作曲
アントレッロ・マダウ=ディアツ プロダクション

トスカ
ACTⅠ 43′
Int 25′
ACTⅡ 40′
Int 25′
ACTⅢ 27′

キャスト in order of appearance
1.アンジェロッティ、 大沼徹
2.堂守、 志村文彦
3.カヴァラドッシ、 ホルヘ・デ・レオン
4.トスカ、 マリア・ホセ・シーリ
5.スカルピア、 ロベルト・フロンターリ
5.シャルローネ、 大塚博章
6.スポレッタ、 松浦健
7.羊飼い、 前川依子
8.看守、秋本健

新国立劇場合唱団
TOKYOFM少年合唱団

エイヴィン・グルベルグ・イェンセン 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団


新国立のこのプロダクションはプレミエ公演が2000年9月21日だから長く続いているものですね。舞台は色合いも良く印象的なもの、特に第1幕後半の奥行きのある美しさは壮観。テ・デウムの合唱から一人歌うスカルピアは気持ちがいいものだろう。ぎょろりと大きくひらいた眼ぢからの鬼形相、役に没入していくその様は圧巻です。舞台もキャストも素晴らしいものでした。
みなさんのカーテンコールのときにはこの8月に亡くなった演出のマダウ=ディアツの遺影写真も。

このオペラは3人揃えば鬼に金棒のようなものだが、この初日の公演、満を持しての3人、そして脇を固める歌手陣も充実した歌唱。それと第1幕の大人数の動きの一体感、よくコントロールされたもので気持ちが良い。緊張感を保ちつつも余裕の動きと言える。

単独でのきかせどころは多いわけではない、ドラマチックでシリアスなストーリーを最後まで緊張感を持続させていけるかどうかにかかっている。
冒頭のテノール、妙なる調和、部分変形に至るような伸び縮みがなく素直な歌いぶり、とりたててきかせどころに深く耽溺する具合ではない。自然な歌唱です。細くて一線の筋が通った閃光のような声はこのドラマにふさわしい。前に向かって良く響いてきました。ドミンゴ系ではなくパヴァロッティ系の声だと思います。
ここがきまれば次々と流れが出てくるものだ。
昔、メト座のカッパの頃にゼッフレルリのプロダクションを何度も観ました、ドミンゴ画家はハシゴ登って上で歌う妙なる調和、パヴァロッティのときはハシゴの下で歌っていました、パヴァロッティの一点光源型の細くて突き刺さるような声が圧巻であったのを思い出します。
その後、ゼッフレルリのプロダクションが観る基本になってしまった感がある。

第2幕はリアルなシーンが続く。
シーリの歌に生き恋に生き、非常に正確でぶれない。ひき込む力もある。歌姫にふさわしいボディーと演技もジャストマッチで劇にひき込まれていきます。
スカルピアがアニマルと化したところでトスカに刺されて血がべっとりと、トスカの手にもべっとりと。自白のむち打ちで血だらけになったマリオともども割と凄惨なシーンが。

終幕は冒頭、声の無い前奏がかなり長く続く。緊張感を保ちながらの演奏には指揮者の力量が問われる。いい演奏でした。
トスカとマリオの長い二重唱、バランスに優れ気持ちよくきくことができました。マリオ絶命のあと、トスカは舞台奥城の上から仰向けに後ろに落ちていきました。

2幕でシーリの胸に圧倒されたのか少し声が上ずったりしたスカルピアのフロンターリ、そういったところはありましたが、お三方のシーンをわきまえた品位のある歌、重唱でのバランスと呼吸の見事さ。聴きごたえありました。


指揮のイェンセン、イタオペ特有の極端な引き伸ばしのようなことはせず、部分に耽溺せず、ずぶずぶしない。歌う方もよくコントロールされているので、いい伴奏だと思います。
ひとつ、オーケストラの音がやたらとでかい。最後のあたりなど太鼓の音が強烈過ぎて天井と床が一緒に抜けてしまいそうな勢い。異常な圧力でした。そこだけでなく概ね、ダイナミックレンジが広い指揮者でテンポの取り方ではなく、強弱で音楽の起伏を作っていく。
指揮者も含めみなさん喝采を浴びおりました。
いい一夜、楽しませてもらいました。ありがとうございました。
おわり


2015- チャイコン、五嶋龍、GM1、エストラーダ、hr響、2015.11.16

2015-11-17 01:12:06 | コンサート・オペラ

2015- チャイコン、五嶋龍、GM1、エストラーダ、hr響、2015.11.16

2015年11月16日(月) 7:00pm NHKホール

ウェーバー オイリアンテ、序曲  9′

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調  18′、6′+10′
 ヴァイオリン、五嶋龍
(encore)
イザイ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番第1楽章  2′

Int

マーラー 交響曲第1番ニ長調  21′、8′、10′+18′

(enocre)
ブラームス ハンガリー舞曲第6番  3′

アンドレス・オロスコ・エストラーダ 指揮 hr交響楽団


フランクフルト放送交響楽団の初来日は1987年、それまで単独で何度も来日しているインバルとの組み合わせで。2年後の1989年も同じ組み合わせで来ていて、インバルは私の時代が来たと言わんばかりにマーラーを振りつくした。そしてフランクフルトとの時代が終わるとともに、個人的には1970年代から続いていた彼の興味深い演奏、録音への関心も一通り〆となった。

1970年代にヘッセン放送協会からのテープを盛んに流していたNHK-FM、他のところのテープよりも音質が良好でNHKも積極的に取り上げていたと思われます。そこらへんも含め、1989年の来日公演の感想に織り交ぜて書いていますのでよろしければどうぞ。

0189- インバル ベルリン 夜の歌1989-9
0219- インバル フランクフルト 復活 1989-21
0220- インバル フランクフルト 悲劇的 1989-22


エストラーダという指揮者はお初です。
フランクフルトのサウンド傾向はhrとなっても変わらず、清らかなもので、突き刺さる感じは無く、プレイヤーが自分の周りの音を聞いてハーモニーを感じてから次のフレーズに入っていく、水平指向と言いますか、マーラーでいうと2番3番あたりの最後の音の気持ち良い伸ばし具合がよく合っている。そんなイメージです。
この指揮者はフレーズのタメを作らず、句読点もつけないので隙間なく流れていく、hrの特色とよくマッチしていそうな気もしますが、ちょっと違っていて、直進的な棒をオーケストラのプイレイヤーによっては息をつくタイミングが探せないでいる感じで、必ずしもベストマッチというわけではないですね。これはマーラーで特に。

チャイコンの伴奏はスタッカート風な切れ味と粒立ちが正確でヴァイオリンの良い支えとなっておりました。
五嶋さんのヴァイオリンはこれまたお初で聴くような気がしますが、一音目のアクセントが強く良く響きますね。音楽の始まり、フレーズの始まり、そういったことを強く意識させてくれます。この小屋はヴァイオリンソロにふさわしいホールとはとても思えませんけれど鳴らし切りました。
ウェットでもドライでもない、中性的な雰囲気のサウンド傾向で醒めた熱演と感じました。
おわり


2014- ドン・ジョヴァンニ、広上、読響、2015.11.15

2015-11-16 00:28:48 | コンサート・オペラ

2015年11月15日(日) 2:00-5:40pm 日生劇場

日生劇場プレゼンツ
モーツァルト作曲
菅尾友 プロダクション

ドン・ジョヴァンニ
Ov.6′
ACTⅠ 85′
Int 20′
ACTⅡ 89′

キャスト(in order of appearance)  of  overture
1.レポレルロ
2.ドン・ジョヴァンニ
3.騎士長
4.ドンナ・アンナ
4.ドン・オッターヴィオ
5.ツェルリーナ
5.マゼット
6.ドンナ・エルヴィーラ

キャスト(in order of appearance) of ACT
1.レポレルロ、 青山貴 (Br)
2.ドン・ジョヴァンニ、 池内響 (Br)
2.ドンナ・アンナ、 宮澤尚子 (S)
3.騎士長、 峰茂樹 (Bs)
4.ドン・オッターヴィオ、 望月哲也 (T)
5.ツェルリーナ、 鈴木江美 (S)
5.マゼット、 金子亮平 (BrLirico )
6.ドンナ・エルヴィーラ、柳原由香 (S)
C.ヴィレッジシンガーズ

広上淳一 指揮 読売交響楽団

ニッセイオペラの出し物を観てきました。ここに来ることはめったにありませんが、さすがに古い、というより、入口入って階段などひとまわり小さい、バーでいうと銀座のルパンの様な感じで、建材の経年変化ではなく作りの小ささに時代を感じてしまうもの。曲線を強調したデザインは出来上がり当時ハイカラだったんだろうとしんみり思う。

照明が消える前に、チューニングの前に、指揮者の広上は既に指揮台に立っている。そのままざっくりとチューニングが始まり、おもむろに照明が前方から落ち、カーテンがあがり序曲開始、第一音とともに後ろの照明も落ちる、といっても、通路の足元ランプはたくさん点いているので真っ暗という雰囲気は無い。
序曲中にキャストが順番に登場してきます、歌はもちろんありませんけれど、とりあえず全員出し切る。この種の演出はもう何度も書いていますが既に陳腐化している。演出は古くなり音楽だけが残る。その繰り返しです。
硬質のホールサウンドで読響の音が明瞭すぎるぐらいクリアに序曲を奏でる。

周り舞台にはむき出しの階段が交錯するように何個かあり、シーンに合わせて回ったり止まったり、シンプルなもの。両幕とも同じです。
奥行きの無いステージだからというわけではないと思いますが、階段の手すりの下をくぐりながらの動きは窮屈そうに見える。
冒頭にやられてしまう騎士長は、その後かなり頻繁に出てきていて、最後まで舞台を歩き回る。最初から最後まで良し悪しは別にして印象的。
キャストのメイクが奇抜で特に顔、目の色彩感が尋常でない。ブレードランナーに出てくるレプリカントのプリスがセバスチャンの前でするあのアイメイク、思い浮かびます。男連中のメイクも似合うかどうかは別にして同様な奇抜さ。
以上により現実感が無くなるようなぼかしを故意にしていると思えます。もともとそういうストーリーかもしれませんけれども。
フィガロソングではバンダと言った特別な趣向もなく流れ的にちょっと起伏感が薄れてくる中、最後に騎士長が出てくるところには、上から大きな暖簾の様な幕がぶら下がり、そこにプロジェクションマッピングか、別映像として騎士長の上半身が映し出される。ずっと歩きぱなしのリアルな騎士長は別にいて歌っていて、このマッピング映像はリアル歌と口がまるで合っていない。映像とリアル、二人存在する騎士長、どのように理解すればいいのか。

ここまでくると創作というより実験工房的な世界に近くなってくる。結果顧みずの世界観はそれなりに面白いものではありますけれど。瞬間瞬間のシーンで興味をつなぐようなところがあり、ともすると、創作と田舎芝居の崖っぷちに立たされているような眩暈を感じる、けれども、スタッフの意欲はかいます。

それで、歌と伴奏。
伴奏の広上&読響は硬い響きのホールを手玉に取り素晴らしく整った演奏で指揮者の意向を見事に取り込んだ読響の演奏は素晴らしいもの、躍動感もダークな響きもおしなべて表現されていたと思います。コントロールの効いた演奏。
歌の声はよく通るもので、階段の上での歌はさらにクリア、一部PAも使用していると思われましたが、全員バランスの取れたものでした。ただ、流れが無い、歌の羅列でつなぎが良くない、シームレス感がない。またアンサンブル局面での声が重なるこのような個所での多重的な押しが無く勢いが出てこない。断片の切り口でいうと個々の歌は相応なものであるので別の問題があると思う。まぁ、勘でいうと、オケ指揮はそれはそれで、歌と動きはそれはそれで、リハ積み重ねあげたと思いますが、一体化したリハあったのかしら、と。
広上のオケ指揮よくてもシンガーが彼に共鳴してシングしているようには見えない。信頼感が無いというのでもない、常設の小屋とオケと指揮なら当然あるはずのものがまるで感じられない、イベント性の強い瞬間的な出し物への出演という感が濃厚。プログラム冊子には副指揮者5名載っていますので、パート部分では彼らのほうが意思疎通のとれた指揮と歌唱になっていたように思えます。広上さんも前半は歌への指示はほぼ無く、後半少し指図は出てきましたが、一体感はありませんでした。歌手も指揮者の意向をくみながら歌唱を進めていたようには見受けられませんでした。流れが良くないというのは次の局面への展開つながりを感じながらのプレイかどうか、それは指揮者がまず一番に認識しオケと歌に伝播させなければならない。歌は棒のコントロール下には無かった。山のようにオペラを振りつくしている指揮者ではないのでしょうがないところではありますが、なんというか、オペラ・ハート、欲しかったですね。
結果、各シーンは理解できるもののストーリー展開が拡散していく感じ。焦点が無くフラットな印象となりました。2幕とも同じ舞台でしたが色々と趣向ありましたので舞台には飽きない、伴奏オケは充実、歌や動きも深刻だったりウィットに富んだり、これらを総合的にまとめていければさらに楽しめたと思います。

タイトルロールは身のこなし軽く鮮やかスタイリッシュでなかなか良かったですね、ドン・ジョヴァンニの役にふさわしい。
女性陣の爆発系のヘアメイク、お化粧、アイメイク、衣装、動き、キャラクター的な要素が強調されていて配役の妙がよくわかるものでした。
ベームがフィデリオを振ってこけら落しをしたホール、由緒あるものでしょう。もはや、プロダクション関係者や若手シンガーが次へのステップアップを目指す場と感じたのは自分だけなのかもしれませんけれど時代の流れを感じました。

マゼットがドンジョ扮するレボレルロにたたかれて、痛い痛いと日本語で。
おわり

 


2013- シベリウス、バッハ、チャイ5、インキネン、日フィル、2015.11.14

2015-11-15 10:36:13 | コンサート・オペラ

2015年11月14日(土) 6:00pm 神奈川県民ホール

シベリウス 歴史的情景第2番op.66  7-6-7

バッハ 2挺のヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043  5-7-5
  ヴァイオリン、扇谷泰朋、ピエタリ・インキネン

Int

チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調op.64  15-14-6-13

(encore)
シベリウス アンダンテ・フェスティーヴォ  4′

ピエタリ・インキネン  指揮  日本フィルハーモニー交響楽団


いつものみなとみらいホールでの演奏会はなぜかこの日だけ神奈川県民ホール、あいにくの雨が重なり出かける気持ちが少しなえていた。
結果的にはやっぱり来てよかったという演奏会になりました。

冒頭のシベリウスは前の週は1番、この日は2番。特別な関連性は無いということでしたが1番2番あまり聴くことのない曲ながら両方ともに佳作でした。
この日の2番はブラスは無し(ホルンはあり)。Ⅲは描写音楽風味が濃くなり、なんだか名残惜しそうに終わる。
最近よくみるこのティンパニストさん、どこの国のかたか、メンバ表に名前もないので今一つわからないのですけれど、割と強烈にメリハリ付けて叩くあたり音楽がよく締まりいいものだとおもいました。ホルンは香りがもっと欲しい。デッドなホールということはありますが。

2曲目のバッハはインキネンとコンマスのダブルソロ。レアなものに遭遇しました。インキネンはもともとヴァイオリニストですから特別な違和感はありません。
インキネンさんのヴァイオリンはこのオケとの同質性を感じさせるもので、よく溶け込んでいて優雅な香り、また、一歩ひいたステージマナーは好感のもてるもので扇谷さんと息が合っておりました。

後半のチャイ5、デッドで硬い音響のホール。オーケストラの音がむき出しに響いてきます。ブラスは少しザラザラと隙間があるように聴こえます。第2楽章のノンヴィヴラートのホルンソロは、正確なレングスの音価で吹く。これに何がしかのフレーバーがあれば色々と味わいも出てくると思います。
クラリネットの暗さ、バスーンの明るさ、対象的で印象に残るかけあい。
弦は透明で張りがあり美しい。また、例えば第2楽章中間部から後半にかけてのベースの正確な刻みと強調は、終楽章の第1,2主題とのつながりをよく感じさせるもので、このような意図や企みは指揮者のものでしょう。

インキネンのチャイコフスキーは脂ぎらないデトックス風なところがあり、またどこかこだわりがあって耽溺するという演奏ではない。それでいて結構な長い演奏となるのはだいたいいつものこと。この手品はまだわからない。

全体で2時間に迫る演奏会でしたのでアンコールを聴けるとは思っておりませんでした。思わぬことでした、珠玉のアンダンテ・フェスティーヴォが聴けるとは思ってもいなかったのでこれはまさに僥倖。
かなりの快速な演奏で弦をきつく絞ったような締めサウンドで美しい。最初から最後まで緊張感に満ち、演奏する喜びをプレイヤーが感じつつ、聴衆にもそういったことが良く伝播してくるものでいい演奏会で〆られました。
ありがとうございました。
おわり


2012- ブルックナー7番コールス版、ダニエル・ハーディング、新日フィル、2015.11.8

2015-11-08 17:54:10 | コンサート・オペラ

2015年11月8日(日) 2:00pm サントリー

ディーン  ドラマティス・ペルソネ (日本初演) 12-8-9
  トランペット、ホーカン・ハーデンベルガー
(encore)  マイ・ファニー・バレンタイン  2′

Int

ブルックナー 交響曲第7番ホ長調 WAB107  19-21-9-12
 (ベンヤミン=グンナー・コールスによる新版2015) 日本初演


ダニエル・ハーディング  指揮  新日本フィルハーモニー交響楽団


このコールス新版というのは、ハース版やノヴァーク版の前の、初版=改訂版をベースに詳細に再考を積み重ねあげたもの、簡単に言うとそうゆうことになるかと思います。

日本初演、初めて聴くわけですが、一言でいうと、昔、生で聴いたシャルク版の5番の様なぶ厚さで色々と楽器をいたるところ重ねているように聴こえた。ヘヴィーという感じはないですが、牡丹雪の様なサウンドが降り注ぎます。
指揮者がこの版を選択したものと思われるわけで解釈はそれなりに食い込んでいたように思います。
混じりけのない牡丹雪で全般にわたりレガートの効いたものでその柔らかいサウンドが心地よいものでした。なかなか良かったと思います。
第1楽章の第1,2主題は等速でぼっとしていると区別がつかない。そのあと第3主題までの長い経過句を過激にアチェルランド、この方針で進めるのかと思いましたが、結果的に強烈な加速はここだけでした。第4楽章の第3主題もスピーディーなものでしたがインテンポでもっていきましたし。
展開部の入りはスローで重い。ハーディングのスタイルでしょうか。進むにつれて克明になってくるあたりも含め。
再現部、コーダともに5分刈りカットのように決然と解放します。ですので、展開部の頭と最後の締めでは音楽の表情がだいぶ異なっており、そこらへん全体俯瞰の点でこれからが楽しみです。
第2楽章はシンバル付き。

第4楽章は展開部の展開不足の作品と感じますが、この日のハーディングの棒ではあまり気になりませんでしたね。
このように柔らかな演奏の7番は久しぶりに聴きました。ギスギス感や角張ったところがまるでないもので、あたたかな演奏となりました。


前半のドラマティス・ペルソナ、これはラテン語で、劇中におけるメイン・キャラクターを意味するそうです。このソリストに捧げられておりますのでそこらへんの含みもありそうですね。
第1楽章のスーパーヒーローの転落は大変にトリッキーな動きをするトランペットが印象的。作為的過ぎる部分もあるがこのソリストにとっては作品自体、格好の餌となるわけです。
第2楽章の独白、スモーキーでウェットな響き。
終楽章の偶発的革命、曖昧模糊なものが徐々にリズムの集合体となっていく。ソリストは手前からオーケストラのトランペットセクションに歩いていきそこでみんなで吹奏、音楽はさらにリズミカルになりその極みで引き伸ばし終わる。
最初の印象からは思いもつかぬマーチングになり効果満点。
曲のタイトルに相応しいエンディングで、聴衆はもやが晴れた感じになりスッキリ。
楽しませてもらいました。
ありがとうございます。
おわり


2011- シベリウス2曲、大地の歌、ピエタリ・インキネン、日フィル、2015.11.7

2015-11-07 22:53:19 | コンサート・オペラ

2015年11月7日(土) 2:00pm サントリー

シベリウス  歴史的情景第1番op.25  5′6′8′

シベリウス  組曲「ベルシャザールの饗宴」 3′4′4′4′

Int

マーラー  大地の歌  8-10-4-7-4-29    64′(i含む)
  テノール、 西村悟
  バリトン、 河野克典

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

トーク・アフター・コンサート
ピエタリ・インキネン 約10′(通訳付き)


前日はP席。この日は定期の席で、声も良好に聴こえました。全体内容は概ね前の日と同じです。
テノールさんはあごを上にあげて歌う場面が多く、上のほうに声が飛んでいってしまう、というよりもちからが思う存分入らないのではないかと思ってしまうのです。
力感という点ではバリトンさんいいですね、河野さんは何度か聴いてます、一音たりとも粗末にしないていねいな歌い口が魅力的です。一つずつかみしめて味合うことが出来ていいものです。
大地の歌は大曲です、インキネンが振るとそう重くもないのに結構な時間となる。前に別の曲の演奏でも同じような印象をもったことがあります。ワーグナーに馴染んでいる独特の呼吸があるようにもみえます。まして声がはいった曲ですし。
なお、前日今日と、インキネンは大地の歌、初振りだそうです。
おわり

 


2010- シベリウス2曲、大地の歌、ピエタリ・インキネン、日フィル、2015.11.6

2015-11-06 23:35:19 | コンサート・オペラ

2015年11月6日(金) 7:00pm サントリー

シベリウス  歴史的情景第1番op.25  5′6′8′

シベリウス  組曲「ベルシャザールの饗宴」 2′3′5′3′

Int

マーラー  大地の歌  8-9-4-7-4-28    62′(i含む)
  テノール、 西村悟
  バリトン、 河野克典

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

トーク・アフター・コンサート
ピエタリ・インキネン 約15′(通訳付き)


大地の歌は8番のイメージとはもはやかけ離れているとはいえ、9番とは響きのぶ厚さが随分と異なる。9番の分解した線の響きには至らず、大編成のオーケストラで迫りくるわけだが、情念のようなもの、感情や感性といったあたりのことが前面に出てきているように感じる。ぶ厚い響きの中、右左前後から色々なテクスチャが浮かび上がる。インストゥルメンタルなアンサンブルとも違う、各楽器の束が強烈に意思表示していて音楽の幅の大きさを感じさせてくれる。各パートの定位が克明でアナログ的な柔らかいアンプリチュードで一見モノフォニックなサウンドが結合した集合体の同時演奏のように聴こえてくる。
この日はP席で聴きましたので、残念ながら指向性の強い声パートはよく聴こえませんでした。
テノール、バリトンの組み合わせと言えばブンダーリッヒ、フィッシャーディースカウの組み合わせ、カイルベルトの棒、バンベルク響の伴奏の演奏を思い出します。
この組み合わせで一番印象的なのは最後の最後、フィッシャーディースカウがハイテンションで決めた高音一発芸、イーヴィッヒ。
この日のバリトン河野さんの声は後ろで聴いていても比較的聴こえてきました。
テノールはほとんど聴こえずでした。演後のちょっとご本人が中心的指揮者のような振る舞いはあまりほめられたものではないです。
明日も聴きますので楽しみですね。

前半のシベリウス2曲。歴史的情景は初めて聴く。殊の外、鳴りの良いもので、ときに作曲家独特の清涼な高弦の響きが美しく響く。ニュアンスに富んだ音楽で魅力的。ベルシャザールは少し作為が勝った曲と言えるかもしれない。
瞠目すべきはこれらを演奏している指揮者とオケ。
先般のラザレフのときとはがらりと音の表情を変えてきていて、両指揮者へのオーケストラの共感度の高さが良く理解できるもの。共感の度合いが高くテンションも高く張りつめている。歴史的情景のそれぞれの短いピースの中のちょっとした音楽の爆発でさえ音楽が生き生きと生きている。音楽のいい表現だと思います。
音楽に浸るよろこびを感じさせてくれる演奏ということですね。
おわり


2009- わが祖国、ビエロフラーヴェク、チェコ・フィル、2015.11.4

2015-11-05 12:24:26 | コンサート・オペラ

2009- わが祖国、ビエロフラーヴェク、チェコ・フィル、2015.11.4

2015年11月4日(水) 7:00pm NHKホール

スメタナ  わが祖国  16′12′10′12′13+14′

(enocre)
ドヴォルザーク  スラブ舞曲Op72 第1番  4′

イルジー・ビエロフラーヴェク 指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団


2年前の来日のときと随分と顔の雰囲気が変わったように感じたビエロフラーヴェク。
指揮者の心のイメージがそのままプレイヤー全員に伝わった様な演奏で、ありきたりの言葉とは言えもはや枯れた演奏というしかない。指揮者の炎の核がまるで気張らず自在に表現される、こうなると指揮技術と言ったことよりそれらの積み重ねが自然にオーケストラに伝播し作用し、そのまま表現される。生きた音楽が今生まれるそのような気持ちにもなってくる。普通のコンサートではあまり感じたことが無いもので、チェコ・フィルの来日公演でかつて聴いた同曲演奏、マーカル、クーベリック、彼らの演奏も素晴らしかったが、この日のビエロフラーヴェクの演奏と言うのは晩年のノイマンが名演奏のCDを連発していた頃のことを思いだす。枯れた演奏と言う言葉以外見つからない。本当に気張らないもので、プレイヤーへの音楽の浸透が凄い。

プレイヤーの心に作用する指揮、オーケストラの心に作用する指揮。


1曲目の高い城、巨大な演奏でした。もはやこの1曲だけで前述の内容全てを感じた。このオーケストラ独特のせせらぎのような透明な流れ、1本の弦の音を感じさせつつそれが束ねられたような全弦の響きを感じさせてくれる。小川の中になびく草花のような具合のユラユラとした微妙に分解された響きは変わらずに聴ける。指揮者とプレイヤーの心より奏でられた音楽、音楽そのほうが感動に打ち震えているような鳴り具合だ。演奏するほうは飽くまでも演奏に没するのみ、自分たちが感動してはいけない。そこらへん見事というしかない。とにかく、行ったことが無いところに連れて行ってもらいました。素晴らしく大きな演奏。
曲は進むにつれスメタナの耳は聞こえなくなっている。この1曲目の巨大さが5曲6曲目にも欲しいところだが、そのようなことはもはや言うまい。
心の奥底にずっと残る演奏でした。
おわり


2008- ヨーロッパ・ツアー2015前の定期、大野和士、都響、2015.11.2

2015-11-03 17:36:55 | コンサート・オペラ

2015年11月2日(月) 7:00pm サントリー

ラヴェル スペイン狂詩曲  4-3-3-7

プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調  11-10-5
  ヴァイオリン、ワディム・レーピン

Int

細川俊夫 嵐のあとに (世界初演)  23′
  ソプラノ、スザンヌ・エルマーク、イルゼ・エーレンス

ドビュッシー  海   8-7-8

大野和士 指揮 東京都交響楽団


1991年アメリカ・ツアー来のヨーロッパ・ツアーに出かける前の準備体操演奏会。
ヨーロッパ・ツアーは2015.11.13、16、17、19、21、23 の6公演。
この日の演目4曲にチャイコフスキーの4番を加え、計5曲を組み合わせてツアー演奏を行う。

やるまえからなんだが評がどうなることか、ハードでビッグでドライなサウンドが伝統のホールを席巻、正確な演奏はまさにジャパニーズの特質をあらわしている、といったところか。

スペイン狂詩曲はそのタイトルに相応しいのかわからないほど静止したもの。それに音がとにかくでかい。強弱の振幅度合が、極端に音がでかいわけでもない他オケの振幅度合と同じなのかどうかわかりませんけれど、あちらが強くなればこちらはもっとみたいな雰囲気がある、特にティンパニにその気がある。終曲祭りの後半部のサウンドサイズにはあらためてびっくり。
全体に静止している印象で、大小響きが際立っている。鋭角でkeenなもので、ウェットさやエモーショナルな波打つ演奏と言うわけではない。

レーピンはもう何度聴いたかわからない、山ほどというわけではないけれど、点的ではあるが聴くチャンスは多いほう。
深く強い弾きで柳のようにしなやか、切れない音でそれが音楽そのもののように強くしなやかにシームレスに流れていく。このオケのサウンドに負けることなく、まるでオケのサウンドに隙間があってその隙間さえ埋めてしまうように聴こえてくる。
この協奏曲ではオケの人数がぐっと減るが傾向は変わらない。ニヒルな風貌のレーピンが正確にプロコフィエフを弾き、オケは軽妙に伴奏していく。理想的です。
ヨーロッパ・ツアーではレーピンに評が多く集まる気配がありますが、それはオーケストラのことをないがしろにするという事ですから、必ずしもいいとは限りません。外国の評ではよくあることです。スポットライトを局所的に当ててあとはスルーといった具合。この協奏曲での緊密な伴奏のこともピックアップしてほしいものですね。

後半の1曲目、細川の新作はこのオーケストラ創立50年の委嘱作品で世界初演。音楽のセンチメンタルな自然賛美、3.11のあと、音楽そのものを考え直すようになった、といったことから作られた。その前の作品群とランドスライディング的な作風の変化があるのかどうか、そうでもないと思いましたが。
前半は嵐、この作曲家らしくないと思えるような太鼓でのポンポコ表現での嵐です。あえて日本的とさえ思えるもので彼のしなやかな音楽とはたしかにだいぶ違う。方向転換に暗中模索、そういった足あと風なところはあります。
23分中、最初の10分ほどこのような音楽が続き、そのあと二人のソプラノによるヘッセの「嵐のあとの花」の詩を歌う。二人のソプラノは巫女で、一本のソプラノを二人に歌わせ陰と陽、光と影を。嵐が去り光の世界を少しずつ取り戻す。
ソプラノがハーモニーを成すわけではなく、むしろ枝分かれしていくように詩を歌う。広がりを感じるというものでもない。少し不思議な世界。暗い嵐の世界のあと、少しずつ光がさしこみ、その光がやがて黄色い色調の世界を取り戻し静かに沁みていく。

最後のドビュッシーの海、このオーケストラにマッチした曲とは少し違うのではないのかという思いが率直なところあります。もっともっとウェットな響きが空間をびっしりと敷きつめていかなければならない、ややもすると埃っぽくなりがちな海でそれはタイトルと一番かけ離れたもののように思える。それにそれぞれの表題に対し演奏の焦点が今一つはっきりしない。オーケストラの響きは達者な腕前を示すものでうなるものですけれど。
杓子定規な演奏を海の波のように乗り越えて本来音楽が内包する律動を生きたものとして表現してほしい思い。

なにはともあれ、日常の演奏会が一番大切、日頃の腕前をヨーロッパで魅せてきてほしいところです。
おわり


2007- トゥーランガリラ、鈴木優人、東響、2015.11.1

2015-11-02 14:20:09 | コンサート・オペラ

2015年11月1日(日) 5:30 - 8:15pm 東京芸術劇場

小出雅子 玉虫ノスタルジア、ウィンド・アンサンブルのための
 (Br-Sax版 世界初演)  7′
鈴木優人 指揮 芸劇ウィンド・オーケストラ

ストラヴィンスキー 火の鳥(1919年版) 吹奏楽版全6曲  21′
鈴木優人 指揮 芸劇ウィンド・オーケストラ

Int

メシアン  トゥーランガリラ交響曲 7-9-5-12-7 12-4-12-4-7  79′
ピアノ、児玉桃、
オンド・マルトノ、原田節
鈴木優人 指揮 東京交響楽団


1980年代中盤、小澤征爾&ボストン響がニューヨーク定期でカーネギーホールにオネゲルの火刑台上のジャンヌ・ダルクを持ってきたことがある。ステージ後方半分をかなり高くしてもうひとつ舞台を作りそこで歌い手たちが動き歌う。セミステージ、ホールオペラ風。小澤は暗譜で、それを初めて見た時は神業かと思ったものでした。
無理に暗譜しなくてもいいじゃないかという思いはありましたけれど、プレイヤーたちには際どい安心感のようなものがある気がします。聴衆側も微妙な心地よさのような雰囲気がありました。それは、指揮者が曲を知り尽くしているのだろうといった思いが周りにうまく伝播しているからかもしれません。それに若かったですし、彼の出てくる催しは全てイベントの様なおもむきがありましたしね。空気を変えるカリスマの棒でした。

1967年にトロント響といれたトゥーランガリラもたぶん前後した同曲の演奏会の流れでセッション収録したものと推測されますが、演奏会のほうはこれまたたぶん暗譜だったんでしょうね。暗譜棒は彼が演奏会に立ち向かうスタンスの一つであるような文を何かで読んだことがあります。
トゥーランガリラは1962年に彼が日本初演した曲でありその後、短いトロント響との結びつきの中で作られた録音。
トロントより前さらにそれに並走する形でニューヨーク・フィルを124回(*河童カウント)振りつくし、1969-1970シーズンはオープニングも飾っている。ボストン、サンフランシスコの前に一時代を築きニューヨーク・フィルをも制覇していた。
カリスマ的才能全開時代。

この日、一見するとストイックな感じの鈴木さんの棒を見ながら真逆だなぁとふと思い出したことでした。
才能の開陳、いろいろなパターンがあるものだなぁという思いを感じました。


トゥーランガリラはイントロ含め、1曲の中に緩急が複数出現するものが多い。緩急、テンポ、リズム、小鳥が走りリスが這う瞬間、海中のクジラの遊泳、そんな感じの種々雑多な若き天才のひらめきの一筆書き。インスパイアされた愛はとりあえず横に置き、そのような響きを堪能できる曲。スリルとサスペンスに満ちた瞬間天才技が一気に書き上げたように見えるのは遠く離れた光源のようにさえ思える。
東にそれがあれば出かけ、要は東西南北その曲が演奏会に上がるときはなるべく追っかけしてきました。この日もその一つ。結果は芳しいものではありませんでしたが、指揮者はひとつ踏み台を駆け上がったと思います。

全般に緩急の緩フレーズ、メロディーラインがあまりにルバートが効きすぎていて急部分とのアンバランスが目立つ。後半の曲への伏線となるメロディー浮き出るがつながりを感じる前に散漫となってしまう。曲想変化の前のリタルダンドも強調が過ぎる。
オーケストラは健闘しましたが、棒のポイントとなる位置と音の出がバラバラでかなりプレイしにくそう。ウィンドパートの人が横の人を見たりする局面もあり、リハをたとえ重ねてもそれ以前に問題があると思います。好調な東響だからここまでブリッジできた。

中で、4の愛の歌2回目は長丁場ですが交錯するリズムテンポをきれいなハーモニーで歌わせなかなか良かったと思います。見通しがきいた全体のフレーム感覚が冴えたものでした。彼の棒は、強めのフレーズのエンディングを左手でさっと切り上げるところがあり、そのまとめあげは小気味のよいものですが、次のザッツはその息を買って出てこずさっき書いたようなまだら模様になってしまい結果、散漫なものとなってしまう。ここらあたりはご本人もわかっているのではないでしょうか。不安定さは自分に不安さをもたらし、そのような中で確実に棒を動かして音楽を作っていくことができるのは緩の部分であり、どっぷりとしたルバートなメロディーラインは、この曲に対する自信が今一つということの裏返しのようにも聴こえてしまうのです。4への理解は深いと思いましたのでこのような流れを全体に広げていけばよいと思いました。
9の3回目のトゥーランガリラはひとつのテンポだけの曲であり冴えた振りでした。黄金色の東響の響き、ブラス、パーカッション、見事だったと思います。

それから曲が並列的に陳列されているように聴こえました。束ね感覚を自分なりに感じたまま、2011年にプレヴィンがN響を振った時のブログに書いてあります。

1306- オリヴィエ・メシアン トゥーランガリラ交響曲、アンドレ・プレヴィン N響2011.10.21

1307- 二日目 メシアン トゥーランガリラ、プレヴィン N響2011.10.22



児玉桃、原田節はもはや定位置。
8では9が始まるまで鍵盤の上に頭を伏せてしまった児玉はまるで気絶したかのようでした。これまであまり見ないパフォーマンスでした。その児玉さん、演奏終わったら良くやった良くやったと指揮者をねぎらう姿が微笑ましい。

児玉さんの赤いドレス、原田さんの赤い靴下、妙に合う。
おわり

PS
この日の演奏会は、東京芸術劇場開館25周年記念コンサートのひとつです。

 


2006- ラフマニノフの墓、ルーム、猫、天使、小川典子プロデュース、2015.10.31

2015-10-31 22:22:28 | コンサート・オペラ

2006- ラフマニノフの墓、ルーム、猫、天使、小川典子プロデュース、2015.10.31

Oct 31,2015,  6:00pm  MUZA, Kawasaki

Le Tombeau de Prachmaninov  (Japan Premiere) 19′
Prelude,  Stephen Hough   3′
Fugue,  Alan Mills  4′
Forlane,  Peter Fribbins  3′
Rigaudon,  James Francis Brown  5′
Menuet,  Cecillia McDowall  2′
Toccata,  Takeshi Yoshimatsu  2′
Piano, Noriko Ogawa

John Cage,  A Room  3′
Prepared Piano, Noriko Ogawa

Yoshihiro Kanno,
Cat in the Box for Prepared Piano 4 Hands and 2 Toy Pianos (World Premiere) 8′
Prepared Piano & Toy Piano, Noriko Ogawa, Noriko Otake

Yoshihiro Kanno, 
The Remains of the Light Ⅲ, Angel’s Ladder for Piano and Computer 20′
Piano, Noriko Ogawa    Computer, Yoshihiro Kanno

2015年10月31日(土) 6:00pm ミューザ川崎

ラフマニノフの墓 (日本初演)  19′
プレリュード、 スティーブン・ハフ  3′
フーガ、 アラン・ミルズ  4′
フォルラーヌ、 ピーター・フリビンズ  3′
リゴードン、 ジェイムズ・フランシス・ブラウン  5′
メヌエット、 セシリア・マクドウォール  2′
トッカータ、 吉松隆  2′
ピアノ、小川典子

ジョン・ケージ  ルーム  3′
プリペアード・ピアノ、小川典子

菅野由弘
猫はしばしば箱に潜る (世界初演)  8′
プリペアード・ピアノ4手連弾と2台のトイ・ピアノのための
ピアノ&プリペアード・ピアノ、小川典子、大竹紀子

菅野由弘、 天使の梯子  20′
ピアノ、小川典子  コンピュータ、菅野由弘


ホールアドバイザー小川典子の連続した企画3回目の日、当日は3公演ありそのうち一番晩い時間帯のイブニング・コンサートを聴きに行きました。といっても、一連の企画お目当てではなく作品に食指が動いたピンポイントでのお出かけ。
休憩なしの1時間ものと書いてありましたが、演奏間にトークがはいりましたので、結局1時間20分ほどかかりました。新しい作品が多く興味深いコンサートでした。

作品は世界初演というのもありますし全部お初でお目にかかります。
最初の作品、ラフマニノフの墓。マンチェスター、ブリッジウォーターホールの委嘱作品で6人の作曲家による小品集。ラヴェルのクープランの墓へのオマージュ、今年の4月に同じピアニストで世界初演されたばかりという事です。
響きはラヴェルの様な趣きがあり透明なガラス細工模様がきれいに流れていく。これは小川のピアノによるところも大きいと思う。比較的強めのアタックながらうるさくならず、またあとをひかないサッパリ風な切り上げで、これは弾く前に一呼吸入れてまるで習字のときの息を沈めるような振りで緊張感を自分に強いているしぐさと締めの具合が良くバランスしていて気持ちがいいもので、このようなスタイルが演奏するに際しうまく反映されているからだと思う。
作曲家の中にはピアニストのスティーブン・ハフの名前も見える。自分の印象としては、ジェイムズ・フランシス・ブラウンのリゴードンが印象的だった。形式を失ったがために短い曲しかできないと思わせるような現代の音楽作品の中にあって、それとは別の思考による音楽を摸索しているように思えた。太めのガラス細工でジャングルジムのように隙間から先が見えるようでもあり、それでいて鉄の棒を意識させない。隙間があるがゆるくない感じ。
6作品を一つの作品とみてもアンバランスな感じは無く、統一された響きを感じさせるピースの集合体でした。良かったと思います。

ケージのルーム。大竹&小川によるプリペアード・ピアノのトークがあり演奏へ。
同じようなリズムの繰り返しで、事前にまさにプリペアされた長ボルト、大ボルト、中ボルト、ゴム付きボルト、ゴム、1セント硬貨(ペニー)などで押さえつけられたピアノの響きを楽しめる。その為のリズムだけの音楽作品と言えるかもしれない。

菅野さんの作品がふたつ。一つ目は世界初演の猫。
ピアノ連弾で、各奏者の右と左側に小さなトイピアノが一台ずつおいてあり、片手でピアノを弾きながらトイピアノも弾いていく。後半は左側ピアニスト大竹が立ち上がり歩きながら手拍子、ピアノのボディを手でたたいたり、弦をハープのように引っ掻いたりする。猫はしばしばピアノという箱に潜んでいるのかもしれませんね。
曲はストラヴィンスキー特有なリズムだけをピックアップしたようなリズミカルなものでそれがずっと続いていく。後半は描写音楽の要素が濃くなりはじめ、大竹ステップとなるわけですね。ピアノ、プリペアード、トイ、ステップ、盛り沢山な内容でした。

天使の梯子。メイン・タイトルが光の残像Ⅲとなっていて、武満の光に向かう梯子、その梯子をピアノが昇る。
全く沈んだピアノの響きから始まり、少しずつ浮き上がってくる。左手と右手が随分と離れている。だんだんと過剰と思える光、飛び跳ねる光、ダイナミズム、スライド状に大きくなるサウンドに乗じるようにコンピュータの響きが覆いかぶさって進行。
梯子を昇り詰めた人が上から、下を眺め、梯子を使ってだんだんと昇ってくる様を描いているような雰囲気を醸し出している。
コンピュータサウンドは最後7分ぐらいから。音量の増強に比例させるために使用したようなうがった見方も出来なくはない。光というよりも音の洪水のようになる。

1、2階センターにこぢんまりと聴衆がおさまっているコンパクトなコンサート。最後の曲が終わる10秒ぐらい前に1人席をかき分け退場しておりましたが、いくら知らない曲とは言え感覚的に終わりも近いのはわかりそうな中、これは演出かと勘繰りたくなるようなタイミングに苦笑しました。

とはいえ、曲間に解説をはさんだていねいな企画で理解が進む演奏会でした。
ありがとうございました。
おわり

 



 


2005- エグモント序曲、ベートーヴェン7番、エロイカ、トゥガン・ソヒエフ、ドイツ響ベルリン、2015.10.27

2015-10-28 21:34:29 | コンサート・オペラ

2015年10月27日(火) 7:00pm 東京文化会館

ベートーヴェン  エグモント序曲  8′

ベートーヴェン  交響曲第7番イ長調  13′10′10′6′

Int

ベートーヴェン  交響曲第3番変ホ長調エロイカ  18′16′5′12′

(encore)
モーツァルト  フィガロの結婚、序曲  -′

トゥガン・ソヒエフ 指揮 ドイツ響ベルリン


DSO来日公演初日です。
この指揮者は最近、忙しすぎると思う。忙しすぎるのが栄養になっているゲルギエフとは違う棒だと思うので、少しスケジュールをコントロールした方がいいと思う。

このオーケストラは、昔はRIASのベルリン放送響、アシュケナージやメッツマッハーが振っていたころは素晴らしく機能的なオーケストラに変貌していい演奏しておりました。
この日のソヒエフの棒は、特に機能追求せずで、もっと昔のヘリオドールレーベルで出ていた頃のフリッチャイ、マゼールの時代のサウンドと大して変わらない、昔に舞い戻った感じ。
プログラムもアシュケナージやメッツマッハーのような意欲的なものではなく、それが来日公演に合わせたような少しイージーなプログラミンであったとすれば残念。ベートーヴェンがイージーとは言いませんが、オケ指揮者双方レパートリーであり、つけ刃的に演奏しても相応な形を呈するのを前提としたようなプログラム・ビルディングではなかったのかという意味です。
おわり