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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「ナショナリズムの高揚激しい日本こそ、ライバルとみるべきだ―中国紙」 から

2011年03月10日 | 抜き書き
▲「レコードチャイナ」2011-03-10 09:07:51、翻訳・編集/NN。(部分)
 〈http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=49830

 注目すべきは、最近の日本はかつてないほどナショナリズムが高まり、中国に対し厳しい姿勢をとるようになったこと。例えば、昨年は暗黙の了解を破って中国の漁船を拿捕したほか、インドやベトナム、インドネシアなど中国との間に領土紛争を抱えた国々を引き入れ、共同で中国をけん制した。新防衛大綱が中国に照準を合わせたことも明白だ。

 結局は現実を客観的に認識する心的能力がないのだろう、この種のあらかじめ与えられた日本観、“ナショナリズム高揚”を、十年一日のごとく声高に唱える人々は。日本のどこに、“かつてないほどナショナリズムが高ま”っているのか。データは?

 日本は米国との同盟関係を利用し、中国を抑えつける役割を米国に求めるだろう。だが、米国は中国との開戦リスクを負ってまで、首を突っ込んでくることはないと筆者は考える。

 メア氏でさえ「沖縄の地理的位置は地域の安全保障にとって重要」であり、「沖縄は地理的に重要な位置にある」がゆえに米国は「沖縄に基地を必要とする」「米国は日本を守らなければならず、日本の人々と財産を保護する」とはっきり言っているのだから、この中南財経政法大学国際問題研究所(湖北省武漢市)の劉建華(リウ・ジエンホワ)副教授の発言は勇み足、妄想である。理念と現実の区別をしないと時にこういうことになる。これは脳残でもなんでもなく、また愛国者か原稿料の荒稼ぎを企む愛国賊かとも関係はなく、中国人(漢人)の伝統的な思考様式なのだと考えた方がいいのではないか。中国特色の思考様式と呼んでもいい。その人の知性とは関係がないと思う。

「『性接待で韓国人タレントが外国に行きたがる』日テレの報道で物議」 から

2011年03月10日 | 抜き書き
▲「中央日報 Joins.com」2011.03.10 11:10:13。(部分)
 〈http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138090&servcode=400§code=400

 日本テレビが「チャン・ジャヨンさんのような芸能人による性接待が韓国に蔓延しており、韓国の芸能人は外国に出て行きたがっている」という内容の番組を放映し波紋が起きている。日本テレビは昨年、キム・ヨナ選手の今シーズンのプログラム練習場面を無許可で撮影した上で放送し物議をかもした放送局だ。

 “日本テレビが「チャン・ジャヨンさんのような芸能人による性接待が韓国に蔓延しており、韓国の芸能人は外国に出て行きたがっている」という内容の番組を放映し”たことと、“日本テレビは昨年、キム・ヨナ選手の今シーズンのプログラム練習場面を無許可で撮影した上で放送し物議をかもした放送局だ”という二つの論点の間には何の関連もない。
 たぶん、“日本テレビは昨年、キム・ヨナ選手の今シーズンのプログラム練習場面を無許可で撮影した上で放送し物議をかもした放送局だ”、だから悪い、その悪い放送局のやることだから今回の放送も悪い、とう論法なのであろうが、「悪い者はなにをしてもその結果にかかわらず悪い」その反対に「善い者は何をしてもその結果にかかわらず善い」という心情倫理の言である。
 ついでに言えば“波紋が起きている”というのは如何なる根拠にもとづく断定であるのか不明である。何時、何処で、誰が、どのくらい(何人?)も書いていない。
 ちょっと杜撰すぎる。

「『中国による日本買い占め』説の真偽を探る」 を見て

2011年03月10日 | 抜き書き
▲「人民網日本語版」08:08 Mar 10 2011、中国網日本語版(チャイナネット)2011年3月10日、全2頁。
 〈http://j1.peopledaily.com.cn/94476/7313724.html

 この記事、署名がないが、「レコードチャイナ」に転載されているの莫邦富氏の発言によく似ている(「日本新華僑報」2011年3月7日、「『中国が日本を買い漁っている』、日本の大げさ報道にみる可笑しさと悲哀―華字紙」)。

 日本は中国に対しては、極端な対立心をむき出しにしている。何もせずに財産を食いつぶしながら、破産に苦しむほうが、中国の投資を受けるよりもまだ良いと考えているような態度だ。このような日本が将来、どんどん落ちぶれていっても、もはや不思議ではないだろう。 (「人民網日本語版」「『中国による日本買い占め』説の真偽を探る」)

 日本はまるで「中国資本を受け入れるくらいなら、倒産した方がまし」といわんがごとくの態度をとり、中国に対する敵意をむき出しにしている。そういう考えを改めない限り、日本の転落は止まらないだろう。 (「日本新華僑報」「『中国が日本を買い漁っている』、日本の大げさ報道にみる可笑しさと悲哀―華字紙」)

 「人民網日本語版」のほうが時間的には後になる。

「カイロでコプト教徒とイスラム教徒が衝突、13人死亡 エジプト」 から

2011年03月10日 | 抜き書き
▲「AFPBB News」2011年03月10日 07:54 発信地:カイロ/エジプト。(部分)
 〈http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2789609/6933616

 エジプトの首都カイロ(Cairo)で8日、抗議デモを行っていたキリスト教のコプト教徒がイスラム教徒と衝突し、保健省や教会関係者によると、コプト教徒7人を含む少なくとも13人が死亡、45人が負傷した。〔中略〕
 エジプトでは4日、カイロ郊外のヘルワン(Helwan)でコプト教徒とイスラム教徒が衝突し、コプト教の教会が放火され2人が死亡する事件が起きており、これに抗議するコプト教徒1000人あまりが8日午後、ゴミ収集を生活の糧としているコプト教徒が多く住むカイロ市内の貧困地区モッカタム(Moqattam)に集結した。そこに、イスラム教の一団が押し寄せ、コプト教徒との衝突が起きた。


 ムバラクが退陣した、独裁政治は終わった、自由だ、民主化運動の勝利だ、で済むのかという、早速の事実による異議申し立て。「アッラー・アクバル」と叫んでいた人間(あるいは同一人でもその部分)と民主主義とはあまり関係ないだろう。これが単なる過渡期のエピソードなのか事態の本質に関わる現象なのかは、私には分からない。しかしこういったことが早晩確実に起こるであろうことは、心ある人には分かっていたはずだ。

「【櫻井よしこ 菅首相に申す】メア発言の真意」 を読んで

2011年03月10日 | 抜き書き
▲「msn 産経ニュース」2011.3.10 03:02、全3ページ、(部分)
 〈http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110310/plc11031003020005-n1.htm

 2004年11月に石垣島周辺の日本領海を中国の潜水艦が侵犯したとき、大浜市長が強く抗議したとは、私は寡聞にして知らない。あるいは10年4月7日から9日まで、尖閣諸島沖の東シナ海で中国の大艦隊が大規模訓練を行い、10日に沖縄本島と宮古島の間を航行したとき、琉球新報や沖縄タイムスが中国の脅威を十分に報じたとは思わない。2紙の報道はいずれも200字から400字前後で、極めて控えめだった。同盟国と、脅威をもたらす潜在敵国が判別できていないと私は感じたが、メア氏ら米国側関係者が同様に感じたとしても不思議ではない。 (3/3

 メア氏の発言録の全文はこちら(→日本語、→英語)。一読した印象は、他文化、他国人ならこれくらい言っても当然だろうというものだった。米国外交官の「公式発言」と「個人的意見」の落差の甚だしさは僅かながら身を以ての体験がある。「沖縄の人は怠惰 (Although Okinawans grow goya, other prefectures grow morethan Okinawa. Okinawans are too lazy to grow goya.)」はさすがに差別発言だと思うが、「オフレコ」の「個人的意見」だとすれば、米国でならほぼ問題はなくなる。更迭されたのは「オフレコ」のはずが報道されて公開されてしまったこと、さらに「オフレコ」の「個人的意見」で「問題なし」という文化がこちら側により少なかったことと、そして当事者の沖縄の人々には、発言内容そのものが「オフレコ」で「個人的意見」だから「問題なし」にできる域を超えていたところにあるのだろう。

「米サブウェイ、マック抜き店舗数世界一 健康志向追い風」 から

2011年03月10日 | 抜き書き
▲「asahi.com」2011年3月9日10時39分、ニューヨーク=山川一基。
 〈http://www.asahi.com/business/update/0309/TKY201103090098.html

 サブウェイは1965年、17歳の青年が学費を稼ぐために友人と1号店を開いた。パンの種類や肉、野菜などの具を自由に選べ、ヘルシーなメニューが売り。健康志向を追い風に、最近は年2千店のペースで店を増やし、2010年に259店しか増えなかったマクドナルドを一気に抜き去った。

 もうかれこれ20年前になるが、米国に住んでいたとき、よく食べた。職場で昼食に、人数をまとめて注文すると、配達もしてくれた。アイオワのまあ田舎町だったが、その町の一番の目抜き通り近くにサブウェイはあって、かなりはやっていた。マクドナルドはすこし離れた郊外のハイウェイ沿いにあった。あまり町の人々は利用していないようだった。何故かは知らない。立地条件と、あとは好みの問題かと思っている。

「メア氏発言:米、公式謝罪へ 国務次官補10日外相と会談」 を読んで

2011年03月10日 | 思考の断片
▲「毎日jp」2011年3月9日 23時48分(最終更新 3月10日 0時31分)、西田進一郎。(部分)
 〈http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110310k0000m010117000c.html

 松本外相は9日夜、就任記者会見でメア氏の発言について「事実であれば、極めて不適切。沖縄県民のみならず、日本人の心情を著しく傷つけるもので容認できない」と批判。

 冷静な状況認識にもとづく米政府側の態度変更=譲歩だろうが、それに先立つ日本政府側の対応=抗議も、それにおとらず理性的なものだったと思う。これで交渉が継続できるという意味で。中国(党政府のコントロールするメディア)なら、最初から事実扱いして相手へ非難の嵐だろう。昨年の尖閣事件での海上保安庁の巡視船や、2009年新疆ウイグル自治区騒乱でのラビア・カーディルや、2008年のチベット自治区騒乱でのダライ・ラマ14世に対するそれのように。言い出した側に証明責任があるという、論争における基本的な常識(グローバル・スタンダードといってもいい)を持っていないかのようである。あるいは持ってはいても知らぬふりをすれば通ると考えているかである。好意的に解釈したとしてもだ。反証不可能な言説を発する相手とは対話ができないのだが。

追記。
▲「毎日jp」2011年3月10日 9時56分(最終更新 3月10日 10時01分)、「メア氏発言:米国務省 メア日本部長を解任」(全)
 〈http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110310k0000e030012000c.html

 在日米大使館は10日、沖縄県民を「ゆすりの名人」と侮辱した発言をした米国務省のメア日本部長を解任し、後任にラスト・デミング元駐日首席公使をあてると発表した。

 キャンベル次官補の発言が「個人的な陳謝」から「米国を代表しての謝罪」に変わったことを知った時点で、もしかしたら更迭かと思ったが、当たった。

田中正造 「直訴状」

2011年03月10日 | 抜き書き
 『青空文庫』から〈http://www.aozora.gr.jp/cards/000649/card4889.html

 草莽ノ微臣田中正造[#「田中正造」は小字]誠恐誠惶頓首頓首謹テ奏ス。伏テ惟ルニ臣[#「臣」は小字]田間ノ匹夫敢テ規ヲ踰エ法ヲ犯シテ
鳳駕ニ近前スル其罪実ニ万死ニ当レリ。而モ甘ジテ之ヲ為ス所以ノモノハ洵ニ国家生民ノ為ニ図リテ一片ノ耿耿竟ニ忍ブ能ハザルモノ有レバナリ。伏テ望ムラクハ
陛下深仁深慈臣[#「臣」は小字]ガ[狂→至]愚ヲ憐レミテ少シク乙夜ノ覧ヲ垂レ給ハンコトヲ。
 〔中略〕
 臣[#「臣」は小字]年六十一而シテ老病日ニ迫ル。念フニ余命幾クモナシ。唯万一ノ報効ヲ期シテ敢テ一身ヲ以テ利害ヲ計ラズ。故ニ斧鉞ノ誅ヲ冒シテ以テ聞ス情切ニ事急ニシテ涕泣言フ所ヲ知ラズ。伏テ望ムラクハ
聖明矜察ヲ垂レ給ハンコトヲ。臣[#「臣」は小字]痛絶呼号ノ至リニ任フルナシ。

    明治三十四年十二月
                                  草莽ノ微臣田中正造誠恐誠惶頓首頓首 

※「直訴状」は幸徳秋水によって起草され、田中正造によって修正された。ファイル中では、田中によって手直しされた箇所を、「[]」におさめて示した。「→」の元が幸徳案、先が田中による変更。〔中略〕[#…]は、入力者による注を表す記号です。

 上記青空文庫注にある“幸徳案”の幸徳とは、言うまでもなく幸徳秋水のことである。この明治天皇宛の「直訴状」(1901年)は、田中正造が幸徳秋水に起草を依頼し、秋水の書き上げたものに田中が修正を加えるという作成過程を経た。基本的に、秋水の手になるものと見ていい。
 田中は足尾銅山事件の告発・支援で知られるとおり社会運動家であるが(衆議院議員になるまえは自由民権運動の闘士であった。その関係で逮捕されたこともある)、愛国者であり、当時の愛国者の常として、尊皇家でもあった。その田中がどうしてのちに大逆事件で処刑されることになる幸徳秋水に文章を頼んだのか。
 もっともこの時期の秋水は、すでに『廿世紀之怪物帝国主義』を著して反帝国主義かつ非戦論者としての旗幟を鮮明にしてはいるが、社会主義者としての思想はまだ確立していないようであり、まして後年のような無政府主義者にも至っていない。
 ただ、『萬朝報』の記者として、その筆力はすでに世間に顕れていた。
 山本夏彦翁は、田中は文筆家としての秋水に代筆を嘱したのだと按じている。秋水も、本来ならは思想的に異なるはずの田中ではあるが、文筆家として彼の依頼に応えたのであると(「文語文」および「兆民先生」、『完本 文語文』文藝春秋、2000年12月所収)。
 では専門家の意見や如何に。残念ながら、飛鳥井雅道氏も、神崎清氏も、この問いに答えてはおられない。そもそも問い自体が置かれていない。証拠もなく判らぬが故に堅実な研究の徒として臆測を逞しくすることを最初から控えられたか。