龍馬の死後、心底から自分の身を案じてくれたのは寺田屋お登勢、西郷隆盛、勝海舟の三人だけだったと、晩年の回顧録『反魂香』でお龍は語っている(四、本書194-195頁)。
龍馬死後、いったん坂本の実家に身を寄せたお龍は、彼女によれば龍馬宛の褒賞金を奪い取ろうとする長兄の権平夫妻と衝突して土佐を去り、やはり生まれ故郷であり龍馬の死んだ土地でもある京都で亡き夫の墓守をするべく京都へともどる。だがしばらくして彼女に関係のない種々の事情で京都にも居づらくなったお龍は、明治6年に東京へ出る。そこで旧知の西郷と面会し、西郷からの同情と援助の約束を得るが、折悪しく西郷は征韓論に破れて薩摩へ帰国する直前だった。身寄りもなく、収入の目処もなく、東京で孤立していた彼女に、神奈川の料亭での仲居の職を世話してともかくも生計の立つようにしたのは勝海舟だったらしいと、著者は推測している。
(新人物往来社 2007年12月)
龍馬死後、いったん坂本の実家に身を寄せたお龍は、彼女によれば龍馬宛の褒賞金を奪い取ろうとする長兄の権平夫妻と衝突して土佐を去り、やはり生まれ故郷であり龍馬の死んだ土地でもある京都で亡き夫の墓守をするべく京都へともどる。だがしばらくして彼女に関係のない種々の事情で京都にも居づらくなったお龍は、明治6年に東京へ出る。そこで旧知の西郷と面会し、西郷からの同情と援助の約束を得るが、折悪しく西郷は征韓論に破れて薩摩へ帰国する直前だった。身寄りもなく、収入の目処もなく、東京で孤立していた彼女に、神奈川の料亭での仲居の職を世話してともかくも生計の立つようにしたのは勝海舟だったらしいと、著者は推測している。
(新人物往来社 2007年12月)