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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Э.П.Бакаева/Н.Л.Жуковская 主編 『Калмыки』

2011年03月23日 | 東洋史
 『カルムイク人』、ロシア科学アカデミー民族学・人類学研究所編。「諸民族と文化」シリーズの一つ。
 この分野ではおそらくいま日本で入手できるなかでは、もっとも最新のロシア語出版物だろう。
 歴史・文化・民俗と、約600頁の百科全書的著作。
 ただ1771年の清への帰還のくだりで(53頁あたり)、ルィチコフの日誌についてまったく言及がないのは、それを目当ての一としていた私個人としてはとても残念だった。巻末の関連文献リストにも載っていない。
 
(Москва: Наука, 2010)

坂野潤治 『大系 日本の歴史』 13 「近代日本の出発」

2011年03月23日 | 日本史
 20年前(1989年)の出版だから「脱亜論」が明治日本の政府の海外拡張政策および一般社会の風潮の象徴として特筆大書される(104-105頁)のは仕方がないにしても、例の「処分」を現代日本語の「処分」と同義に解しているのは如何なものか。何遍でも繰り返すが、この論説は数十年前の日本語、しかも文語で書かれているのである。この「処分」は、「処理」「措置」という意味である。この「脱亜論」では文脈から見て、さらに軽く、おそらくは「対応」「応対」「応接」ほどの意味で使われている。同じ文中のなかで同義語をいえば、「会釈」だ。

 左れば、今日の謀を為すに、我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろ、其伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、其支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。 (「脱亜論」結語)

(小学館ライブラリー版 1996年2月初版第2刷)

「日本のネット世論、死んでも面子を重んじる政府を強く批判」 から

2011年03月23日 | 抜き書き
▲「人民網日本語版」14:22 Mar 22 2011、編集NA。
 〈http://j1.peopledaily.com.cn/94474/7327390.html

 ネット時代においてネット世論を軽視できる者はいない。東日本大震災の発生後、大手メディアは地震、津波、原発事故、救援活動について集中的に報道しているが、日本のネット利用者の声を取り上げることは少ない。ネット利用者の注目する話題とその声は、街頭では聞くことの難しい深い民意の反映であるのみならず、この世紀の救援活動において軽視できない誘導、監督作用を果たしている。(文:金贏・中国社会科学院日本研究所副研究員。「環球時報」より) 

 太字は引用者。自分のところがそうだから他もそうだろうと当然のごとく思って疑いを差し挟まないところが、すでに学究ではない。だから中国社会科学院日本研究所は学問の府ではないというのである。それだけではない、“日本の大手メディア”のどこが“ネット世論を軽視”しているというのか、例を挙げて欲しい。こんな、専門家とも思えぬ浅薄でピントはずれのコメントを喧伝しては、かえって両国の関係改善の風潮を損じはせぬか。

YouTube 「桑田佳祐&桜井和寿(Mr.Children) 希望の轍」

2011年03月23日 | 音楽
 〈http://www.youtube.com/watch?v=858C1VS0oHw&feature=related

 コメント欄で「是非、被災地で歌って下さい」と書き込んでいる人がいるが、賛成! 昨今の大臣連は代わっても大して変わりばえしないが、芸術家は替えが利かない。桑田さんや桜井さんがいま死んだら、よほど日本の社会秩序に不安をきたすぞ。