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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

徳富蘇峰 『近世日本国民史 西南の役』 3 「西南の役緒篇」

2011年03月16日 | 日本史
 西南の役前夜、中原尚雄ほかのいわゆる「東京獅子」の捕縛と同時に、西本願寺から布教目的で薩摩に派遣されてきていた大洲鉄然ら8人の真宗僧侶が、中央政府の間諜であるという嫌疑で就縛したという記述がある(「第十章 警察同人の就縛と拷問」本書270-271頁)。その嫌疑の詳細について、蘇峰は「その間に若干の曲折あり」としか書いていない。

 その間に若干の曲折あり、私学校派は、これら説教僧をもって、政府の探偵と見做し、刺客事件の連類として一網これを羅致したのだ。 (同上)

 この件に関して、三宅雪嶺の『同時代史』「明治十年」項に、典拠は不明ながら記述がある。
 雪嶺は、彼ら西本願寺僧侶(半数の4名が長州出身者)は、木戸孝允が、布教の名目で薩摩(鹿児島県)に入らしめていたものだという。その目的は、県内の事情をひそかに長州閥へ報告させるだけでなく、私学校一党を挑発して暴発させることであったとする。彼らは、木戸と長州閥のこの意を体して、大久保利通や川路利良が西郷を暗殺する目的で多人数を送り込んでくるという旨を薩摩人へさかんに吹き込んだのだというのである。さらに雪嶺によれば、彼らは、中原らの鹿児島行きを伝える情報(電報)にある「シサツ」という語が「視察」であることを解っていながら、これは「刺殺」の意であると説くなど、手段を選ばぬ扇動を行ったという(同書第1巻、岩波書店、1967年第2刷、525頁)。
 雪嶺の言が真実であれば、彼ら説教僧の嫌疑は冤罪ではなかったことになる。
 ただ、彼らの言がデマ・捏造だったとは簡単に言えないのは、蘇峰のこの書の別の箇所に、川路の部下であった佐和正少警視が中原ほかの帰国警官24名(彼らは皆薩摩出身であった)に与えた訓示が掲載されていて、そこには、私学校派の人間を殺せと書いてあることだ(「第九章 川路大警視の探偵政策」、本書170-171頁)。しかも蘇峰は、これは西郷その人に対するものではないというのだが、読んでみると、そうとばかりは取れないふしもある。しかも、この川路の私設秘書であった大山綱昌は、この佐和の訓示は川路の検閲・修正を経たと証言しているという(170頁)。
 
(講談社学術文庫版 1980年4月)

「【コラム】被災者よ、もっと声を上げよ 津波被災地にて」 から

2011年03月16日 | 抜き書き
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2011/03/16 11:32:06、鮮于鉦(ソンウ・ジョン)産業部次長待遇。(部分)
 〈http://www.chosunonline.com/news/20110316000048
 
 日本人は自分よりも他人に配慮する民族だと言われる。5年半の特派員生活で接した普段の日本人はそうだった。地下鉄でも、争って座ろうとする行動を恥じる国民だ。そんな日本人をわたしは今も尊敬している。被災地の住民も涙が出るほど互いに配慮し合う姿をみせている。彼らは政府を恨んだりしない。しかし、首都圏の人々の行動は、そういう評判とはかけ離れている。静かに列をつくり、もっとくれと騒いだりはしないが、買い占めには違いない。むしろ売り場に殺到して騒いだ方が、深刻な状況が際立ち、状況を改善する上では有効だ。むしろ醜い本質はそのままさらけ出すべきだ。
 被災者の人々には「早く食べ物をくれ、早くトイレをつくれと、もっと声を上げてはどうか」と言いたい。「耐えることだけが良いわけではない」と叫びたい。声を荒げて、こぶしを振り上げなくても救援物資が迅速に届く状況であれば構わない。しかし、現実はそうではない。今の日本は「耐える民族」「礼儀正しい民族」という自己催眠に陥り、自ら苦痛を生み出している。


 言いたいことはわかる。韓国式と日本式の中間にこそあるべき姿があるというのだろう。しかし、いったん緩めた感情の噴出に「ここまで」という中庸はありえるだろうか。阿鼻叫喚は、どう考えても事態の改善に得策ではない。事態の深刻さも、おのれの窮状も必要とするモノやコトも、それができるのであれば、たとえばメディアのインタビューで、情理を尽くした言葉で伝えればいいことだ。買い占めも、ちゃんと報道されているからそれで何らかの措置が取られれば、それで用は足りる。

「東日本巨大地震:『マニュアル社会』日本も打つ手なし」(上下) を読んで

2011年03月16日 | 思考の断片
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2011/03/16 11:22:44、山形・仙台=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)記者。(部分)
 〈http://www.chosunonline.com/news/20110316000045
 〈http://www.chosunonline.com/news/20110316000046

 余震や原子力発電所の事故を伝えるニュースが相次ぐと、いつも落ち着いている日本人も、これまでになく深刻に受け止めはじめているようだ。インスタントラーメンや水、乾電池などの買い占めも各地でみられるようになった。
 政府に対する日本人の信頼は高い。原発が不安な状況にあっても、とりあえずは政府の発表を信じ、電気がストップしてもまずは受入れている。断水が起る状況でも「何か理由があるはずだ」と納得しようとする。黙々と列を作り、不満を言わず政府の指示に従っている。
 しかし地震から5日が過ぎると、日本人も徐々に怒りだしているようだ。政府の対応が国民の信頼を揺るがすほど後手に回っているからだ。
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 そのとおりだと思う。
 しかし、以下については、ちょっと異論がある。

 津波など巨大災害への備えは、韓国と日本では大きく異なる。韓国では兵士や公務員が事故直後から大量に現場に投入され、救助作業に動員される。泰安での原油流出事故では、全国各地からボランティアが集まった。しかし日本ではそのような雰囲気はない。
 もちろん主な現場には常に自衛隊員がおり、ボランティアも小規模ではあるが活動している。日本の民間ボランティア団体によると、何の準備もなしに現場にはいると、避難中の被災者に迷惑をかけてしまうため、現場に入る際には非常に慎重になるという。
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 他地域の人々が現地でのボランティア活動に慎重なのは、阪神淡路大震災のとき、善意ではあるがとりたてて専門知識や技術を持っていないボランティアの人々が、かえって現場での妨げとなったといわれる事例を踏まえてのことかもしれない。もしそうであれば、「マニュアル社会」とは関係ないどころか、反対に、柔軟な学習の結果であろう。

 災害への備えでは世界に名の知れた日本だが、今回の大地震と津波ではその備えも完全に破壊された。凄惨な被害現場を歩くと、世界が認める安全大国の日本でさえ打つ手がなかったほど、今回の災害が深刻なものだったことがわかる。想定されたレベルをはるかに上回る災害に対しては、マニュアルに従って動く日本式システムも稼働しなかったのだ。

 マニュアルがなければもっと酷いことになっていたかもしれないとは思わないのだろうか。