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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「『大震災は天罰』『津波で我欲洗い落とせ』石原都知事」 を見て

2011年03月14日 | 思考の断片
▲「asahi.com」2011年3月14日19時34分。(部分)
 〈http://www.asahi.com/national/update/0314/TKY201103140356.html

 石原慎太郎・東京都知事は14日、東日本大震災に関して、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べた。

 正気でしょうか。未開人の心性である。本気でいっているのなら恥ずかしい。国辱と言ってもいい。

幸徳秋水全集編纂委員会編 『幸徳秋水全集』 別巻1

2011年03月14日 | 伝記
 2011年03月10日「田中正造 『直訴状』」より続き。
 本巻は、幸徳秋水を親しく知る人々の回想文を集めたもの。
 田中正造が幸徳秋水になぜ代筆を依頼してきたか、そして幸徳秋水がなぜその依頼を受諾したかについて、秋水の妻であった師岡千代子は、「嫁いで間のなかった私には好く判らないが」と断ったうえで、当時すでに衆議院議員ではるかな年長者でもあった田中が、年若い当時まだ「漸く名を知られたばかりの新聞記者に過ぎなかった」「謂はば白面の一書生」である秋水の持っていたなにかを見込んだのではないか、そして秋水のほうも「翁の直情と意気に感じて」筆を執ったのではなかったかと推測している(「風々雨々 幸徳秋水と周囲の人々」、148-149頁)。ちなみにそれ以前から田中と秋水は交際があったらしい。
 さらに、この話題を考えるうえで参考になる一挿話を、秋水の従妹岡崎てるが書き残している(「従兄秋水の思出」)。田中との一件以前、明治天皇の母后薨去の際に秋水は品川駅で大葬の列車を見送った記事を書き、「それが臣民としての悲しみ、皇太后陛下をお悼み申す臣子の情に溢れた」「非常な名文であった」。そしてこの文章が「時の中央新聞社長大岡育三氏の目にとまり、一躍してその殊遇を受くるに至ったのである」という(236頁。なお265頁の注24によれば、この記事は「大森駅奉送記」、明治30・1897年2月3日付「中央新聞」掲載)。岡崎てるは秋水の文名が揚がったのはこの記事からだと言う。田中正造も、この記事を読んでいたかも知れない。
 
(明治文献 1972年10月第1版第1刷 1975年6月第1版第2刷)

慶應義塾編纂 『福澤諭吉全集』 1

2011年03月14日 | その他
 小泉信三監修、冨田正文/土橋俊一編集。『福澤全集緒言』『増訂 華英通語』『西洋事情(初編/外編/二編)』収録。

 2008年08月11日「齋藤毅『明治のことば 文明開化と日本語』」より続き。
 『西洋事情 初編』(1866・慶応2年)巻之二の米国項で、福澤が「亜米利加合衆国」と、表題で「合衆国」と掲げているのを見て、なぜ福澤がこの訳語を選んだのか気になった。
 同国の歴史を略述する部分で、独立戦争を叙述するにあたって、福澤は、
 
 諸州一般、之〔英国の抑圧〕に奮激して合衆独立の意を生じ、第六月九日会同協議して、合衆諸州は固〔もと〕より独立するの理を以て独立し、英国と交〔まじわり〕を絶ち、英国の支配を受けず、固〔もと〕より之と離別するとの大論を発し、 (同書322頁。原文旧漢字、太字は引用者)

 と記している。太字二番目、“合衆諸州”はあきらかに“united states"の訳である。つまり、合衆=united、諸州=states。ただ、斎藤説のように、福澤の“合衆国”が、“共和政体の国=republic”の訳かどうかは分明でない。合衆諸州→(諸州=一国)→合衆国という論理経路による呼称のようでもある。

(岩波書店 1958年12月)