くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「ベストセラーだけが本である」永江朗

2011-06-03 22:39:02 | 総記・図書館学
本を愛する永江さんが、こういうタイトルを?
そう思わせるような衝撃的な本、永江朗「ベストセラーだけが本である」(筑摩書房)。
これ実は反語なのです。書店では売れる本しか置かなくなりつつあり、どの本屋のラインナップも「ベストセラー」ばかり。大型書店はともかく、小売り店は売りたいときに本がまわってこない。中には独自の経営路線を確立する店もあるものの、生き残るためには「売れる」本を入荷しなくてはならない書店が大多数。
中には入荷した翌日には返品扱いになる本もあり、読者にとっては辛い現実を説き起こします。
じゃあ、ベストセラーになるためには何か条件があるのか。そう考えた永江さんは、タイトル・文字数の分配・カバーの色配置(白っぽいものが好まれたそうです)というような条件で売れた本を眺めていきます。ある年はひらがなの本が多かったそうですが、それはさくらももこの一連のシリーズ(「もものかんづめ」等)だからでは……。
ソフトカバーかハードカバーかとか、類似本の頻発なども言及されます。
わたしとしては斎藤美奈子がベストセラーの奇妙な点を指摘した書評に近いものを期待したのですが、そういうタイプではありません。ただ、永江さんが本というものに対して熱い思いを抱いていることはよくわかります。
わたしはあまりベストセラー的な本は読みませんが、かといって避けているわけでもないので、何点かは目を通しています。ただ、リストアップされている数からいくと、やはり少ないかもしれません。
数年前、広報紙の原稿で愛読書を聞いたら、「チーズはどこへ消えた?」をあげている人が何人かいてびっくりしたのですが、今同じ質問をしたら皆さんどう答えるのでしょうか。
この本、読んだことはないですが、形態はわかります。非常に薄い本でしたよね。でもって寓話的な物語なのです。
こういう本を手に取るとき、読者はどういう興味を抱くのでしょう。純粋に書物としてのおもしろさ? それとも、話題の本だから?
ベストセラーは好機の波に乗るラッキーな本なのかもしれません。でも、自分にとっておもしろい本が駆逐されていくようでは、書店に足を運ぶ意味がなくなってしまう。
本を読むという行為は、かなり具体的に細分化したジャンルを愛好するということです。ミステリを読む趣味の人は携帯小説は読まないでしょうし、小説は好きだけれど自然科学的な本は手に取らないという人も少なくない。様々な分野の本を網羅して、同じような配分で読むという人は滅多にいないはずです。
わたしもビジネス書は読みません。好きな分野の好きな作家でも、好みに合わないことはあります。
ベストセラーはどうして売れるのか。本当にみんなおもしろいと思って読んでいるのか。
疑問は残ります。