くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

バレーボール本 「ミュンヘンオリンピック」①

2022-10-15 21:16:50 | 芸術・芸能・スポーツ
「勝利の神髄 1928ー2016」

オリンピックメダリストの項目、ミュンヘンで取り上げられているのは「マツダイラ・サーカス」

フライングレシーブを取り入れたのは、バレーボールを拾う技術はフットワークだという定説に疑問を持ったから。
スパイクのスピードを計測すると、秒速28mあった。
コート通過時間は、約0.3秒。人間の全身反応時間も同じ0.3秒のため、男子はコート内でほとんど動けない。
徹底的に合理性を追及した結果、打球の落下予測地点の上、地上20センチで片腕を突きだしてボールを受け、その後タ、ターンのリズムで腕立て伏せをする練習を始めたそうです。(顎割れ続出💧)

「101個の金メダル」
2000年発行。アムステルダムから長野五輪までの金メダリストを、当時の新聞記事も交えて紹介。
バレーからは、東京「東洋の魔女」、ミュンヘン「松平サーカス」、モントリオール「新魔女」が。松平さんのインタビューもあり。時間差攻撃は「犠牲的精神」なんだそうです……

「信頼と情熱」

オリンピックエピソードを描く5冊シリーズ。
取り上げられているのはミュンヘン金メダルチーム。
この前読んだ本とほぼ同じエピソードだった……(参考文献が同じなのでしょう)
松平さんの「バレーボールを一部の人の楽しみにしたくない」という思いにじわっときました。

「オリンピック裏話」

2013年発行
「今も元気な“東洋の魔女”たちの皆さん」
2004年の写真展に登場した選手たちが語る大松監督のエピソード
○「厳しいのは練習のときだけ」
宮本は「先生を父のようにも、恋人のようにも親っていた」(「慕う」の誤)
○息抜きがしたくなると、合宿所の新聞の映画↓欄に赤鉛筆でマーク。監督が西部劇(時代を感じますね!)に連れて行ってくれ、夕食もご馳走してくれる
○ソビエト戦の日は、テレビを見ないように指示されていたが、皆で柔道の試合を見た。神永×へーシンク!
「神永さんが負けたのでショックを受けた」

「松平康隆氏の死は日本スポーツ界の損失」↓
○日本チームの先頭を歩くのは、常に小柄な松平さんで、その後ろを長身の選手たちがついて歩いていた
○モスクワをボイコットする案件に、最後まで反対した
○政界入りをすすめられたが、「私はバレーボール、スポーツ界の松平だ」と言って断ったと言われている

筆者は、オリンピック評論家とのこと。

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