くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「ドアの向こうのカルト」佐藤典雅

2014-02-23 20:48:28 | 哲学・人生相談
 通常、どこで買った本なのかということは覚えている方です。でも、なぜかこの本については覚えていない。迷った末に買ったことは覚えているんですけどね。
 佐藤典雅「ドアの向こうのカルト 九歳から三十五歳まで過ごしたエホバの証人の記録」(河出書房新社)。
 読んでいたら、なんだか学生時代エホバの人との遭遇がやたら多かったことを思い出しました。引っ越した翌日、「イワツキですー」とやってきて、前の住人の知り合いかと思ったら宗教だった。つばの広い帽子をかぶって、女の人二人連れで、時々公園などでミーティングして……あったあった。宗教勧誘が多い時期は、友人と架空の宗教に入っていることにしたほどです。あー、オウムのチラシがポストにあったこともあります。一緒にアルバイトしていた子が駅前で勧誘していたという話に愕然としたことも。
 で、その間に母が証人から「ものみの塔」を受け取っていることが分かり、反対したのですが、本人は「聖書の勉強なの」と言っていたのも。なんだかやけに立派な装丁の本まで受け取っていました。わたしは当時プロテスタント系の女子大に通っていたのですが、宗教学の時間にイエスについてどう思うか訊かれて、「世直し集団として水戸黄門に似ている」と口走るようなタイプです。(使徒がいることくらいしか似てないかもしれないですね、今思えば)
 まあ、いつの間にか母のもとにチラシがくることもなくなっていました。近所に王国会館があったらしいですが、今は民家です。ああ、でも国道沿いにはあるから、活動として廃れたわけではないのでしょうね。
 筆者の佐藤さんは、お母さんが熱心に誘われて受信。「二世」として活動し、本部で製本の仕事をしたり講話をしたりとかなりのステイタスについていたのですが、ふと疑問に思うようなことが拭い去れないまま苦悩します。
 聖書にみんな書いてあるとはいうけれど、解釈の問題であることも多い。根拠としてあげられていることが間違っている。楽園がくることを期待して、この世の中を「エホバの福音」と「サタンの妨害」としてしか見ない。いろいろなことが矛盾しているのに、それについては触れないような部分に、怒りを感じているように思いました。
 例えば彼は大学への進学を希望していました。クリエイティブなことが好きなので美大はどうか、と。しかし、証人たちは楽園がやってくるなかでは無駄なことだと言い、世俗にまみえることを嫌います。諦めて働くことにするのですが、その数年後、高等教育は否定しないとの見解が出され、それまでとは価値観が一転。転職も大学を出ていないという理由で不採用にされます。
 ある日、マインドコントロールから解放されたような体験をします。それまで悩みに悩んできたものが集約化したのかもしれませんね。その結果、妻、子、両親、妻の両親、弟家族、と次々に改心していくことになります。
 わたしと佐藤さんは、ほぼ同年代。同じような時代の波を感じていると思います。(彼はほぼアメリカで過ごしているので、そうそう同じではないかもしれませんが)
 それにしても、矢野顕子さんがこちらの熱心な会員と知って驚きました。佐藤さんの送別会を子どもたち主催で(とすると、坂本美雨?)してくれたそうです。
 読んでいて、ああ、自分も同じように考えていたなと思うようなことがありました。楽園を希求するのは現世利益ではないかと感じているところなんですけど。
 様々な宗教が、楽園(天国とか)を前に審判が下されると言っていますが、宗教が求めてくるのは、なにもかもを捨て去ること(欲や煩悩からの脱却)ですよね。楽園を求めるのはいいの? それも欲じゃない?
 話変わりますが、今日、息子が早退してきました。(授業参観日だった)インフルエンザだそうです。あー、もうそんな季節なんですね。早くよくなれー。