くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「本日もご立腹なり」岡林みかん

2010-08-26 05:34:33 | 総記・図書館学
探し回りました。岡林みかん「本日もご立腹なり」。藤田香織さんのブックガイドで気になった本ですが、みごとに売ってない。発行がヴァレッジブックスで、日本人作家の本を滅多に見かけないというこても敗因ですね。
でも、地道に古本屋でみつけました。あると思って探せばあるものですね。読者からの怒りの手紙に、岡林さんが四コマまんがをつける、というコンセプトです。
さて、わたしは聞きたい。家庭訪問とはなんぞや。
この本に出てきた小学一年生の母、家庭訪問のために掃除をして花を飾って午後から年休取って待っていたら、担任はお茶も飲まずに資料をみながら「何の問題もない子」だと話して「お茶にも手をつけず」そそくさと帰っていったとのこと。
彼女の怒りの主張。家庭訪問なのに資料しか見ていない。「問題のない子供」だということをわざわざ訪問して伝える必要がどこにあるのか。学校での面談か、「問題のある子と希望者」だけにすればいいのに。
えーと。
それだと「家庭訪問のお知らせ」を配布した段階で「うちの子供は問題があるのか」とさらにショックだと思いませんか。しかも、それを全員に配られるのですよ。行くべき家にだけ配布する? とすると、プリントを見せない子の家では「問題ない子供だから家庭訪問はない」と判断してしまいますよね……。
近年、家庭訪問にはお茶菓子を出さないように学校から依頼があったり、中には玄関先での訪問に切り替えたところもあるという話聞きます。わたしは茶菓子は食べない派。
でも、必ず食べると豪語する人もいるし、かつて、もてなされているうちに、ラストの人が7時すぎの訪問になってしまった(!)という人も知っています。
この「京都 家庭訪問拒否の親・35歳」さん、もう十年は経っているかと思うのですが、その後の家庭訪問はどうだったのでしょう。雑誌掲載時・単行本・文庫とその都度許可をとったそうですが、考えは変わらないのでしょうかね。
結構、「怒り」のパワーって瞬時的なものだと思うのです。時間が経つと和らいでくる。怒り続けたままというのは難しい。
この本のほかの事例でも、共感できるものもあるけど、それは誤解ではないのかと思ったり、投稿者のほうに腹が経ったりするものもあります。(実際反論の投稿もあったようです)
息子の結婚式の引き出物として送った皿が、自分の家のものと違うと怒る主婦。業者のあざとさをアピールしていましたが、証言しているのは自分の妹。この人の記憶違いということはないのですか。それとも読者にはカットしてある部分に何か重要な根拠があったのでしょうか。
この本、どうも二回くらい売られたらしく、ラベルのあとが。まー、気持ちはわかります。うーん、岡林さんのまんが、本人も書いていたけどダジャレネタが多すぎて、あまりわたしの好みではなかったのです。
でも、巻末にひとつ、すごくおもしろいものがありました。昨今の外来語的な命名を嘆く投書(残念ながらこちらはカット)につけたまんが。
男女の双子に愛読書「赤毛のアン」から「杏」「切鳩」と名づけたいという若い奥さん。「国際人に育てたい」から「海外でも通用するもの」にしたそうです。で、「切鳩」は「ギルバート」。
旦那さんはこう言います。「……お前さー、音さえよければいいってもんじゃないだろ。名前にはちゃんと親の夢を託したいしさー」
で、どうなったか。女の子「大穴」(ダイアナ)、男の子「馬主」(マシュー)……。