「血統(ペディグリー)」(文藝春秋)門井慶喜です。
門井さんらしいモチーフの連なりに引き込まれ、ドキドキしながら読みました。
祖父も父も日本画の重鎮という家に生まれた時島一雅は、自分はなかなかものにならないことにあがき、ペット肖像画を生業とすることで糊口をしのいでいます。あ、でも、儲かっているみたいだから「糊口」じゃないのか。まあ、「画家」ではなくて「絵画制作師」として生きている訳です。
彼に出資をもちかけた自称ブリーダー(この肩書、みるからに怪しいですよね)・森宮は、インブリーディングを繰り返して純白のダルメシアンを育てています。このままうまく交配すれば、きっと大儲けできるだろう、と。
一雅はその犬たちの中でも、特にエミリに愛着を感じています。
才能とは遺伝するのだろうか。どのような形質が子孫に受け継がれるのか。自分は日本画家としての才能があるのか。
一雅は自問しますが、鐘井という婦人に依頼された犬の肖像画を描くうちに、これまでになく絵に没頭する自分に気づきます。
また、幼なじみのあかりが自分の子供を妊娠していることも知らされます。
が、あるとき犬舎に行ってみると、森宮も犬たちも姿を消し、一匹だけ取り残されたエミリが、いつもは考えられないような咆哮を繰り返すのを目の当たりにするのでした。
血統、という題だから血のつながりをテーマにしているんだろうな、と思っていると、まだまだ甘い。比喩でなく「血」を介在する病の方に物語は動きます。
狂犬病。日本では近年発症のない病気。エミリの甘噛みによって感染したかもしれないと考えた一雅は、医師の言う通りに入院します。
狂犬病とは、その症状が出るまでにかなりの個人差がある病気だそうで、中には発症しない人もいる。でも、その結果としては、死を免れることはできない。
一雅は日本画家としてのスタートを切ろうと決意したばかりです。子供も生まれる。ニヒルな考え方をする彼が、あかりへの愛情に気づく場面は感動的です。家族ぐるみの付き合いの中で、妹のように思いながら、その鈍重さに辟易してきたのに。彼女の強さが、一雅の心を打つのでした。
父とのやり取りも、ラストに向かっての構成が効いています。
それで、結局一雅は感染していたのでしょうか。そのことについては触れられていませんが、一応の予測はつくと思います。
感染源のスカンクと犬たちとの戦い。これによって六匹の犬が狂犬病にかかったと思われるので、その後のエミリと一雅の接触をチェックしてみましょう。
すると、この場面のあと、森宮はトラックの荷台に犬たちを乗せて帰宅し、一雅も同乗しますが、接触場面はないことに気づきます。甘噛みはそれ以前の出来事だったのではないでしょうか。
さて、作者が、芸術の血を引く男としての一雅と、粗野な森宮とを比較することで、彼の「育ち」を浮かび上がらせる部分がおもしろいと思いました。ものを食べる、という場面というのは、そういうことがよく現れるのですね。同じビールとおつまみでも、二人は同じようには食べません。(でも、このことに森宮は気づかないのですが。)
なんとなくですが、芳崎せいむの絵柄が浮かんできました。胡散臭いけど憎めない男、愛らしく美しい犬たち、芸術と血へのこだわりで苦悩する主人公と、無邪気でも芯の強い婚約者、日本画に全てをかける父、一人ひとりくっきりイメージできるんですが、いかがでしょうか。
門井さんらしいモチーフの連なりに引き込まれ、ドキドキしながら読みました。
祖父も父も日本画の重鎮という家に生まれた時島一雅は、自分はなかなかものにならないことにあがき、ペット肖像画を生業とすることで糊口をしのいでいます。あ、でも、儲かっているみたいだから「糊口」じゃないのか。まあ、「画家」ではなくて「絵画制作師」として生きている訳です。
彼に出資をもちかけた自称ブリーダー(この肩書、みるからに怪しいですよね)・森宮は、インブリーディングを繰り返して純白のダルメシアンを育てています。このままうまく交配すれば、きっと大儲けできるだろう、と。
一雅はその犬たちの中でも、特にエミリに愛着を感じています。
才能とは遺伝するのだろうか。どのような形質が子孫に受け継がれるのか。自分は日本画家としての才能があるのか。
一雅は自問しますが、鐘井という婦人に依頼された犬の肖像画を描くうちに、これまでになく絵に没頭する自分に気づきます。
また、幼なじみのあかりが自分の子供を妊娠していることも知らされます。
が、あるとき犬舎に行ってみると、森宮も犬たちも姿を消し、一匹だけ取り残されたエミリが、いつもは考えられないような咆哮を繰り返すのを目の当たりにするのでした。
血統、という題だから血のつながりをテーマにしているんだろうな、と思っていると、まだまだ甘い。比喩でなく「血」を介在する病の方に物語は動きます。
狂犬病。日本では近年発症のない病気。エミリの甘噛みによって感染したかもしれないと考えた一雅は、医師の言う通りに入院します。
狂犬病とは、その症状が出るまでにかなりの個人差がある病気だそうで、中には発症しない人もいる。でも、その結果としては、死を免れることはできない。
一雅は日本画家としてのスタートを切ろうと決意したばかりです。子供も生まれる。ニヒルな考え方をする彼が、あかりへの愛情に気づく場面は感動的です。家族ぐるみの付き合いの中で、妹のように思いながら、その鈍重さに辟易してきたのに。彼女の強さが、一雅の心を打つのでした。
父とのやり取りも、ラストに向かっての構成が効いています。
それで、結局一雅は感染していたのでしょうか。そのことについては触れられていませんが、一応の予測はつくと思います。
感染源のスカンクと犬たちとの戦い。これによって六匹の犬が狂犬病にかかったと思われるので、その後のエミリと一雅の接触をチェックしてみましょう。
すると、この場面のあと、森宮はトラックの荷台に犬たちを乗せて帰宅し、一雅も同乗しますが、接触場面はないことに気づきます。甘噛みはそれ以前の出来事だったのではないでしょうか。
さて、作者が、芸術の血を引く男としての一雅と、粗野な森宮とを比較することで、彼の「育ち」を浮かび上がらせる部分がおもしろいと思いました。ものを食べる、という場面というのは、そういうことがよく現れるのですね。同じビールとおつまみでも、二人は同じようには食べません。(でも、このことに森宮は気づかないのですが。)
なんとなくですが、芳崎せいむの絵柄が浮かんできました。胡散臭いけど憎めない男、愛らしく美しい犬たち、芸術と血へのこだわりで苦悩する主人公と、無邪気でも芯の強い婚約者、日本画に全てをかける父、一人ひとりくっきりイメージできるんですが、いかがでしょうか。