今回の伊勢志摩サミットが画期的であったのは、主要7カ国の首脳が伊勢神宮を訪れたことだ。自然と一体となった御社のたたずまいに、きっと胸打たれたに違いない。海外の論調には、安倍首相は自分の支持基盤である神道に媚びたとの見方もあるが、それは見当違いもはなはだしい▼神道を一般的な宗教として捉えるのは間違っている。キリスト教や仏教のような教典があるわけではなく、人間ばかりでなく山や川などの万物全てに神霊が宿るとの素朴な信仰である。とくに皇祖天照大御神が祀られている伊勢神宮は、それが今も息づいている聖地である。エホバのような絶対者ではなかったことで、かえって日本人の心には合致したのではないだろうか▼葦津珍彦は「天照大御神は、ただ独りの全知全能にして無謬の神ではなかった。高天原に於ても、御自らよりも、より有能(あるいはよりすぐれた)神を祭り給い、多くの有能有力なる神々の存在をみとめて、その神々の能力をより高からしめることにつとめられた」(『昭和史を生きてー神国の民の心』)と述べるとともに、大本山や大礼拝堂のような威圧感がない伊勢神宮について、「ただ清らかで尊い。この清らかな尊さは、天照大御神を皇祖として信奉される天皇の御信仰の気風の自らなる流露であるかと察せられてありがたい」(『同』)と書いている。伊勢志摩サミットは政治経済にとどまらず、日本の国柄を知ってもらうPRの場にもなったのである。
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