遅々として憲法論議が進まないのは、国民の危機意識が乏しいからである。とくに戦後の「平和教育」を受けた世代は、真面目に国防のことを考えようとしない。自国の安全を他国に全面的に依存するような国家は、独立国とはいえない。アメリカに無理難題を突きつけられても、それに抵抗できないのは、自らの国を自らが守るという気概がないからである▼憲法をめぐる昨日の国会の論戦を聴いていると、安倍首相は自衛隊の明記で突っ込もうとしている。国民投票で過半数を得るには、それしかないと思っている節がある。本来であれば憲法9条二項の削減は譲ることができないが、衆参で三分の二を経て発議されても、それが否定されるようなことになっては、元の木阿弥なのである▼中途半端な改正であっても、まずは実現させなくてはならない。そのためにも自民党の国会議員は、その意義について語るべきである。選挙区のイベントに顔を出して、どうでもいいようなことを演説しているときではない。ようやく憲法改正の木は熟しつつある。三島由紀夫ではないが、もはや待てないのである。未曽有の危機に対処するためにも、三島の最期の言葉を思い起こすべきだ。「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ」。日本の運命が全てそこにかかっているのだから、逃げてはならないのである。
←応援のクリックをお願いいたします。
白虎隊探究 世紀を超える精神風土 会津教学と藤樹学への招待 | |
ラピュータ |