草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

淋しい浪人の心と「行動右翼」

2023年11月02日 | 祖国日本を救う運動
 今の世の中では「右翼」と呼ばれることを嫌がる風潮がある。日本保守党も国体を口にはしているが、自分たちが「右翼」と言われることには抵抗があるようだ。
 野村秋介氏は「右翼の側も、尊皇とか日本を愛すという庶民感情だけではない。毅然としたポジションというものが必要になって来る。ぼくは、それを〝民族の触覚〟というように言っているんです。われわれは民族の触覚の任を為してこそ初めて右翼民族派と規定されるとね」(猪野健治編『右翼・行動の論理』)と述べていた。
 戦後の日本の右翼陣営の歩みを回顧すると、昭和35年頃までは児玉誉士夫氏、田中清玄氏という大物がいたが、昭和45年前後には新民族派の学生運動がブームとなった。これに呼応したのが三島由紀夫氏である。
 それに続いて鈴木邦男氏らの新右翼とか呼ばれるグループ「一水会」ができ、それから桜井誠氏の行動する保守運動となり「ネトウヨ」という言葉も使われるようになった。
 日本保守党というのは、野村氏も口にしていた「右翼ブロック」に含まれるわけで、本当の「右翼」という場合には、前衛としての「行動右翼」ということになるのだろう。
 淋しい浪人の心をもった「右翼」と呼ばれる一群の人たちに共感を覚えるのは、心情の純粋さに惹かれるからである。
 政財界の黒幕として知られた三浦義一氏は、北原白秋の門下で、歌集『悲天』を残しており、日本浪漫派の保田與重郎や大東塾の面倒をみた。大東塾の影山正治氏は昭和54年5月25日、「元号法制化」を訴えて青梅市の大東農場で自決した。野村氏もまた平成5年10月20日、朝日新聞東京本社役員室で自決した。
 今もそうした志を受け継いでいる人たちがいると思うが、未だに国を憂うる淋しい浪人の心を持ち続けているのだろうか。その思いを表現する三浦義一の歌はあまりにも切ない。
 
 いにしえの祖(ひと)のなげきを聴くごとし灯(ほ)かげとどける白菊の花 (歌集『悲天』より「草莽」)

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