大方のマスマスコミの主張はいつも同じである。戦争は悪であり個人よりも国家が優先される社会は問題がある。平和な世界を築くためには、人間としての理想を高く掲げなくてはならない。それに対して疑いを差し挟んだのが福田恆存であった。リアリストの福田は『告白といふこと』に収録された「革命」についてで、彼らしい名言を吐いている。「ひとびとが考へるやうに、私はかならずしも反革命の徒ではない、たゞ悪から逃れ、悪を否定すしようとする安易な考へから革命に期待をかける善意の破壊主義者に、いさゝかの共感を持たぬまでである。革命もまた悪の力から生れ、悪を生む。既存の制度の悪にたへきれぬ人種のうちから、革命の悪にたへうる革命家が生まれることを、私は期待できない」。国家だけが武装を認められ、人を拘束したり殺害する権利すらも与えられている。それがヒューマニズムの観点からは悪であるとしても、その現実を無視することはできない。世の中をひっくり返すにあたっても、暴力をともなう悪が前提なのである。日本のサヨクやマスコミは綺麗ごとで世の中が変わると信じている。今回の平和安全法制関連法案への反対でも、個人的なエゴイズムや理想論で多くの国民に共感を得ようとした。目の前に差し迫っている危機に、どのように対処するか。その展望がなかったわけだから、敗北は目に見えていた。「革命の悪にたへうる革命家」というのは言葉のレトリックであったとしても、ある種の真実を見抜いている。革命は暴力をともなうのであり、それと正面から向き合おうとしないお花畑は、単なる言葉遊びでしかないからだ。
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