野田佳彦首相は、大臣としてふさわしくない人物でも、辞めさせないし、自分自身の外国人からの献金や、暴力団との付き合いについて、まともな答弁ができない。それでいて、権力の維持には躍起になっており、そのために手段を選ばない。原発事故などの危機的な状況に対しては、後手後手に回っている。それでも居直っていられるのは、厚顔無恥だからだろう。名声を求めぬ、草莽の志士のパトスに目を向けたのが、日本浪漫派の保田與重郎であった。「己の志を理解されないとか、哀情をくんでもらえないということは、残念なことである。本人に残念であるばかりでなく、社会全般の遺憾とすべきことである。しかしそういう人に知られぬ思いが凝り固まって、日本の国は久しく守られてきたのである。武士が切腹し、忠臣が孤独に倒れ、在野の違憲が虚しく死する。そういったことは、国の歴史の精神の富だったのである」(『近代の終焉』)。保田が生きていた時代には、よほどのことがない限り、野に埋もれた者たちの発言の場はなかった。それが今では、大きく様変わりしている。権力者でなくても、己の思いを世に問うことができるからだ。そして、保守民族派のネットこそが「国の歴史の精神の富」を受け継いでいるのだ。その命脈が断たれない限り、日本は日本であり続けるのである。
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