太鼓持ちの言うことなど誰が信用するだろう。今朝の朝日新聞デジタルに、茂木健一郎が「ネット時代こそ、新聞で脳を鍛える」を書いている。嘘か真か知らないが、かなり新聞中毒にかかっているらしく、毎日のように全国紙を3、4紙と英字紙、さらには地方に行ったらば地方紙にも目を通すのだそうだ。たまにホテルなどに置いてある無料の新聞を手にする程度の者からすれば、暇人のように思えてならない。嗤ってしまったのは、新聞の意義を「見出しとレイアウト」と述べている点だ。逆に言えばそれしかないのだろう。センセーショナリズムの典型である「見出しとレイアウト」にこだわるのは、それしかヨイショができないからだろう。茂木に聞きたいのは、原稿料をいくらもらったかである。ネットを軽んじているようだが、ネット住民は無料で書いている。だからこそ自由に誰もが閲覧できるのである。朝日新聞の茂木の記事は、ログインをしなければ先は読めない。有料会員を増やするのが目的なのである。知の権威を振りかざしてきた大新聞は、情報を囲い込むことで延命しようとしている。今の世の中は、情報を集めるのも発信するのも、コストは限りなくゼロに近くなっている。それに逆行しているのがマスコミなのである。自分たちが勝手に取捨選択した情報を、下手なコメントを付けて流布させる。それで商売ができると勘違いをしているのである。そこに群がっている評論家の類も、意味もない知の権威を利用したいだけなのである。恐竜が絶滅したのとマスコミは同じ運命を辿るのではないだろうか。ネット時代の到来によって全てが変わってしまったのだから。ヘーゲルが新聞を「日々の聖書」と言っていたのは、もはや遠い過去の出来事なのである。
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