草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

ネット上の全体主義運動を警戒しなくてはならない

2024年03月19日 | 祖国日本を救う運動
 左右の全体主義運動が日本を席巻しつつあるのではないか。今こそ保守派は警戒を怠ってはならない。それを考えるにあたって、私たちはハンナ・アレントの『全体主義の起源』で述べた言葉を参考にすべきだろう。
「全体主義運動は、一貫性の虚偽の世界をつくり出す。その虚偽に世界は現実の世界そのものよりも人間的心情の要求に適っている。そのなかで根無し草の大衆は、全くの想像力を助けにしてくつろいだように感じ、現実の生活と現実の経験が人間と人間の期待に加える決して終わることのない衝撃から免れることができた」(マーガレット・カノヴァン著『ハンナ・アレントの政治』寺島俊穂訳)
 端的に言うならば、どこの組織や団体にも属せず、厳しい現実に向き合わなければならない者たちは、全体主義運動の煽ありに熱狂しやすいというのである。根無し草で拠り所を失って救いを求める者たちにとっては、一貫したイデオロギーに思え、そこで自分というものを立て直すことができるからだ。
 しかし、そうした心情が変わらず続くためには。全体主義運動は、日々刺激的な言説を振り撒かなくてはならない。その頂点を極めたのがナチスであり、スターリンであった。とくにナチスの場合は、下から盛り上がった結果であり、スターリンは自らの権力維持に利用したのである。
 全体主義運動であるかどうかを見分けるポイントは、指導部の不正や問題点の指摘が、下部の人間に許されるかどうかである。批判する者が現れると、彼らは寄ってたかって集中砲火を浴びせるからである。
 対処療法として私たちは、カノヴァンがアレントから抽出した思想を再確認すべきではないだろうか。あくまでも他者を重んじる冷静な判断が求められるのである。
「まず第一に、すべての人間は二重の存在規定をもっている。各人は特殊な一個人であり、決してほかの人の複製ではなく、つねに新しいことを考えたり、行ったりすることができる。それと同時に人間という種の一員であり、同じ世界に投げ入れられ、同じ運命に直面し、ほかの人びととものを創り出したりすることができる。また、人間という種の一員であるから、ほかの人びとと意思疎通し、これまで多くの世代が蓄積した人間の経験の宝庫を共に活用することができる」(『同』)
 アレントの核心部分を見事に言い当てている。ネット上での過激な言論の応酬は常軌を逸している。アレントのように、自らの中の他者性に目覚め、対話と討論ができる環境を整えるべきであり、排除や無視は避けなければならないのである。
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