草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

菅首相と吉田松陰の違いは天皇への敬愛の心

2010年06月12日 | 思想家

 民主党が危険なのは、党員になるのにも、サポーターになるのにも、日本人でなくてもよいことだ。日本国憲法では、主権者は国民と明記しているわけだから、明らかに憲法違反の政党である。そのことにマスコミが触れないのも問題である。日本という国家は、日本人から成り立っているのである。そして、イザというときには、国家への忠誠が求められるのである。また、憲法一条の象徴天皇制ではっきりしているように、天皇家は日本人の理想を体現している。天皇陛下は古式にのっとって歴代の天皇をお祀りになられるばかりでなく、常に無私の心で国家国民のことを考えておられるのである。さらに、米作りを通して、日本文化の核心部分を継承されておられる。菅首相はリアリストであるから、外交をうまくやってくれると期待している向きもあるが、象徴天皇制についての理解がない人間が、外国に対して何を自己主張するつもりだろう。長州人ということで、じゅっぱひとからげにするのはよくないが、伊藤博文なんかと菅首相は共通するのではないだろうか。為政者となると、攘夷が開国となり、平気で悪魔とも手を組むのである。吉田松陰や前原一誠らのような憂国の志士とは違う。松蔭は「松下陋村なりと雖も、誓って神国の幹とならん」というパトスの持主であり、権謀術策を弄さなかった。会津っぽも、どことなく融通がきかないところがあった。だからこそ、権力闘争に敗れたのである。しかし、菅首相が今やっていることは、自民党でもできることであり、平成維新ではないのである。わざわざ政権交代をした意味がないのだ。マニフェストすらも、もはや過去のことになってしまっている。自民党政権と異なっているのは、サラリーマン政治家が多いことだ。だからこそ、日本の国柄に言及する政治家は、数えるほどしかいないのである。菅首相に「君、国売りたもうことなかれ」といわざるを得ないのは、そのためなのである。

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長州人菅直人が見習うべきは会津人伊東正義

2010年06月12日 | 思想家

 これまで言ってきたのと違うことをやるのが民主党政治なのだろう。鳩山政権時代の今年4月、5月だけで、3億円もの官房機密費が引き出されていたことが判明した。昨年9月から今年2月までは月6千万円であったのに、退陣間近には金庫を空にするという、これまでの慣例を踏襲したのだろう。政権をとったならば、使い道をオープンにします、と言っていたはずなのに、嘘をつくことを何とも思っていないのである。しかも、いくら残っているかについても言明を避けているのだから、非公開そのものではなかろうか。歴代の官房長官のなかで、領収書をそろえ、官房機密費をきちんと処理したのは、会津っぽの伊東正義だけであった。第二次大平正芳内閣で官房長官を務めた伊東は、国民の税金を使うにあたって、厳しく己を律したのだった。自民党だから、民主党だからというのではなく、官房長官としての資質が問われるのである。伊東ですらできたことが、今の民主党政治にはできないのである。伊東といえば、竹下登首相がリクルート事件の責任を取らされた1989年には、総理大臣に担がれたこともあったが、会津っぽらしくそれを頑として固辞したのであった。そのときのエピソードとして、蛤御門の変や、鳥羽伏見の戦いで戦死した会津藩士が眠る京都黒谷の墓地に出かけて、伊東は何時間も手を合わせていたのだという。死者たちの声を聞こうとして、頭を垂れたのであった。日本という国柄を守ろうとする政治家の、それを誠実な姿であった。菅を始めとする民主党の政治家に欠けているのは、己を律する価値観ではなかろうか。長州人菅直人は、会津人伊東正義を見習うべきなのである。

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