喜多方市から東武鉄道の鬼怒川温泉駅まで、東京からの友人を迎えに行ってきた。会津はようやく春めいてきたばかりなのに、南会津町から栃木県日光市を結ぶ山王トンネルを過ぎると、そこはまさしく春真っ盛りであった。川治温泉あたりからは、レンギョウの黄色に圧倒された。そして、白いコブシの花に気高さを感じた。鬼怒川温泉では、赤い梅はほぼ満開。雪国会津のように、梅と桜とがあでやかさを競うということはなく、薄ピンク色の桜はようやく開花した感じで、陽あたりの良い場所では咲き始めているが、山間部では蕾がふくらみかけた所もあった。上京するおりには、決まって東武鉄道を利用する私にとっては、それらはいつもの見慣れた光景である。後2週間も経てば、周囲の山肌に淡紅色の山桜が点綴し、その美しさはまた格別である。それだけに、この季節になると私は「年々歳々花相似たり/歳々年々人同じからず」という漢詩を口ずさんでしまう。初唐の劉廷芝の作といわれるが、毎年同じように花は咲くのに、それを愛でる人たちの顔ぶれは同じではない。そうした歳月の経過を思い知らされれば、どんな人間であろうと、感傷的な気分にさいなまれるのである。すでに私も還暦を迎えており、これからの道のりは限られている。気ぜわしく走り抜けた若い頃と違って、じっくりと自然の美を堪能しても、とやかく言われる年齢ではない。残された1日1日を大事にしたいものだ。「洛陽の女児顔色を惜しむ/ゆくゆく落花に逢うて長く嘆息す」というように、時間は止めようがないのだから。
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