前回の当広場、新聞各紙の報道について「東京新聞」の記述がないことを在京の友人U君が指摘してくれました。「7.16さよなら原発10万人集会」のニュースは東京新聞が一面トップであったことを写真メールで知らせてくれた=写真。今回の脱原発集会報道での取り上げ方は、1位が東京新聞、2位毎日新聞、3位朝日新聞の順でした。
友人のメールでは18日の東京新聞に、「双葉町の標語を考えた少年、26年目の訂正」の記事も教えてもらいました。以下、東京新聞からの転載です。
「原子力明るい未来のエネルギー」。福島県双葉町の中心街の入り口に掲げられた看板の標語だ。25年前、当時小学6年の大沼勇治さん(36)が町のコンクールに応募し、選ばれた
大沼さんは、1年4カ月の避難生活で「脱原発」を確信した思いを伝えたいと、今月15日、一時帰宅した際、自ら標語を「訂正」した。
大沼さんは東京電力福島第一原発の事故後、身重の妻せりなさん(37)と地元を離れ、現在は愛知県安城市で避難生活を送る。町が原子力標語を公募したのは1987年。原発が町の未来をつくると信じた言葉が入選。第一原発から約4キロの自宅近くに鉄製の看板が電源立地交付金で建てられ、誇らしかった。
大学を出て就職し、29歳で帰郷。不動産会社に勤める傍ら、看板の横にある土地にオール電化のアパートを建てて、東電社員にも貸していた。ずっと町の発展が原発とともにある「安全神話」を疑わなかった。
しかし事故後、町は警戒区域となり、全町民が避難。「平穏な暮らしが町ごと奪われた現実」にさいなまれ、テレビで標語が紹介されるたびに胸を痛めた。自らを責め悔いる日々から「原発の現実を話す権利はある」と考えた。脱原発を行動で示し、その姿を長男勇誠ちゃん(1つ)に将来伝えたいと思った。
夫婦が一時帰宅した今月15日、記者も同行した。防護服姿の大沼さんはまず、標語にレッドカードを突き付け「退場」と叫んだ。その後、看板の手前で持参した画用紙を高く掲げた。すると、そこに書かれた「破滅」の2文字が「明るい」に重なり新しい標語が読み取れた。「原子力破滅未来のエネルギー」。26年目の訂正の瞬間だった。
大沼さんは「原発事故で故郷を奪われることが二度とあってはならない。日本に原発はいらない」と話した。 (野呂法夫、写真も)東京新聞 2012年7月18日
7.16さよなら原発10万人集会2鎌田慧、奈良美智、坂本龍一
あの標語は見るたびにゾクゾクっと戦慄が走りましたが、この記事をみて安心しました。
これからでも遅くはありませんよね。
がんばりましょう。
標語に罪はありません。ウソで固めて原発を推進してきた大人たちにこそ責任があります。