ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

「つきあう」の意味 今昔

2010年07月19日 | 教育・文化
また、新ビバヒルの話題からです。

一昨日放映では、ディクソンとシルバーが人種の垣根などとっくに飛び越し、二人は激しい一夜を過ごす。そしてシルバーは腰元に愛する「ディクソン」のネームを入れたタトゥーを!!
高校生の男女のこのストレートな恋愛、セックス、タトゥー・・。びっくりの連続で、私はとてもついていけません。

愛し合っていれば、セックスは自然なことという感覚。今の若い世代にはずいぶん当然なこととして受け入れられているようになってきています。

「つきあう」という意味が、今と昔(私の10代、20代)の頃とまったくといってよいほど変わってしまったこのように感じます。
私の頃は、特定の人と文通したり話したり、コーヒーを飲んでデートするくらいでも十分「つきあった人」の中に入った。ところが今では「つきあった人」という時は、性的な関係をもった人のことを指しているようです。
高校生だろうが年齢や結婚するかどうかに関係なく、愛の延長に性の交わいは自然で認められるものと。。
私は、性に関しては、今ではすっかりコンサバティブの位置になっているのかもしれません。
性的な関係に入るのは慎重にしてほしいと思います。本当に愛する人なのか、それも衝動的でなく永続的な愛を確信できるひとなのかどうか。性に踏み込むことはその相手の人生に深くコミットすることになるからです。

安易なタトゥ(入れ墨)は、簡単に消えないのと同じように、性的な結びつきも意識として易々と消えるものではないでしょう。イヤになったら離れればいい、とは思いますがそう簡単に済ませて良いものなのでしょうか。
それにしても、もし自分が今の高校生だったらどうなのだろうか。。

欧米の性の文化の影響は、かなり受けていると思います。
自由な性の謳歌は、映画の中だけかと思っていましたが、日本の若者の性の考えにも強く浸透しています。大リーグの放映と同じようにビバヒルもNHKが扱っている。それもNHK教育でというのが苦笑してしまいます。

【写真】清純なアニーと小悪魔シルバー(右)


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コメント
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