ポポロ通信舎

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【中学下宿記】(28) 《進路問題》 親の立場、子の立場

2010年01月18日 | 中学生下宿放浪記
前代田のO家は、数えると9番目の下宿先、時は12月師走でした。
この時期になりますと、卒業後の進路をめぐって各家庭では親子
で将来を話し合うことになります。私と母も進路について意見を
たたかわせました。これまで転校、転居については、私の意のままに
追認してきた母ですが、ここで初めて自身の希望を述べました。
それは前橋地区の高校ではなく、東毛地区の高校を選ぶことでした。
私は、前橋での進学を考えていました。。

ふと省みますと私は、再び前橋に来てからは母の存在を忘れてしまった
かのようでした。何か騒動があった時だけ母にすがりついているような。
要所要所では、常に親の力で軌道修正してもらっているのに。
追い出されたのは、テープレコーダ事件、揚げ物屋、カレーばあさんの
3件、さらに母はなんといっても食事、洗濯、それに不規則になりがちな
生活習慣を案じていました。

母は進路については、最終的には子の私の判断だ、とは言っていました。
ただ親としては、東毛の高校を勧める、といつになくきっぱりと意見を
示しました。

前橋に来てからは、時々大泉で過ごした生活の日々が夢に出てきました。
社日様、S家のあばさんの涙、キリスト教会、壮大な米軍基地の景色、
そして女子寮のお姉さんたちの温かさ・・
この先の下宿放浪の中で、次の騒動でもう母に心配は掛けたくはないし・・

前代田のこの下宿の住人は、学生と社会人の混成。
隣りの部屋の群馬大学の学生と親しくなりました。一緒に市内の風呂屋で
話しもしました。学芸学部(今の教育学部)体育教師志望の人でした。
私の進路についての迷いを話すとその大学生からは、
「君はお母さんのことを、もっと考えなければいけない。きっと心配している。
お母さんの近くに帰って安心させるべきだ」と教育者の卵らしい助言でした。

この人と同じようなアドバイスは、雑誌「中学時代」を買いに行っていた
前橋駅前にあったT書店のおじさん(叔父と旧制中学の友人で脱サラ店主)
からも頂きました。
「ぜひ大泉に帰ってお母さんの近くに住み心配をかけないで親孝行しなさい」
又、信頼していた隣りのクラスのN先生も大泉に戻ることには賛成でした。

親子が人生で初めて対立するのは、どの家庭でも子の進路をめぐってでは
ないでしょうか。

進学か就職か?
進学先はどこか?
就職先はどこか?
そして究極は結婚相手でしょうか。
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親のスタンスは・・
(最初)長い経験からの自説は堂々と述べる、但し押し付けでなく。
(最後)子本人の判断を容認し応援する(折れる)。
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子のスタンスは・・
(最初)親の忠告、体験談は、十分聞き参考にする。
(最後)自分の人生は自分で決める。
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もし大泉に戻るには、前橋と東毛地区では学区が異なり住所変更を
しなければなりません。早々に決断をしなければならない時期に
来ていました。
母とも激しい討論をする中で、私は再び東毛(大泉)に戻る選択を
しました。(つづく)

【写真】1960年代の前橋一中


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コメント (1)
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