市之坪のお婆さんの下宿では、カレーの他にもう一つ困ったことがありました。
それはトイレのことです。いわゆるボットン便所です。水槽のようなトイレで
おつりが激しく返ってくるからなのです。トイレに入るのが憂鬱でした。
それにお婆さんは、この家のトイレで私が小便をすることを嫌います。
「若い衆(若い人)ってものは、おしっこは家の外でするもんだよ」
とへんな注意を発するのです。
母に話しましたら、同情して一緒に怒ってくれるものかと思っていましたら、
「酷く貧しい人達は、昔からそうした習慣の中で生活してきたものなのよ。
いい勉強になっているね」と少しも動じないのです。
その後、仲介役のYおばさんは次第に、私にきびしく当たるようになってきました。
最初親切だった人が、徐々に変わる、人間の感情の変化は複雑怪奇です。
日記には「僕は母と話しこの下宿でまだ頑張るといった。それがYおばさんは
気にくわないのか、親に逆らってまでも下宿を替えないわるい子といわれた」
とあります。
そのYおばさんが、修学旅行の前に日、旅行用の弁当を作ってあげる、と言って
きたのを、すでにYおばさんに不信感を持っていた私が受けなかったことが、
いっそうYおばさんの逆鱗に触れました。Yおばさんの善意に、私が素直に
従わなかった、ということです。今思うと、Yおばさんも私のことをいろいろ
気遣っての親切心からでありがたいことでした。きっとYおばさんは
その気持ちが通じなかったことへの苛立ちだったのでしょう。
ちなみに旅行用の弁当は、前日に近くの飲食店に頼んで用意して行きました。
その後のYおばさんは、味方から敵に転じたようになり、前に住んでいた下宿先
(芳町の揚げ物屋さん)のところに行って私のことを調べたり、私の実家(相生町)
の叔父のところにも“抗議”にいったという、「Yおばさん ひどい!」と日記に。
とうとう怒ったYおばさんは私に「下宿を出て行け!」と宣告してきました。
下宿に帰っても、お婆さんとは口をきかない状態になっていました。
「連続カレーライス」の件では、理解を示し他の下宿を紹介してくれたYおばさんが、
今度は「出て行け!」の一点張り。
途方にくれた私は、それでもすぐには母に連絡することができなかった。
これまでにも何回と無く母には私の下宿騒動で呼び出され、そのたびごとに
仕事を中断して前橋まで出てきてもらっている、もう心配をかけたくないと
いう気持ちでした。
Yおばさんに立ち退きを宣告された夜、私が相談に向かったのがなんと、
日ごろ不和であった担任のF先生の家。Yおばさんが同じクラスメイトの親と
言うこともあってF先生に話すのがいいと思い及んだのです。
夜遅くF先生の家の玄関先で、F先生の顔を見るなり涙がこぼれ落ちました。
「僕、下宿を追い出されそうです。。」
突然の珍客にF先生も驚かれたことでしょう。いつもは反発していたF先生で
したがこの時ばかりは、優しい母親のような存在にみえました。F先生は私の
話を聞き善後策を考えてくださいました。石田三成が、追われて政敵、家康の
屋敷に逃げ込んだ時のようでもありました。
ただ、これ以来、F先生に対し徐々に信頼感が出てきたことも不思議な
心境の変化でした。(つづく)
【写真】修学旅行(日光で)
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それはトイレのことです。いわゆるボットン便所です。水槽のようなトイレで
おつりが激しく返ってくるからなのです。トイレに入るのが憂鬱でした。
それにお婆さんは、この家のトイレで私が小便をすることを嫌います。
「若い衆(若い人)ってものは、おしっこは家の外でするもんだよ」
とへんな注意を発するのです。
母に話しましたら、同情して一緒に怒ってくれるものかと思っていましたら、
「酷く貧しい人達は、昔からそうした習慣の中で生活してきたものなのよ。
いい勉強になっているね」と少しも動じないのです。
その後、仲介役のYおばさんは次第に、私にきびしく当たるようになってきました。
最初親切だった人が、徐々に変わる、人間の感情の変化は複雑怪奇です。
日記には「僕は母と話しこの下宿でまだ頑張るといった。それがYおばさんは
気にくわないのか、親に逆らってまでも下宿を替えないわるい子といわれた」
とあります。
そのYおばさんが、修学旅行の前に日、旅行用の弁当を作ってあげる、と言って
きたのを、すでにYおばさんに不信感を持っていた私が受けなかったことが、
いっそうYおばさんの逆鱗に触れました。Yおばさんの善意に、私が素直に
従わなかった、ということです。今思うと、Yおばさんも私のことをいろいろ
気遣っての親切心からでありがたいことでした。きっとYおばさんは
その気持ちが通じなかったことへの苛立ちだったのでしょう。
ちなみに旅行用の弁当は、前日に近くの飲食店に頼んで用意して行きました。
その後のYおばさんは、味方から敵に転じたようになり、前に住んでいた下宿先
(芳町の揚げ物屋さん)のところに行って私のことを調べたり、私の実家(相生町)
の叔父のところにも“抗議”にいったという、「Yおばさん ひどい!」と日記に。
とうとう怒ったYおばさんは私に「下宿を出て行け!」と宣告してきました。
下宿に帰っても、お婆さんとは口をきかない状態になっていました。
「連続カレーライス」の件では、理解を示し他の下宿を紹介してくれたYおばさんが、
今度は「出て行け!」の一点張り。
途方にくれた私は、それでもすぐには母に連絡することができなかった。
これまでにも何回と無く母には私の下宿騒動で呼び出され、そのたびごとに
仕事を中断して前橋まで出てきてもらっている、もう心配をかけたくないと
いう気持ちでした。
Yおばさんに立ち退きを宣告された夜、私が相談に向かったのがなんと、
日ごろ不和であった担任のF先生の家。Yおばさんが同じクラスメイトの親と
言うこともあってF先生に話すのがいいと思い及んだのです。
夜遅くF先生の家の玄関先で、F先生の顔を見るなり涙がこぼれ落ちました。
「僕、下宿を追い出されそうです。。」
突然の珍客にF先生も驚かれたことでしょう。いつもは反発していたF先生で
したがこの時ばかりは、優しい母親のような存在にみえました。F先生は私の
話を聞き善後策を考えてくださいました。石田三成が、追われて政敵、家康の
屋敷に逃げ込んだ時のようでもありました。
ただ、これ以来、F先生に対し徐々に信頼感が出てきたことも不思議な
心境の変化でした。(つづく)
【写真】修学旅行(日光で)
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