ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

【中学下宿記】(10) “いじめ”に遭遇

2009年10月26日 | 中学生下宿放浪記
南中には授業進度の遅れ以外、いやなことは何もなかったのですが、
北中学校に転校しました。
同じ学校でも、その年の学年、クラスによってずいぶん雰囲気は違うもの。
しかし、ここで待ち構えていたのは“いじめ”だった。
ジェリー藤尾のような感じのクラスのボス、U君にカモにされてしまった。
理由も無く授業中、ずっと私を睨みつづけ「休み時間になぐるぞ」と脅迫する。
言われた私はそわそわして授業どころではなかった。予告通りいつもなぐられた。
しかし誰も止めない。そんなことが日常頻繁になっていた。それでも私はなぜか
抵抗しなかった。今思うと無抵抗が反っていじめを助長したようにも思います。

それまでは売られたケンカには必ず応戦し、やられっぱなしなどということは
なかった。それはケンカをしても、周囲の友人たちが私を支持してくれている
というどこか確信と安心感があったからだ。
ここでは、まったく勝手がちがう。というのも、転校生=“異邦人”であって、
まだ学校の様子もよく把握していない。いわば“敵地”にいるようで、それを
証拠にクラスの誰もが助けてくれない、ここに味方はいないと、一方的に感じ
取っていたからだろうと思います。

U君への対応は、
→神の御名においてUの罪を許すべきか。
→それとも体を鍛えなおして逆襲にでるか。

幼い時いじめられたボクシング王者、内藤大助や虚弱だった三島由紀夫と
同じような悩みでした。来るべき「武闘」に備え体力強化も真剣に考えた。

しかし、私は当面、前者の道(相手の罪の許しを神に請う)を選びました。
いじめにより、私の信仰心は高まり、教会へは日曜のみならず一般の大人
たちの平日の礼会にも頻繁に行くようになりました。大泉町内の街角で、
聖歌を合唱し、伝道布教活動にも積極的に参加しました。

そうこうしているうち、下宿先のM家の次男、K君とケンカをしてしまった。
内容はささいなことですが、このケンカにK君のお父上が“参戦”。
私の立場は危うくなりました。
学校でも下宿でも気の休まらない“対決”の日々がつづくのでした。
                           (つづく)

【写真】大泉町立北中学校の徽章

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コメント (1)
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