ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

余命は自分で決めてください

2022年07月22日 | 研究・書籍
なんともそそっかしいことになりました。

『穏やかな死に医療はいらない』(萬田緑平著、河出書房新書 2022年6月初版)を書店で購入。店頭には、久しぶりに萬田医師の新刊『家で死のう! ――緩和ケア医による「死に方」の本』と同書が並んで置いてあった。同氏の本は過去何年か前に読みこれが二冊目。

しかし自宅に帰り読み始めて、すぐに気が付いた。本棚を確認すると同名の本があった!2013年朝日新聞出版からの同名ものだった。

買ってきたばかりの河出書房の本の巻末には「本書は2013年朝日新書からのものを加筆修正し、単行本化したもの」と書かれているではないか。

こんなことは初めてだ。本の印象はあったのだけど、書名が一致しなかった。しかし、気を取り直して読んでみた。ちょっと校正者になったような気持ちで新旧チェック。
確かに加筆部分も認められ、より充実した記述になっていました。

「おわりに」の章では、2013年朝日版では、一人の終末期の患者さんとの感動的なエピソードだったが、今回の2022年河出版での終わりの章は「がんで亡くなることを怖がらない人たちへ」として著者自身も人生の最終章を自分らしく終えたいので「僕はがんで死にたいと思います」と語る。

医師としての著者は患者さんには「余命は自分で決めてください」と。仮に主治医に余命数カ月と言われたとしても、それは神様に告げられたわけではないのだから、気にしない、気にしない。

改訂版もなかなか良い、人はどう生きてどう死ぬか、を多くの患者を看取ってきた緩和ケア医の立場で楽天的な選択を示している、元気づけられる“萬田哲学”に乾杯したい。

 
 
夏の夜長はボサノバですね♬
waveがいい。
むかし昼休みの社員食堂で流れていたのを聴いたのが最初です。



Wave (Antônio Carlos Jobim) Piano and Vocal by Sangah Noona
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死は背後から迫れり

2022年07月19日 | 研究・書籍
徒然草(吉田兼好)「世に従はん人は、先ず機嫌を知るべし」の155段に注目です。

社会できちんと生きようとする人は機嫌(=潮時)を知らなくてはいけない。いつまでも院政を敷かず後進に道を譲る、ということでしょうか。


四季は、なほ定まれる序あり。死期は序を待たず、かねて後ろに迫れり

暑い夏もいずれは去り秋、冬になる。しかし死には順序はない、前からではなく、不意に後ろからやってくることも。


人皆死ある事を知りて、待つことしかも急がざるに、覚えずしてくる。沖の千潟(ひがた)遥かなれども、磯より潮の満つるが如し


人々(ポポロ)は皆いずれ死ぬことはわかっていても、それは自覚なしにやってくる。足元の磯から潮が満ちていくのとおなじように・・。

徒然草は吉田兼好50代の頃の作。
なんとも見事に、ものごとを見定め悟っています。

死は背後から迫れり

人の寿命は予測できない不可解なものですね・・。



【木工さんの写真】制作 矢嶋秀一  / フォト 田口大輔



アメイジング・グレイス / 本田美奈子.
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政治家・大石あきこと太田薫

2022年07月07日 | 研究・書籍
維新ぎらい』(大石あきこ著 講談社)の新刊を手にし、むかし、総評(今の連合よりも強い労働組合の全国組織)の議長だった太田薫が『ケンカのやり方』という本を出していたのを思い出した。

威勢の良い進軍ラッパから「太田ラッパ」といわれたガラガラ声の太田薫さん=写真


革新野党は時にケンカすることが必要なのだ。やみ雲にかみつくのでなくそこのは理と、正義があることは当然のことですが、ここ一番、ケンカすべき時にスルーをしてしまうとポポロ(人々)の支持を逃してしまうことになる。

いま労働組合はストライキ(ケンカ)をしなくなった。労組指導者が与党にすり寄っても誰も阻止せず意見も言わない。野党政治家からも効果的な攻撃的発言(ケンカ)が聞かれない。むかし「国会の爆弾男」といわれた社会党代議士、楢崎弥之助のような。

これはある意味、日本が成熟した社会、大人化したといことなのだろうか。

『維新ぎらい』の帯には、「素人集団でも悪政は止められる!仮想敵をつくって対立を煽る。維新と橋下徹氏の圧力に、私が抗う理由」とある。
国会も本気でケンカしなくなっているこの時代に大石あきこのような議員がいてよい。

本書の中で「大阪府構想」や「二重行政の解消」などに触れている。

「大阪府立図書館と大阪市立図書館は、無駄なのだろうか?隣り合わせに建っているわけではなく豊かな都市、規模の大きな都市になれば、それを減らしたら豊かになるというのは逆の発想です。」

大阪には信用保証協会が2つあった。これが二重行政の象徴的な存在としてやり玉にあがる。2014年に一つに合併。それにより職員数は減少、一方で中小零細企業の衰退が著しいのに、地域経済状況でのサービスは低下。それ以外にも、スクールカウンセラー、障がい者歯科診療センター、病院、水道、高校などが二重行政のムダのイメージにされた、という。

大石あきこの名前を知ったのは2年前、当時れいわ新選組の有力メンバーの一人、大西つねき(元JPモルガン銀行ディーラー)が除籍処分になった時だ。トリアージ(選別治療)の死生観が問題視された。大西つねきに対して批判の先ぽうを切ったのが、大石あきこだった。私は除籍処分に至る前に内部で調整することはできなかったのかと思い彼女に対しての印象は良くなかった。

本書では、そのことには触れられてはいませんが大石あきこは、まっすぐで頑固なほど筋を通す、いわば「ケンカ人」だと改めて見直し評価すことができた。このくらい元気でストレートな威勢の良い政治家が今、この国には必要だろう。

大石あきこやれいわ新選組には、ケンカする野党精神が失われていない。放たれた矢を受け止めて、それを打ち返すパワーがあってよい。これこそ太田薫伝来の“ケンカ(ストライキ)魂”だ。

草葉の陰で、さぞ太田薫さんも目をこすって大石あきこの動向に注目しているのではないでしょうか。


 
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ゆがんだ報道に喝!江森啓治著『秋篠宮』

2022年06月26日 | 研究・書籍
弟として、父として、皇嗣として何に苦悩され何を考え、何を語られたか。秋篠宮邸に合計37回通ったジャーナリストの率直な対話の記録。

著者は毎日新聞客員編集委員。これまでにも『秋篠宮さま』(毎日新聞社)が出ている。今回、「さま」が無いので一連の週刊誌のような批判的な内容なのかと一瞬思ってしまいましたがその心配は無く、きわめて客観的、公平な記述で好感の持てる内容でした。

それにしても昨今の週刊誌のお下劣きわまりない秋篠宮家に対するバッシングには閉口しています。女性誌のほかに一流と目されるメディアまでが皇室批判報道に明け暮れているさまは、実に見苦しい。

最近の眞子内親王の結婚問題以外に、本書では過去の報道についても触れている。例えばクリントン大統領の来日歓迎の宮中晩さん会に秋篠宮がタイに行き欠席されたことを「公務を放り出し私的なナマズ見学など言語道断」と当時の週刊誌評。さらにそこから尾ひれが付いて「殿下は親しくしているタイ女性に会うためではないか」とまで。

真相はこうだ。ナマズの研究は阪神淡路震災で延期になった。クリントン来日も変更になった。タイ調査は事前に天皇陛下に了承済み。これまでも晩さん会を欠席した皇族は少なからずいた。米国であろうとタイであろうと差をつけるわけにはいかない。タイ女性報道に関してもまったく根も葉もない話。

加熱する報道に対しては、秋篠宮はある種の諦観を感じられているようだ、とも著者。

誤解された報道に対しても、一般国民のように感情をむき出して怒ることも、簡単に訴え反撃に出ることもまかりならない皇族の方々。本書を読んでいて、特権と不自由さがセットになっているようで気の毒でならなかった。

東京三洋電機、ご見学に

秋篠宮殿下が学習院初等科に在学の1978年2月、群馬県大泉町の東京三洋電機に社会科見学の一環でお見えになった。「礼宮さま、ご見学に」の様子が同社の社内報グラフニュース25周年特集号に載っている。ちなみに紀宮さま(黒田清子さん)は1982年3月に東京三洋電機の工場見学にお越しになっています。少なからず関係したものの一人として感慨深い。


選挙権など参政権はお持ちにならず、社会の事象に対しても公平を重視されご自分のご意思をストレートにお出しにならず抑制した対応をされる皇室の方々。秋篠宮も新聞は各紙お読みになれるようですが、新聞下の週刊誌広告、下世話な見出しだけを目にしただけでもさぞ、心を痛めていることとお察しいたします。メディアの罪は軽くはない。

一人の人間としての秋篠宮殿下を焦点に描かれた本書『秋篠宮』。新しい時代の皇室のあり方を深く知ることを願った著者の気持ちは、十分伝わり受け止めることができました。


 


【秋篠宮さま】56歳の誕生日で会見 長女・小室眞子さんの結婚などについて話される
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新刊「日本がウクライナに・・」

2022年06月11日 | 研究・書籍
『日本がウクライナになる日』(河東哲夫著 CCCメディアハウス2022年4月発行)を読んでみました。

文明国同士では、ありえないと思っていた戦争が起きた。自由と平和を守るために知っておきたいこと。著者はソ連・ロシアには4度12年滞在の駐在歴があるベテラン外交官OB。

「日本がウクライナになる日」とはいかにも予言めいたタイトルで、どのような内容かと思いましたが題名ほどの扇情的なものではなく、ごく常識的は本でした。むしろ最終章の「日本をウクライナにしないために」これからの安全保障体制、が題名副題にふさわしい。

ロシア軍の弱点は何か?

「素人は戦略を語る、プロは兵站を語る」と言う。著者も「戦争は補給で決まる」とロジステックの重要性を指摘している。
私も感じていたことですが、なぜかロシアの空軍の出動が少ない、姿を見せないのには何か謎めたものを感じる。

今回の宇露戦争の落としどころは?

著者はオーストリアの例をモデルに紹介している。もし宇露両国が互角のまま停戦になった場合、ウクライナの中立化、諸外国による保証を取り付け、先の大戦でドイツに併合され、戦後中立国として再出発したオーストリアが好例になるのではないかという。ぜひ、そういう方向に一刻も早く進んで終結してほしいですね。

日本はウクライナにならないためにどう対処したら良いものか?

戦後の呑気な時代は終わりタブーを振り払って防衛論議を行おう、と著者は問題を提起。
日米同盟とNATO。核兵器をどうとらえるか。「防衛のイロハの学習を」と私たち国民の自覚を促す。

国連改革については、旧敵国条項の削除をさせることを指摘している。ここはもっと突っ込んで解説が聞きたいところでした。

ただ日頃、国防についてのリアルな知識からは縁遠いだけに、進行中の宇露戦争の概略、日本の立ち位置を確認し自覚するうえではとても刺激的な新刊書でした。





【木工さんの写真】制作 矢嶋秀一 / フォト 田口大輔


 
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続『同志少女よ・・』を読む

2022年05月07日 | 研究・書籍
昨日の朝日の『天声人語』さんも今年の本屋大賞話題作『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬著 早川書房)』を読まれたようです。

たしかに作中に主人公セラフィマたちがあこがれる伝説の女性狙撃手「リュドミラ・ミハイロヴナ・パヴリチェンコ(1916-1974)が登場していました。309人の狙撃実績を有すソ連兵士。ただ出身はウクライナ人だった。

「ソ連の英雄に祭り上げられた彼女の故国(ウクライナ)はいま、ロシア軍に蹂躙されている。連日届く映像には女性兵士の姿も多い。捕虜交換で解放されたウクライナ兵の中には妊娠5カ月の女性もいたという。傷つき命を落とす者も多いだろう。小説の輪郭と重なり何ともやりきれない気分になる」と天声人語さん。

お墓のリュドミラさんはいまのロシアのウクライナへの侵攻をどんなお気持ちでご覧でしょうかね。きっと深く悲しまれていることでしょう。
本書で「兵科」という言葉を知りました。兵を職能別に分けた区分で歩兵、騎兵、砲兵、工兵など。歩兵と狙撃兵の任務分担は異なりそこに微妙な差異も生じる。

リュドミラ以外にもフィンランドにも名狙撃手、シモ・ヘイヘ(1905-2002)がいた。こちらは男性、史上最多の542人射殺。対ソ戦では「白い死神」と呼ばれ恐れられ、弱小フィンランド軍の意地を示していた。地上戦、市街戦ではスナイパーの役割は大きい。

前回のブログでは読後の高揚感もあり、この小説はすぐにでも漫画化、映画化されるのではないかと思いましたが早計でした。現下のウクライナ情勢が終息し平和が訪れないと映像化は望まれないようにも感じてきました。「ソビエト・ロシア」への人々(ポポロ)の評価が改めて冷静に定まるまでは。


 

【戦場の乙女】リュドミラ・パヴリチェンコ ソ連の女性スナイパーを解説
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話題作『同志少女よ・・』を読む

2022年04月24日 | 研究・書籍
『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬著 早川書房)を読みました。殺戮が奨励・公認される戦争の持つ魔性の世界にふつうの少女がどのようにして戦士に変貌していくのか、涙なしには読めない物語でした。

本書の発行は昨年(2021年)11月25日。フィクションとはいえ今年2月24日のロシアのウクライナ侵攻の前であったことも、現在進行形の惨事と照らし合わせて教訓的な作品です。

著者は、ロシア史を中心とした近代史をとてもよく研究されている。兵器の特性についても詳しい。

電子書籍ではなく紙の本でしたので用語も難解なものがちょくちょく出てきて、そのたびに辞書を引きました。「抉る」(えぐる)、咎める(とがめる)、痣(あざ)など、その一例。脱走兵を後方から撃つ「督戦隊」というのもよく知りませんでした。

熟読するのに、のべ四日かかりました。外国文学の氏名はカタカナ、時々ニックネームで登場することもありますので、しっかり人物名をメモ帳に書き込んでおかないと理解が不十分になりますね。
戦争で家族を失った女性狙撃兵たち。主人公のセラフィマは「女性のため」、年長のヤーナは「子供たちのため」。ウクライナ人のオリガは「コサックの誇りのため」・・

帯の解説で沼野恭子さん(ロシア文学研究家)が「戦争の理不尽さを思い知らされ、喪失感と絶望に襲われながらも、セラフィマとともに血なまぐさい戦場を駆け抜けることになるにちがいない」の言葉通りの激戦を「体験」をさせていただきました。

この小説は、きっとこれから漫画化、映画化されると思います。この作品の真髄が人々(ポポロ)に広く理解され無益な戦争が一刻も早く無くなることを願います。

★(ほし)五つです。


 
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「千の風になる」の自然体で

2021年12月31日 | 研究・書籍
『私は千の風になる』(菅野国春著 展望社)を読みました。

がん放置!!自然死を選択した心の軌跡。86歳終末の幸福論。

見つかって七か月たったガンは進行した。ステージ4。だがこの本を書き上げることができた。(本書発行は、本年2021年10月20日初版)限られたいのちを生きる日々、しあわせに生きたいと願っている。死に支度らしいことはしていない。あと1年ぐらいは生きられそうな気がする。死んだら風になろう・・。

やがて消えゆく者にとって、日々の小さな営みがいかに大切か。人生をやり直すつもりも生き直すつもりもない。人生の終着駅は始発駅ではないのだ・・。

諦観した著者の思いの一つひとつに深くうなずくばかりです。

著者は手術を否定してはいません。ただ長年、雑誌記者、ルポライターとして多くのガン患者さんたちを取材し調査をした経験から、早期発見早期治療の「手術万能」の常識に日ごろから疑問を感じられていたようです。
「ガンとは闘うな」といった近藤誠医師の理論に対して、「勇気をもってガンと向き合え、闘え」と主張する医師や学者たちの言葉に注目もしたが、それらはがん治療の側面と現状を単に述べているのに過ぎないと分かりどうしても期待が持てなかったからだ。

「死亡適齢期」という言葉が出てきました。最近では「結婚適齢期」という言葉もすっかり聞かなくなりました。適齢期の幅が、ことさら大きく変化したからでしょう。ただ死亡に関してはいずれ誰もが亡くなるとは自明のことであり、ある時期が死の適齢と心することで生への自覚も促すのではないでしょうか。

迫りくる死を前にしての著者の言葉は迫力を感じました。良書です。

今年も幸いなことにいくつもの良書に巡り合いました。
『私は千の風になる』のほか『コロナ禍の9割は情報公害』(長尾和宏 山と渓谷社)、『時は来れり』(太田高校応援団OB 浅沼義則 三省堂書店創英社)など傑作多数。

当ブログ、ポポロ通信舎に今年ご来場者の方々の数を調べてみました。昨年より30%減ですが、それでも1日平均3桁を下回る日はございませんでした。
ご訪問ご閲覧に感謝いたします。






今年最後は、木村カエラの歌声で『タイムマシンにおねがい』♪


 

タイムマシンにおねがい 

 
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97歳の幸福論

2021年11月13日 | 研究・書籍
瀬戸内寂聴さんが亡くなりました。99歳。
瀬戸内さんというと最近では、「捏造の科学者」と疑われていた小保方晴子さんと『婦人公論』で優しく対談していた記事が印象に残っています。

若い時の瀬戸内晴美さんは不倫の末に娘をおいて家を出る恋多き奔放な女性だったのですね。ご冥福をお祈りいたします。

きょうは、瀬戸内さんよりさらに先輩の笹本恒子さんの『97歳の幸福論』を読みました。
1914年9月のお生まれですから今107歳。

同書ではひとりで楽しく暮らす5つの秘訣を語られています。
ネタバレになりそうですが、骨子を軽く紹介させていただきます。

秘訣の1は、“温かい”家で暮らす。死ぬまで自分のお城がいい。
秘訣の2、ちゃんと食べる、ちゃんと歩く
秘訣の3、身だしなみに手を抜かない
秘訣の4、年齢を悟られずに生きる。ホントに大事なのはココロモチ
秘訣の5は、読む・書く・仕事&恋をする!。人生の転機は好奇心から。

笹本恒子さんは、26歳で報道写真家になった“女性の報道写真家第一号”と言われています。もちろん今もカメラは手放さない現役。ちなみに愛機はライカを長く使われていたようですが最近ではキヤノンEOSシリーズ、デジカメはリコーGRなどが挿入写真から伺われました。
デジカメは100歳近くになってからのデビューだそうですから研究熱心です。

戦後の民主化で撮影がかなった三笠宮家、写真嫌いで知られた作家の井伏鱒二や室生犀星、政治家の三木武吉、刺殺された社会党委員長の浅沼稲次郎、力道山、歌手の藤山一郎や美空ひばり女性代議士加藤シヅエ・・、三井三池闘争を支えた炭鉱労働者の妻たちなど無名の人たちの姿もたくさんカメラに収めてきました

どこにも属さない「無印」を自認されるフリーランスの笹本さん。「みなさんに申し上げたいのは人生で“もう遅い”という年齢はない」と。

ほかにも著作は『好奇心ガール、いま101歳 しあわせな長生きのヒント』『103歳。どこを向いても年下ばかり いつでもときめいて生きる』、タイトルも見ているだけで元気をいただけます。

カメラ&報道写真好きの私は、笹本さんの生き方にとても共感を覚えました。




「そばかす」を愛らしく唄うインドネシアの歌姫、アマンダさん♪

 

Ost SAMURAI X - SOBAKASU (Judy and Mary) || cover by MANDA feat GALIH JUSTDRUM
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政治選択もがん治療も

2021年10月25日 | 研究・書籍
権利の上に眠るな!」

婦人解放運動家の市川房枝女史(1893-1981)の言葉です。
権利があるのにそれを使わなければ何にもならないということ。

今月末は衆院選。
日本、国民の未来にかかわる一番大切な選挙。
しっかりとした人物、
信頼できる政党に、棄権することなく権利の一票を投じたいものです。

さて、人の一生にとっては、がん治療についてもその「選択」は重大なことです。

7月発行『ドキュメント がん治療選択』(金田信一郎/ダイヤモンド社)は現在進行形の闘病の様子を赤裸々に書かれたもので迫力があります。
著者は日経新聞の編集委員も務めたジャーナリスト。1967年生まれ、脂ののった現役だ。
第一章 罹患
第二章 東大病院918号室
第三章 逃亡
第四章 がんセンター5A病棟
第五章 疑惑、
第六章 大転換。。。

章を追っただけでなんとなく内容が連想できると思います。
表紙には「崖っぷちから自分に合う医療を探し当てたジャーナリストの闘病記」とある。
「進行性のがんになって学んだことが一つだけある。それは、医者と病院に任せきりにしないということだ。自分の病気と治療法を理解し、運命は自分で決めていくー。その思いは最後まで持ち続けた方がいい」と。まったく同感です。勇気を与えられました。

「患者は、告知の場面でベルトコンベアに乗ってしまえば、そのまま抗がん剤→手術へと流されていく。」

「これからは、がんとともに生きていく、体の一部であるがんが、意識の中の自分に様々な警告を与えてくれているのかもしれない。」

そして今は「がんに感謝しながら生きる」という境地に達した著者。
政治改革もがん治療も、主体者は国民、患者であるということ。政治家や医師に簡単に委ねない。疑問に思った点は、自身でもとことん調べ比較研究し納得がいく結論を得る。それは当然の「権利」でもあるわけです。
投票も闘病も「権利の上に眠る」ことなく、自らがその運命を切り拓いていくものだと思いました。




 

がん治療選択〜食道癌の私が東大病院から逃げ出した理由〜
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無着成恭と中島小泉製作所

2021年08月23日 | 研究・書籍
無着成恭(むちゃくせいきょう)と言ってもご存じない方が多くなっているかもしれません。TBSラジオ『全国子ども電話相談室』の回答者を1964-1989年の25年間、回答者をされていた良い子たちの「せんせい」です。

三島由紀夫や無着成恭が、大泉町の中島飛行機小泉製作所(現在のパナソニック・三洋電機)に戦時中、学徒動員で働いていたことは知っていました。三島由紀夫については、代表作の一つ『仮面の告白』の中で「N工場」の表記で登場しています。

気にはなっていましたが無着成恭については、今回『無着成恭 ぼくの青春時代』(日本図書センター)を読み詳しく知ることができました。

「西小泉駅で下車。下車したとたんに空をあおいでフーッと呼吸をした。空には練習機がとんでいる。めずらしくてたまらない。駅前の小泉荘というところで朝飯を食べる。もちろん、家から持ってきたおにぎりだ。・・・会社のバスが迎えに来た。それで中島高林寮に向かった。途中、右手に飛行機がずらりと並んでいるのが、ちらっと見えた。すごいなあと思った」すでに敗色漂う昭和19年8月7日、山形中学(現山形東高)5年生、17歳の無着成恭の日記の一節です。

何といっても食べるものが無く、育ち盛りの学徒動員生や徴用工たちには苦しい思い出ばかりの小泉工場だったようだ。一緒に働いた台湾から来た少年工たちのことも書かれている。

終戦の年の4月、無着成恭ら卒業学年生は高林寮を去って山形に引き上げる。帰路、福島県白河に着いたら東京は大空襲を受けている、と駅員が言った。誰かが「今、高林寮が直撃弾を受けて全滅だそうだ」と、どなった。ほかの学校の生徒はどうしただろう。酒田中学など全滅したんでないかな。沼田中学はどうだろう今の話デマであればよいなと思った、と日記にあります。

無着少年が8月の今頃初めて到着した西小泉駅。今も変わらぬ駅につながる線路=写真=をながめ70余年前の「動員日記」の大泉の街や飛行機工場の情景を思い浮かべています。


 
 


無着成恭著 『おっぱい教育論』
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よく死ぬことはよく生きること

2021年06月11日 | 研究・書籍
「人間がもっとも恐れるのは死である。生まれたものが死ぬのは当然と言えばそれまでだが、一般に人が死ぬということと、特定の人、たとえば近親者が死ぬということは根本的に違う。近親者の死はいわば自分の生命の一部分を失うことである。

しかし自分自身の死ということになるとどうであろうか。厳密な意味においては、自分の死を考えることはできない。生きているあいだはまだ自分の死を経験することはできない。死を予想するときは、未知への不安がもっとも恐ろしいのである。

肉体の機能の停止と同時に、その人の精神活動がまったく消滅するという確証もない。肉体に必ずしも依存しない心理活動の可能性を実験的に証明しようとする超心理学(パラサイコロジー)はまだ初歩の段階にあるが、将来性が期待される。

個人の肉体の死を生命の終点と考えるならば、理想の追求もありえないことになろう。唯物論者でさえも自己の社会活動に意義を認める以上は自己の死後の存在ー歴史的事実とよんでもよいがーを認めないわけにはいかないだろう。通俗信仰の範囲にとどまるものならば現世の継続として感性的な来世(極楽や天国)を空想して一種の満足を感じるであろう。

しかし精神的に自覚したものは生存中の自己の行為の総決算としての死後の存在を確信し、よく死ぬことができるために、平常からよく生きること、充実した生涯を送ることに全力をあげることであろう。死後の存在は外から与えられるものではなくて、自己の責任において建設すべきものというべきであろう。」

以上、『死について』と題した仏教学者、渡辺照宏
わたなべ しょこう1907-1977 執筆時は東洋大学教授)のご意見です。1970年代後半のたぶん毎日新聞の随筆欄から。

母の遺稿ノートに挟まれていた新聞切り抜きです=写真
新聞名、年月日不明。筆者の渡辺照宏氏もこのエッセイをお書きになったあとしばらくして他界されたのではないかと察せられます。母も同じように同じ頃亡くなっています。きっと『死について』には同じ気持ちだったのではないかと思われます。

この記事から半世紀の歳月が流れています。超心理学(パラサイコロジー)の発展はいかがでしたでしょうか。死生観としては、今日的にも十分にうなずけるものを感じます。

「よく死ぬことができるために、平常からよく生きること・・」まさに御意!
(ぎょい)

「朝毎に懈怠なく死して置く(葉隠れ)」の心得で、今日もプリティ ワールドに向かいましょう。



 
Sergio Mendes & Brasil '66 【 Pretty World 】  
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白人同化では解決しない F・ファノン

2021年02月20日 | 研究・書籍
フランツ・ファノンを詳しく知りました。
NHK Eテレ『100分で名著』最終回は明後日2/22月曜10:25~放映予定

「白人と黒人とは一つの世界の二つの極。たえず対抗関係にある両極をあらわしているように見える。白人か、黒人か、これが問題なのだ」
(「黒い皮膚・白い仮面」より)

今回の名著はフランツ・ファノンの『黒い皮膚・白い仮面』。
黒人が自らを否定して白人になろうとすること、つまり「白人同化」。白人への憧れをこうした形で求めることをファノンは、これを「黒人の病」とする。

黒人が白くなりたいとする「乳白化」も同じ。その例として、ある黒人女性が白人の男性と結婚しようと願望することも。こうした内面化される差別構造を精神科医でもあるファノンは批判的に分析する。かと言って逆に黒人優越性を強調する「ネグリチュード」には賛成しない。ネグリチュードとはフランス語( Negritude)で黒人性の意味。

番組では伊集院光氏が「過剰なダイエットでも同じことが言えるのではないか」と良い質問をしている。
白=美、黒=醜は、痩せる=美、太っている=醜・・??。

この二項対立的なとらえ方は、言語についても当てはまる。ファノンの生きた時代でも、彼の出身地のクレオール語ではなく盟主国のフランス語を駆使できなければ白人文化の担い手になることは難しかった。

こうしたことは黄色人種に置き換えても同じようなことが言えるのではないでしょうかね。もし日本が地球のキングとして君臨していたら日本語が「優越語」として世界の人々の共通語としての地位を得て普及していたのではないでしょうか。今の英米語がそうであるように。
話は飛びますが、ですから私は国際語エスペラントが好きなのですね。ポポロのその精神が好きなのです。

さてフランツ・ファノンですが、彼はフランス植民地西インド諸島出身(1925-1961 36歳没)精神科医であり革命家。「ポストコロニアル理論の先駆者」とウィキペディアにあります、顔写真もお借りしました。


 


今夜はプレスリーの『ロック・ディス・タウン』。黒人音楽をルーツに持つソウルフルなブルースロックを白人の彼がうまくアレンジしています♪ きょうのテーマの逆バージョン(笑)




Elvis PresleyRock This Town
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最後の空襲 熊谷

2021年01月09日 | 研究・書籍
年末年始の合間に『最後の空襲 熊谷』(社会評論社)を読みました。発行が昨年11月の新刊です。

熊谷空襲については3年前に当ブログでも紹介しています。

改めて思いますのに戦争終結の玉音放送が流れるその前夜、8月14日深夜から15日までの約1時間、米軍機B29による埼玉県熊谷市街への空襲があったのです。市街地の3分の2が焼かれ266名が亡くなったとあります。負傷者は3000人。

新事実、新証言もあり読み応えのある良い本が世に出されました。

熊谷出身の作家、森村誠一さん(当時国民学校生=小学生)は父親のとっさの判断に従って市内の星川から荒川に向かって逃げたといいます。もし星川に留まっていたら命はなかった。星川に浮かんだ死体の中には、思いを寄せていた女の子の姿も・・。この空襲の体験が、ものを書く方面に進んだ原体験であった、と氏は語る。

米軍機のパイロットの証言によればグアムから飛び立つ前に、ラジオでニューヨークがVJ(Victory Japan)を祝っていることを聞いていた。それなのに「我々は、なぜ熊谷に向かって出撃しなければならないのか」とする疑問を感じていたという。攻める側も、中止命令が出るのをひそかに待っていた飛行士たちもいたと思われる。

本書は戦禍の記憶と継承を次世代の若者に向け発信している。2部からは高校生たちによる空襲体験者たちからの取材を基にしてまとめた。証言者のお一人は「(終戦15日の)前日に明日は重大な話がある」と予告が入っていたと話す。


日本政府は中立国スイスに仲介を頼み、同国から米国に通告されたのは15日午前7時だった。なんとも戦争終結の日の最後の攻撃には不条理なものを感じます。

「戦争中、有能な人がみな大変な目に遭わされ、みすみす死んでしまって戦後残ったのはへなちょこばかり、政治家だっていまは酷いものですよね」

ぐさっと身につまされる証言です。
新春初読書。多くの人、特に若い世代に読んでいただきたい一冊でした。


写真:『戦災者慰霊の女神』像(熊谷市内 星川沿い)

 



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健在、世良公則のロック魂

2020年11月22日 | 研究・書籍
世良くん、もう64歳なんだ。。

雑誌『クライテリオン』で世良公則と藤井聡(京大院教授)の対談を読みました。

「ロックでコロナをぶっ飛ばせ!」/世良公則×藤井 聡

世良公則のロック魂が健在であることを確認でき良い対談になっています。

今コロナ禍で音楽業界のフリーランスのスタッフたちは窮状を訴える手段もなくつらい状況が続いている。ドイツ政府が芸術家たちにいち早く支援を差しのべたのに対して「我が国の政治家の方々には一向に文化芸術を大切にしよう、育てようという意識がない」と世良。
ツイッターで発言するたびに「世良は右なのか左なのか」と言われるが。そうじゃない僕は誤解を恐れずにいえば「愛国者」なんです。日本が好き、日本の国民が好き。

政府の復興政策に対しても、東京オリンピックを東日本大震災や福島原発事故からの「復興五輪」と位置づけていました。まだ何千という人たちが仮住まいで、原発だってまだ事故現場にも入れていない。復興をアピールしますという言葉を聞いた時に、大きな国民の意識との相違を確信しました、と冷静に見る世良公則。

アーティストが社会的な発言をすることは大いに結構なこと、敬意を表します。ましてロッカーは、ミックジャガーのように歳を重ねても降りかかる不条理に向かってシャウトし続けてほしいと思います。

一方の藤井先生も「当時の憂歌団のブルースはメッチャかっこよかった」となかなかのロック通。

ところで、『クライテリオン』って雑誌、おもしろいですね。
“表現者「危機」と対峙する保守思想誌”と銘打っている隔月刊誌。

クライテリオン(criterion)の意味、辞書を引いてみました。

criterion(判断・評価などのための)基準,規範,標準,尺度

本来の保守の持つ「良心の規範」を感じさせられる雑誌でした。

今夜は世良公則のデビュー曲「あんたのバラード」を聴きましょう。
『クライテリオン』誌の中で彼は、「この曲は大阪ならではの世界観。もし東京にいたら『君たちのバラード』になっていたかもしれない(笑)」

(敬称略)

 


世良公則 - あんたのバラード
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